京都英雄百鬼夜行㉜『希望の翼』

 夜空に浮かぶ、黒き太陽。

 逃げまどう者も、戦う者も、京都にいる全ての人間がその深淵に釘付けとなっている。


「……『空亡くうぼう』」


 その光景を前に、小さく呟いたのは白秋はくしゅうだった。


「知ってるのかい、あれを」


「古い伝承に、ただ一行のみ記されていた。

 百鬼夜行を超えた先に、深淵の闇が現れると。その闇の名が『空亡くうぼう』。

 まさか実在するとはな……」


「『空亡くうぼう』……」


 白秋の後ろで、同じく夜空を見上げていた湊羅そらがその名を呟いた。


 同じ『護国四姓ごこくしせい』である彼女も、知識として『空亡』の名は知っていた。

 しかしそれはあくまで伝承の中のみに存在する、いわば幻の存在。

 それが今、自分の目の前に実体化している。

 湊羅はどこか現実味の無い感覚を覚えていた。


「成程……要するにあれが最後の敵か。

 的が一つになってくれたのはありがたいが、少々骨が折れそうだ」


 リチャードは小さく肩を回し、銃口を静かに『空亡くうぼう』へと向ける。


 しかし引き金を引こうとした瞬間、何かに感づいたように目を見開いた。

 白秋もほぼ同時に直感し、二人は民家の屋根を仰ぎ見る。


「――あ、見つかっちゃった。

 さすがだね二人とも。武人の直感ってやつ?」


 そこにいたには、学ラン姿の少年。

『サン・ミラグロ』総長、有馬ありまユウが薄ら笑いを浮かべながら立っていた。


 瞬間、リチャードと白秋は刹那の間で互いの武器を抜き、攻撃を放つ。


 百を超える光弾に、六つの白刃。

 普通の人間であれば影すら残らなくなるような規模と威力であったが、そのいずれもがまるで時が止まったかのように有馬の目の前で静止した。


「まったく、容赦ないなぁ。いきなり攻撃だなんてひどくないか?

