新宿異能大戦⑥『四人揃ってファンタジー研究会』

 十二月十六日、午前。

 早応そうおう大学港北キャンパス教授棟。


「新宿、それに『覚者かくしゃ』なる存在か……確かにそういう噂自体はあるみたいだね。

 正直眉唾ものだけど」


 コーヒーの入ったカップ片手に、早応大学教授ヒムニス=グロリアスが資料を眺めながら言った。

 夜遅い日が続いているのか、その目に薄っすらとクマを浮かべながら。


「チンピラたちの話が正しけりゃ、存在自体は確からしい。

 それが単独なのか複数なのか、はたまた実体があるのかすら分からんがな」


 他方応接用のソファーでは、英人が脚を組みながらコーヒーを口に含んでいた。


 昨日は義堂ぎどうに連絡を入れた後チンピラたちを警察に引き渡し、そのまま帰宅。

 むろんそのまま新宿に直行することも出来たが、楓乃がいたので大事を取ることにした。

 それに英人としても、さすがに事前調査もなしに敵地に踏みこむ真似はしたくない。だから日を改め、ヒムニスに聞いてみることにしたのだ。


「成程……しかし私の方でも、噂以上のことは現状分からないよ。

 最近は先の事件の後始末と、実際に起きた『異能』犯罪のほうに付きっ切りだしねぇ……」


「だが聞くところによるとその『覚者かくしゃ』とやら、どうやら他人を覚醒させる力を持ってる。

 放置しておくと鵠沼くげぬまさとるの二の舞になりかねねぇぞ?」


「確かにあまり看過出来る事態ではないね……。

 分かった。こちらでも何か調べてみるし、上にも報告してみる」


「多忙のとこ悪いが、なるべく急いでくれると助かる」


「ああ……それより、君はどうする?」


「こうなった以上、身一つで乗り込むしかないな……」


 英人はカップをテーブルに置き、天井を見上げた。

 過度な期待をしていた訳ではないが、情報が何もなしというのは当てが外れた。だが、ないならないでやるしかない。


「ま、何とかするさ。

 それよりヒムニス、もう一つ方はどんな感じだ?」


「ああ、案の定だったよ。

 ほらこの資料」


 そう言って差し出された資料を英人は受け取る。

 めくってみると、そこには時期別・地域別の魔素量のデータがグラフで表示されていた。


「増えてるな……特に東京近辺」


「急激な上昇って程じゃないけどね。

 でもほんの一、二年前と比べれば明らかに増加傾向にある……おそらく、あちらから漏れたものだろう」


「『異世界』、か……」


都築つづき邸に現れたというマッシュマンも、その余波だろうね」


 言いながら、ヒムニスはコーヒーを一口すすった。


 『異世界』と『現実世界』の接近――それ自体は今年の春にも言及されていたが、数値を見る限りその速度は加速しつつある。

 現状その原因は不明。そもそもこれが自然発生的なものなのかそれとも人為的なものなのか、それすら分かっていない。

 いま英人たちに分かっているのは、魔素の増加という結果だけであった。


「『異能』が周知されたことも関係してんのかね?」


「仮説としてはアリだね。ま、その辺りは暇を見ておいおい調べていくよ……まぁ当分暇はなさそうだけど。

 それより君、最近はどうなんだい?」


「どうって?」


 唐突なヒムニスの問いに、英人は顔を上げた。


「前回の事件のお陰で世間に顔が割れてしまっただろう?

 その影響は出てないかということさ」


「まぁ出てないと言えば嘘になるが……それなりに上手くやっているよ。

 元々慣れてるし、今回のだって別にそこまでじゃないしな。少なくとも義堂に比べりゃ」


 英人がその名を出すと、ヒムニスは「ああ」と納得したように頷いた。


「確かに、今は彼の方が大変か。

 でもだからといって、君自身を軽視していいわけじゃないよ?」


「俺の親かお前は。

 まぁそれでも大丈夫だよ……今も昔も俺は、周囲の人間に恵まれてる。

 だから今までやってこれたし、これからもやっていけるよ」


 英人は小さく笑いながら、カップのコーヒーを一気に飲み干す。


 そう、八坂やさか英人ひでとにとってこれは異常事態ではなく、ただ少し昔に戻っただけ。

 別に何と言うほどのことでもなく、そしてやるべきことも変わらない。周囲の人間が生きるこの世界の為、これ身体を張るだけだ。


「お、嬉しいねぇ。

 私のことをそう思ってくれていたかい?」


「……少々引っかかるような物言いだが、まぁそういうことにしといてやるよ。

 忙しい中邪魔したな、それじゃ」


 英人はソファーより立ち上がり、研究室を後にした。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



(……とは言え、収穫ナシというのもな)


