いちばん美しいのは、誰⑲『あのミシェルも認めた』

「あ、えと……」


 見知らぬ中年男が現れた瞬間、あれだけざわめいていた会場はまるで水を打ったようにシーンと静まり返った。


 いったい全体このどこにでもいそうなマスクを掛けた中年は誰なのか?

 そもそも、隣にいるアラサー男についてだって謎だ。


 そんな観客たちの疑念の視線を受けながら、英人は中年男性を連れて律希の横に立って横目で視線を送る。

 律希が無言で頷いたのを確認すると、マイクを持ち上げて口を開いた。


「……まず自己紹介をさせていただきます。

 自分は早応大学経済学部二年、八坂英人。

 そしてこちらの方は――」


「え、ええと……」


 男は英人に促され顔を上げるが、緊張のせいか言動がぎこちない。

 いくら年長者といえど、いきなり数百人の前に引っ張り出されては仕方ないだろう。


「名前は伏せて頂いて結構です」


「あ、はい……えと、私は一言で言えば、あの映像を撮った張本人です。

 いま証明するのは難しいですが、声とかを聴いてもらえれば、分かると思います……」


 マスク越しなのと極度の緊張のせいか、マイクを使ってもその声は弱々しい。

 しかし件の映像を見た者全員が確信していた。

 彼こそが久里浜くりはま律希りつきを盗撮していた男だと。


(そう、これが俺がわざわざDVDを騙し取ったもう一つの理由――それは彼を特定すること。

 その為に声、手の皺、身長、仕草……あらゆる情報をあの映像から拾う必要があった。

 そして、手に入れた情報をもとにキャンパス内を探し回り、彼へとたどり着いたんだ)


 最初この映像を見た時から、英人には確信があった。

 この男は絶対に田町祭にやって来ると。

 それも「犯人は二度犯行現場に現れる」みたいな犯罪者心理によるものではなく、もっと別の理由で。


「ありがとうございます

 とはいえこの状況では会場の皆様も混乱されるでしょう。

 ですので、まずはこちらの映像を見て頂きたいと思います」


 英人が舞台袖に向かって合図を送ると、スクリーンが降りて映像が映される。

 その光景に司会は思わず声を上げた。


「こ、これは……」


「これは私と、そのパパ活を依頼してきた方……つまりこの男性との食事の様子です。

 どうやらここも盗撮されていたみたいですね」


 映し出されたのは、それなりに高級と思われるレストランで律希が舌鼓を打っている様子だった。

 表情もいつになく笑顔で、精いっぱい相手を楽しませようという努力が見える。

 最初とは全く違う人当たりの良さは、ある意味ではプロの仕事だと言えた。


『……うん、おいしい!

 でもいいんですか、こんなに高いものを……』


『だ、大丈夫だよ。

 だから遠慮しないで』


『ありがとうございます!

