幕間 元は背伸び、今は思い出②『突然の再会』
「ご予約の桜木様ですね、お待ちしておりました」
「は、はい!」
黒いエプロンをつけた、これまた洒落た店員に案内された二人は奥の席へとつく。
既に時刻は午後の五時。
日は沈み始め、朱を濃くした夕日が店内をより大人びた雰囲気に染め上げている。
正直、学生がいていい場所ではない。
英人がチラリと周囲を見ると、最低でも大学生以上であろう男女のペアばかりが目に入った。
中にはスーツ姿のカップルもおり、完全なる大人のムードがより一層英人たちの居心地を悪くさせる。
「……で、どうする?」
「い、いい雰囲気ですね。先輩」
「……とりあえず、メニュー見るか」
早くも後輩は雰囲気に呑まれてしまったらしい。
英人は視線を下ろし、見慣れない単語がびっちりと羅列されたメニューを手に取った。
「んー、どうすっかな……」
英人はじっくりとその文字列を読み込みながら、注文内容を吟味する。
というより、こうでもしていなければ落ち着かない。英人とて自身が場違いであることは自覚しているのだ。
(……
ここにはいない自身のクラスメートに想いを馳せる。
彼らのようなトップカーストの人間であれば、おそらくそれなりにこの雰囲気にも馴染めてしまうのだろう。
それだけの容姿と、なんというかキラキラ光るようなオーラみたいなものをリア充は標準的に装備しているから。
対する自分たちはどうだろうか、とも英人は考えた。
(俺はともかく、桜木は滅茶苦茶見た目がいいんだよな……今更だけど)
野暮ったいセミロングの髪とセンスの欠片もない黒縁の眼鏡の影にこそ隠れているが、
今もメニュー越しにその顔を見れば、全てのパーツが黄金比の如く整っている様子が容易く見て取れる。
英人個人としては、磨けばクラスのマドンナである山手あざみよりも可愛くなるのではないか、とも思えた。
だがそれはあくまで仮定の話。
容姿云々以前に、今の二人をつつむ雰囲気はひたすらに「陰」だった。
(ま、当然だわな。俺ら二人ともクラスにまともな友達すらいない非リアだし。
これで明るいオーラを纏っていたらそりゃポジティブってよりもただの狂人だ……ん?)
ふと英人は視線を感じ、横目で周囲を見た。
すると他の席にいるカップルやら店員やらが、何やら生暖かい目でこちらをチラチラと見ている。
(え、なにこの視線。「ここは俺らリア充の領域だ、根暗な非リアは入ってくんな」ってこと?
いや非リアなのは認めるが……傷の舐め合いぐらいは許してくれぇ)
普段教室の隅に生きる者にとって、突然注目を浴びることほど緊張するものはない。
英人自身それなりに落ち着きのある人間ではあったが、流石にこの状況では平然としてはいられなかった。
「……さ、先輩! 何食べますか!?
今日は誕生日なんですから遠慮せずじゃんじゃん頼んじゃってください!」
対する楓乃の方は緊張と混乱の極致に達してしまったのか、目の焦点が定まらなくなっていた。
そもそも遠慮するなと言うが、テキトーにパスタやピザを頼むだけでも四、五千円となる価格帯。学生が遠慮しないわけがない。
もう何が何やら。
優雅なムード漂う店内において、二人の座る席だけがまるで世紀末のような雰囲気を放っていた。
しかし一方で周囲の客や店員はと言うと、
(学生カップルだ……)
(その背伸びする気持ち、分かるわー。初々しくていいねぇ)
(俺、今日が初デートだけどなんか勇気出てきたわ)
(あの頃に戻りたい……)
英人の考えとは裏腹に、まるで親のような暖かい視線で二人の様子を見ていた。
おそらく清治やあざみのようなリア充カップルでは、こうはならなかっただろう。
クラスでは地味な英人と楓乃のような存在だからこそ、周囲も初々しいと思ってくれたのだ。
しかしそんなことも露知らず、二人は必死にメニューとにらめっこする。
(……やべぇ。
元々ようわからん上に、緊張で文字が全然頭に入ってこねぇ……!
桜木はどうだ……?)