 ポケットに手を突っ込みながら、英人はキャンパス内を無言で歩く。


 十二月も折り返しに入り、周囲ではロングコートやダウンジャケットのような本格的な冬服が目立ち始めた。またクリスマスひいては年末が近いからだろうか、大学全体がどこか忙しない気もする。

 だが今はそれ以上に、


「あれ……八坂さんじゃね?」

「うわマジじゃん、動画見た!?」

「見た見た。『異能者』って奴でしょ」

「滅茶苦茶強かったよな!」


 英人に向けられる視線と言葉は以前よりもさらに増えた。

 実際学生から話しかけられるようにもなったし、さらには広告系サークルからインタビューを求められることもあった(断ったが)。


(憧れ、羨望……それ以上に好奇の目線って感じか)


 視線に乗る感情を他人事のように分析しながら、英人はしみじみと自身に向けられる評価の変遷を思い浮かべる。


 最初は、十代に混じるアラサー大学生という異物から始まった。嫌われもしないが間には分厚い壁がある――そんなポジションが、大学生・八坂英人のスタート。

 そこから一年が立ち、ストーカー事件起こるとその位置は一気に下へと突き抜けた。もちろん向けられる目線も、軽蔑と侮蔑の色が濃くなった。

 そして今、八坂英人という人間は大学で最も特別な人間として認識されている。つまりは普通の学生とは全く違う、超常の存在としてだ。

 そう言う意味では、自身の評価は元に戻ったと言えるだろう。


 英人はふぅ、と小さく息を吐いた。

 それは微かなもやとなり、すぐに空へと消えていく。

 その時。


「――やぁ八坂君。

 どうした、いつにも増して辛気臭い顔をしているじゃないか。もしや悩みごとかい?」


「…………代表」


 振り返ると『ファンタジー研究会』代表、いずみかおるがいつもと変わらない笑顔で立っていた。




 ◇




「……ほう、新宿の『覚者かくしゃ』か」


 代表席に座りながら、薫は興味深そうに声を上げた。

 場所はいつもの部室、そしていつものメンバー。


「エエと……そのカク、シャ? というのは何ですか?」


 その一人であるカトリーヌ=フレイベルガが隣の秦野はだの美鈴みすずに尋ねた。


「……元は仏教の言葉で、悟りを得た人間を差す言葉ですね。

 基本的にはブッダ、つまりは仏様を表す場合が多いです」


「ナルホド……勉強になります」


「まぁ今回の場合は『異能を覚醒させる者』というのをもじってる感じだな。

 それで代表、何か知ってます?」


 英人は代表席の方へと顔を向けた。

 すると薫は無駄に椅子を一回転させるといういつもの癖を披露し、


「ああ、少しね」


 何故か得意げに答えた。


「マジすか」


「ふふっ、私の情報網を甘く見ないでくれ給え。ファンタジーに限らず都市伝説やフォークロア、それにただの噂だって私のカバー範囲さ。

 それでその『覚者かくしゃ』についてだが……実はこれ、噂自体はちょっと前からあった奴だね。

 確か……大体一年くらい前だったかな?」


「ということは、その頃から『異能』の発現を?」


「いや、最初の頃はそういう話はなかった筈だ。

 内容としても、新宿の路地裏に『覚者かくしゃ』なる怪人が現れる――という程度で、何の面白みもなかった。

 まぁそれでもこの現代に新しく生まれた都市伝説ということで、少し話題にはなったが」


 言いながら、薫は机に肘を置いた。

 表情が真顔な辺り、本当に面白くなかったのだろう。

 とはいえ、貴重な情報ではあった。


「じゃあ『異能』を覚醒させる方の『覚者かくしゃ』は、その便乗ってことか……?」


「……もしくは田町祭の事件の影響で、そういう属性を持つよう変質したのかもしれません。

 その時代の状況や人々思いを受けて変容するというのは、都市伝説ではよくあることですから」


 伏し目がちに英人を見ながら、美鈴は答えた。

 都市伝説、オカルトは彼女の領分でもある。


「なるほどその線もあるか……まぁとにかく現地での調査が必要だな。

 代表、その他になにか情報は?」


「特に目ぼしいものはないが……そうだな、確か目撃情報を見る限り夜が多かったように思う。

 これもある意味定番だね」


「夜、か……」