 ほら、僕テロリストなんだし、まずは交渉ありきでしょ」


「ほざけ、貴様相手にその余地はない……!」


「そんな怖い顔しないでよ、元『国家最高戦力エージェント・ワン』。

 そりゃあ確かに君の弟子を殺してしまったのは悪かったけど……おや?」


 有馬は視界にある人物を見つけ、嬉しそうに眉を吊り上げた。


「なぁんだ、奥さんの方も来てるじゃないか。

 そう言えば直接会うのは初めてかな、長津ながつ純子じゅんこさん?」


「有馬、ユウ……!」


 みしり、と拳を握りしめ、純子じゅんこは殺気のこもった瞳で有馬を睨みつけた。


「あらら、こっちも怖い。

 僕なんかしたっけ……まあ、したけどもさ」


「いいねぇ、そのふてぶてしい顔。

 わざわざ京都まで来た甲斐があったよ……!」


 純子は懐から拳銃を取り出し、そのまま狙いもつけずに引き金を引く。


「おいおいどこ狙ってんの――」


「『禁煙御法度スモーキング・エリア』!」


 だがその弾丸は銃口から放たれず、代わりに有馬の胸から鮮血が噴き上がった。


「……ああ、成程。

 撃った瞬間に弾丸を僕の体内へと転移させたわけね」


「死ね!」


 二発、三発と引き金を引き続けていく度に、有馬の身体から銃弾が飛び出る。

 しかしいずれの銃撃によっても、有馬がその邪悪な笑みを崩すことはなかった。


「……あーあ、学ラン汚れちゃった。

 これ、そこそこ値が張るんだけど?」


「……黙りな。

 アンタは大人しく、死ぬまで血を噴き出してればいいんだよ」


「うーん、まあそれは君の自由なんだけどさ。

 でもそんなことしてていいの? ほら」


 有馬は血の滴る顎をくいと上げ、東の方角を指し示す。

 すると微かな地響きが、山を越えた先から響いてくるのが聞こえた。


「な、何だいこれは……?」


「というわけで僕はそろそろ。

 まあリチャード・L・ワシントンもいるんだし、自慢の火力で何とかしちゃってよ」


「ッ!?  待て!」


 純子は再び引き金を引こうとするが、既に有馬の肉体は霧散して消えていた。


「……チィッ!」


「放っておけ。それより白秋」


「ああ、分かってる」


 リチャードと白秋は静かに互いの武器を構える。

 その直後、


「――オオオオッ!」


「殺セッ、殺セッ!」


『怪異』の大軍勢が地平線を超え、京都へと侵攻してきた。

 さらにそれらはいずれも、京都ではまず見かけないような種類のもの。


「……関東、そして東北の『怪異』だな。

 おそらくは『空亡くうぼう』の存在に引き付けられ、ここまでやって来たという所か」


「今度は現役の『怪異』と言うわけか。

 ここに来て敵の新手とは全く恐れ入る」


「……リチャードよ、雑魚の相手は我々がやる。

 お前は『空亡くうぼう』をやれ」


 白秋からの提案にリチャードは目を丸くする。


「いいのかい?

 こう言っては何だが、私抜きで戦線を維持できる見込みはないだろう?」


「なに、方法がないこともないさ。

 伊達に千年の歴史を積み重ねてきたわけではない。

 それに現状、攻撃が届きうるのはお前しかおらんだろう?

 ならばお前が『空亡くうぼう』を相手するのは当然のことだ」


 一瞬、二人は無言で視線を交し合い、


「……そうか、了解した。

 奴は私がやる」


「頼むぞ。

 たまには同盟国らしく、仕事はしてもらわねばな。

 ……御守よ」

 

 白秋は湊羅の方へと振り向いた。


「はい」


「そして鹿屋野かやの、いやこの京都を護る全ての戦士たちよ」


 白秋の言葉に、鹿屋野を含めた全ての呪術師たちは固唾を呑んでその姿を見る。

 ここが最終局面だと、この場の誰もが感じていた。


「既に知っての通り今回の敵は強大で、尚且つ数も尋常ではない。

 あらかじめ言っておこう。

 仮に勝てたとしても、ここにいる大多数は間違いなく死ぬ。この儂も含めてだ。

 だが、それでも」


「……我々は『護国四姓』だ。

 『怪異』を前にして、退くなどという選択肢はない。

 何故なら我らはもとよりその為に生まれ、存在してきた。千年もの間だ。

 今夜とて、その使命と矜持は何一つ変わらん。

 死ぬならば、都を護って死ね……よいな!」


「「「「「はっ!」」」」」


 まるで振り絞るように、呪術師たちから雄たけびが上がる。

 男も女も、老いも若きもそして生まれた家も関係ない。

 度重なる戦闘でもはや無傷の者など皆無であったが、みな己が使命の為に命を燃やさんと気力を尽くして立っていた。


「もちろん、俺も戦いますよ」


 そしてそれは、『護国四姓』以外の人間も。


「……義堂ぎどう、アンタ」


「市民の避難は大方完了いたしました、長津ながつさん。

 残りは京都府警が引き継いでくれるそうなので、これより異能課としての任務に戻らさせていただきます。

 それと……」


 義堂が視線を移すと、数十名の呪術師が立っていた。


「……荼毘だび家か!」


「つい先刻そこの刑事と合流してな、お陰で避難民の流れに巻き込まれることなくスムーズにここまでこれた。

 戦闘は無理だが、後方支援は我々が受け持とう」


 そう言って『護国四姓』の南、荼毘家当主である荼毘だび光耀こうようは家中の人間を指揮して手当に当たらせた。

 彼らが前線に入れば、多少は長く戦える。


「助かる。

 しかし義堂よ、お前までここにくるとはな」


「たとえ力不足でも、俺は異能課の刑事ですから。貴方と同様、ここで退くわけにはいかない理由がある。

 それに一応、戦う手段も持ってます」


 義堂は懐より小瓶を取り出した。


「それは……」


「切り札、みたいなものです。

 俺も最後まであがきますよ……この街と、そして今も戦っている親友の為に」


 その表情に、白秋の目には一瞬だけ違う人間の姿が重なった。

 それは、かつての弟子であり、さらには血のつながらない息子であった人物。


「そうか……ああ、そうだな。

 短い付き合いではあったが、お前はそういう男だったな」


 白秋は小さく笑い、東方を見る。


 人事は尽くした。覚悟も決まった。

 後は天命の下る所を待つのみ。


 白秋は静かに息を吐く。


「……行くぞ!」


 国を護り続けた男の、最後の戦いが始まった。

 



