新宿異能大戦⑫『娘を頼む』
十二月十八日、午後7時。
「……」
英人は神妙な面持ちを浮かべたまま、だだっ広いダイニングテーブルに腰かけていた。
視線を落とすと、まっさらなテーブルクロスの上にはピカピカに磨かれた銀製の食器類が綺麗に並べてある。完全に高級レストランのそれだ。
「……なぁ」
「なに、せんせー?」
英人が口を開くと、斜め右に座っていた長身の美少女が首を傾げた。
青みがかったルーズショートと気怠げな瞳が特徴的なその女子高生の名は、
「お前ん家の食事って、いつもこんな感じなの?」
ここまで言えば、お分かりだろう。
英人はいま都築家の大豪邸、そのダイニングルームにいた。
「まーいつもここで食べてはいるけど、メニューはまちまちだよ?
簡単に済ませることも多いし」
「でも今日はせっかく八坂さんとご一緒するもの、豪勢にいくわ」
「あっ、どうも。八坂英人です」
後ろから聞こえてきた声に反応し、英人は急いで席を立って頭を下げた。
「ふふっ、そうかしこまらなくてもいいわよ。
リモートで顔を合わせたことだってあるじゃない」
「まぁ、そうなんですけど……」
英人は後ろ頭を掻きながら、顔を上げる。
前には、英人と同年代か、下手したら年下――そうとしか見えないほどに若々しい美女が立っていた。
茶髪のウェーブヘアに、勝気な瞳。さらには美智子の母親らしく長身で整ったスタイルがパンツスーツで良く映えている。
「でも実際に会うのはこれが初めてね。
典子は穏やかに笑いながら、英人に手を差し出した。
「ええ、こちらこそ宜しくお願いします」
「ふふっ、やっぱりゴツゴツした手をしてるのね。
私好み」
「……ちょっとおかーさーん」
握手していると、美智子がダイニングテーブルに頬をくっ付けながらこちらをジト目で睨んでくる。
「別にいいじゃない美智子。
それにイイ男というのは、大概は手で見分けられるものよ? 貴方もどんどん握手しなさい」
(どこぞのゴリラジェンヌと被るな……)
余計なことを考えつつ、英人は席に戻った。
典子も上機嫌で自身の席につく。
「でも今日は来てくれてありがとね、八坂君。
いきなり家の人から電話が来て、少しビックリしたでしょ」
「まぁ少しだけ……」
茅ヶ崎HD本社から出た直後に来た敏郎からの電話、それは食事の招待だった。
たまたま家族全員が一堂に会す機会が出来たということで、せっかくだから英人も呼ぼうということになったという。
ちなみに、それとは別件で敏郎から話しておきたいこともあるらしい。
(まさか、ここにきてのクビか……?)
英人が少々不安に成りながらテーブルクロスの模様を見つめていると、
「待たせた」
皺ひとつないダークグレーのスーツに身を包んだ、初老の男がダイニングルームに入って来た。
鋭い目つきに、整髪剤で丁寧ながらも自然に纏められた黒髪。背格好は年齢に似合わず英人のそれに近い。
英人は先程以上の速度で立ち上がり、礼をする。
「どうも、八坂英人です」
「ああ、
今夜は来てくれて感謝する」
彼こそが美智子の父であり、世界的大企業・都築グループの総帥であった。
◇
数十分後。
「――そう言えば、世間はクリスマスシーズンねえ。
八坂君、何か予定ある!?」
「い、いえ特には……」
「だって、美智子」
「う……、いやそういうのはいいから」
比較的和やかな雰囲気のまま、都築家のディナーは進行していた。
といっても盛り上がっているのは典子だけであり、その夫である敏郎の方は、
「…………」
と、文字通り黙々と料理を口に運んでいる。
「ふふ、あれで緊張してるのよ。
貴方みたいな人を招待するの、始めてだから」
「そうですか……」
俺みたいな人って何だろ、と思いながら英人はシャンパンを口に運んだ。
「でもクリスマスとなると……うーん、今日みたいにただディナーを御馳走するだけというのは少し芸がないわね。
そうだ、こういうのはどうかしら。
八坂君のご家族とかもみんな呼んで、この屋敷でパーティーするの! もちろんドレスで着飾ってね。どう、中々いいアイディアだと思わない!?」
「いや、そこまでしていただくのは……自分、ただの家庭教師ですし」
英人が引き気味に言うと、典子はさらに距離を詰めた。
「もう何言ってんの!
