京都英雄百鬼夜行㉞『二つと無し』

『――白秋はくしゅうよ、これからはお前が西金にしのかね神社の当主だ。

 今日より姓を改め、刀煉とねり白秋はくしゅうと名乗るがよい。

 ……そして今まで、血の繋がらぬこの父を支えてくれたこと、礼を言う』


『刀煉白秋さん。

 どうかこの国の為、国家最高戦力エージェント・ワンの任を引き受けては下さらないでしょうか!』


『なんだ、そんなことか。別にお前の人生だ、好きにしろ。

 家のしがらみなんか忘れ、京都を超えて世界を見てこい』


『当主の座を捨てて、外へ行くやと!?

 ふざけるな! 貴様護国四姓ごこくしせいを何だと思っとるか!』


『どうか貴方は京都の外から、この国を護ってください。

 私は三間みまの呪術師として、鹿屋野かやの家を支え続けます。例えどんなことがあっても』


『ほう君が日本の国家最高戦力エージェント・ワンか、若いな。

 私はリチャード・L・ワシントン。

 地獄さながらの戦場だが、お互い最高の仕事をしよう』


『冷戦という呼び名は、さながら詭弁だな。

 戦争である以上結局は血を流す以外に終結の道はないというのに。

 さあ日米の犬どもよ、さっさと戦争を始めるぞ』


『私よりどうかこの子を……!

 金秋のことを、どうかお願いします……!』


『冷戦も終わり、これからはテロの時代か……。

 我等の役割も大きく変わらざるを得んだろうな。

 ちょうどいい機会だ、お前も父親に専念してみたらどうだ?』


『母さんのことは、聞いてるよ。

 でも親父は親父だろ? そんなことより刀、俺に剣術を教えてくれよ!』


『わ、私は警察庁所属の成瀬 純子です!

 か、金秋さんとは結婚を前提に付き合ってます!

 どうぞよろしくお願い致します!』




『――親父、俺もなるよ。

 国家最高戦力エージェント・ワンって奴に』





 ―――――――――





(……いかんな。これではまるで走馬灯だ)


無双陣羽織むそうじんばおり』に備え付けられた大太刀を振るいながら、白秋の刹那の失神から目を覚ます。

 目の前には、迫りくる『怪異』の大群。


「……遅すぎる、な」


 しかし今この老人の瞳には、その全てが止まっているように見えた。


「ギャッ!」


「グガァッ!」


 白秋が大太刀を振るう度、地面が割れ『怪異』の群れに一筋の亀裂が入る。

 それは黒い津波を真一文字に切り裂く、朱き閃光。

 その圧倒的なまでの武を前に、いかな化生もその前進を阻むことが出来なかった。


「おおおおおっ!」


 斬って、斬って、斬りまくる。

 今の白秋はただひたすらに『怪異』を斬り裂くだけの存在と化していた。


 無双とは、ふたつとないこと。

 そして西金神社は、その境地に永きにわたる鍛錬と経験の蓄積によって至ろうとした。すなわちそれは歴代当主の力と技と遺志とを、一つの武具に宿すということだった。

 

 つまり『無双陣羽織』とは、歴代当主の技と力を宿した血染めの甲冑。

 身に着けることで絶大な力が与えられるが、同時に大きな問題点もあった。


「ぐっ……!」


 白秋は不意に足を止め、頭を押さえる。


「白秋さん!」


「来るな!

 …………っ!」


 巻き添えを食わぬようにと咄嗟に声を上げるが、白秋はそこで自身の異変を悟った。

 自分を呼ぶ男の名が、まるで脳に霧がかかったように思い出せないのだ。


「ぐっ、またか……!」


 白秋は歯噛みしながら再び『怪異』たちを斬り刻んでいく。

『無双陣羽織』の問題点、それは使用者の精神に掛かる負荷があまりにも大きすぎること。


 刀煉こと西金神社の歴代当主は白秋含め実に八十三人。無論その中には初代、刀煉とねり一秀かずひでも入っている。

 つまりこの甲冑には、たった一人で『四厄』を屠った最強の武者の力と技さえもが宿っているのだ。

 その上さらに八十人の分全てが加わるとなれば、その情報量はとても生身の人間に耐えきれるものではなかった。


(強さも過ぎれば呪いになる、か……!)


 ノイズのように脳に流入してくる技と遺志に頭を痛めながら、白秋は大太刀をひたすらに振るう。

 そして大太刀を振るう度、人生における様々な情景が浮かんできては、泡のように消えていった。



 始めて、父を父と呼んだ時のこと。


 始めて、真剣を握った時のこと。


『護国四姓』より出ていく時のこと


国家最高戦力エージェント・ワン』としての最初の任務。


 冷戦下の激闘。


 そして『国家最高戦力エージェント・ワン』を、引退する時のこと。



 しかしそれとは反比例するように、その技はより洗練されていく。


 ただ無為に、ただ自然に、ただ無心に。


 だが如何に甲冑が男の記憶をかき消そうと、決して消えない想いがある。

 それは国を護るという覚悟と、そして護るべき者たちの顔。


(そう。それだけは、忘れはせぬ……!)


