新宿異能大戦⑭『見てきたからこそ言える』

 スマリ人質事件。

 それは今から十年前に突如として発生し、国内の世論を二分した。

 当時新興の反政府組織であった正統スマリは、現地でボランティアとして活動していた日本人学生(当時19歳、氏名は非公表)を拉致、監禁。

 翌日動画と共に犯行声明を公表し、日本政府に一千万ドルもの身代金を要求した。


 大人しく要求を受け入れるべきか、あくまで学生個人の自己責任として切り捨てるべきか。

 その対処に議論は、テレビはもちろん、まとめサイトやSNSでも紛糾。

 人道か、国益か――その二律背反は左右の対立となって表面化し、最終的にはデモも各地で発生。

 あまりの世論の二分ぶりに、現地に自衛隊を派遣しての救出作戦の必要性も説かれるほどだった。


 しかし日本政府はあくまで人道主義による人質解放に固執。学生の氏名や大学すらも公表せず、あらゆる情報をカットして交渉に臨んだ。

 対テロ交渉のセオリーに反するとも言える反応に国内は元より世界でも戸惑いの声が見られたが、結果として多額の身代金を支払って学生Aを解放させることに成功、事件は一応の解決をみる。

 しかしその時の資金を元手に正統スマリは巨大化し、紛争は長期化するに至った。


 果たして、人道的解決は正解だったのか。

 事件から十年経った今なお、その完全なる決着はついていない――



 ◇



『すみません、今朝の報道については事実なんですか!?』

『もし事実であるとすれば、国際的な日本の信頼、ひいては防衛能力に大きな影響があると予想されますが、その辺りについてのお考えは!?』

『義堂氏自身の進退については――』

『官房長!』


『その点につきましては、現在警察庁に確認中で御座いまして――』


 ――ピッ。


「……まぁ、見ての通りだ。

 現在官邸からも、市民からも、ひっきりなしに説明を求める電話が来ている」


「……申し訳、ありません」


 十二月二十一日、午前10時30分。

 警察庁本庁舎長官室。


 重厚な造りをした机に座る警察庁長官を前にして、義堂ぎどうは深く頭を上げた。


「別に謝れと言っているわけではない。あの件については私にも責任がある。

 ただこうなってしまった以上、慎重な判断と行動が求められると覚悟せよ……長津課長」


「はっ」


 義堂の傍らに立っていた異能課課長、長津ながつ純子じゅんこが背筋を伸ばして敬礼した。

 この破天荒な女傑も、警察庁長官の前ではさすがにいち警察官に戻る。


「現在起きている『異能』事件、彼以外でも対処出来るかね?」


「100%可能、とは断言できませんが、今いる人員だけでもやりくりすることは十分可能かと。

 『異能』の存在が認知されたことによって、我々も大分動きやすくなりましたから」


「分かった、ならばほとぼりが冷めるまで義堂警視は一旦前線から退かせろ。

 スマリの件については上層部の方で対処する」


「で、ですが……!」


 義堂は思わず前のめりになりながら言葉を漏らした。

 実際、長官の言葉は事実上の謹慎命令に等しい。せっかく『国家最高戦力エージェント・ワン』になったというのにこれでは意味がないというものだ。


「義堂警視」


「……」


 だが長官の発する無言の圧力に制され、義堂は押し黙る。


「話は以上だ、もう下がって宜しい。

 くれぐれも軽挙妄動は慎むように」


「はっ」

「……はい」


 そのまま重い空気もまま、義堂と純子は長官室を後にした。



 ◇



「……ま、焦る気持ちは分かるがこればっかりはどうしようもない。

 長官の言っていた通り、しばらくは大人しくしていた方が賢明だねぇ。明日は北京での外相会談もあるし」


「……ええ」


 視線を落としながら、義堂は廊下を歩く。

 『国家最高戦力エージェント・ワン』となってから僅か一ヶ月あまり、まさかこのような事態になるとは思ってもみなかった。


「……長津さんは、知ってたんですか?

 俺が学生Aだったってこと」


「お前がウチに来る時にね。

 まー確かにああいう過去があるってんなら、仕事熱心なのも頷けるとは思ったさ」


 純子はケラケラと笑った。

 本庁舎上階の雰囲気に似つかわしくないほど明るく振舞うのは、義堂を思ってのことであろう。


「……俺は、甘ったれな人間でした。そしてかつて、その所為でこの国の人達に多大なご迷惑を掛けてしまった。

 だからこそ、全身全霊で働かなければならなかったのに……」


 だがそれが分かっていても、義堂はその親切に寄り添うことが出来なかった。

 拳を握り、その場に立ち止まる。


「……義堂」


「八坂と一緒に事件を解決して、『国家最高戦力エージェント・ワン』になって……少しでも、あいつに近づいたと思ってました。

 本当の意味で、肩を並べて戦えるのだと。

 ……完全な、思い上がりでした。

 俺には元々、そんな資格はなかった筈なのに……」


 想いを吐露するたびに、込める力が強くなっていく。

 食い込んだ指からは、血が滲んでいた。


 もう、ここらが潮時なのかもしれない。

 その想いを口に出そうとした時、


「長津さん、俺は――『義堂警視!』」


 長津の叱咤に義堂は顔を上げた。


「まずは頭を冷やし、落ち着いて己を見つめ直せ。

 これは命令だ」


 それはいつになく真剣な目つきをした、上司の姿だった。


「長津さん……」


「どうした、聞こえなかったのか?」


「い、いえっ。

 了解しました!」


 義堂は慌てて背筋を正し、敬礼する。


「お前が自分の過去と現在の職責にどう向かい合うかは自由だ。

 だがあの刀煉とねり白秋はくしゅうから直々に受け継いだ以上、生半可な理由で『国家最高戦力そいつ』を返上することは許さん。

 あの人がお前に託した意味、今一度よく考えろ」


「……はい」


 義堂は腹の底から絞り出すように答えた。

 不安はある。しかし一方で純子が言うことの意味も、義堂は痛いくらいに理解できてしまう。

 だからこそ、苦しい。


(でも苦しまなければ、先はない……)


