京都英雄百鬼夜行㉝『七十五にして天命を知る』
「――というとそなたは、一人であの『
本殿の大広間にて、
それは英人が『空亡』に挑みかかる少し前、杜与を降ろすために一旦大広間へと戻っていた時のことだった。
「ああ。
奴が上空にいる以上、そうするしか方法はないだろう。
飛べるのは俺一人みたいだしな」
「しかし、いくらそなたでもあれは……!」
苦虫を噛み潰したような表情で、杜与は言う。
強大過ぎる敵ゆえの心配もそうだが、それよりも何ら助力が出来ない自身の無力がもどかしかった。
「なに、何とかするさ。
それより其方には東からきた『怪異』たちの対処を頼みたい。
見た感じ鴨川付近の防衛線は機能しているようだが、多分このままじゃ危ない。
「同規模とまではいきませんが、再展開は可能かと」
「でしたらお願いします。
正直こっちも『
「分かりました。こちらは任せを」
「ありがとうございます」
そして英人は肩を軽く回しつつ、扉を出て外に向かう。
「……八坂様」
その後ろ姿を名残惜しむように、杜与は小さく口を開いた。
「ん?」
「あ……」
しかし、肝心の言葉が中々口から出てこない。
敵が恐ろしくはないのか。
何故、そこまでして戦うのか。
死ぬのが怖くないのか。
そんなことばかりが頭に浮かんだが、言葉にすることは憚られた。
何故なら命を懸ける戦士にとって、それらは侮辱にしか過ぎないからである。
だから今はそんな心配や不安を押し殺し、ただ一言。
「……八坂様、ご武運を」
「ああ――『
たったその一言だけを背に、英人は翼を開く。
「……行ってくる」
そしてそ英人は京都の夜空へと飛び立った。
「……ふん、行きおったか。
しかし『
杜与に三間、あんな男の指示など聞かずとも『
ピシャリと話を遮った杜与に、
「しばし、お黙りを」
「な、き、貴様……!」
驚く金麗は杜与を睨みつけるが、当の彼女は一瞥すらせずにその前を通り過ぎる。
その横顔は既に少女の面影は消え失せ、
「三間」
「はい、ご当主」
「すぐに『
急ぎ術式の準備を」
「承りました」
その命令に静江は立ち上がり、迅速に行動へと移る。
次に杜与は狼狽える宗家の人々に目を向け、
「そして一族の者たちよ。
まずは傷を負った者らは治療を継続しつつ、別室へ。
動ける者はわらわたちと共に、術式の展開をしてもらいます」
「しかしご当主、これだけの数では」
「方角を限定すれば、多少は持ちます。いえ、持たせなければなりません。
呪力が足りずとも、京都ある限りわらわたちに諦めることは許されない。
そなたらは、自身が何者であるかを忘れたのですか?」
そう語りかける目つきは、優しくも威厳と冷静さに満ちたもの。
いつしか宗家の人間は皆、その幼き当主の姿に魅入られていた。
彼女こそ、鹿屋野の七十代目。
「――今こそ鹿屋野の底意地、見せる時です」
その千と一年目の一歩を今、大きく踏み出そうとしていた。
――――――
――――
――
時は戻り、京都市上空。
「しかしデカいな……あれ」
英人は『
『何かいやーな予感がビンビンするんだけど……。
とりあえずどうするよ、契約者?』
「『看破の魔眼』で見てはみたが……外も中も真っ暗でまるで実体が掴めん。
本当に闇の塊みたいだな」
『さすがはラスボスって感じやのう。
おっしゃ、どんどん私を使ってけ!』
「まずは小手調べ……『
絶剣の剣先から超高圧の水流が音速を遥かに超える速度で『
さらに英人は空中で体を捻り、絶剣を縦に薙いだ。
「おぉらっ!」
それは細胞すら洗い流す、再生不可の一撃。
しかし上位の『魔族』すら絶命に至らしめる一撃を受けてなお、黒き太陽は悠然と夜空に浮かび続けていた。
『うっそー!?
