いちばん美しいのは、誰㉔『淑女の眼差し』

――家族という言葉は、正直あまり好きじゃない。

  なぜなら父は犯罪者だったから。


――暴力という言葉を、好きになったことは一度もない。

  なぜなら父は極道だったから。


 私が生まれたのは、恐怖と緊張感しかない家庭だった。

 別に虐待をされてたり、両親の仲が悪かったという訳ではない。

 極道の中でも特に抗争の多かった超武闘派の父の周囲では、血と暴力が当たり前だったのだ。


 いつ誰かが襲撃を掛けてきてもおかしくない状況。

 父のいない時でも、舎弟しゃていの誰かが家の周囲を張っていた。

 危なくなって住居を変えたことなど数知れない。暴力に囲まれた生活。


 私は父が嫌いだった。

 いや、極道自体を嫌っていたのかもしれない。


 何故この人たちは人を殴ったり殺したりする話を嬉しそうに話すのだろう?

 何故この人たちは過去の悪事を自慢気にひけらかすのだろう?

 まるで理解できない。


 何度か父に聞いてみたことがある。

 なぜこんなことをするのかと。

 しかし帰ってくる言葉は、『それはオヤジの為』――決まってこれだった。


 なぜ血の繋がっていない人間を「オヤジ」などと呼ぶのだろうか?

 そもそも組長とは言わば会社における上司のようなものだ。

 一生懸命働くとかなら分かるが、ふつう上司の為に殺しなどしない。


 そもそも、なぜ人を殺すのか?

 ここは平和な日本の筈だ。


――これから○○組と戦争じゃ!


 戦争ではない。

 戦争とは国と国がやるもので、兵隊が戦うのだと習った。


――ここはウチのシマじゃ!


 シマではない。

 基本は国、もしくは個人や法人の所有物である。

 登記をしたわけでもないのに何故そんなことを堂々と言える?



 だが、様子を間近で見ている内にようやく分かった。

 極道とは、ゴッコ遊びなのだ。

 さしてやる必要もない小規模な殺し合いを「戦争」と呼び、生物的にも法的にも家族関係にない人間を「オヤジ」や「兄弟」と呼ぶ。

 全てが嘘で、全てが無駄。

 それを嬉々ききとしてやり続ける、大人になれない馬鹿の集団。


 おそらくそのことは彼ら自身も薄っすらと理解しているのだろう。

 だからやたら大仰な言葉を使って覆い隠そうとする。


 嗚呼、何故私はこんな馬鹿たちの下に生まれてきてしまったのだろう。


 普通の人生で良かったのに……この体に流れる血が恨めしい。

「犯罪者の娘」なんて十字架、背負いたくない。

 一刻も早く彼等と距離を置いて私だけの人生を歩みたい。


 私は彼らのようにならない。

 だからこそ、誰よりも優しく、穏やかに生きていこうと決めたのだ――




 ――――――


 ――――


 ――




「――犯罪者の娘で、一生を終える気かしら?」


 ミシェルの言葉が、友利の心臓に深く突き刺さる。

 彼女の最も嫌いな言葉。

 そのおぞましさに、友利は思わず肩を大きく震わした。


「……っ!」


「最低限の感情は残っているようですわね。

 これなら話は早そうです」


「え、えと貴方は……」


 真澄ますみが尋ねようとすると、遅れて英人が部屋に入ってきた。


「英人さん!」


「わり、真澄ちゃん……ったく、あんな強引な突破の方法があるかよ。

 相手はいちおう一般人だってのに」


「こ、この方は一体……」


「ああ、まぁなんつーか……見ての通りのパリジェンヌだよ。

 少々武闘派だが」


「は、はぁ」


 普段聞きなれないワードばかりが飛び出て真澄はポカンと口を開ける。

 それとはお構いなしにミシェルは話を続けた。


小田原おだわら友利ゆり、二十一歳。

 早応大学文学部の三年生で、趣味は菓子作り。

 父親は広域指定暴力団『仁和会じんわかい』若頭補佐かつ『小田原組おだわらぐみ』組長である小田原おだわら拓真たくま。現在は殺人の罪で服役中のようですわね」


「……」


「また母親は既に他界しており、貴方自身は父の逮捕を機に母方の遠縁に預かってもらっている状況。

 その後は実家との縁を綺麗さっぱりと切り、極道の娘という過去を消し、ごく普通の一般家庭の中このまま人生を穏やかに過ごすつもりだった……しかしその努力も虚しく今回の事件が起こってしまった、というわけですわね」


 静かながらも、力強い口調でミシェルは言い放つ。

 おそらくは本国の情報部が調査した結果だろうが、この短時間で頭に叩き込んでいるというのは驚きだ。


「……うん、ええ。確かに災難なことですわ。

 実の父親が極道で、それも人殺し。

 嗚呼ああ想像するだけで恐ろしい」


 ミシェルはわざとらしく手で口を覆う。


「――悪人の娘であることに甘んじてしまうような愚か者が、将来母になるだなんて」


「…………え」


 友利は、数時間ぶりの言葉を思わず零した。

 この人は、一体何を言っているのだろうか?