「……ふっ」


 そのまま神妙な面持ちで敬礼し続けていると、純子は表情を崩して義堂の肩をポンと叩いた。


「そんだけ悩むってことは、くすぶってたんだろ? ずっと。

 ならいい機会じゃないか、今こそ過去に正面から向き合って消化し尽くせ。

 お義父とうさんが信じたお前なら……『国家最高戦力エージェント・ワン』のお前なら、必ず出来る。そう信じてる。

 ……なぁに私たちも、出来る限りのことはやるからさ」


「……長津さん……」


「さ、課に戻ったら早速作戦会議だよ!」


「……了解!」


 そのまま力強く歩く純子に、義堂は早足でついて行く。


(……八坂)


 廊下の窓から覗く空に、ふと親友の姿を浮かべながら。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



【『国家最高戦力エージェント・ワン』義堂誠一氏の疑惑に、官邸はダンマリ! 真実は警察庁からの会見待ちか】

義堂ぎどう誠一せいいち氏と父、義堂ぎどう清十郎せいじゅうろう警察庁長官との複雑な親子関係】

【スマリ人質事件十年目の真実――事件当時、官邸内部ではどのような動きがあったのか】


「……義堂……」


 同刻、早応大学港北キャンパス。

 講義が終わって生徒のいなくなった大教室で、英人は苦々しい面持ちでスマホのニュースサイトを眺めていた。

 今や国防の要ともいえる『国家最高戦力エージェント・ワン』のスキャンダルということもあって、どのメディアもこの話題で持ちきりだ。

 SNSのトレンドでも、義堂関連の呟きが早くも十万件を突破している。


(どうする……今の俺に、何をしてやれる……?)


 英人はスマホを裏返しに机に置き、何も書かれていないホワイトボードをぼうっと眺めた。


 まさか義堂に、こんな過去があるとは思いもしなかった。いや、高をくくっていたと言うべきか。

 しかし考えてみれば中学に上がると同時に別れてから再会するまで、実に十五年以上。その間に自身が『異世界』へと渡ったように、義堂にも色々あったに決まっているじゃないか。

 だというのに何故俺は、そんな簡単なことにも気づけなかったのか。

 そして、


「表舞台のゴタゴタを、全部押し付けちまったのか……」


 小さく呟きながら、英人は手の甲を額に乗せた。


 正直、どうすればいいのか分からない。

 これはあくまで義堂自身の問題だ。英人がいくら手を貸そうと結局は彼自身の手で踏ん切りをつけなければ、真の解決とは言えない。

 そもそも義堂自身、親友である自分を巻き込むことを良しとしないだろう。奴はそういう男だ。


「くそ……」


 迷いを整理するように、英人は小さく息を吐く。

 その時。


「――後悔なんて、らしくないな八坂君」


 英人の座っていた列の端にある椅子が、キシ、と鳴った。


「…………代表」


「や」


 少し離れた同列の席から手を振ったのは、ファンタジー研究会代表のいずみかおるだった。

 黒を基調としたパンツスタイルにさらりと揺れる白銀の髪が特徴的な王子様スタイルはいつも通り健在だ。


「……どうして、ここに……」


「早応大生がキャンパスにいちゃマズいかい?」


「いえ、そういうわけじゃ」


「ま、単純にヒマだっただけさ。

 カトリーヌ君は定期健診だし、秦野はだの君は何やら親族の面会に行くと言ってお休みだ。

 つまり今ファン研は私と八坂君しかいないのだよ」


 薫は退屈そうな表情を浮かべて頬杖をついた。


「そうですか」


「……ま、お陰でこんな所で悩みを抱えている八坂君を見つけられた訳だ。

 たまには散歩もしてみるものだね」


 そう言って薫はふぅと息を吐く。


「……義堂さんの件、色々大変そうだね」


「……ええ」


「二人の仲について、私はとやかく言う資格はない。

 どういう時間を共有してきたのか、私は知らないからね。

 でも――」


 薫は頬杖をやめ、英人の方へと振り向いた。


「八坂君自身については、少しくらいは言えるよ?」


「代表……」


「我がファン研に入ってから今まで、色んな君を見てきた。

 まぁ裏で色々やっていたことは別だけれど……それでも見てきた。だからこそ、分かる。

 八坂君、君はとても強くて、そしてすごく優しい人間だ」


 英人を見るその表情は、穏やかに笑っていた。

 まるでこれまでの思い出全てを愛でるように、慈しむように。


「だから迷うことはあっても、立ち止まったままなのは似合わない。

 少しずつでも前を向いて歩いていくのが、私の思う君なのだが、どうだい?」


「……そうですね」


 薫の言葉に、英人は小さく笑って返した。


 これまで、自分らしさというものを考えることはなかった。

 だからこそ止まるのではなく少しでも動く――彼女の言っていたそれが、案外正解なのかもしれない。

『サン・ミラグロ』に茅ヶ崎ちがさき十然じゅうぜん、そして義堂誠一。

 思い悩むことはたくさんある、しかしだからといって立ち止まる理由とはなりえない。


「よし、ならば早速行こうか!」


 そんな英人の様子を見てか、薫は急に声を張り上げる。


「え?」


「もちろん決まっているだろう、『覚者かくしゃ』の捜索さ!」


 そう言って勢いよく立ち上がった彼女の顔には、屈託のない笑みが浮かんでいた。

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