幕間 元は背伸び、今は思い出③『結婚したのか、私以外の奴と』
突然の来訪者に、英人は思わず目を見開く。
「鶴見、それに石川……」
また先の事件においては亜紀に対して熱烈な愛の告白をしたことが未だ記憶に新しい。
「ああ、やっぱり八坂なのか。
なんつーか……久しぶり、だな」
「あ、ああ」
途端に会話が詰まる。
クラスメートといってもほとんど会話などしたことがない人間同士だ。いきなり会っても話題などない。
しかしそのまま無言というわけにもいかないので、英人は頭を掻きながら必死に次の話題を捻りだした。
「……あー二人とも、この辺りに住んでんのか?」
「いや、そういうわけじゃない。
ちょっと下見しておこうと思ってさ」
「下見?」
「ああ。結婚式の二次会でここを使おうと思ってるんだ」
泰士は照れたように頬を掻きながら「ラ・ステッラヴェルデ」の方を向く。
清治から聞いた話ではあったが、二人が籍を入れたというのはどうやら本当らしい。
「そういや結婚するんだったな。
こんな所で、それに今更だけど二人とも結婚おめでとう」
「私からも、おめでとうございます。
確かお二人って幼馴染でしたよね? すごく素敵です」
「ま、まあね」
楓乃の言葉に亜紀は恥ずかしさを紛らわすように視線を逸らした。
「ま、籍を入れてから結構立つんだけど、どっちも忙しかったせいで式までは中々な。
最近になってようやく都合がつきそうになったから、こうして準備を進めてるんだ」
「へぇ。でも二次会とはいえ、なんでこの店なんだ?
付近に式場があるって感じでもないが……」
すると泰士は「ああ、それはな」と向き直り、
「二人で相談して決めたんだ。やるなら翠星高校の地元にしようって。
やっぱ俺たちにとっても思い出深い場所だからさ、新たなスタートを切るにはちょうどいいと思ったんだ」
「それにいいタイミングでここの予約も取れたしね。
ならやるっきゃないってなったわけ」
「なるほどな……」
英人は小さく頷く。
式を挙げるのなら、思い入れのある土地でやりたい――そう思う気持ちはよく分かった。
何せ多くの人間にとって、結婚式とは一生に一度しかない大イベント。高級ホテルや海外だけが相応しいとは限らないだろう。
「……そんで、そのことなんだけださ。八坂、それに桜木さん」
「ん?」
「何ですか?」
二人が聞き返すと、泰士は意を決した表情で言葉を続ける。
「いや、招待状を出すのはまだこれからなんだけど……なんつーか、二人には是非とも式に来て欲しいんだ。
あっ、別にこれはご祝儀をねだっているとかそういう意味じゃなくてな!
出したくなければ出さなくていいし、そもそも出席したくなけりゃ」
まくしたてる泰士の横腹を、亜紀が肘でつつく。
「ちょっと泰士」
「痛てっ……あ、わりぃ。
何か変なテンションになっちまってた」
「全く……。
まあとにかくアナタたちにも招待状を送るから。良かったら来てね。
特に桜木さんなんかは仕事が忙しいだろうし、本当に無理しないで大丈夫だから」
亜紀が申し訳なさそうに楓乃の顔を見ると、彼女はいやいやと首を左右に振り、
「せっかくのご招待なんですから、出来る限りの都合はつけますよ。
あと八坂先輩の方は年中フリーみたいなものなんで絶対大丈夫ですよね?」
「いや行こうとは思ってたけど、何でこうわざわざ退路を塞ぐような真似するんだ」
そうツッコむ英人の姿を見て、泰士は何かを思い出したように口を開く。
「あ、そうか。
キヨハルも言ってたけど確か八坂って……」
「ちょっと泰士。
あんまりそういう事は触れちゃダメだって」
「いや、そこまで言っちまったらもう突っ込んでくれた方がありがたいわ」
冷静にツッコむ英人。
すると誰からともなく、四人全員の口から自然と笑い声が上がりだした。
「ははははっ! まあアラサーで大学生なんてレアだもんな。
まぁでもそれはそれでアリだと思うぜ、俺は。
どうよ、学生生活は楽しいか?」
「それなりだ。そこそこ満喫してるよ。
……さすがに十歳ほど下の学生から変な視線を受けまくるのは、ちょっとアレだが」
「まあ八坂もそうだけど、桜木さんに関してはもっとにすごいものね。
まさかウチの母校から日本を代表する女優が出て来るなんて思ってもみなかったし。
私、会社の同僚とかに滅茶苦茶自慢しまくってるわ。何かゴメンね?」
亜紀が手を合わせて苦笑すると、楓乃はニコリと優しく微笑む。
「いえ全然。むしろ宣伝ありがとうございます、石川先輩」
その美の女神のような表情を亜紀は驚いたようにじっと見つめ、
「……泰士どうしよう。私、この子のファンになっちゃうかも」
「いや前から割とドラマとか追っかけてたろ」
「そうじゃなくて、もっとディープな感じになりそうってことよ。
分かるでしょ?」
「いや知るか!」
「ま、まあ二人とも。
私のことで喧嘩しなくていいですから」
何やら不穏な雲行きになり始めた二人の様子に楓乃は掌を見せて仲裁しようとする。
「ああ大丈夫大丈夫。
こいつとはいつもこんな感じだから」
「なんだかんだ言って小さい頃からの幼馴染だからな。
それが結婚まで行っちまうんだから、ホントこいつとは腐れ縁みたいなもんだよ」
