新宿異能大戦㉓『正義、売るよ!』
十二月二十四日、朝。
警察庁本庁舎、警察庁長官室。
「……しばらく謹慎と言ったはずだが?
警察庁長官のみが座る事を許された机の上で、壮年の男は腕を組んで言った。
「承知の上です。
それよりこの資料の件について、お話をお聞かせ下さい」
対する義堂は軽く一礼すると、押し付けるようにして資料の束を机に広げた。
長官はそれを
「……君にも今の状況は分かっているだろう、そのようなヒマはない。
下がり給え」
「いえ是が非でも目を通していただきます。
これは今回の騒動にも関わることです」
「生憎だが私はそうは思わない。
義堂警視、事件に関わりたいのは分かるがここは命令に――」
「父さん!」
叫びながら、義堂は机に両の拳を打ち付けた。
みし、と長官室全体が揺れる。
「是非とも貴方には、聞いてもらわなければなりません。
必ず……!」
「お前……」
目を見開く長官をよそに義堂は静かに資料を広げる。
「……まず、こちらの長野の事件。
十五年以上前のもので、犯人は未だ行方不明ということになっています。
ですが事件発生から四年後の年、こちらのとあるカルト教団の摘発事件にてとある遺体が発見されました……その犯人と特徴をほぼ同一とする遺体が。
どちらも、当時の責任者は貴方です」
資料の該当部分を指さしながら、義堂は父である長官を睨みつけた。
「……何が言いたい?」
「私が資料を見比べただけで気付けたものを、実際に捜査の陣頭指揮を執った貴方が気付けない筈がない。
必ず何か事情がある筈――そう思った自分は一日かけて貴方の担当してきた事件を調査し、あらゆる情報を集めました……そして、出た結果がこれです」
義堂は新たな資料を机の上に置く。
そこには国内でいまだ逮捕に至っていない犯罪者の名前と顔と、そして値段がまるで通販のカタログのようにズラリと並べられていた。
中には、件の犯人の名もある。
「誠一、お前どこでこんなものを……」
「それは、私が提供させてもらった」
そう静かに扉を開けて入ったのは、グレーのスーツを纏った金髪の男、合衆国の『
「何……?」
「知っているとは思うが我が合衆国は色々とカルトが盛んな国でね、元々は摘発の際に偶然回収したものだった。同様の資料が連合王国のケネス=シャーウッドも先日回収している。そちらには伝えてないがね。
とはいえ我々だけでは主犯格の実体を掴めなかったのも事実。
その最中、義堂が国内の事件資料を携えて来たという訳さ」
「長野の件を見た俺としては、何か裏付けとなる情報が欲しかった。
ですが父さんが絡む以上、おそらく国内から辿るのは難しい……だから独断で彼に情報提供を依頼したんです。
お陰で国内で起きた未解決事件と、そのカタログが見事に繋がりました」
「独断……貴様、勝手に合衆国と話をつけたのか!」
長官は机の上で拳を握った。
「自分は『
この国を守るために、あらゆる権限を与えられている! 情報収集もその範囲の筈です!」
「ふざけたことを言うな!」
長官は声を張り上げた。
義堂の言う通り『
管理の強化に舵を切っているこの情勢では、海外相手の単独交渉は越権行為に近いと言えた。
机を挟み、父子の視線が交差する。
「……今、我が国は前例のない国難の最中にいます。
『
「貴様……!」
「答えてください、
この国では、犯罪者の人身をテロリストに売っていたのですか!?」
義堂は貴康を睨む。
しかしその瞳に宿るのは、義憤や失望だけではない。
「父さん……!」
もし何かの間違いであるなら、そう言ってくれ――そんな期待にも似た気持ちが少なからずあった。
「………………………………」
長く、重い沈黙が長官室を包む。
そのまましばらく経った後、
「…………そうだ。
この国では、正義が売られている」
かつて憧れた父は、開き直るようにして言った。
◇
そのビジネスは、長らくこの国の特権階級および一部の警察上層部によって営まれてきた。