 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





空亡くうぼう』出現によるしばしの静寂の後、再び市中ではざわめきが巻き起こっていた。

 とはいえパニックとまでは至らず、人々はただその場で不安げに右往左往するのみ。その場にうずくまっている者もいる。

 

 無論、本心で言えば皆今すぐにでもここから逃げ出したかった。

 しかし『空亡くうぼう』を見た瞬間、本能で理解してしまったのだ。あの闇の塊のような黒き太陽からは、決して逃れられないと。

 だから後はもうひたすらに最期の時を待つしかない。


 京都中が、絶望に包まれる。


 だがそんな中でも何とか平静を保っている人物が、いや女たちがいた。


「――あ、楓乃さん!

 あそこにも黒い化け物!」


《後は……ここから南方向、50メートル先に三体いるね。

 どうやらあの黒い太陽に吸われた後も、自然湧きはするみたいだ。

 うーんまさに魔都京都》


「余計なことは言わなくていいの……と言うわけらしいので、楓乃さん宜しくお願いします!」


「任せなさい。

 雑魚は全部氷漬けにしてあげる!」


 それは都築つづき美智子みちこ東城とうじょう瑛里華えりか桜木さくらぎ楓乃かえの

 彼女たちは諦めずに、自身の出来ることを全力でこなしていく。

 どんなに状況が絶望的でも、動くことを止めない。


 何故なら、どんな時でも決して諦めない男を知っているから。

 そしてそんな男を、好きになってしまったから。

 だからこそ、彼女たちも諦めない。


 そんな懸命な姿を前に、街全体を包む絶望的な空気に僅かな変化が現れた。


「……大変失礼致しました。

 御覧の通り、現在市内上空には巨大な黒い球体が浮かんでおります。正体は不明です!

 皆さんにおかれましては、ご自身やご家族の生命を守ることを最優先に行動して下さい!」


 最初に動き出したのは、京都ローカル局のリポーターだった。

 美智子たちの姿を見て我を取り戻した彼女は湧き立つ恐怖心を必死に抑え、報道者としての務めを果たす。


「どうやら先程まで市内にいた未確認生物の大半は消失したようですが、油断は禁物です!

 どうか冷静に、出来るだけ西方面へと避難をお願いします!

 そして……あちらをご覧ください」


「カメラに映っていますでしょうか?

 十代代から二十代にかけての女性たちが三人、何か黒いもやのようなものと戦っています!

 ここからだと詳細は分かりませんが……とにかく、必死に戦っていることは確かです!」


 声を上ずらせながらも、リポーターは何とか現場の様子を伝えようと懸命に言葉を紡ぐ。

 それは少しでも人々に希望を伝える為。


 だが、足りない――リポーターの脳裏では同時にこうも思う。

 あの夜空に浮かぶ黒き太陽は、絶望の象徴そのもの。

 少女三人の活躍だけでは、人々の心に確かな希望を芽生えさせるには、まだ。


 あともう一つ、闇すら跳ねのけるようなヒーローのよう存在がいてくれれば――。

 そう思った時。


「な、何だあれは!?」


 突然カメラマンが驚きの声を上げ、カメラを夜空へと向けた。

 リポーターも振り返り、視線を上げる。


「あれは天使、でしょうか……?」


 リポーターにあるまじき何とも陳腐な表現であったが、それ以外に言いようがなかった。


 三対六枚の巨大な蒼翼が、まるで天使の如く黒き太陽へと向かって羽ばたいている。

 ただ一直線に、一片の迷いもなく。

 その美しくも力強い姿は、まさしく希望と呼ぶに相応しい。


「行け……!」


 思わずそんな言葉が、リポーターの口から漏れた。



 今夜、京都にいる全てが『英雄』の目撃者となる。

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