あれだけ色々と助けてもらったのだから、貴方だってもう家の家族みたいなものよ。ねぇ美智子?」
「え!?」
典子の言葉に、ビクンと背筋を伸ばす美智子。
そのまましばらく顔を赤らめて逡巡した後、
「……う、うん。
まぁ、そうかな……?」
照れ隠しのように視線を英人からずらし、そう答えた。
「ふふっ、じゃあ決まりね!
お父さんもいいわよね!?」
「……好きにしろ」
敏郎はぶっきらぼうに頷いて返す。
(もしかして……外堀埋められてる?)
『もしかしなくても、がっちり埋められたな』
英人の心の声に、『聖剣』がやれやれといった口調で答えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからさらにおよそ三時間後、都築邸書斎にて。
「……来たかね。掛け給え」
中央に置かれた読書用のテーブルから、敏郎が声を掛ける。
「どうも、失礼します」
英人は神妙な面持ちを浮かべながら、ゆっくりとその前に座った。
その後、都築家でのディナーはつつがなく終了した。
といっても敏郎とは殆ど会話はなく、終わり際に「後で私の書斎まで来なさい」とだけ言われて今に至る。
おそらく電話で言っていた話というのを、今ここでするのだろう。
英人は緊張した面持ちで敏郎の顔を見つめた。
「どうだった、我が家での食事は」
「美味しかったです、すごく」
「……そうか、なら良かった」
答えながら、敏郎はウイスキーを注ぎ始めた。
量はグラス六分目近く。結構な酒好きのようである。
「君は飲める方かね?」
「人並みには」
「そうか」
敏郎は手際よくウイスキーを水で割り、グラスを英人に差し出す。
そして、
「乾杯」
「ええ、乾杯」
ガラスのぶつかる音が、書斎に静かに響いた。
「……突然の連絡に呼び出し、済まなかったな」
半分ほど減ったグラスをテーブルに置くと、敏郎は零すように言った。
「いえ、こちらこそご馳走様でした」
「君と電話で話したのは、あれ以来二度目になるか」
「……ええ」
答えながら、英人も三割ほど減ったグラスを静かに置いた。
敏郎の言う通り、彼と電話したのは五月に起こった家出の件以来だ。
「君が美智子の家庭教師となってから八ヶ月……早いものだな。その間に世相も大きく変わってしまった。
しかもその渦中には、他ならぬ君がいる。
なんとも奇妙な縁だな」
「……もし自分のことでそちらのご迷惑になるようでしたら、今からでも外してもらって構いませんよ」
「そう穿った見方をされても困る。
別に外す理由がないから、私は君を外さないだけだ。
美智子の成績も順調に上がっているようだしな」
「……ありがとうございます」
英人は膝に手をつき、大きく頭を下げた。
正直なところ、都築家のような名家が英人のような人間を抱えるリスクは相応に大きいはず。だがそれでも英人を家庭教師として使い続けてくれる、それは本当にありがたいことだった。
「少し話が逸れたな、本題に入ろう。
……今日、君は茅ヶ崎HDの本社に行っていたね?」
「……ええ」
少し溜めた後、英人は小さく頷いた。
内容が内容だけに正直肯定したくはなかったが、下手な嘘や誤魔化しが利く相手ではない。
「誤解がないように言うが、別に君の動向を監視していた訳ではない。
もう一方を注視していたらたまたま君が目に入った……つまりは偶然の産物だ」
「もう一方、というのは茅ヶ崎HDですか?」
「ああ、明後日に茅ヶ崎社長と面談する予定があってな。
話題になると思ってニュース番組を見ていたら君の姿が見えたというわけだ」
「なるほど……」
英人は納得したように息を吐き、視線を落とした。
ニュースに映っていた姿というのは、おそらく門前払いを食らったあのシーンだろう。正直少々気恥ずかしい。
「私から連絡をいれたのは、それを見たからだ。
私は君の活動の全てを知っている訳ではないが、君がどういう時に動くのかはおおよその察しがつく。
……茅ヶ崎HDに探りを入れる理由を、教えてくれないか?」
敏夫は静かに、英人の表情を見つめた。