扱われてきた商品は、正義。
つまりは公認の私刑と殺人である。
まず簡単な例で言えば、死刑の執行。
我が国では絞首刑が原則であり、その際刑務官の精神衛生上の理由から一つだけ本物の混じった三つのボタンを三人同時に押すシステムになっているということは有名な話である。
つまりたとえ死刑となるような極悪人が相手であろうと、人を殺すという行為はそれだけ心理的負担が大きいのだ。人は誰しも、人殺しにはなりたくない。
だがもし、その本物のボタンを押したいという奇特な人間がいたとしたら、どうだろうか。
さらにもし合法的に人を殺せるなら、金に糸目はつけないという人間がいたとしたら、どうだろうか。
そのビジネスはそこから始まった。
それは法務大臣が死刑執行の認可を下す度に開かれるオークション。
参加する人物は、政治家、経営者、資産家といった一部の上流階級のみ。
開催の度にゆうに億を超える金額が動き、見事その権利を勝ち取った人物はその日だけ刑務官としての身分を得、三つの内本物のボタンを押すことが出来るのである。
金額は当然国庫に入り、国の財政を潤してきた。
だが、欲望とは得てして暴走するように、ただボタンを押す程度では満足できない者もいずれ出始める。
そんなモノ好きの為に用意された制度が、犯罪者の人身売買だった。
世間的には未解決事件として犯人不逮捕、もしくは行方不明とされた犯人を秘密裏に拉致し、収監。そして彼等の情報をカタログとしてまとめて会員に流し、随時競売にかけるのである。
売った悪人をどう嬲るかは買主の自由であり、さらに正義が過ぎてうっかり殺してしまった際は後始末と言う名の警察からの手厚いサポートもアリ。
まさに金さえあれば手軽に買える「正義」であった。
しかしこの狂ったビジネスモデルも、長期の不景気と監視社会の到来によって需要は大幅減。
現在はとある系列の宗教法人が上客となっていた――
「――おそらく、この事件の教会組織というのも『サン・ミラグロ』系列の団体。
つまり、日本の警察は国際テロ組織に対し闇取引をしていたことになる……!」
義堂は資料の上に手を置き、貴康に詰め寄った。
「……だとしたら、どうする。この混乱した状況下で公表するのか?
さらなるパニックになるぞ」
だが当の貴康は一時の動揺から立ち直り、冷静に言葉を返す。
そのさも当然とでも言いたいような表情は、これまで義堂が目標としていた父の姿とはかけ離れていた。
義堂は僅かに唇を震わせながら、
「いつどのようにして公表するかは、まだ決めていません。
自分がここに来たのは、貴方の口からその是非を聞きたかった――ただ、それだけです」
「そうか、なら改めて答えよう。
確かにお前が調べた通り、この国の上層部は長らくこのような商売に手を染めている。
この私が生まれるよりも前からな」
父の告白に、義堂は眉を顰めて拳を握る。
「まぁ、僅かな手がかりからここまで辿り着いたのは褒めてやる。
だがもはやお前一人が動いてどうなるものではない。国を思うなら大人しくしていろ、いいな?」
貴康はその様子を一瞥すると、今度はリチャードの方へと視線を移した。
「というわけだ、リチャード・L・ワシントン。
この件は我が国の国防、治安および内政に深く関わる、故にこれ以上の介入は控えていただきたい」
「……フ、随分と開き直ったな、まぁいい。
貴様がどう取り繕ろうがこの件に関して最終的な判断を下すのは
「……言っておくが、合衆国にもそれなりに客はいるぞ」
「それは重畳。
無様に言い訳を並び立てるようなら纏めて吹き飛ばすまでさ。
では今日の所は失礼」
そう言ってひらひらと手を振り、リチャードは長官室を後にした。
残されたのは、貴康と依然として机に拳を立てたままの義堂のみ。
「用件は終わった。下がれ」
その言葉に返事はない。
代わりに義堂はゆっくりと視線を上げ、父の姿を見る。その瞳には、自分でも言い表しようのないような感情が乗っていた。
「失望したか?