 パイプ椅子にもたれながら、英人は腕を組んだ。

 得られた情報は少なかったが、そもそもが僅か一年前に生まれた噂話というなら納得がいく。その存在を知る人間が少ないからこそ、情報も碌に出てこなかったというわけだ。

 とはいえ新宿と言う場所に、夜という時間。これだけ情報が揃えば調査は出来る。


(とりあえず、今夜行ってみるか……)


 その前に仮眠でも取っておこう、と思いながら英人は小さく息を吐いた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「――というわけで、来たぞ新宿!」


「いや何でいるんですか代表」


 両手を上げてハイテンションに叫ぶ薫の後ろで、英人が冷静にツッコミを入れた。


 現在時刻、午後9時。

 英人に薫、さらにはカトリーヌに美鈴は今、新宿歌舞伎町にいた。


「シンジュク……初めて来ました!」


「私も……やっぱりすごい人ですね……!」


「はっはっは!

 やっぱり繁華街というのはなんかこう、気分がアガるな! なぁ八坂君!?」


「いや質問に答えましょうよ……」


 英人は溜息を吐きながら、周囲を見回す。

 辺りは煩わしいほどに派手な光を放つ看板がズラリと並んでおり、道には客引きと思われる人間が何人も立っている。

 通行人もサラリーマンや学生に、派手なドレスに身を包む女性、チンピラまがいの若者から果てはヤクザと思しき人間と実にバラエティ豊か。

 混沌とした欲望が入り混じる様は、まさに日本最大の歓楽街である。


「ふっ、まぁ八坂君のことだ、どうせまた単独行動に出ると思ってね。

 やはりファン研代表として、メンバーの危機は放っておけまい?」


「うーん……」


 英人は困ったように後ろ頭を掻くと、薫はビシ、と英人を指さした。


「お、今『一人の方が色々と楽なんだが……』とか思ったね?」


「いや別に」


「ふっ、思った通りだ。

 いつも君はそうやって――」


(話聞けよ……)


 何やらクドクドと話し続ける薫に、英人は心の中で溜息を漏らす。

 だが薫はその様子を見透かしたようにその顔を覗き込み、


「それに今回は『覚者かくしゃ』という正体定かならぬ都市伝説が相手だ。

 となれば今回は、我々ファン研の力こそが必要でないかな八坂君?」


「それは……」


 少したじろぎながら、英人はその瞳を見返す。

 白銀の髪に、透き通るような肌と氷の結晶のような瞳。見慣れた顔ではあったが、纏う雰囲気は初めて会った時に比べてずっと艶やかだった。


「ここにはファンタジーとオカルト、それに特撮の専門家が集っている。

 それに聞くところによると、カトリーヌ君の『異能』は色々と役立ちそうじゃないか。

 なぁカトリーヌ君?」


「ハイ!」


 満面の笑みで頷くカトリーヌ。


「……英人さん」


 その横では、美鈴も穏やかに微笑んでいる。


「ふふっ、そういうわけだ。だから君も一人が楽などとは言わず、どんどん私たちを使いたまえ。

 我々は四人で『ファンタジー研究会』なのだからな?」


 そして、目の前で小さく笑う薫。

 思えばこの三人のいるファン研は英人にとって、いつしか家族に次ぐ居場所となっていた。

 異物であり軽蔑の対象であった自分を変わらず受け入れる、それは決して簡単なことではなかっただろう。けれど彼女たち、特に薫は当たり前のように迎えてくれて、そして今も自分を心配し支えようとしてくれる。


「……じゃ、お言葉に甘えて」


 なら今夜くらいは、その強靭つよさと優しさに甘えてもいいのかもしれない――そう英人が思った時、


「――!

 アッチの方角で……何かが起きます!」


 カトリーヌの『異能』、『スーパーヒーロータイム』が何らかの危機を察知した。



――――――――――――――――――――――――――――――――

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

次回の更新は所用によりお休みさせていただきます。申し訳ありません。


次の投稿予定は5月5日(水)になります。

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