さすがに大企業の主、その瞳には冗談や方便といった類が入り込む余地はない。
「実は――」
英人は包み隠さず、これまでのいきさつを話した。
………………
…………
……
「……君のことだから厄介な事情だとは予想していたが、まさかここまでとはな。
こちらから聞いといてなんだが、
敏夫はカラカラとグラスを揺らしながら、椅子に深くもたれた。
その顔には呆れたような笑みが浮かんでいる。
「実際、まだ疑惑の段階です。だから今日もあくまで正面からの接触を試みました」
「なるほど、そういうことだったか」
「それに、相手も一応は実績と信頼を重ねてきた一流企業。
おそらく普通に取引している限りは、巻き込まれる可能性は低いはずです。
ですから、」
「あまり君と関係を持つのは危険だと?」
先に答えを述べた敏郎に、英人は深く頷いた。
「確かに君の考えていることは正しい。
わが社としても、疑惑の段階で取引先と険悪になる気もないしな。
しかし私個人としては、そうも言っていられなくなった」
「? どういうことです?」
英人が尋ねると、敏郎は天井に向かって小さく息を吐き、再び向かい合った。
「……面談日時の調整をした際、先方から奇妙な注文を受けた。
もし宜しければ娘さんもご一緒に、と」
「……!」
英人は思わず眉を吊り上げた。
英人自身、社会人経験が少ないので経営者界隈の慣習を知っている訳ではない。しかし、商談に家族を連れてこいというのは異例ということくらいは分かる。
それが一人娘とあればなおさらだ。
「特に断る理由もなかったのでその時は了承してしまったが……茅ヶ崎氏自身にそのような疑惑があるとなれば、話は別だ。
私としても美智子の安全の為に、万全を期さねばならない」
敏郎は目つきをさらに険しくし、英人を正面から見据える。
「だから
明後日の面談、私のボディガードとして是非ともご同行願いたい」
そのまま深く、頭下げた。
書斎の中に、これまでとは違った緊張が流れる。
「都築さん……」
「むろん、相応の報酬は出すつもりだ」
敏郎は頭を下げたまま、微動だにしない。
確かに、不器用なのかもしれない。
でも娘のためにここまで出来る、本当に優しい父親なんだな――その姿を見ながら、英人は素直にそう思った。
ならば、答えは決まっている。
「分かりました、受けます」
英人は膝に手を置き、頭を下げた。
「……ありがとう、感謝する」
敏郎は安堵したように微笑んで顔を上げた。
「美智子……娘さんはどうします?」
「こうなった以上、連れて行くつもりはない。体調が悪くなったことにでもしておく。
だが何にせよ相手の思惑を知る必要があるからな……杞憂の可能性もあるし、私自身は向かうべきかな」
「その辺りも含め、色々考えましょう。
幸い多少時間はあります」
「そうだな……あと依頼を受けてもらったばかりで済まないが、もうひとつだけいいかね?」
「何でしょうか」
英人が尋ねると、敏夫はその瞳を真っすぐ見つめた。
「これは今回の依頼とは関係のない、私自身の、本当に個人的なお願いだ」
そしてゆっくりと、言葉を続ける。
「――どうか今後も、娘のことを守って欲しい」
「……!」
敏夫の言葉に、英人は目を見開いた。
「娘を守るのは、父の責務だ。
だが君の話が本当であれば、いつか私の力ではどうにもならない時が来る。
その時はどうか少しだけでいい、娘の為に戦ってはくれないだろうか?」
視線の向こうでは、世界に名だたる大企業の社長がテーブルに手をついて頭を下げている。
たったひとりの娘の為に、自ら危険を侵そうとしながら。
それはもとより、一つしかなかった答え。
だが娘を想う父のけなげ姿に、覚悟はより強固なものへとなっていく。
「……ええ。
この先何があろうと、必ず」
英人はゆっくりと、そして深く頷いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
十二月二十日、午後。
新宿茅ヶ崎ビル。
なお人だかりの絶えぬその摩天楼の前に、一台のリムジンが止まった。