 じゃあお言葉に甘えさせて頂きますね……あ、グラス空いてますよ』


『ああゴメン、ありがと』


 それは終始和やかなムードでの普通の食事。

 どこからどう見ても、二人の言動にはいやらしさというものはない。

 さらには丁寧過ぎるほどの身振りとマナーに、いつしか観客すらも黙って見入るようになっていた。



『――今日はありがとうございました。

 料理、とてもおいしかったです!』


『はは、どういたしまして……ああ、これ。後払いのお金ね』


『ありがとうございます!』


 そして食事は終わり、別れの場面。

 中年男から渡された封筒を律希は笑顔で受け取った。


『なんか、悪いね。

 こんなオジサンとの飯に付き合わせちゃって』


『いえ、仕事ですから』


『あ、ああそうだね……』


 男の落胆した様子が声と画面のブレで会場全体に伝わる。

 しかし、


『ですけど――』


『ん?』


『また、私を指名してくださると嬉しいです!』


 その満面の笑顔を最後に、映像は終わっていた。



「以上が、あの映像の全てです。

 時間の都合上カットしたり早送りした部分はありましたが、何となくの雰囲気は分かっていただけたと思います。

 久里浜律希という女性が、どういう人間なのかを」


 英人はマイク片手に話しながら、小脇に抱えていた資料を取り出す。


「さらにこちらは、ネット上で独自に集めたパパ活における彼女の評判です。

 抜粋して読み上げます。

 『今日会ったリツって子、すごい良かった。

  こちらを立ててくれるし、マナーや話しぶりもしっかりしてて本当に百点満点』

 『リツちゃんもう一度会いたいなぁ。

  今どきああいう子って本当貴重だし、応援してあげたいわ。

  でも人気なのか中々予定が取れないのよね……』」


 その後も英人は淡々とコメントを読み上げていく。

 これらは全て、ヒムニスが収集したものだ。

 SNSはもちろん掲示板、個人ブログ、専用サイトに至るまで……彼女の源氏名と写真から全てを発掘し、取りまとめた。

 わずか二時間もしないうちにここまで集めてくれたのはデータに強い彼の真骨頂であろう。


「――他にもありますが、どれも彼女を評価するものが多いです。

 そしてこちらの男性は、」


「ああ、ここからは僕が話すよ。

 こればかりは……ね」


 英人が中年男性に視線を移すと、彼は覚悟を決めたようにマイクを持って前に出た。


「そうですね……まず、こうなった経緯から説明します。

 そもそも僕は、本当に見た通りのしがない独身サラリーマンで、パパ活なんてやる度胸もお金もない人間でした。

 しかしある時、SNS越しに依頼されたんです。

 『金をやるからこの女と一緒に食事し、その様子を盗撮しろ』と。

 最初は性質の悪いいたずらかと思いました。でも次の日に郵便受けを開けたら……カメラと現金が入っていたんです。

 その瞬間怖くなって……結局、私は指示通りに彼女をパパ活に誘い、食事を共にしました……これはその時隠し撮りしたものです。

 ですからこうなってしまったのも全部、私の所為です。

 本当に申し訳ない……!」


 そう言って男は深々と頭を下げる。

 律希はその様子を静かに見ていた。


「でも、あの時は本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました……。

 こんな僕にも笑って接してくれて、それに話も合わせて……。

 恥ずかしながらあまり女性との縁のない人生だったから、君との時間はまるで夢のようだった。

 本当に、何度でも利用したくらいに……」


「……だから、田町祭にも来てくださったんですね」


「……ひと目見ようと、ね。

 我ながら気持ち悪いとは思うよ」


 男は申し訳なさそうに目を瞑る。


 そう、これこそが英人の持っていた確信の正体。

 要するに彼はたった一晩の食事で魅了されてしまったのだ。久里浜くりはま律希りつきという女性に。

 だから引き寄せられるように田町祭まで来た。


(そのお陰で会えたわけだが……説得の方も思いの外、早く済んだ。

 どうやら彼自身、かなりの罪悪感があったんだな……)


