新宿異能大戦➄『一位と二位』

 東京都、奥多摩町某所。

 廃村となって久しい集落の奥に、古い教会があった。

 建設は明治の初期、当時の地主が建てたという。


 その地下の牢獄にて。


「……ごめん、なさい」


 七十近くと思われる男が隅にうずくまってぶつぶつと独り言を呟いていた。

 その身には何一つ纏うものはなく、全裸。目は既に光を失い、虚ろになりかけている。


「すみ、ません……」


 男の名は鴨居かもい俊和としかず

 彼がここに閉じ込められてから既に二週間近く、ここでは「ごめんなさい」「すみません」「申し訳ありません」――それしか口に発していない。

 何故なら、そうしないと殺されるから。それも想像を絶するような拷問の果てに。

 そのことを証明するように、苦渋の悲鳴ばかりが昼夜問わず地下に響いている。


「……贖罪の時間だ、出ろ」


 そして今日もここでの日課が始まる。


「……すみません」


 端的に言えば、ここは地獄だった。




 ◇



 地下から教会の礼拝堂に出ると、鴨居と同じ全裸の人間が既に数人いた。

 彼等もまた、誘拐されてきた人間なのだろう。よく見ると、腕や目など体の一部が欠損している。


「死ね!」

「クズが!」

「貴様等なぞ生きている価値はない!」

「社会に巣くう寄生虫め!」


 そのまま彼等と十字架にひざまずくなり、周囲を囲む信徒たちからは罵倒の応酬が始まった。

 そこには何の容赦も躊躇もなく、慈悲もない。


 そう、これが教会における鴨居の日課。

 頭が割れんばかりの罵倒を一回につきおよそ一時間、それを日に最低四回繰り返すのだ。


「ごめんさない、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 罵倒を浴びせられる間、もちろん鴨居たちが口にできるのは謝罪の言葉のみ。

 ただひたすらに頭を垂れて惨めに謝るしかない。


「皆さん、今日も精が出ますね。

 実に良いことです」


 しばらくすると、奥から神父が穏やかな笑みを浮かべて出てくる。

 それは浅黒い肌をした、三十半ば辺りのラテン系の男だった。名は確か、フランシスコ=ヴェガ。


「ヴェガ様」


「私に気にせず、続けなさい。

 彼のような悪を徹底的に貶めることこそが、絶対なる正義に近づく第一歩なのですから」


「は……はい! では……この糞にたかるウジ虫め、なぜこの世に生まれてきた!?」

「人の世に仇なす犯罪者めが!」


 ウェガが来たせいか、罵倒の勢いさらに増した。

 まるで親の敵に対するかのように信徒全員が鴨居たちを貶めていく。


「……すみません、すみません……!

 私に、救いを……!」


 すると鴨居の隣で跪いていた男がおもむろに立ち上がった。

 その虚ろな双眸そうぼうから溢れんばかりの涙を流しながら。


「私も……お願いします」

「どうか……私の罪を……!」


 つられるように他の男たちもよろよろと立ち上がる。

 彼等の表情も同様、絶望と諦観すら通り越した虚無の顔。


「……素晴らしい。

 宅間たくま大輝だいき、罪名は四件もの強盗殺人。

 日野ひの富義とみよし、いじめによる強姦殺人、さらにはのべ数十回におよぶ窃盗と傷害。

 はさし真佐人まさと、合計八件ものホームレスに対する傷害、殺害、放火。

 まこと許しがたき罪ですが、神の名のもとに貴方がたを救いましょう。

 では皆さん、さっそく麻袋と石の用意を」


 対するヴェガの笑みは、恐ろしいほどに穏やかだった。




 ………………



 …………



 ……



 十数分後。


「……ふむ、本日も素晴らしい救済でした。

 神もきっとご覧になって下さっていることでしょう」


 血の滲んだ麻袋を眺めながら、ヴェガはニッコリと笑った。

 周囲の信徒たちも同様だ。


「ひ、ひ……!」


 腰の抜けた状態のまま、鴨居は後ずさりした。


 この二週間、似たような光景は何度も見た。 

 しかしいくら目の当たりにしようと、慣れる訳がない。それは明らかに狂った光景だった。

 このラテン系の聖職者も、信徒たちも全員がおかしい。

 

「……さて、残る貴方はどうですか?

 罪をあがなう覚悟は出来そうですか?」


 不意に向けられた笑顔に鴨居は心から恐怖した。

 

「あ、や……やだ……!

 私はまだ……!」


「謝罪以外の言葉を吐くな痴れ者め!」


「ひぃっ!?」


 一変して鬼の形相となったヴェガに、鴨居は思わず悲鳴を上げる。


「己がいかに罪深い存在かを忘れたか! 早く頭を垂れろ!」


「す、すみませんっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」


 鴨居は怒鳴られるがまま、必死に土下座をした。

 逆らえば待っているのは拷問だ。それから逃れるために、決死の思いで額を床にこすり付け続ける。


「宜しい」


 その様子を見ると、ウェガは囁くように話し始めた。


「……鴨居かもい俊和としかず、67歳。株式会社鴨居フーズ代表取締役。

 五年前、その会社で生産した生菓子は未曽有の食中毒事件を起こしました。

 現時点で死者は七名、さらには数十名に及ぶ重傷者が今なお後遺症に苦しんでいます。

 原因は、様々な法規制および基準を無視した無謀とも言える経営手法だった。

 ですよね、鴨居さん?」


「すみ、ません……」 


「だが社長であり実際に指示を下した人間であるはずの彼は責任をとることはせず、役員の一人に全責任を押し付ける形で逃げた。

 他にも度を越したパワハラに、女性従業員へのセクハラ……数字を辿れば、管理職も含め過去に十二人もの従業員が自殺している。

 むろん追及の声は上がりましたが、懇意にしている政治家への賄賂を通じて不起訴処分を勝ち取り、今に至る……そう、彼には世俗の法では裁けなかった、数多の罪があります」


「も、申し訳、ありません……!」


 謝り続ける鴨居の前にヴェガは膝をつき、その無様な姿を見下ろす。 


「罪があるのに裁かれないというのは、とても不幸なことです。被害者にとっても、そして本人にとっても。

 ですから我々が神を代行し、救済するのです。

 そして我々もまた、救済を経ることでより絶対なる正義へと近づく!