全然効いてないじゃん! マジ!?』
「まるで霧を斬ってるような感覚だな……物理的な攻撃は厳しいか」
英人は歯噛みしつつ、さらに高度を上げて『
しかし、その時。
『……寄るな、羽虫が』
低く唸るような声が、呪詛のように英人の全身に響いた。
「ぐ……っ!?」
金縛りのような硬直が一瞬、英人を襲う。
『――
そして次の瞬間、圧縮された邪気の閃光が英人の胴体を貫いた。
「が、はッ……!」
『契約者!』
心臓ごと胴体の中央部を抉り取られ、英人は口から血を噴き出しながら墜落する。
強力な呪いも込められていたのだろう、傷口の周辺は瞬時に青黒く変色し、腐り落ち始めていた。
「『
英人はすぐに胴体を攻撃を受ける前の状態に『再現』し、空中で態勢を立て直す。
『大丈夫かい、契約者!』
「ああ何とか。
だがこのこの感じ……掠っただけでもかなりの呪いが侵食してくるな。
『再現』じゃなきゃマズかった」
胸をさすりつつ英人が上空を見上げると、既に『
『――汚れて、死ね』
「ちっ、まだ来るかよ」
英人は急旋回し、閃光の連射をギリギリの所で避けていく。
それは光と見紛うほどの射出速度であったが、それでも自身の『
最初に一発もらったこともあり、英人はその全てを正確に見切っていた。
しかし『
『
『――小賢しい、消えよ』
「……ッ!?」
その光景を見た瞬間、英人の背筋に再びあの悪寒が走る。
そしてそこからの行動は迅速だった。
「『
「『
結果、寸前のところで防御が間に合った。
圧倒的な質量で殺到する邪気を、洪水の如く噴き出す四本の大河が防ぐ。
『うわっ、何だこれ……っ!
憎しみ、妬み、とんでもない量の負の感情がどっと押し寄せてくる……ッ!」
「ミヅハっ!」
現在絶剣の精霊ことミヅハは刀身に宿った状態であるが、それが英人の手を介して震えている様子が伝わってくる。
水属性の神器である『
『千年溜め込んだ邪気、受け止められるものか』
その言葉と共に、凄まじい勢いで圧が強まっていく。
絶剣すら怯むほどの邪念の奔流、地上に着弾すれば一帯はその呪いにより今後数百年は草木ひとつ生えなくなるだろう。
逃げることも、受け流すことも出来ない。
(……なら、攻撃そのものを変えちまえばいい!)
「
瞬間、大河のような邪気は霧散し、代わりに英人の肉体に大量の魔力が満ちた。
『――何』
「来い、どんどん打って来い。
呪いだろうが憎しみだろうが、全部『変換』してやる……この手にかけてな」
そして英人は絶剣を下げ、静かに呪文を唱える。
いま左腕に宿るは全ての属性の魔法を修め、無尽蔵の魔力を持つ『無限の魔導士』。
さらにその掌から放たれるは、光属性が最強魔法。
「『
神によって闇と分かたれた創世の光が、『
黒き闇の塊が、微かに綻ぶ。
『! ぐ、お……!』
それは伝説の怪異が発する、初めての動揺の声だった。
『おお、いけそうやん契約者!
さすがは鈴音やでぇ!』
「ここで畳みかける!」
英人は蒼翼を羽ばたかせ、一気に間合いを詰める。
至近距離で『
しかしその寸前、『
『おおおおっ!
怒りと焦燥のあまり、黒き閃光を無差別に乱射し始めたのである。
「なっ……!」
思わぬ事態に、思わず英人は空中で急停止する。
放たれた閃光の数はざっと五百以上。
しかもそのほとんどが京都市内へと向けられており、その中には人がいる地域も多く含まれている。
(まさかとは思ったが、ここまで露骨にやるか……!)
「『
英人は水弾を一挙に放ち、迎撃に入る。
何とか粗方は片づけることはできたものの、それでも撃ち漏らしは発生してしまう。
だが市内に着弾する寸前、
「やはり、私がこちらへ来て正解だったようだ」
地上より放たれた数多の光弾が、残りを全て撃ち落とした。
「リチャード・L・ワシントン……!」
『千里の魔眼』でその姿を見た英人は目を見開いていると、脳内に念話が響く。
『やあ、元英雄。危ない所だったな。
撃ち漏らしは私に任せ給え。君は本体を頼む』
『一応聞くが、どこまでなら撃ち落とせる?』
すると脳内には噛み殺したような笑い声が響き、
『嘗めるなよ?
来たら来ただけ、全部やるさ』
『ああそうかい!』
英人はそう言って一気に方向を変えると、再び『空亡』に向かって突撃する。
『まだ、我に歯向かうか!
闇に染まらぬものに、生きる価値なし!