「だってそうでしょう?

 血が結ぶ縁とは、決して切れないもの。

 どれだけ嘆こうが忘れようが逃げようが、絶対に付きまとってくるものです。

 親から子、子から孫へと。

 本来なら己の人生全てを懸けて向き合っていくべきものなのですが……愚かしくも、貴方はそれから逃げた」


「…………ち、違います」


「いいえ、間違いなく貴方は逃げた。そしていやしくも知らんぷりをして穏やかに生を全うしようとした。

 だから今、その血に宿る業が貴方に襲い掛かっているのですわ。

 逃げた分の借りを返そうとね」


 ミシェルは顔を友利へと近づける。

 その表情は柔らかく、睨んでいるわけではない。

 だがその吸い込まれるような双眸そうぼうから、友利は目を離せなくなっていた。


「さぁ、時間も残りわずかです。

 極道の娘が嫌だというのなら、早くこの部屋から出なさい。

 車は既に用意してありましてよ?」


 その言葉を最後に、室内には静寂が訪れる。


 真澄も、英人すらも何も言えない。

 そんな重苦しい時間が数分経ち、


「…………な、なんで私が……」


 ようやく友利が言葉を放った。


「なんで、とは?」


「……普通で、普通で良かったのに…………それこそ貧乏でも……! 

 何でよりによって、私の親は極道なの…………!

 こんなのって……!」


「いくら嘆こうと、貴方が生まれてきたのは其処です。

 偶然か、運命かは存じませんが」


「私は普通に幸せになりたいだけなのに…………! 

 普通に大学に通って、友達を作って、働いて、結婚して……。

 ただ普通に生きていきたいだけなのに、いつも……いつもこの身体に流れる極道の血が邪魔をする!

 私はこんなにも極道が嫌いだっていうのに! 憎んでいるというのに!

 誰よりも優しくなろうとしたのに!

 けど周りは全員、恐ろしそうな目で私を見る! まるで同類を見るように!

 それがたまらなくイヤだから、出来るだけ関わらないようにと縁を切ったのに……」


「ですがそれは無駄な足掻きです。

 人は一生、流れる血から逃れることはできない」


 ミシェルはさらに顔を近づける。

 目を離すことすら許さぬとでも言うような、有無を言わさぬ視線だ。


 友利もとうとう自暴自棄になり、怒りを孕んだ瞳で見つめ返した。


「逃げるも、なにも……貴方のような人に、分かるわけがない……!

 どこのお嬢様か知らないけど、私と貴方は違う……!」


「私と貴方が?」


「だって、私の親みたいに極道とかじゃないんでしょ!?

 社会的な地位のある、認められてる人なんでしょ!?

 そんな人が、私に偉そうに言わないで……!」


「…………確かに、私と貴方は違いますわね。

 それはもう天と地ほどに」


「なら……!」


 友利が身を乗り出すと、ミシェルは右の掌を向けてそれを制す。

 さらに左手でテーブルに置かれたティッシュを取って――右手の下を軽くぐ。


 すると、赤い雫が腕を伝って床に落ちた。


「……ただの血ですわ。

 おそらく色も、成分も、貴方のものとさほど遜色はないでしょう」


 生々しい色彩と匂いに何ら臆することなく、それどころかむしろ誇るようにミシェルはその朱に染まる傷口を見せつける。

 それは数百年もの間王と国と民を護り続けた、誇り高き貴族の姿を示しているようだった。


「でも私と貴方ではこうも差がある。何故か?

 それは血に宿る歴史と努力の桁が違うからです。

 貴方のお父様は娘である貴方や、ひいては貴方の下に生まれるであろう孫たちのことを考えて果たして生きていたでしょうか?

 お母様は? お祖父様は?

 貴方の先祖たちは、子孫にいらぬ不幸を呼ばぬために少しでも努力を重ねてきましたか?」


 ミシェルは腕の血をさらに近くに寄せる。


「我ら一族は誰よりも真剣にそのことを考え、生きてきました。

 自らの行いが、先祖に対し顔向けできるものなのか。

 自らの戦いが、子々孫々ししそんそんに栄光と幸福をもたらすものなのか。

 いつだって想い続けてきた。百年前と、百年後を。

 そうして受け継ぎ積み重ねてきた果てに今、私という存在がここにいる。

 血を、家を繋いでいくとはそういうこと。

 そしてそれを真にまっとうしてきた者こそが貴族なのです」


「う……ぅ……」


「私はこの血に宿る想いと歴史に、一瞬たりとも感謝を欠かしたことはありません。

 そして同時にこうも願うのです。

 敬愛する先祖たちに負けぬほどの研鑽と覚悟を重ね、栄光を子や孫へと受け継いでゆかねばと。

 さぁ、貴方はどうですか?