 そう悪人とは、神が我々の為に遣わした贈り物なのです!」


 ヴェガは興奮したように再び立ち上がり、駆けるように壇に立った。


「さぁ信徒の皆さん、侮蔑と博愛の二つの心を以て鴨居かもい俊和としかずなる哀れな悪人を罵倒しなさい!

 そして心から感謝せよ、悪の存在に!

 そうです、我々はもっと感謝し、愛でるべきなのです!

 彼等のような薄汚れた存在がいるからこそ、我々は絶対なる正義であり善たる存在でいられるのですから! これほどありがたいことはない!」


「「「「「然り!!!」」」」」


 ウェガの説教に、信徒は目を輝かせながら一斉に返事する。


「よい返事です。

 さぁさらなる高みへ至る為に彼の存在全てを余すところなく否定し、貶め、骨の髄までなぶりましょう……ですが、」


 だがヴェガはふと真顔に戻り、地に伏す鴨居を見下ろす。


「我々だけで罵倒するのにも進歩がない。

 彼にも、罪をあがなう試練は必要だ……あの子をこちらへ」


「はい、ヴェガ様」


 すると数分後、奥の扉が開いて一つの足音が入って来た。


「……面を上げなさい」


「すみ、ません……」


 言われるがまま、鴨居は顔を上げてその人物を確かめる。

 しかしその瞬間、彼は自らの目を疑った。


「…………陽太くん、なんで……」


 それは鴨居が溺愛していた、たった一人の孫だった。

 突然の状況に、鴨居の頭は混乱で真っ白になる。


「……ご紹介しましょう、彼は鴨居かもい陽太ようた君。

 新しく我が修道会に加入した、信徒見習いです」


 だが次にヴェガが発した言葉が、鴨居を愕然とさせた。


「…………え?」


 一体、この男は何を言っているのか。

 目に入れても痛くないほどに可愛がってきたこの子が、この狂った連中の仲間?

 そんなわけはないだろう。

 だって、陽太君は素直で優しくて、とてもいい子なんだから――


「陽太、くん……」


 まるで救いを求めるように、鴨居は陽太に視線を向ける。

 しかし、


「……うるさい。

 謝罪以外の言葉を吐くなよ、ゴミクズ」


 孫の放った言葉は、ひと欠片だけ残っていた男の心を見事に粉砕した。

 そして、


「……実に、い目です」


 少年の成長を嬉しそうに眺めるヴェガの微笑みは、この世の何よりも恐ろしかった。



 ――――――


 ――――


 ――




「さて、救済は別の部屋で行います。彼に麻袋をかぶせ、陽太君には石を。

 ああ、初めてですので、石は投げやすいものをお願いしますね?」


「はい。

 それと救済を終えた後ですが、いつも通り処分しますか?」


「せっかくですから、陽太君に振舞って上げなさい。良い記念になるでしょう」


「はっ」


 信徒は小さく返事をすると、それぞれの作業に入る。

 数分後、教会の中はウェガ一人だけになった。


 静寂に満ちる空間で、ヴェガはゆっくりと十字架を見上げる。


「……神よ、私はまた一つこの世に正義を為しました」


 褐色の頬には、感動によって溢れた涙が流れ落ちる。

 彼こそが『サン・ミラグロ』第二位、フランシスコ=ヴェガ。『狂義きょうぎ』の名を持つ使徒であった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 一方、東京都新宿。


「ははっ、いーカンジいーカンジ」


 高層ビルの最上階の一室に、無邪気な笑い声が響く。

 国際テロ組織『サン・ミラグロ』総裁、有馬ありまユウが社長椅子に腰かけながら資料片手に笑みを浮かべていた。

 

「……順調なようだな、総裁」


 そんな中、ノックもなしに入って来る人物がひとり。

 およそ還暦あたりの、白髪の男だった。

 その顔には年相応の皺が刻まれている。しかし体格はしっかりとしており、腹も出ていないので不摂生な印象は受けない。


「おーお帰り、社長。

 もう出張は終わったんだね」


「ああ、少し前にな。

 しばらくは国内に留まるつもりだ。少なくとも今年中はな」


 言いながら、男は社長室の手前側に設置してある応接用のソファーに腰かける。


「あ、ゴメンゴメン。どこうか?」


「いや、いい。

 従業員の前ならともかく、席の位置など互いに煩わしいだけだ……これ、見てもいいかね?」


「どぞー」


 有馬が促すと、男はテーブルに雑多に広がっていた資料をペラペラとめくり始める。


「……ほう」


 そして、とあるページで興味深そうに声を漏らした。


「ははっ、やっぱりそこ面白いよね。

 だってあの彼が、今やちょっとした有名人になってるんだし。

 どう、ちょっと興奮してこない? ――『第一位』さん?」


「……ああ、もちろん」


 第一席と呼ばれた男は、資料を見ながら目を細める。


「他ならぬ、息子の仇だからな」


 添付された画像には、八坂やさか英人ひでとの姿が映っていた。

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