新宿異能大戦⑬『第一位』

「いや、半ば当てずっぽうだった。

 買い被るほどのものでもない」


 やや自嘲の笑みを浮かべ、十然じゅうぜんはカップを二つ携えながらソファへと座った。


 初めて間近で見たその第一印象は、物腰の落ち着いた壮年男性、といった感じだった。

 穏やかそうな外面をしていることには違いないが、一方で静かにたぎる覇気のようなものも感じられる。


「ミルクと砂糖は?」


「結構」


 英人はカップの位置を整え、再び顔を上げた。


「……単刀直入に聞く。

 貴方は『サン・ミラグロ』のメンバーということでいいのか?」


「ああ。使徒第一席という地位にいる」


 十然は軽く答え、カップに口をつけた。

 第一位――つまりは、『サン・ミラグロ』においては有馬ありまユウに次ぐナンバー2。しかし英人には驚きはなかった。

 この男なら、当然そのくらいの地位にいるだろうと直感していたからだ。


「成程……それより随分とあっさり答えたな。

 まぁ粘るとも思ってなかったが」


「下手に否定したところで、いさかいになるだけだ。時間と労力の浪費などつまらん。

 それに、」


「それに?」


 英人が眉を上げると、十然カップを置いた。


「君も薄々感じ取っている筈だ、戦いには時機というものがあると。それも我々のような人間には特にな。

 だから決着をつけるのは今日この時ではない、違うか?」


「どうかな。

 そんなもんは所詮後付けで、今この場で貴方を斬ればすなわち時機になるかもしれない」


 僅かに殺気を孕んだ瞳で、英人は十然を見据える。

 すると十然はゆっくりとソファから立ち上がり、窓へと向かった。


「……昨日にも増して一段と、人が集まって来ているな。

 やはり先日の発表が効いたか」


「……まさか」


「理解の早い人間との会話は実に快適だな。心地いい。

 ああ、あの中には『サン・ミラグロ』の構成員が紛れている……それなりの火器を携えてね」


「……」


 英人は静かに、十然の背中を睨んだ。


「安心しろ、ただの保険だ。戦うべき時機が来ればこのような有象無象の命を的にするつまらん仕掛けは使わんさ。

 それより今は互いの理解を深めようじゃないか。

 君にとっての私はとにかく、私にとっての君は、一期一会で済ませるにはあまりに勿体ない存在だ」


 十然は振り返り、再びソファに腰かける。


「それにあれだ、話し合いで解決するというのは君たち善側の真骨頂だろう?