 父は極悪人で、母は何も残すことなく死に、そして貴方自身はうずくまってばかり。

 そのような負け犬が如き状態で、子々孫々に胸を張ることができて?」


「――うるさいっっ!!!!」


 友利は突然掴みかかった。

 ミシェルの血で衣服が汚れてしまうが、そんなことお構いなしだ。

 これまでの穏やかな表情がまるで嘘かと思うほどの激高した顔で、正面から睨みつける。


「だったらどうしろって言うの!?

 確かに私の父は極道よ! 母親なんてどっかで引っかけてきたキャバ嬢だった! 

 こんな家庭環境、負け犬以外のなんでもない!

 世間様に顔向けなんてできず、今もこうして馬鹿にされて……こんな状況で何をどう胸を張れって言うのよ!」

 ねぇ!」


 ミシェルはただ、押し黙る。


「――ッ! 答えろ!」


 怒りのあまり、友利は思わず手を上げた。


「ダメ、友利ちゃん!」


 だがその手を、真澄が後ろからそっと掴む。


「そんな自暴自棄になったら、友利ちゃんが壊れちゃいます。

 私、そんなの見てられない……!」


「…………真澄……ちゃん」


「別にお父さんとかお母さんとか、馬鹿にされてるとかどうでもいいじゃないですか。

 私は、今の友利ちゃんの方がずっと心配です。

 どうか、自分を責めないで……」


 まるで縋りつくように、真澄は友利の手を抱きしめる。

 それは親友としての切なる願いだった。


 友利は肩を震わせる。


「……ごめん、真澄ちゃん。

 私、ずっと隠してた。両親のこと。

 そのことで今、とんでもない迷惑をかけちゃってる。

 もう、私は……」


「そんなの構いません!

 友利ちゃんがどう思おうと、私はずっと友利ちゃんの親友です!

 絶対に離しませんから! 目の前からいなくなったりさせませんから!」


「……真澄ちゃん」


 友利が振り向くと、大粒の涙を流す真澄の姿があった。


「別に父親が怖い人だっていいです!

 本当はちょっと乱暴な性格だったっていいです!

 友梨ちゃんが友利ちゃんでいてくれるなら、私はずっと親友でい続けます!

 だから、負けちゃダメ!」


 叫びが、腕を通して友利の身体に響く。


 これまでの人生で、ここまで言ってくれる人間がいただろうか。

 脇目もふらず、涙を流しながら。

 別に彼女のことを友達と思ってなかったわけではない。むしろ好ましくさえ思っていた。

 けどそれはあくまで普通の友達関係でという話で……自分の境遇を聞いたら離れてしまのだろうと、当然のように思っていた。


 でも。

 それでも。


 馬鹿馬鹿しくも、彼女は私のために泣いてくれている――そう思った時、友利の目にも自然と涙が浮かんでいた。


「……ありがとう。

 でも私は、『オートゥイユ家の始祖は、悪党を父に持つ貧乏な青年でした』――え?」


 再び前を向くと、ミシェルは優雅な笑みと共に語り始めた。

 先程とは違う、慈悲を含んだ眼差しでこちらを見ている。


「彼は清らかな心と気高い勇気を持った戦士でしたが、その父は盗み、殺し、放火……およそ犯罪とされることを何でもやる世紀の大悪党だった。ですから彼は幼いころから不遇な扱いを受け続け、差別され、どの村からも追い出されてきた。

 しかし彼は挫けず、腐らず、その勇気と卓越した能力を以て戦場で数々の武功を立ててきたのです。

 そしていつしか、人々は彼をこのように評するようになったのです。

 『いかなる悪名にも打ち勝った勇者』――と。

 つまりどのような境遇に生まれたとて道を拓くか否かは当人次第。貴族になるとは、そういうこと。

 『極道の娘』――それがどうしたのです?

 ならば貴方はその境遇と戦い続け、自身の人生を全うした烈女として子孫にその名を遺せばいい。

 たとえ周りがどんなに冷たい視線と言葉を投げかけようとも、必死にその命と血を燃やすしなさい。

 ただそれだけが、子々孫々に栄光を受け継ぐ唯一の道なのですから」


 ミシェルは友利の手を引き離し、包み込むように掴んだ。


「さぁ少女よ。今こそ立って戦いなさい。

 そして血をたぎらせなさい――まだ見ぬ百年後の為に」

 

 その手に必要以上の力は込められていない。

 しかしなにか熱い、想いのようなものがはっきりと流れてきているのが分かる。


 正直、彼女の言っていることは自分にとっては想像するもの難しいことだ。

 子供のことなんて考えたこともないし、ましてや百年先のことなど。

 しかしだからこそ、その言葉は新鮮に自身の心を震わせる。


 そう、父の問題が降りかかってきたように、私の問題もまた自身の子供や孫に降りかかるのだ。

 ならば、今止めなくてはならない。

 今戦わなくてはいけない。

 私自身の為だけじゃなく、いつか生まれてくる子供の笑顔の為に――!

 

「……淑女しゅくじょの目つきになりましたわね」


 ミシェルは不敵に笑う。

 かつて穏やかで優しかった少女の瞳には、燃え盛るほどの闘志が宿っていた。


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