「どうぞ、敏郎様」
「うむ」
専属運転手である
都築グループ総帥、都築敏郎とその男性秘書であった。
敏郎の顔が見えた瞬間、周囲に控えていたカメラのシャッターが次々に鳴る。
三日前の
「すみません都築CEO! 今回のご面談ではどのようなお話を!?」
「やはり都築グループとしても『異能者』事業に着手するのですか!?」
記者からは質問が投げかけられるが、敏郎が答えることはない。
彼は片手を上げてそれらを制した後、男性秘書を連れてビルの中に入った。
「都築敏郎様ですね。
本日はお待ちしておりました」
エントランスでは、十然直属の女性秘書が深く頭を下げて出迎えた。
「こちらこそ、本日はお招きいただいてありがとうございます」
「秘書の方とお二人でお越しですか?」
「ええ、娘は今日体調が悪そうでしたので……いつも連れている彼だけ」
「かしこまりました。
ではこちらに」
女秘書はにこやかな笑顔で顔を上げ、敏郎たちを先導する。
そのまま三人は、ビルの最上階へと向かった。
――――――
「――すみません。
ご案内できるのは都築様おひとりですので、秘書の方は別室に待機していただければと」
最上階、社長室へと向かう廊下で、女秘書は申し訳なさそうに頭を下げた。
「彼は信頼できる人材で、私のボディガードも兼ねているのですが……それでも?」
「申し訳ありません。
社内機密のこともございますので……都築様以外は」
「……そうですか」
女秘書の言葉に、敏郎は残念そうに視線を落とした。
「CEO……」
「仕方あるまい。
彼女の指示に従い、君は待機していたまえ」
「……はい」
「控室の方は後ほどすぐご案内致しますので、こちらでお待ちになっていて下さい」
「はい」
そのまま敏郎の秘書を置き、二人は廊下を奥へと進んでいく。
社長室はそこからさらに数十メートルほど進んだ所にあった。
「失礼します。
都築様がいらっしゃいました」
「うむ」
返事が聞こえてくると、女秘書は扉を開けて敏郎を入れる。
敏郎は入るなり、小さく礼をした。
「ご無沙汰しております、茅ヶ崎社長」
「こちらこそ。
今日はわざわざ来てもらって済まないね」
すると視線の先、窓を背にしたデスクでは、白髪をオールバックに纏めた男が座っていた。
服装は白のシャツに黒のベストというオーソドックスなもので、背格好はやや体格が優れている程度だろうか。どちらにせよ、平均の域はでない。
しかしその年輪のように重厚に積み重ねられた存在感は、嫌が応にも敏郎の視線を引き付ける。
(これが、一代で世界的大企業を築き上げた男……)
「では私はこれで……」
「ああ。
さ、遠慮せずソファに掛けてくれ」
「失礼します」
十然に促されるまま、敏郎は応接スペースのソファに腰かけた。
さすがに社長室のものだけあって、座り心地はかなりいい。
腰のわずかに調整しつつ、敏郎は室内を見回す。
そこは社長室にしては珍しいほどに簡素な部屋だった。
盾やトロフィー、観葉植物の類はなく、あるのはデスクと応接用のソファとテーブル、それとコーヒーミルだけ。
「……本当は専用の応接室で出迎えるのが筋だが、今はそこまで行き来する時間すら惜しくてね。私の都合で御足労を掛けた。
ああ、コーヒーは私が淹れよう」
「ありがとうございます」
「南米に行った時にいい豆を見つけてね。
君の口にも合うといいのだが」
そう言って十然はデスクから立ち上がり、コーヒーを淹れ始めた。
豆を挽く音と共に、香ばしい匂いが室内に漂う。
それと同時に広がる、束の間の静寂。
その中で、十然は背を向けながらふと口を開いた。
「……どのような形で私の元まで辿り着くか楽しみにしていたが、まさか都築氏に化けて来るとはな。
中々に驚かせてくれるな、元『英雄』」
「……俺からすれば、『
そう言うと同時に敏郎の姿は崩れ、霧のように消えていく。
中からは、八坂英人が露わになった。
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