「えーと、これはパスタ。
うーん、これもパスタで……わぁ全部パスタ!」
(なるほど、ダメか)
英人はもはやこれまでかと観念したように俯く。
すると、二人の悲惨な状況を見かねたのか一人の女性店員がこちらにやってきた。
「あ……お客様。もし宜しければメニューのご説明を致しましょうか?」
「え、えーと……」
おそらくは親切からなのだろう。それは分かってる。
しかし今の英人にはそれを素直に受け止めるだけの余裕はなく、
「え、えーと。
あ、このシラスとネギのアーリオ・オーリオください」
引き攣った顔のまま、目についた和風っぽいパスタの名を取り繕うように言い放った。
楓乃も「同じ物を」と言わんばかりにコクコクとしきりに頷く。
「かしこまりました。
こちらサービスのハーブティとなります。ごゆっくり、お待ちください」
店員からのささやかな気遣いにすら、気づく余裕はない。
二人はまるで見合いのようにガチガチに固まりながら料理が来るのを待つ。
アーリオ・オーリオが俗に言うペペロンチーノだと知ったのは、それからしばらくのことだった。
――――――
――――
――
「――ふふ。
あの時の先輩の慌てよう、面白かったなあ」
「いやそれはお前もだろ。
つか誘った方が緊張してるとかワケ分からんぞ」
「……とにかく。
そんな出来事も今となっては青春時代のいい思い出というやつですね。
ほら、早く食べないと次の料理来ちゃいますよ」
(誤魔化したな……)
しれっと話を流そうとする楓乃に心の中で嘆息しつつも、英人は残った料理を片付ける。
おそらく順番的には、次はメインディッシュが来るはずだ。
口直しに赤ワインとチーズで一服。
そうして数分ほど楓乃と談笑していると、
「お待たせしました。
子羊ソテー、秋キノコのソースに御座います」
まるでルビーのような赤色をしたラム肉が、英人たちの視界を彩った。
◇
「……ふぅ。
美味しかったですね、先輩」
「ああ、本当に旨かった」
デザートである洋ナシのタルトも堪能し終え、二人は夜景を見ながらまったりと紅茶を飲んでいた。
「今日は天気が良かったからか、景色が綺麗」
「だな」
カップに口をつけながら英人はほろ酔い気分の瞳で景色を眺める。
昼間は無機質、というより雑多でむしろ汚らしいイメージが先行しがちな都会という空間。
だが日が沈んで光が灯ると、一転してそれは宝石箱のような絶景へと変貌する。実に不思議なことだ。
夜の闇が汚い部分を全て隠してしまうからだろうか――そんなことを考えていると、不意に楓乃が口を開いた。
「さっきも思ったんですけど、ここから翠星高校って見えたりしますかね?」
「んーどうだろうな。県を跨いでるわけだし、距離もそこそこ離れてる筈だからちょっと難しいか」
別に『千里の魔眼』を再現すればすぐにでも見つけられるわけだが、そんな風情の無いマネはしない。
酔い覚ましにはちょうどいいだろうと裸眼で探してみる。
しかそやはりというか、見つけ出すことは叶わなかった。
「うーん、まあそもそも学校って夜は暗いですからね。
いま見つけるのは難しいか……あ、そうだ」
楓乃は何か名案が思い付いたかのように英人の方へと振り向く。
「先輩、この後も空いてますか?」
「まあ、一応は」
何が何やらといった顔をする英人に楓乃は嬉しそうな表情を見せる。
「よかった。なら――」
さらにその美術品のように整った顔を近づけ、
「せっかくですし、我らが母校も見ていきましょう」
思いもがけない提案をしたのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「おーこの校門の感じ、すごく懐かしい。
来るのは十年ぶり……いや私たちにとってはひと月ぶりですね、先輩」
「だな」
ディナーを終えてからおよそ一時間。
タクシーから降りると、目の前には懐かしい光景が広がっていた。
「あーでも細かい所は意外と変わってるの……かな?」
「とりあえず校門のインターホンはカメラ付きになってるな」
「あ、ホントだ」
楓乃はやや中腰になってカメラのレンズを覗き込む。
トップ女優のアップを映せたこのカメラは、ある意味幸せ者かもしれない。
「十一年、か……」
「私にとっては十年ぶりですけどね」
いちいち生意気な口を挟んでくる後輩をよそに、英人は校門の外から校舎の姿を仰ぎ見る。
昔はそれなりに大きい建物だと思っていた。
だが今はむしろ小さく思えてしまう。
おそらくはこれよりもずっと大きい規模のキャンパスに通っているからだろうか。
そんな自身の認識の移り変わりの方が、カメラだのといった小手先の変化よりもよほど時の流れを感じさせた。
「……ここで私たち、戦ったんですよね」
「正確にはここを模した空間だけどな」
十一年前の母校を舞台とした、『人狼』との決死の戦い。
それは現実においては一夜の夢の中の出来事であったが、二人ははっきりと憶えている。
懐かしくもあり、恐ろしくもあり、そして楽しくもあった空間――それが二人にとっての
「……『異能』に、『
全く、とんでもない世界に引きずり込んでくれたものです」
「浅野のことか?」
「先輩もですよ」
はぁ? と言う英人を他所に楓乃はヒールをコツコツと鳴らしながら歩き始める。
「ほら先輩、見てないで付き添って下さいよ。
ヒールで長距離歩くのはしんどいんですから」
「長距離って……どこ行くんだよ」
その問いに、楓乃は待ってましたとばかりに悪戯っぽく笑った。
「もちろん、二人の思い出の場所です」
◇
歩いて十五分。
タワーマンション立ち並ぶ大通りの脇には、昔と変わらぬ「ラ・ステッラヴェルデ」の文字があった。
「ほーまだあったのか」
「今じゃグルメサイトでも星四を超えるほどの名店なんですよ、ここ。
予約も中々取りずらい状況みたいですし」
「確かに旨かったからな」
楓乃の言葉を聞きながら英人は外から店内の様子を覗き込む。
どうやら毎週この日は定休日らしく、店内は薄暗い。しかしあの地中海風の洒落た内装は今も健在であるようだった。
「あんなガチガチに緊張してたのに味分かってたんですか、先輩?」
「むしろ味だけはちゃんとな。
せっかく奢ってもらったんだし」
「それただ貧乏性なだけじゃ……」
「うっさいわ」
そして高校時代と同じような言い合いを始める二人。
思い出の場所がそうさせたのだろうか、年齢と衣装に似合わぬような言葉の応酬を繰り広げる。
「つーかお前が変に背伸びしなけりゃ、ああはならなかっただろうが。
高校生なんざサ〇ゼでいいんだよサ〇ゼで」
「あら、その高校生相手に本革製の栞なんて送った先輩がそれ言います?
すました顔してあわよくば……とか実は思ってたんじゃないですか?」
「いや別に『あ、否定されるとそれはそれで嫌なので止めてくださいね』……えぇ……」
するとそんな中、二つの人影が近づく。
気づいた英人が振り向くとそこには、
「あれ、もしかして八坂……か?」
「それと
かつてのクラスメートであった
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
次回で幕間は終わりです。
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