だが言っておくが、お前にその資格はないぞ。十年前を思い出せ」
貴康は席から立ち、義堂に背を向けて窓を見た。
「……間抜けにも正統スマリに捕まったお前を救う為、俺はあの時警察幹部としてあらゆる力を行使した。
マスコミの封鎖に、身代金の用意、さらには各方面への協力まで。
警察という権力がなければ、お前はアフリカで死んでいた」
「でもそれは、貴方個人ひいては警察自身の保身の為でもあった筈だ……!」
「否定はしない。
だが、お前が助かったという結果は同じだ。違うか?」
貴康は振り向き、「ああそう言えば」と何か思い出したようにわざとらしく視線を上げる。
「あの時の身代金、確か1,000万ドルだったか……もちろんそのカネも、件の売上からも捻出してやったな。
つまりお前の命は、正義を売ったカネのお陰で救われたという訳だ」
「なっ……」
義堂は思わず言葉を失った。
スマリ人質事件――もちろんその時のことについての罪悪感は、ある。
しかしそれは、あくまで国に迷惑を掛けたという話。まさかそのような金が使われていたとは思いもよらなかった。
「もう分かっただろう?
既に首までどっぷりと浸かっているんだよ、私もお前も」
「…………詭弁だ……!」
「どうとでも言え。
どちらにせよ『
貴康は右手を上げる。
すると別室に控えていた秘書が二人現れ、義堂の両脇を掴んだ。
「くっ、父さん……!」
「しばらく大人しくしていろ。
後は私が上手くやっておく」
貴康は再び背を向ける。
その顔は義堂が長官室を追い出されるまで、二度と振り返ることはなかった。
◇
「……………」
いつもより忙しない本庁舎の廊下を、幽鬼のような表情をした男が歩いていく。
「……………」
身柄は結局、長官室を追い出されてからすぐに解放された。
しかしそのままどこかに連行された方がマシとも思える程、足取りがおぼつかない。
義堂はぼうっと、天井の蛍光灯を見上げた。
「……………」
まるで自分の身体が一枚の薄紙になっていくように、全身から力が抜けていく。
『
なら今の自分にはいったい、何が残っているというのか。
「――その身ひとつ、だな」
その時、声が聞こえた。
視線を上げると、リチャード・L・ワシントンが壁に背を預けて立っていた。
いつものように、不敵な笑みを浮かべている。
「かつての私がそうだった。
家族もなく、誇りもなく、遠い異郷にただ一人……」
どう答えていいかも分からず、義堂は立ち尽くす。
しかしそれを許さぬとばかりにリチャードは視線を強め、
「だが、お前の場合は一つだけ残っているな」
義堂の前に立った。
同時にポケットの中のスマホが鳴る。
「あ……」
画面に表示された名前は、
虚しく響く着信音を聞きながら、リチャードは僅かに眉を顰めた。
「……出た方がいいんじゃないか?」
言われるまでもなく、そうするべきであること位は義堂にも分かっていた。
しかし、「応答」を押そうとするボタンが震えてしまう。
その理由は明白だった。
「……今の自分に、その資格はありません」
義堂はダラリとスマホを持つ手を下ろした。
そのまま静かに、リチャードの前を通り過ぎようとする。
「――『最高』とは、最強ではない。
何があろうと戦い続ける者のことを言う」
ふと響いたリチャードの言葉が、義堂の歩みを僅かに止める。
「私は信じるぞ、
しかし遂には振り返ることなく、義堂はその場を去って行った。
そしてその数分後、義堂は本庁舎から姿を消す。
彼のデスクの上には自身の警察手帳と、退職願代わり書置きが置かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます