いちばん美しいのは、誰㉓『黒塗りの高級車に乗せられてしまう』

「……み、ミシェル=クロード=オートゥイユ」


「ごきげんよう、ムッシュー・ヤサカ。

 昨日ぶりですわね」


 にこやかに笑いながら、ミシェルはひらひらとレースの手袋に覆われた手を振った。


 というか、「第五共和国最強の霊長類」って呟きは聞こえていたのか……。

 凄まじいまでの地獄耳ぶりに、英人は一瞬肝を冷やす。


「どうも……それより、協力してくれるのか?

 昨日話した感じじゃ、あまりそういうのは好まないと思ってたが……」


「昨日とは状況も変わりましたからね。

 少し趣向を変えてみようと思いましたの。

 それで、どうしますの?」


 どことなく圧の強い笑顔を前に、三人は同時に顔を見合わせた。


「……八坂君。

 誰だい? この二十世紀前半にいそうなパリジェンヌは」


「見ての通りパリジェンヌです。

 なんか日本のカフェオレが好物みたいですよ」

 

 薫が顔を寄せて訪ねてくるが、まさか本当の事を話すわけにもいくまい。

 とりあえず適当言って茶を濁す。


「オートゥイユ……まさか、オートゥイユ家のご当主でしょうか?」


「ええ。オートゥイユ家四十二代目当主とはわたくしのことですわ。

 マダム・タカシマ」


「知らぬとはいえ、これは失礼致しました。

 高島家長女、高島たかしま玲奈れいなです。いつも祖父がお世話になっております」


 玲奈はドレスの裾を上げ、優雅に頭を下げた。

 ただの大学の校舎の踊り場だが、今のやり取りだけで一挙に周囲の空気が迎賓館のそれへと変貌したように感じられる。

 これが名家が持つ気品というやつだろうか。


「……知り合いなのかい、玲奈?」


「ああ、祖父が第五共和国で大使を務めていたことがあってね。

 私は直接お話したことはなかったが、以前パーティーで見かけたことがあるんだ」


「なるほど……」


「職務上、大使の方とは常々懇意にさせていただいておりますわ。

 それより――」


 ミシェルはそっと英人の右手首を掴む。


「先程のご返事、まだ頂いておりませんわよ?」


「お、おう……」


 優雅な笑顔の下にある圧に思わず手を引きそうになる英人。

 しかし、その前に本能が告げた。

 少しでも振りほどこうとしたら、この女は間違いなく手首ごと握りつぶすだろうと。


(……どうしよう)


 別に強引に抜いてもいいが、それだけで済むとは到底思えない。

 リチャード・L・ワシントンといい、何故彼らはこうも我が強いのだろうか。

 そう思った矢先、


「沈黙ということは、答えはOuiウィということですわね。

 結構。ならば参りましょう」


「へ?」


 凄まじい腕力で英人は体ごと強引に引っ張られた。


「――おおおおおっ!?」


 何とかバランスを取りながら英人はミシェルと歩幅を合わせていく。

 これが英人でない一般人なら今頃階段の段差にメタメタに打ち付けられていたことだろう。

 やることなすこと無茶苦茶である。


「さぁさぁ早くなさいな!

 この国には『善は急げ』ということわざがあるのでしょう?

 わたくしなぞに後れを取ってどう致します!」


「そのことわざは俺も好きだが、これが善かどうかは別問題のような……うぉっ!」


「もちろん善ですわ!

 わたくしの血潮をこうも騒ぎ立てるのですから!」


 そのままミシェルは、優雅さと乱暴さを兼ね備えながら校舎を後にした。


 嵐が過ぎ去った後で、薫が唖然としながら口を開く。


「……今のパリジェンヌって、あんな感じなの?」


「…………今度、お祖父じいさまに聞いてみる」


 玲奈はそれに呆けたまま答えるしかなかった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






「……成程。

 事態のおおよそは理解致しました」


 カップに注がれたカフェオレに口を付けながら、ミシェルは答えた。

 小さい窓の外では、ビルや街路樹が時速数十キロの速さで流れている。


「……あら、車がそんなに珍しい?」


「んなワケあるか。

 でもリムジンに乗るのは初めてだな。

 間近で見たことはあるが」


 英人は落ち着かない様子でキョロキョロと周囲を眺める。

 中は人ひとりが暮らせそうなほど広く、どこを向いても高級感で溢れている。


 そう、英人が今乗っているのはオートゥイユ家が所有する黒リムジン。

 ミシェルに腕を引かれた後、まるで放り込むように詰め込まれて今に至る。


「あら意外。

 貴方ほどの方なら、所有まではなさらずとも乗った経験位はありそうですのに」


「まあ知り合いが持ってるから、頼めば乗れなくもないかもしれないが……」


 都築家にはリムジンとその専属運転手(瀬谷)がいるが、実際に乗ったことはない。

 授業が遅くなった時とかは送迎の提案を受けることもあるが、何だか悪いので基本断っている。


 ミシェルは「そう」とだけ頷き、話を戻した。


「現状を確認しましょう。

 まず今回の被害者である小田原おだわら友利ゆりは現在白河家にて預かっており、心神喪失に近い状態。

 また彼女が出場している『クイーン早応』については平塚ひらつか能芸よしきなる人物に既に対策を依頼済み。

 おそらく彼に任せておけば何とかなるだろう……が、やはりもう一手打っておきたい。

 しかし問題が問題だけにそれも浮かばない状況……これで宜しいですわね?」


「ああ」

 

 英人が頷くと、ミシェルは静かにカップを持ち上げた。


「……この件において、あなたの目指す所は何処ですの?」


「気取った言い方にはなるが、彼女にはいち早く立ち直って欲しいと思ってる。

 元々SNSうんぬんで相談を受けていたわけだしな……真澄ちゃんの親友でもあるし、なんとかしてやりたい」


「そう。

 ならば猶更急いだほうが宜しいかもしれませんわね」


「ああ。

 人の噂も七十五日、と言うがSNS全盛のこのご時世じゃそうもいかない。

 もちろん多少は風化することもあるだろうが、それでも生傷が古傷に変わるだけだ。傷跡は一生残る。

 だから炎上している今のうちに何とかする必要があるんだが、その為には――」


「彼女自身が人前でアピールする必要がある、というわけですか」


 ミシェルが遮るように言った。


 SNS全盛のこの時代、何をするおいてもまずはスピードだ。

 友利のトラウマも確かに分かるが、下手に泣き寝入りやダンマリを決め込むのは返って逆効果と成り得る。

 最近でも間髪入れずに謝罪会見を行ってむしろ好感度を上げた有名人がいたし、逆に先延ばしにして大顰蹙ひんしゅくを買った芸能人もいたくらいだ。

 そもそも友利は芸能人ではなく、記者会見を開くような身分でもない。

 評判を取り戻すにはクイーン早応期間中が最初で最後の機会であると言っていい。


「そうだ。

 最後のアピールが行われるのは今日の午後三時。

 それまでに最低でも人前に立てる程度には立ち直ってもらいたいのだが、今の俺にはそれだけの材料がない」


 英人は腕を組み、本革製の背もたれに体重を預けた。


 別に、あのまま無理やりステージに上げるという手もあるにはある。

 茫然自失としたあの状態は逆に聴衆の同情を惹きつけることも出来るからだ。

 しかし、それでは彼女の心情を全く考慮出来ていない。本末転倒だ。


(……いや、むしろYoShiKiがその手を使う方を危惧すべきか)


 手段を選ばないことに定評のあるあの男の事、その可能性は十分考えられる。

 つまり彼が動く前に、彼女自身の意志でステージに立つ決意を固めてもらわねばならないのだ。


「……成程。

 ですが少々まどろっこしいですわね」


 そこまで考えていると、ミシェルは小さく息を吐いた。


「ん?」


「要するに小田原おだわら友利ゆりという少女の心情次第、ということでしょう?」


「まあ確かにそうだが、でも今日中に立ち直ってもらうには材料が必よ――」



 ――ゴン!



 瞬間、無機質な重低音が車内に鳴る。

 おそらくはカップを置いた音と思われるが、それにしても響きがおかしい。まるで巨岩を置いたが如しだ。


「それを、まどろっこしいと言っているのですわ」


「……そうか?」


「確かに、淑女にそこまで気遣いが出来るというのは貴方の美点と言えるでしょう。

 評価を少々上乗せしておきます」


「ども」


 何の評価だ、と思ったが口には出さないでおく。


「ですが、ことこの場面に至ってはそのような気遣いは無用ですわ。

 折れた心を再び立たせるには、何よりも熱が必要ですわ。

 それは心に火を灯すということであり、流れる血潮に熱をみなぎらせるということである。

 こればかりは取ってつけたような小細工ではどうにもなりません。

 高貴なる血を継ぐ者として、正面からぶつかるほか御座いませんわ」


「そこまで乗り気になってくれるのはありがたいが……」


「昨日もお話したように、この件に『サン・ミラグロ』が関わっている可能性が非常に濃厚です。

 そしてこれは彼等からの攻撃と受け取りました。

 ならばわたくしは『国家最高戦力エージェント・ワン』として、それを打ち砕くのみ。

 ええ、いたいけな少女の根性を叩き直すのも淑女の嗜みですわ」


 柔らかく微笑みながらミシェルは再びカップを手に取った。

 優雅な外面に、激情の内面。

 この二面性が彼女の大きな特徴なのだろう。


「……ふふ、どう発破はっぱをかけてあげましょう」


 ――やっぱこの人、脳筋だ。


 そう思いつつ、英人は再び車窓の外へと目を向けた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「友利ちゃん……」


「……」


 友利が無言になってから、既に二時間以上が経つ。

 家の周囲には既に数多くの野次馬が詰めかけており、今はカーテンすら閉め切っている。

 薄暗い部屋。

 友利に寄り添うように座りながら、真澄はただひたすらその小さい両手を握っていた。


 ――無力。


 残酷なまでの二文字が、真澄の心を埋め尽くす。


 大学での一番の親友だったのに、自分は彼女のことを何も知らなかった。


 いや、それならまだいいのかも知れない。

 問題はそれを知ったというのに、何もできないということ。

 掛ける言葉がないということ。


 やはり、時間を掛けるしかないのでしょうか――

 そう思った時。


小田原おだわら友利ゆりさん、ですわね?」


 部屋のドアが勢いよく開いた。


「へ?」


 真澄は思わず唖然とする。

 白のドレスに身を包んだ見知らぬ外国人美女がいきなり部屋に入って来たのだ、こうもなるだろう。


「お邪魔しますわ」


「あ、あの家の周りに野次馬の人が沢山いたはず」


「蹴散らしました」


「へぇっ!?」


 驚く真澄を横目に、貴婦人はスタスタと友利の方へと向かう。

 そのまま彼女の前で仁王立ちのように立ちはだかり――


「さぁ、早く準備をなさいな。

 でないと貴方、一生犯罪者の娘のままですわよ?」


 挨拶代わりのキツイ一発をお見舞いしたのだった。


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