 そしてほら見ろ、私は今こうして自分からテーブルについている。願ったり叶ったりではないかね?」


 不敵な笑みを浮かべる十然を、英人は静かに見つめる。

 たが小さく溜息をつき、


「……分かった、話し合いといこう。

 今のところはな」


「感謝する」


「じゃあまずは俺から質問させてくれ。

 貴方が『サン・ミラグロ』に入ったのは、息子の仇である俺を殺す為か?」


「そうだ。

 君も知っての通りあまり出来のいい息子ではなかったが、私とて人の親なのでね。

 ささやかな義務を果たさずにはいられないというわけだ」


 言いながら、十然はカップを持ち上げてコーヒーの薫りを楽しむ。


 本気か、そうでないのか。

 その表情からは真意はいまいち掴めない。


「なら俺だけを直接狙ってくればいい。

 その強大な資本力を使うのもいいし、法に訴えるのもいい。復讐の方法なんていくらでも方法はあるはずだ。

 仮にも世界的企業の経営者たる貴方がテロ組織に入った所で、自分の立場を悪くするだけだと思うが?」


「……正論だな。

 だがそれではダメなのだ」


「何故」


 英人の問いに、十然はカップを置いた。


「つまらない、それに尽きる」


「つまらない?」


 英人は眉を顰めた。


「ああ。何故なら私は君を、正面から打ち倒したいのだよ。全力で、何の言い訳も残らないほどに。

 その為に私は『サン・ミラグロ』になったのだ」


「正面からと言うなら、それこそさっき言った方法でも、」


 英人の言葉を遮るように十然は首を大きく振った。


「いいやダメだ。

 これでも復讐をする身、君という人間のことは隅々まで調べさせてもらった……だからこそ、私には分かるのだ。

 表舞台でかつ正攻法によって挑んでしまえば、君と言う人間はその罪悪感から必ずこちらに情けをかけてしまう、と。いや、最悪抵抗すらしないのかもしれん」


「どうかな、それこそ買い被りかもしれねぇぞ?」


 英人が言うと、十然は再び首を振る。


「そんなことはない。これでも数万単位の従業員を束ねる身だ、人を見る目はそれなりにあると自負している。

 それに……実の所、君も安堵したのではないかね? 私が『サン・ミラグロ』である知って」


「……何?」


 その言葉に、英人は視線を険しくした。


「そうだろう?

 真っ当に復讐ならともかく、今の私は国際テロ組織の大幹部だ。

 お陰で君も火の粉を払う大義名分が立つというものではないかね? 相手が畜生道に落ちたので仕方なく、といった風に」


 十然が僅かに口角を上げる。

 それは明らかな挑発にも似た宣戦布告だった。


「……お気遣いに感謝する。だが俺にはそういうのは不要だ。

 俺が貴方に願うことはただ一つ……十然さん、今すぐ『サン・ミラグロ』を辞めて罪を償ってくれ。大きな間違いを起こす前に。

 もちろん俺も、貴方に対する罪を全身全霊を以って償うつもりだ」


 だがそれでも、英人は十然に向かって頭を下げた。


 彼の息子である圭介は、決して褒められる人間ではなかった。法では裁かれなかったものの、実際に大きな罪も犯している。それに、そもそも『喰種』とは死んだ人間を再利用したものであるので、殺したのは厳密に言えば英人ですらない。

 しかしそれはあくまで英人からの観点であって、親である十然からすればそうではない。

 もし息子の死が切っ掛けで歪んでしまったのなら、手遅れになる前に正道に戻す必要がある。これ以上の被害を増やさぬ為にも。

 これは自らの贖罪と共に周囲を救わんとする、英人の覚悟であった。


「……三十一人、そして四十三人」


 しかし静かに十然の口から漏れる数字が、その覚悟を嘲笑った。


「おおよその察しはつくだろう?