 かつて白秋には養子であり、かつ一番弟子でもあった少年がいた。

 その少年は白秋と同じく孤児であったが、誰よりも明るく、そして誰よりも優しかった。そして何より神社にいたどの弟子よりも、才能があった。


 既に『国家最高戦力エージェント・ワン』も半ば引退して西金神社の当主に戻って折である。『護国四姓』として次に神社を任せられるのは彼しかいないと思っていた。


 しかし少年が成長し青年となった時、彼は思いもよらぬ選択をする。


国家最高戦力エージェント・ワン』を、継ぎたい――そう申し出たのだ。

 その時の真剣な瞳は、今でも忘れられない。忘れるわけがない。


 最初こそ驚きはしたが、それ以上に嬉しかった。

 子が自らと同じ道を進む――たとえ血は繋がらずとも、父としてこれ以上の幸福があるだろうか。

 そう、自らの掲げた『護国』の信念と夢はずっと続いていく。白秋はそう信じて疑わなかった。


 だがそれは僅か数年後、思わぬところで絶たれてしまう。

 青年の殉職という結末によって。


 後に判明した所によると、対『サン・ミラグロ』の任務中に捕まり、そのまま殺されたのだという。しかも脳髄丸ごと抜き取られるという残忍極まりない方法によって。


 白秋は激しく後悔をした。

 もし自分が養父でなければ、彼はここまで惨い最期を遂げずに済んだのではないかと。

 後悔はいつしか強い自責となり、白秋はこの事件を皮切りに新たな弟子を取ることを止める。そしていつしか武術の指導をすることすらなくなってしまった。

 それは『護国』という己の信念によって、これ以上大切な誰かを死なせたくなかったからだ。


(だが……儂は間違っていた。いや思い上がっていた。

 国や、そこに住む誰かを護りたいという想いは、自然と芽生えるもの。

 儂がどうこうする類のものではない……そうだろう、息子よ)


 もうその名すら定かならないが、今この背には将来のこの国を支える若者たちが力強く芽吹き始めている。

 ならば今この老骨のすべきは、その小さな芽を絶やさぬようにすることのみ。


「……儂は、」


 白秋は大太刀を強く握りしめ、


「儂は刀煉が八十三代目、刀煉白秋。

 『護国四姓』の西にして、この国を守護する者なり!」


 その決死の気迫は声に乗り、『怪異』の群れを怯ませる。

 白秋の心には、ただ一つの想いだけが宿っていた。




 ――――――


 ――――


 ――





護京方陣ごきょうほうじん、準備完了致しました!

 今より展開致します……白秋様!?』


 十五分後、小鳥型の式神よりようやく杜与とよの声が響いた。

 その内容は準備の完了を知らせるものであったが、肝心の白秋からの返答がない。


「代わりに応答します。

 警察庁異能課の義堂誠一です」


 その代わりに小鳥を拾い上げて答えたのは義堂だった。


『白秋様のお弟子の……それより白秋様はご無事なのですか!?』


「無事かどうかは分かりませんが、まだ息はあります。

 どうやら気を失っているみたいです」


『分かりました……でしたら直ちに城壁を張ります。

 義堂様は白秋様を連れて退避を!』


「……いえ、それには及びません」


『! 何故……!?』


 戸惑う声色の杜与に、義堂は視線を真正面に向け続けながら神妙に返答する。


「白秋さんが全てを、撃退しました。

 たった一人で……!」


 その先には『怪異』の死体の山に仁王立ちする、無双の武人の姿があった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 京都の夜空を、天使の翼が縦横無尽に舞う。


