いちばん美しいのは、誰㉛『ハイ、よーいスタート』

「え、誰って……来夢くるむは来夢だよ?」


 平たいまぶたを震わせながら、只の少女は観客に向かって一歩踏み出す。

 だが返ってきた反応は、先程までとは一変していた。


「誰……? あのブス」


「入れ替わり?」


「でも声は同じっぽいし……」


 全員が顔を見合わせながら、しきりに嫌悪と懐疑の視線を少女に送る。

 そこにはもう憧れや羨望せんぼうといった感情は全くない。


「ねぇ、みんな一体……」



――パシャ。


 シャッター音が鳴る。


「ちょ、ちょ……」


――パシャパシャパシャ!


 それを皮切りにして、周囲全てがシャッター音に包まれていく。

 千にも及ぶ、無機質な黒いレンズをこちらに向けて。


「あ、あは……えと……」


 職業柄、写真を取られることには慣れている。普段であれば、ポーズのひとつ位は反射的にとっていただろう。

 だが今は、それをやるにはあまりにも空気が異様過ぎた。


 写真を取り終えた観客が、今度は一斉にSNSをいじる様子が目に入る。

 いったい彼らは何を撮っていたのか。


 追うようにして、来夢もその場でスマホを取り出す。

 SNSを見た瞬間、全身から血の気が引いた。


「なに、これ……」


 そこに写っていたのは、かつての自分の顔だった。


「なにこれ……っ!」


 そう、これは嘘。

 きっと何かの間違い。


 そう自分に言い聞かせるように、来夢は必死に画面をスクロールしていく。


 だがそれでも出てくるのはアイドルの衣装を着た只の少女の画像。

 到底『偶像アイドル』足り得ないような容姿をした、凡人の画像だった。


『――もうお分かりでしょう? 「Queen's Complex」センター矢向やむかい来夢くるむは、整形していた。

 彼女の本当の顔は、このようにどこにでもいるようなレベルのものだ』


 スピーカーの声がさらに観客を扇動する。

 機械音声の、無機質な声だったが、明らかな悪意を隠さないまま。


『まずはこの大学を良くする? 自身は多くの人間を騙しておきながら、なんと虫のいい。

 この女に人を裁く資格はない。

 人を騙し正義をけしかける……みなさん、この女こそが悪です!』


 スピーカーが訴えるたびに、観客たちの目の色がどんどん変わっていく。


「そうだ……」


「あの女、まんまと……」


 観客たちは、再びスマホカメラを只の少女に向けた。

 あの醜い姿を世間に知らしめる為に。


『さぁ悪の姿を白日の下に晒しあげるのです!』


「や、やめて……撮らないで……!」


 来夢は涙を浮かべながら懇願こんがんするが、聞き入れる者は誰もいない。


「やめて……!」


「うるせぇ! 顔隠してんじゃねーよブス!」


 まるで暴風雨のようなシャッター音の群れが、無慈悲に彼女の真実を映していく。


「ちょ……みなさん、やめてください!」


「そうです!

 こんなのって酷いですよ!」


 さすがに見かねた瑛里華えりか真澄ますみかばうように来夢の前に立つが、


「おい! 邪魔すんな!」


「おめーらこの整形ブスに肩入れすんのかよ!」


 一度激高した観客が落ち着く気配はない。

 むしろ火に油を注いだような様子すらあった。


「ちょっと……この人たちいきなりどうしちゃったの!?

 明らかにおかしくなってない!?」


「と、とりあえず一旦落ち着いてもらうしか……」


 真澄は観客どうにかなだめようとマイクに手を伸ばすが、それを遮るように機械音声が再び喋り始めた。


『矢向来夢、彼女はこの世で最も憎むべき悪だ。

 何故なら、彼女は我々一般市民をコケにした。

 自分は芸能人だからと、特別なのだからと我々を見下し、扇動し、果ては正義まで騙ったのだ。

 世に犯罪は多数あれど、これほどまでに悪辣あくらつなものがあるだろうか!?』


 訴えるような声色が、会場全体に響いていく。

 それと同調するように、観客たちの顔つきもますます険しいものへとなっていった。


『さぁ一般市民よ、いまこそ立ち上がる時だ!

 矢向来夢という悪を倒し、尊厳を取り戻すのだ!』


「ちょっと、さっきから何言ってんのよ……」


「ちょっとヤバそうですね……来夢ちゃん、立てますか?」


 真澄はそっと来夢の腕を掴む。


「……いや。

 もう、いやぁあ……」


 しかし彼女はまるで魂が抜けたかのようにその場にへたり込んだままだった。


『そして矢向来夢をかばう者も等しく悪だ!

 迷うな諸君、正義の怒りのままに突き進め!』


 スピーカーから響き渡る機械音声が、会場の空気を支配する。


 度重なる炎上に、正義の暴走。

 そして矢向来夢の整形。


 観客たちの感情はもはや爆発寸前となっていた。

 あとは、誰が最後の一押しとなるか。


「……う、うわぁぁああああっ!」


 切っ掛けとなったのは、最前列にいた学生風の男だった。


「「「「「「おおおおおおおっ!」」」」」」


『そうだ!