 前者が私が直接殺した数、そして後者が直接口に入れた数だ」


「……」


「ちなみに食べた方はのべ人数だ。

 全身丸ごと食べた訳ではないので、重量換算すれば厳密には――」


「もういい、やめろ」


 英人は顔を上げ、十然の顔を改めて睨んだ。

 からだの前で組まれた両手は、骨が軋むほどに強く握られている。


「そうだ、それでいい。

 君が私という人間に希望を抱くのは勝手だが、もう遅いのだよ」


 対する十然はまるでそれを甘味にするように、穏やかに笑ってカップを持ち上げた。


「――私は悪だ。

 そして悪であるがゆえに、これからも人を殺し、食い続けるだろう。

 であれば正義の英雄である君に遠慮も慈悲も必要あるまい。

 さっさとそんなもの捨てて、全力で殺しに来い」


 十然の眼光が、英人を突き刺す。

 双眸には、深淵を思わせる程に純粋な黒目が浮かんでいる。まるで、悪意以外に何もないかのように。


 英人自身、これほどまでの男は初めて見た。

 今までに出会ったことのない、最大の敵。

 しかし、


「受けて立つ」


 英人は瞳に力を込めて、ゆっくりと、そして静かにその悪意を押し返す。

 今この瞬間を以って、宣戦布告は成った。

 十然は笑う。


「最高の回答だ」


「だが――」


「ん?」


 十然が眉を上げると、英人はさらに視線を強めた。


「俺はまだ、貴方という人間を諦めない」


「ふっ、強情だな。らしいと言えばらしいが。

 それだけ私の中の善性を評価してくれているということかな? いやはや恐縮だ」


「どうとでも言え」


 吐き捨てるように答え、英人は初めてコーヒーに口をつけた。


「気分を悪くさせたのならすまない。だが喜ばしいと思ったのは本当だ。

 しかし偉そうに時機と言っておきながら、いざ先延ばしが確定するとなると少々退屈だな……そうだ、詫びをかねて君ひとつヒントをあげよう」


「ヒント?」


 英人が眉を顰めてカップを置くと、十然は穏やかに笑って頷いた。


「ああ、君たちが探している『覚者かくしゃ』のことだが……あれは私ではない、別の人間だ」


「まるで正体を知っていそうな口ぶりだな」


「ああ、知っているとも。だがこれ以上は言えん、ヒントはヒントだ。

 後は自分で探したまえ」


「言われんでもそうするさ」


「何、君ならすぐに見つけられるさ」


 そう言って小さく笑いながら、十然はコーヒーを飲み干した。


「さて、次の予定もある。

 そろそろお開きにしてもいいかね?」


「ああ、コーヒーごっそさん。旨かったよ」


 英人は膝に手を置き、ゆっくりと立ち上がった。


「それは良かった」


 十然の返答を一瞥しつつ、英人は足早に出口に向かって歩く。

 そのまま社長室のドアに手を掛けた時、 

 

「……そういえば、話し合いと言いながら今回は君に質問されてばかりだったな。

 お返しと言っては何だが、私からも一つだけいいかね?」


 後ろから響いてきた言葉が、英人の手を止めた。


「何だ」


「君は自然というものを、どう捉えている?」


 ある意味では、意外な問いだった。

 それでも英人は僅かに熟考し、答える。


「……一言で言えば、『分からない』だ。

 言葉で表せるほど、俺は自然を知らない」


「ほう」


 その返答に第一席が浮かべた表情を、英人はあえて見なかった。

 そのまま手を押し、扉を開ける。


「つまらない答えで悪かったな」


「いや、中々に素晴らしい回答だったよ、八坂英人。

 次は地獄で会おう」




「――この世の、な」


 最後に耳に届いた呟きは、いやに頭に残った。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 同日、深夜。

 簡素な造りをした第二社長室の扉に今日何度目かのノックが響く。


「入れ」


「失礼します」


 扉を開いたのは、十然直属の女性秘書だった。

 彼女は入るなり深く礼をしたが、頭を上げて室内の光景を見た瞬間、驚いたように目を見開いた。


「どうかしたかね?」


「あ、いえ……今日はどなたを?」


「ああ、八坂やさか英人ひでとの後に面談した人間をな。

 二十代でITベンチャーを立ち上げ、創業から十五年ほどで上場にまでこぎつけた中々のやり手だそうだ」


「そ、そうですか……」


「ん”ん”ん”ん”っ!! んんっ!

 ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ーっ!」


 秘書が眼鏡を上げると、部屋中に雄叫びのような悲鳴が轟く。

 その凄まじい音量は、何故入った瞬間に気づかなかったのだろうと不思議になるくらいだった。

 それと嫌でも鼻腔をつく、生臭い血と肉の臭い。

 見慣れてなければ、その場で気絶してしまっていたことだろう。


「……しかし、大層な実績の割にどうにも旨味が薄い。

 やはり声と態度の大きさだけでのし上がった男はいかんな」


 だが一方で十然は、平然な顔を浮かべながらナイフとフォークを動かしていく。

 口に運び、咀嚼するのは、人の肉と臓物。


「ん”ん”ん”ん”ん”ん”っ!」


「それで、用件は?」


 十然の目の前のダイニングテーブルには、腹を割かれた状態の男が手足をもがれた状態で横たわっていた。


「い、いえ……特に用件と言うほどのことは。

 ただお部屋の明かりが点いているのが見えましたので、何かお手伝いできればと。最近は毎日遅くまで根を詰めていらっしゃるようですし……」


「そうか、だが見ての通りだ。

 私はいたって健康そのものだよ、最近は特にね」


「そ、そのようですね……差し出がましいことを致しまして、申し訳ありません」


 秘書は背筋を正し、深く頭を下げた。


「別に謝ることもなかろう、律儀だな。

 まぁどちらにせよ今夜の私は機嫌がいい……どうだ、この際私に対する愚痴を直接ぶつけてみるのはどうかね?