「何カッコつけてんの。
告白もプロポーズもあんたからだったじゃない」
「う……」
言い淀んでしまった辺り、家庭内での力関係は亜紀の方にやや分があるようだ。
そんな旦那をさておき、亜紀は腕時計を見て小さく声を漏らした。
どうやら次の予定があるらしい。
「ごめんね、私たちは別の準備があるからそろそろ。
ほら泰士」
再度肘で脇をつつかれ、泰士は我に返る。
「おっ、おう。
えーっと二人とも、今度は式で会おうな!」
「ああ」
「はい」
英人と楓乃が笑って会釈すると、二人も小さく頭を下げてその場を去ろうとする。
しかしそこから僅か数歩の先で、
「――や、八坂! それに桜木さん!」
泰士は何かを思い出したかのように振り返った。
突然のことに英人と楓乃は顔を見合わせる。
「本当に、ありがとな……!」
だがさらに深々と頭を下げたその姿は、二人をより混乱させた。
「お、おう……。
いやいきなりどうした、鶴見」
英人が尋ねると、泰士は髪をかき上げながらゆっくりと頭を上げた。
「いや、まあ何つーか、よく分からないんだけどさ。二人には礼をしなきゃなって思ったんだ。
具体的にどうとは言えないけど、どこかですげぇ助けてもらった気がしたからよ。
なぁ亜紀?」
「……ハァ、全くアンタは。まぁでも確かにそうね。
確かに助けられた気がしてる。だから私からも言わせて頂戴……二人とも、ありがとう」
今度は亜紀が深々と頭を下げる。
その姿を見て、英人と楓乃は直感した。おそらく二人は断片的にあの事件のことを覚えているのだと。
確たる記憶はないけれども、感覚的なものが二人の精神に残っているのだ。
「い、いやそんな……ねぇ先輩?」
楓乃は気恥ずかしさに頬を染める。
対する英人はフッと笑い、
「……ま、こちらとしてもよく分からないが、とりあえず受け取っとくよ。
どういたしまして」
「ああ、助かる。
……なぁ八坂。式、来てくれよな」
「それも絶対にね? 桜木さんも」
その言葉に、二人は「もちろん」と深く頷いて返す。
今度は互いに大きく手を振って別れた。
◇
「思わぬ再会でしたね、先輩」
「だな」
鶴見夫妻と別れ、二人は再び駅へと向かって歩いていた。
英人はそのまま電車で帰るが、楓乃は駅前でタクシーを拾うつもりらしい。
彼女レベルの芸能人ともなれば電車を使うのは厳しいようだ。既に変装の為かサングラスもかけている。
「それよりいいんですか、先輩?
自宅くらいなら、タクシーで寄りますよ?」
「いやいやただでさえ後輩に高級フレンチを奢らせたんだ。
交通費まで世話にはなれねえよ」
「……そうですか」
楓乃は少し残念そうに肩を落とす。
駅はもうすぐ。別れの時が着々と近づいている。
「でも結婚、かあ。
いつの間にか、私たちもそういう年齢になってしまったんですよね」
だからだろうか、その言葉は今日という日を名残惜しむようなトーンだった。
「確か初婚の平均年齢が男だと三十そこそこだったな」
「女だと?」
「二十九だな」
「うわ」
楓乃は安心したような驚いたような、複雑な表情を浮かべた。
彼女は現在二十八歳なので英人の言う平均よりは下だが、その差は僅か一歳だけ。
つまりは次の誕生日が来るまでに結婚しなければ、世の女性の過半数よりも行き遅れているということになる。ある意味恐怖だ。
「別に女優なら多少遅くても大丈夫だろ。
あくまで一般女性における水準だし」
「……あのですね先輩。
私も女優である前に一人の女なんですよ? 気にしないわけないでしょう」
ことさら「一人の女」という部分を強調しながら楓乃は反論した。
「お、おう……」
当の女性にこうまで言われてしまうと、英人としては返す言葉もない。
既に二人は駅のロータリーの中。
「……やっぱり結婚って、いいものですよね?」
あと一分もすれば来るであろうタクシーを待ちながら、ぼそりと楓乃は呟いた。
結婚。
その言葉を聞いた時、英人の脳裏には一人の女性が思い浮かぶ。
名はリザリア=ブランシール。
英人に戦いを教えてくれた師であり、共に戦った戦友であり――そして英人にとって戦う理由であった女性。
彼女と永遠の愛を誓った式場は、戦場だった。
「……ああ。
少なくとも俺は、そう思ってる」
「……そうですか」
楓乃が短く答えると、「空車」のランプを点けたタクシーがこちらに向かってきた。
どうやら、別れの時が来たらしい。
「今日はありがとな」
「いえ、どういたしまして」
軽く言葉を交わし、楓乃は開いた後部座席に向かって乗り込もうとする。
しかしその寸前にふと動きを止め、振り向いた。
「先輩」
「ん」
「また、ご飯食べに行きましょう。
今度は先輩の奢りで」
は? と英人が答えるもの束の間。
「――えいっ」
ふわりとした抱擁が、数秒間だけ男の身体を包んだ。
あまりにも突拍子の無い行動に、英人は抱き返すでもなく茫然と立ち尽くす。
「……これも私からの誕生日プレゼントです。
堪能していただけました?」
英人が我に返る直前、楓乃は悪戯っぽい表情を浮かべて離れた。
「お、おう……」
「あ、もしかして変な気分になってます?