 我々一般市民の手で正義を取り戻そう!』


 男に続き、観客全員がまるでせきを切ったかのようにステージに殺到する。


 性別も年齢も関係ない。

「矢向来夢を成敗する」――その感情だけが今の彼等を支配していた。


《ちょ、ヤバイヤバイヤバイ!》


「そんなん分かってるわよ!

 それよりなんか打開策ないの!?」


《あるわけないっしょ!?》


 瑛里華が念のためドレスの懐にしまっていた手鏡からは、「わたしちゃん」がこの世の終わりかのように喚き散らす。


「動けますか、来夢ちゃん!」


 一方で真澄はなおも来夢の腕を揺らしていたが、反応がない。

 その間にも夥しい数の観客が迫ってくる。


「どけ!

 じゃないとぶっ飛ばすぞ!」


 顔を上げると、全員の目が異常なまでに血走っていた。

 彼等は今、正気じゃない。


 ――怖い。


「……嫌です!」


 だがそれでも真澄は退かなかった。


 一人の少女として、来夢を放っておけなかったから。

 そして――



「……遅れて悪いな、真澄ちゃん」



 彼が必ず助けに来てくれると信じていたからだ。


「英人さん!!!」


 表情を輝かせる真澄。

 背中で声を受けつつ、英人は暴徒の群れと対峙した。


「死ねええええぇえええっ!!」


「……そいつは、できない相談だな」


 呟きつつ、静かに左手を掲げる。


「――『絶剣・五里霧中リヴァイアス・タルタリア』」


 瞬間、キャンパス内は濃霧に包まれた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「……とりあえず、一旦ここで休むか」


 脚で器用に窓を開けつつ、英人は再び教授棟のヒムニスの個室に入った。

 両手に瑛里華と真澄、そして右脇に来夢を抱えた形であったが、何の問題もなくヒョイヒョイと窓枠をくぐっていく。

 そのまま安全を確認すると、英人はようやく三人を下ろした。


「い、意識が飛ぶかと思いました……」


 茫然ぼうぜんとした表情を浮かべながら真澄はよろよろと立ち上がる。


「悪い真澄ちゃん、びっくりさせちまったか?」


「いやまぁびっくりしたというか何と言うか……私たち、今飛びました?」


「飛んだっつーよりジャンプだけどな」


「……え。

 ここ、四階ですけど……」


 若干ヒく真澄を尻目に英人はテキパキと窓を閉め、カーテンを閉じた。

 その横では瑛里華がふうと溜息をつく。


「……アンタに抱えられて飛ぶのって、二回目だったっけ」


「ああ、七月の時以来だ」


 片手間に答えながら、英人はその他の戸締りを確認していく。

 その様はまるで大規模災害に備えるかのようだった。


「あ、そうだ友利ゆりちゃんは!?

 友利ちゃんは大丈夫ですか!?」


「大丈夫だ。

 今頃丁重に送迎されてるよ」


「へ?」


 口をポカンと開ける真澄に英人は続ける。


「ちょっと前に玲奈れいなに頼んどいたのさ。

 小田原おだわらさんといずみ代表連れて一旦離れといてくれってな」


「離れるって……高島たかしま先輩に?」


「ああ。

 会場が混雑したせいで予想以上に時間を食っちまったが、今頃高級車で楽しくドライブだろうよ」


 自嘲するように英人は瑛里華に答える。

 そう、これこそが英人が遅れてしまった原因であった。


 事の発端は、義堂から貰ったメール。

 その中身は田町祭を通じて起こった炎上騒ぎの捜査状況についてのものだった。

 それによると実行犯は登戸のぼりとひよりだったが、黒幕は別の人間である可能性が浮上。

 彼女のアカウントを辿たどった結果、その正体は『サン・ミラグロ』幹部である可能性が高くなったという。


 それを確認した英人はすぐさま行動を開始。

 まずは玲奈に依頼し、ファン研メンバーと友利の護衛を頼んでいたのだ。


「まぁ天下の高島家だ、きっちり無事に送迎してくれるだろう。

 それよりも今は俺たちだ。

 彼女のこともあるから一旦ここに着地したが、安全を考えるならすぐにでもここから出たい」


「でもこの霧? ってアンタが出してるんでしょ?