 君もそれなりに長いんだ、ひとつやふたつあるだろう?」


「そんな愚痴なんて……それより、何か良いことでもあったのですか?」


 秘書が尋ねると、十然は今日のことを思い返すように天井を仰いだ。


「……ああ。

 初めて私と同じ考えを持つ人間に、出会えた」


「……八坂英人、ですか?」


「うむ、彼は自然を『分からない』と答えた。

 ……ふふ、そうだ、まったく以てそうだ。ヒトに自然のことなど分かる筈がない」


 十然は視線を下げ、フォークで本日のメインディッシュを弄び始める。


「そもそもヒトは、ヒト自身のことすら満足に理解できていなのだ。

 なのにどうして森羅万象を理解できるというのか。ましてや摂理など」


「……社長でも、ですか?」


「もちろんだとも。

 そもそも私自身、何故『自然』というものに惹かれたのか、それすら分かっていない。

 その雄大さか、残酷さか、美しさか、醜さか。はたまた尊敬か軽蔑か恐れか畏敬か心酔か。もしくは自然を通して私自身の存在を確かめたいが故なのか。

 いや、ただいち経営者として金の匂いを嗅ぎつけただけなのかもしれん。

 そのいずれかにせよ全てにせよ、ただ私には『分からない』ということだけが分かっている」


 十然は口角を上げ、フォークで胃を強く刺した。


「ん”っ」


「一方でこのヒトは、そうではなかった。

 ……君、私が彼に同じ質問をぶつけた時、何て答えたと思う?」


「……いえ」


「弱肉強食、とさかしげに即答したよ。しかもそれが唯一の自然の摂理であり、己の信条だとも言った。

 まぁ恵まれぬ環境から裸一貫で成りあがった男らしい回答であるが……それにしたって奇妙なことだ。

 人生の大半をアスファルトの上で過ごしてきたような人間が、どうして自然の摂理を理解することが出来る?

 無知からくる自惚れ、いや無知を認められぬ傲慢さ故か?」


 十然は冷徹な瞳を向けたまま、ナイフを突き刺して削ぐように胃を切った。


「ん”ん”ん”ん”っ!!」


「とはいえ信条は信条。

 尊重されるべきではある……が、」


 そのまま肉を口に運ぶと、十然は顔をしかめる。


「しかし不味いな。

 せっかく信条そいつに殉じさせてやったのだ、自ら旨くなってやろうという気遣いくらいは見せて欲しいぞ」


「……と、とりあえずその後の処理は私の方でやっておきましょうか?」


「別に構わん。

 調べによればこの男、会社を大きくするにあたって非合法な手段も辞さなかったそうだからな。

 社内でも既に人望はなく、役員の一人に取って代わられつつある。消えた所で数日は問題あるまい。

 それより、君もどうだね。肉はとにかくこっちは慣れただろう?」


「は、はい……ではお言葉に甘えて」


 恐縮した顔で秘書が空きグラスを持つと、十然はボトルから赤い液体を注いでいく。


「い、いただききます……」


 そしてそれをちびちびと呑む彼女の姿をしばし眺め、ふと立ち上がって窓へ向かった。


「……い戦いになるな」


 夜景を前にして、やや皺のある頬が思わず綻ぶ。

 口の中の肉は、グラスに注いだ生き血で流し込んだ。



 ◇



 翌日、十二月二十一日早朝。

 一つのニュースが、日本全国を駆け巡る。


 【我が国の『国家最高戦力エージェント・ワン』である義堂誠一氏、スマリ人質事件の学生Aと同一人物であると判明】


 北京会談を目前に控え、世界はさらなる混沌に呑まれようとしていた。

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