 その天使は眩いばかりの光を放ちながら、迫りくる悪魔と閃光の洪水をひたすらに捌いていく。

 それは誰の目から見ても分かるような、光と闇の決戦。

 そしてそんな神話にも似た光景が繰り広げられるようになって、はや数十分が経過しようとしていた。


「おおおおおっ!」


 英人は体の捻りと共に蒼翼を勢いよく回転させ、『空亡くうぼう』が放った小型の『怪異』を切り刻んでいく。

 数だけで言えば既に万を超える程は屠ったであろうか。

 しかし『空亡くうぼう』から吐き出されるその量は、未だ衰える気配を見せない。


『――おいおい、まさかもうバテてきたのかい?』


 ふと脳内に響くのは、こちらの苦戦を察してリチャードが入れてきた念話。


『いや、大丈夫だ。

 それよりそっちこそ、そんなにぶっ放して弾持つのかよ?』


『勿論持つとも。私とて伊達に長生きはしてないからね。

 私が人生懸けて仕込んできた弾丸は、この程度じゃあ切れはしないよ』


『そいつは頼もしい、なっ!』


 英人は『怪異』の一部を左腕に再現した『無限の魔導士ソーサラー・オブ・インフィニティ』で魔力に変換し、一気に光魔法を放つ。

 闇を貫く閃光は少しの時間群れに大穴を開けるが、すぐさま新手が『空亡くうぼう』より飛び出、塞いでしまった。


「無尽蔵、だな。

 まったく埒が明かねぇ」


 その光景を見ながら英人は毒づく。

 リチャード相手に「大丈夫だ」と啖呵こそ切ったが、実は半分正解で半分は間違っている。

 というのも肉体と魔力面については『再現』と『無限の魔導士ソーサラー・オブ・インフィニティ』の力でいくらでも補えるが、精神力についてはそうもいかないからだ。

 いくら『再現』でも、心の摩耗までは元に戻せない。

 さらには今まで以上に大技を連発しているこの状況、長期戦慣れしている英人と言えどあまり余裕を持ってはいられなかった。


『契約者、あっち!』


 ミヅハが呼びかける方へ目を向けると、『怪異』の一部が群れから離れ、地上の方へと向かっていた。

『千里の魔眼』でよく見ると、そこには逃げ遅れたとみられる人の姿がある。


「ま、なんやかんやで百万都市だ。

 これくらいは想定済み……さっ!」


 英人は空中で急旋回し、『絶剣リヴァイアス熾天蒼翼セラフィリア』をフル稼働させて音速で『怪異』へと追いつき、斬り刻む。


「あ、ありがとうございます!」


「はいはいさっさと安全な所に逃げちゃって!」


 流石にこの状況では最後まで面倒を見ている余裕はない。

 英人はすぐさま上空へ戻り、『空亡くうぼう』の迎撃へと戻った。



「見てください!

 天使……ではなく翼を生やした少年が今また、黒い怪物を倒しました!

 どうやら近くに逃げ遅れた人がいた模様です!」


 そして地上では、地方局のリポーターが絶えずその状況を叫でいる。

 興奮しているせいか時折噛んだり、声が上ずったりするが気にはしていられない。

 彼女はただありのままに目の前の状況を伝えることに専念していた。


 既に東側に迫っていた『怪異』は去り、残るはあの黒き太陽のみ。

 そしてそんな邪悪の塊とも言える存在へ真っ向から挑む男の背中。

 そのひたむきながらも誇り高い姿に、京都の人々の心は徐々に動き始めていた。


「……頑張れ!」


 最初にその声を上げたのは、現地に住む五歳の子供だった。

 それは子供の放つ小さな掛け声であったが、まるで波紋のように少しずつ周囲へと影響を与えていく。


「行けー!」


 それは一人。


「やっちまえ!」


 そしてまた一人と。


「負けるなー!」


 一つ一つの声は互いに共鳴し合い、いつしか大きなうねりとなって京都中へと響き渡る。


「先生、行けー!」


「先輩!」


「負けたら許さないんだから!」


 少女たちもそれぞれの役割をこなしながら、その背に向かって声を掛け続ける。

 今、この古の都は一つとなっていた。



 そして遂に、最後の時がやってくる。



『……もう、いい。もう飽いた。

 この忌まわしき都ごと、消えよ!』


『怪異』の群れの裏で、『空亡くうぼう』が全呪力を一点に込め始めた。

 これまでのどの攻撃よりも強くおぞましい何かが、京都を滅ぼすべく収束し始める。


「一気に勝負を決めるつもりか。

 上等……!」


『けど行けるか、契約者?

 見た感じかなりヤバくない?』


「だが逆にあれを防ぎ切れば、もう奴に余力はない。

 つまりは勝機だ。街の汚染を防ぐためにも、ここは受けて立つ!」


 英人は『空亡くうぼう』の真正面へと飛翔し、静かに構える。

 

 勝率は、おそらく五分。

 最大出力の『無限の魔導士ソーサラー・オブ・インフィニティ』によって敵の攻撃を魔力に変換し、『水神ノ絶剣リヴァイアサン』へと転化させるが、どこまでやれるかははっきり言って未知数だ。

 さらには長きにわたる戦いにより、コンディションも決して万全と言えない。

 だが、迷いはない。


「来い……!」


 かつての英雄として、人々の想いに答えるのみ。

 そう覚悟を決めた英人が静かに『空亡』を見据えた時。



『――粗削りだが資質は十分、か。

 しょうがねぇ。死なれても困るし、ここは先達として俺がひと肌脱いでやるか!』



 英人の脳内に、突然謎の声が響いた。


「……? 何だ……!?」


 当然の声に、思わず戸惑の声を上げる。

 だが次の瞬間、今度は英人の目の前に光輝く一振りの西洋剣が現れた。


「『魔を断ち、光指し示す剣ヘイムダル』……」


 それは伊勢崎村にて清川きよかわ風音かざねより貰った『聖剣』。

 今は英人の部屋に置いてあるはずの代物だ。


『……ん? 

 ああ、そういやこの剣は確かそういう名前だったな』


 しかし『聖剣』はそんなことなど些事とばかりに話し始める。


「誰だ、お前……?」


『聞いたか、ならば名乗っておこう。

 俺の名は刀煉一秀。ああでもお前さんには――』


そして『聖剣』はまるで自嘲するように小さく震え、


『ナナシノゴンベエ、と言った方が分かりやすいか?』


 千年前に魔王を倒し異世界を救った『原初の英雄』の名を、名乗った。



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