行け、餓鬼ども!』
すると『空亡』の中央部が口のように開き、中からは
「……上等」
一体一体が呪いと邪気の塊のような存在であるが、退く選択肢はない。
英人はそのまま、群れの中に勢いよく突っ込んだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
戦い始めてから、どれ程の時間がたっただろうか。
「おおおおおっ!」
眼前まで迫る『怪異』を一体、また一体とその白刃で斬り裂いていく。
だがその数と勢いは一向に衰える気配はない。
(当然、か……東日本の『怪異』全てが殺到しているのだからな)
辺りを見渡すと、呪術師たちがそれそれ激戦を繰り広げている様子が目に映る。
苦戦と言っていい状況ではあったが、荼毘家が前線に出てきたお陰か何とか死者を出さずに戦うことが出来ていた。
「奇跡的、だな……」
疲労に霞む目を細めながら、白秋は息を吐く。
しかしその息は細く、刀を握る手も先程から痙攣が止まらない。
『大封印』の解放直後より最前線で戦い続けてきた男の身体は、確実に限界へと近づきつつあった。
そんな中、白秋の目の前に和紙で形作られた小鳥が羽ばたいてきた。
鹿屋野宗家が伝達用に使う式神だ。
『白秋様、ご無事でしたか』
小鳥から響いてきたのは、幼い少女の声だった。
「鹿屋野杜与か……無事で何よりだ」
『ええ、八坂様のお陰で鹿屋野大社も何とか無事です。
今、動けるものを見繕って城壁の再展開を行っているところです』
「どれくらいかかりそうだ?」
『確たることは申し上げられませぬが、まだ二十分、いや十五分はかかるかと』
式神越しでも、その声色には苦渋の色があるのが分かった。
ただでさえ薄氷の上にある均衡、いつ崩れてもおかしくはない。
その中での十五分と言うのはさながら永遠とも言えるほど長い時間だ。
だがそれでも、今はやるしかない。
「……相分かった。
何とかそれまで持たせて見せよう」
白秋は再び刀を握る手に力を込め、迫りくる『怪異』の迎撃へと向かう。
しかし、
「ぐぬ……っ!」
鉛のように鈍く重い痛みが、突如として全身に襲い掛かってきた。
刀による迎撃は不可能と判断し咄嗟に回避を行おうとするが、もう遅い。
「ぐ……!」
右腕に、『怪異』の牙が深く食い込む。
ブチブチと筋と腱が噛み千切られる音が耳をつくが、ただ齧られているわけにもいかない。
白秋は咄嗟に懐より脇差を取り出し、『怪異』の首を裂いた。
「ぬう……っ!」
生暖かく流れる血と共に、その体からぐったりと力が抜けていく。
しかしその隙にさらに数体、新手の『怪異』が襲い掛かってきた。
いよいよ万事休すか、と思われた時。
「おおおおおっ!」
「『
左右より義堂と
二人は『怪異』が死んだことを確認すると、すぐさま白秋の下へと駆けよる。
「大丈夫ですか、白秋さん!」
「右腕が……早く手当しないと!
「いや、いい……もう手遅れだ。
……七十五年間、良く付き合ってくれたな」
そう言って白秋は薄皮一枚で繋がっていた右腕を引きちぎり、袖で傷口を軽く縛った。
そして立ち上がりながら、二人の顔を見る。
(そうか……今、分かった……)
良い表情を、していた。
僅かに焦燥こそしているが、それは芯の通った覚悟のある顔だ。
さらに視線を遠くへ向ければ、若き呪術師たちが己が身命を賭して戦っている様子が見える。
――そうだ。彼らこそが、次の世代を担っていくのだ。
「喜べ、金秋。
この国の未来は明るい、ぞ……」
老兵はまさに今、自分が何をすべきかを悟った。
「え?」
「いや、何でもない……しかし義堂よ、今のは凄まじかったな。
例の切り札と言うやつか?」
「ええ、八坂からもらったものです。
ですが今はそれよりも『いい友を持ったな、義堂よ』――えっ」
「……大事にしろよ」
後方に退いてください、と続けようとした義堂を遮って白秋は義堂の前に立つ。
右腕の欠けた背中、誰が見ても満身創痍の身体だった。
「七十五、か……天命を知るには遅かったが、非才の身からすれば上等だろう」
「白秋さん……!」
「……白秋、さん……?」
動揺する二人の言葉を背に受けながら、白秋は懐から一枚の木札を取り出す。
そこへ呪文を二、三言呟くと、たちまち深紅の陣羽織が姿を現した。
白秋は自らを奮い立たせるように目を見開く。
「……天よ、地よ、人よ、刮目せよ!
この老体、死して護国の礎とならん!」
そしてそれを羽織った瞬間、血のように赤き光が逆巻くように白秋の身体を覆った。
その中で腕には深紅の籠手が、足には深紅の臑当が、頭には深紅の兜が次々と隙間なく装着されていく。
それは西金神社の本殿に祀られていた御神体であり、かつ
その名も、
「――『
千年の昔より血の繋がらぬ一族が残してきた、血と遺志の結晶である。
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