 なら当分は大丈夫じゃない?」


 瑛里華はカーテンから覗き込むようにして窓の外の霧を見つめた。

 薄っすらとした乳白色のそれは、一向に晴れる気配はない。


「それでもだ。

 そもそもこの霧自体、あまりいい策という訳ではない。

 結局は目くらましでしかないし、感覚を閉ざされた環境ほど人はストレスを溜めやすいからな。ほとぼりを冷ますという意味では逆効果だ。

 実際、今は観客たちが混乱しないように濃度を下げてる」


絶剣・五里霧中リヴァイアス・タルタリア』とは、その名の通り広範囲に霧を散布する技だ。

 その濃度は調節が可能で、1cm先すら見えなくすることも出来る。

 また術者の方は光の屈折を利用してほぼ通常の視界の中で戦うことが可能だ。


 つまりは攻撃というよりも、補助に特化した技である。


「……はえー」


 瑛里華の隣では、真澄がまるで積雪を期待する子供のような顔で窓の外を眺めている。


「真澄ちゃん」


「――あ。す、すみません。

 なんと言いますか、私の知らない間にすごい感じになっちゃってたんですね、英人さん」


 神妙な表情を浮かべながら真澄は振り返った。


「ここまで見せた以上、今更隠す気はない。

 後で必ず説明するよ。

 だから今は俺を信じてくれないか?」


「ふふっ♪

 それこそ今更ですよ、英人さん」


 真澄は満面の笑みで答えた。


《これは一本とられましたな、『私』よ》


「……うっさい」


 瑛里華は一人呟く。


「……さて。

 休憩もぼちぼち済んだところで、そろそろ行くぞ。

 今度はキャンパスの外まで出るからな。二人とも準備はいいか?」


 真澄と瑛里華は無言で頷く。


「よし……で、お前さんの方はどうだ。

 少しは落ち着いたか?」


「……」


 英人はしゃがんで目線の高さを合わせるが、来夢は両手で顔を覆ったまま黙り込んでいる。

 こちらに顔を向けようとする素振りすら見られない。


「……重症だな。

 ま、しょうがない。まずは脱出してからだな」


 跳躍と飛行に備え、英人は軽く身体を伸ばす。

 その時、スマホが鳴った。


「……ん?」


 画面を見ると、非通知。

 やや不審に思いながらも、英人は通話の文字をタップした。


『やぁ、元「英雄」』


 聞こえてきたのは、無機質な機会音声だった。

 詳細は不明だが、この状況で掛けてくる人間など自然と限られてくる。


「……『サン・ミラグロ』か」


『おおご名答。

 伊達に修羅場は潜ってないね。

 ついでだから自己紹介も済ませておこう。

 僕は『サン・ミラグロ』使徒第四位、『愉悦』だ』


 機会音声だというのに、まるで半笑いで喋りかけられているような不愉快さが隠しきれていない。

 英人は眉をひそめながら口を開く。


「……で、何の用だ?

 御託ごたくを並べるようなら即座に切る」


『怖いな。

 まぁ時間を無駄にしたくないのはこちらも同じだ。

 そうだな……まずはステージの方を見ろ。

 どこにいるかは知らんが、見える位置にいるんだろ?』


 英人は窓の傍に立っていた二人をどけさせ、そっと窓の外を見る。

 霧の中では、数多くの観客たちが身動きも取れずにひしめいていた。


『そうだ。

 さてどれにしようか……じゃああの、ステージのすぐ前にいるチェック柄のシャツの男だ。

 あいつをよく見ろ』


 言う通り、ステージの前にはチェック柄の学生と思しき男が熱心にスマホを眺めていた。


『今から、彼には死んでもらう』


「なに……!?」


 瞬間、学生はスマホを持ったままステージへとよじ登り、支柱に頭をぶつけ始めた。

 まる精神のタガでも外れたかのような勢いに、支柱は瞬く間に血で染まっていく。


『どうかな?』


「どうかな、じゃねぇ。

 今すぐやめさせろ」


 英人は怒気を含んだ声を電話口に叩きつけた。


『分かった分かった。

 全く、怖いな』


 あざ掛けるような声で答える機会音声。

 数秒の後、学生の自傷行為は終わった。


『さて、ここからが本題だ。

 今見て頂いた通り、僕には人を操る力がある。

 自殺させるのも余裕だ……この意味が分かるよね?』


「人質か」


『そうだ。

 僕から要求するのはただ一つ、「大学から出るな」だ。

 君含めた四人が敷地外に出たのを確認した瞬間、彼等は全員自殺してもらう』


「悪辣だな……目的は何だ?」


『目的ぃ?

 ハッ、ハハハハハハハハハ!!』


 電話口から、無機質ながらも盛大な笑い声が木霊する。


『決まってるだろう、君だよ君!

 僕は君の勇姿が見たいんだ!

 だって君は元『英雄』なのだろう!?

 ならこれくらいの数の愚民、どうにかしてみせてくれよ!』

 

「……成程」


 嘲るような笑い声をバックに、英人は今更ながらに『愉悦』の意味を理解した。


 少なくともこいつに、何かを為そうという意志はない。

 ただ楽しむ為に、これだけのことをしでかしているのだ。


『これから彼等は命がけで君たちを殺しに来るだろう。

 そう言う時、『英雄』と呼ばれる人間はどうするのだろうか?

 やはり殺すのかな? それとも黙って殺されるのかな? とても興味深い。

 ああでも、もし殺したとしても怒ったりはしないから。

 その時は盛大に祝福してやるよ!』


 既に何かの指令を受けたのだろう、中庭では一斉に観客が目を血走らせる光景が目に入る。

 その異様な様子を見るに、こちらの姿を見た瞬間襲い掛かってくることは明らかだ。


 敵であり、人質。

 英人は今から彼女たちを守りながら、戦わなければならない。


『さぁ始めようか、元『英雄』!

 まずは僕が飽きるまで、このゲームに付き合ってくれ!』


 史上最悪のゲームが、幕を上げた。

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