あーやらしい。これ、そういうんじゃないですから。
このくらいドラマで散々やってきましたし、今度はハリウッドにも行きますからね。
あっちじゃプライベートでのハグも普通らしいから、今のはその練習ですよ」
「あ、あーなるほど、そういうことか」
「ええそういうことです。では」
楓乃はまるでバレエのような軽いステップで車に乗り込む。
「ああ、またな」
英人はそれを小さく手を振りながら見送ったのだった。
――
「目黒までお願いします」
「はい。
……あそこまでやったんだから、もっと押せばいいのに。お客さん」
「あー……、ははは。
分かっちゃいますか」
「歳は取ったけど、一応は女ですからね。
で、いいんですかあのままで?」
「ええ。
なけなしの勇気を振り絞ったわけですし、今日のところは」
「……そうですか」
(そう、これでいい。私には私のペースがある。
それに
(――桜木楓乃としての初めては、やっぱり先輩にあげたかったから)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
三限目の終わったキャンパスの中を、英人は歩く。
歳の数こそ一つ増えたが、特に日常に変わりはない。今日もまた大学生として、いつもの日々を送るだけである。
午後はヒムニスから直接の呼び出しがあった。
いつもはファン研の部室か自宅に向く足を変え、教授棟へと急ぐ。
(まあ多分、『異能』関係のゴタゴタだろうな……)
それは足掛け一年半ほど続けてきた、報酬も名誉もない影の仕事。
傍から見れば自己犠牲による奉仕のように見えるのかもしれない。
でも英人には不思議と嫌な感覚や損をしているような実感はなかった。
「ありがとう、か……」
昨夜の、泰士と亜紀の言葉と表情を思い出す。
それは嘘偽りのない、本気の感情。
別に感謝を求めていたわけではない。けれど戦った甲斐があった、と心から思える瞬間だった。
「そう。それだけで俺の心は満ち足りちまう。
……器が小さいからかね」
自嘲するように呟きながら、英人は個室のドアをノックする。
中にはいつも通りコーヒーをすするヒムニスの姿があった。
「……来たね。
早速だけど、事件だ」
予想通りの第一声。英人はフッと笑う。
親友、同級生、サークル仲間。さらにはご近所さんに高校時代の知り合いまで。
彼らはこの広い世界にとっては、取るに足らない存在なのかもしれない。
だが彼らは間違いなくこの世界で生きている。だから、戦う。
その決意と誓いは、守るべきものがある限り何処であろうと変わりはしないのだから。
(――そう。俺の戦う理由は全部、ここにある)
「……ああ、任せろ」
その返事は、熱と力に
~幕間 元は背伸び、今は思い出・完~
――次章。
舞台は早応大学、田町祭。
日本有数の来場者数を誇る学祭にて、今年もミス早応コンテストが開催される。
ぶつかる女のプライドに、渦巻く陰謀。
祭りの狂騒に揺れるキャンパスの中で、元『英雄』は如何様に戦うのか。
そして遂にあの少女が登場する!
「ふっふっふ……ええ皆さん、大変長らくお待たせいたしました。ついに、ついにこの時がやってきましたよ!
スピンオフより生まれ、密かな人気がありながらも幾度となく本編入りを阻まれてきた悲劇のヒロイン……そう私こと、
乞うご期待!
――――――――――――――――――――――――――――――――
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これにて『幕間 元は背伸び、今は思い出』編及び第五部は完結です。
いただいた☆やフォロー、♡はとても励みになっております!
もし面白いと思っていただけたら、是非ともお願いします!
そして新章は9月26日(土)更新予定です! お楽しみに!
ちなみに「白河真澄って誰よ?」という方は本作のスピンオフ『ずっと行方不明だった近所のお兄ちゃんが戻って来たけど、様子がおかしい。まさか異世界に行ったりしてないよね!?』をご参照ください。
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