 映像に残された証拠から会場にいる彼を見つけたわけだが、この会場まで連れ出すのは英人も正直迷った。

 悪事を働いたといえど不特定多数の人を前に晒すという行為は、いくらなんでもやり過ぎなのではないかと思ったからだ。

 それでも男はこの作戦を承諾し、ここに立っている。


 ならば言葉は不要。

 英人は黙ってその後ろ姿を見つめ続けた。


「今更こんなことを言っても遅いと思うけど、僕は君に取り返しのつかない事をしてしまった。

 こんな場所を借りてまで頭を下げるのは卑怯かもしれないけど……本当に、済まない……!」


「……」


「このまま訴えられても、警察に突き出されても、僕は甘んじてそれを受けるつもりだ……!」


 そのまま頭を下げ続ける中年男性。


 律希が口を開いたのは、少しばかりの間を置いてからだった。


「確かに盗撮は、一般的に見れば立派な犯罪です。

 正確には迷惑防止条例違反、もしくは軽犯罪法違反に該当するでしょう」


「――っ」


 男は僅かに体をこわばらせた。


「しかし、それはあくまでスカートの中を撮影するなど、猥褻わいせつ目的によるもの。

 今回のケースに当てはめるのは適切でないと考えます」


「え……」


「そもそも今回の件、私に関する醜聞を広めることが目的であることは明らかです。

 となると肖像権侵害もしくは名誉棄損に問うのが適切。

 そして前者は民事の領域で、後者は刑事罰もありますが親告罪です。

 つまり被害者である私が訴訟を起こすかどうかにかかっているわけですが……」


 律希は小さく息を吸い、男をまっすぐと見る。


「……またいつか、今度は紛れもない貴方の意志で、私を指名してください。

 それが私への慰謝料です」


「…………え?」


 ポカンとした表情のまま、男は顔を上げた。


「……分からない人ですね。

 私は貴方を訴えない、ということです。

 そもそも主犯格ではないですし、こうして謝罪もしてくれた。

 これ以上の罰を与えることは倫理的にも好ましくありません。

 ですが私はそこそこ卑しい女なので、次の約束を取り付けた……これでは不満ですか?」


「い、いやいや! 僕に不満はないけれども!

 で、でもいいのかい!?

 この映像のお陰で君の評判は……」


 あたふたと腕を振り回す男に、律希は眼鏡を正しながら答える。


「いいんです。

 この件は私にとっても身から出た錆ですから……。

 貴方を罪に問うなんて思い上がり、出来ません」


「リツちゃん……」 


「それに私のために勇気を出してくれたことが、嬉しかった。

 私の方こそ、本当にありがとうございました」


 律希は深々と頭を下げた。

 それを観客たちは黙って見守る。

 しかし。


 ――パチ、パチ、パチ、パチ。


「……これはこれは、お後が宜しいのではなくて?」


 その中で拍手を送る貴婦人がただ一人。


「ミシェル=クロード=オートゥイユ」


「せっかくですから、お忍びで拝見させていただきましたの」


 いやその服装ぜんぜん忍べてないからな、と英人が言うより先にミシェルは立ち上がった。


「そこの貴方。

 確か久里浜律希さん、と言ったかしら?」


「は、はい」


「中々の淑女ぶりでしたわ。

 マナーに言葉遣い、それに教養まで……私ほどではありませんが、大したものです。

 誇って宜しい」


「あ、ありがとうございます……」


 律希がたじろぎながらも返すと、ミシェルはフッと笑って席を立つ。


「その調子で今後も殿方たちを虜にしてごらんなさい。

 影ながら応援しています……ああ、この票は貴方に入れておきますわ」


 そのままドレスの裾を揺らしながら会場を後にした。


「……ま、よう分からんが気に入ってもらえたみたいだな。しかもあの女傑相手に。

 こりゃすごいことだぜ?」


「そ、そうなんですか?」


「第五共和国最強の霊長類だ。

 それよりほら、最後の締め」


「は、はい……これで私のアピールは終了です。

 皆様、ご清聴ありがとうございました!」


 律希が改めて頭を下げると、今度は英人が真っ先に拍手を送った。

 中年男性は申し訳なさそうに、音を立て過ぎないように手を合わせている。

 さらには、


 ――パチ、パチ、パチ……!


 それにつられるようにポツリ、ポツリと小さな拍手が立ちのぼり始める。

 律希はそのまばらな拍手を背に、自身の席へと戻った。


「……あそこまで頑張ったのに随分と小さな拍手ですねぇ、律希先輩?」


「……十分よ」


「は?」


 苛立ったように眉をひそめるひよりを横目に、律希は観客を見続ける。


「これだけあれば、私はまだまだ頑張れる。

 頑張っていける」


 その瞳には、熱い涙が光っていた。

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