京都英雄百鬼夜行⑩『会議はもう始まっているな?』

 ユスティニア王国、宮殿中庭。


『――では剣の使い方ですが、構えはこのような感じです。

 キュッと柄を握りつつ、こうビシッと伸ばし、ピタっと敵の正面に立つのです。

 そして斬りつける時は体を一瞬フワッとさせてから、一気にビュン!

 どうです、これで分かりましたか!?』


『は、はあ……』


 それは、戦闘訓練初日の出来事だった。

 熱心な説明を加えつつ綺麗な剣裁きを見せるリザリアを、英人はただポカンとした表情で見つめていた。

 素人目に見ても、彼女の技術が卓越しているのは分かる。

 だが問題は、それを解説しようとする言葉の中にあまりにも擬音が多すぎた。

 名選手名コーチにに非ずというが、彼女はまさにそれだろう。


『え、えっと……では、もう一度やります。 よく見てて下さいね。

 こう剣を持って、ビシッ!

 そしてフワッとさせて一気にビュン! ……どうですか?』


 そして二度目のレクチャーはさらに擬音の比率が多くなった。

 最早言葉だけ抜きだせば、何を言っているのか分からない。

 クールで凛とした外見だが、もしかしたら結構抜けている人なのかもしれないと英人は思った。


『……とりあえず、やってみます』


 大丈夫だろうか、と心の中で溜息をつきながらも英人はおもむろに剣を構え始める。


(確か……こんな感じか)


 言葉での説明が意味不明だったので、英人は先程のリザリアの動きを頭に思い描く。

 剣の握り、脚の開き、重心の置き方。完璧とまではいかずとも、真似をするくらいなら何とかなるかもしれない。

 そうして英人が構えをとってみると、リザリアは小さく息を漏らした。


『……いいですね。その調子です。

 では、次は斬ってみてください』


『はい』


 英人は小さく返事をするとリザリアの動きをなぞるように、ゆっくりと剣を振り上げる。

 それは、自分でも上手くいっていると確信できるような完璧な動き。

 まるで先程の手本を、まるまるトレースしているかのようだった。


 今日は、頭の調子がいいのだろうか。

 ついさっき見た像が、鮮明すぎるほどに脳裏に浮かび上がってくる。

 ならば、後はそれに倣うだけ――!


『はあっ!』


 振り下ろされた剣は、綺麗に空を二つに裂いた。

 それは達人、名人の領域には程遠い。だがその一振りは確実に、戦士の道の第一歩を力強く踏み出すものだった。

 その出来に肉体は感動に震え、それを落ち着かせる為にに英人は軽く息を吐く。


 そして、隣からはパチパチパチと小さな拍手が聞こえてきた。


『お見事です。ヒデト殿』


『あ、ありがとうございます。

 自分で言うのもなんですけど……上手く真似できました』


『ええ……っ』


『え、ちょ』


 予想外の光景を目の当たりにし、英人は思わず構えを解く。

 どうしてか分からないが、リザリアの瞳に涙がじんわりと浮かんでいたからだ。

 何かマズいことをしてしまったのだろうか、と英人が狼狽しているとリザリアは涙を拭い、


『いえ、お気になさらず……ぐすっ。

 ただ、私の教えた通りに動いてくれたのが嬉しくて……。

 私、同僚や部下からはずっと教え方が下手だと言われてきましたから……うぅ、良かったぁ』


『え、えぇ……』


 ややドン引きしながらも、やっぱりそうだったのか、と英人は心の中で少し納得する。

 そして当のリザリアは意を決したように英人の空いている手を掴み、


『ぐすっ……よし、私も覚悟を決めました!

 ヒデト殿、これからも私がしっかりと教えていきます! 

 ですので宜しくお願いしますね?』


 そう高らかに宣言した。

 よほど自分の教え方に自信がなかったのだろう、そう思えるくらいに彼女の表情は初めての成功によって喜びに満ちていた。

 何となく、英人は彼女の人柄を理解できたような気がした。


『はい、こちらこそ宜しくお願いします』


『ええ! 頑張りましょう!』


 そして晴れて師弟となったリザリアと英人は、再び鍛錬へと戻る。

 それは時に共に背を預けて戦い、時に共に向かい合って絆を深めた二人の、かつての情景だった。





 ――――――




 ――――




 ――





 そこはまるで大名屋敷のような巨大な邸宅。

 その一角で、障子が勢いよく開かれた。


「――湊羅そら様、お目覚めを。

 本日は四姓会議の日でございます」


「んぅ……そうだったっけ?」


 廊下から差し込む朝日を手で遮りながら、一人の人物がゆっくりと起き上がる。

 それは中性的な顔立ちをした、美少年とも美少女ともつかぬような風貌だった。

 肩よりもやや上の辺りで切り揃えられた髪は、朝の日差しで藍色に光っており、朝顔を思わせる。

 鼻筋も通った端正な顔立ちではあったが、その中で瞳の色は奈落のように深く、光や生気が全くなかった。


「湊羅様」


「分かってる。起きるって佐都子さとこ

 ……はーあ、めんどくさ」


 大きくため息をつきながら、湊羅は髪をくしゃくしゃとかき上げる。

 それを見た佐都子と呼ばれる中年の女中は顔をしかめ、語尾を荒げた。


「全くだらしのない……それでも御守みもり家の当主ですか。

 貴方様は『護国四姓』においても鬼門である東を守護するお方。

 もっとしゃんとしてもらわねば困ります!」


「そんなこと言われても……だって大昔に主だった『怪異』は殆ど封印してるんでしょ? 

 京の町の巡回とかだって人の多い鹿屋野かやの家に任せとけばいいし……正直僕が出る幕ないと思うなぁ」


「また意味の分からぬ言い訳をくどくどと……ほら、早く支度をして下さいな。

 当主が四姓会議に大遅刻、なんて笑い話にもなりません」


 そう言って佐都子は掛布団を引っぺがし、いそいそと畳み始める。

 湊羅はその様子を見ながら欠伸を一つ、そしてゆっくりと立ち上がった。


「別に……そもそも四姓会議なんて大層な名前してるけど、言うほど大した話はしてないし。

 それに鹿屋野の所のばーちゃん達が終始うるさいから、あんま行きたくないんだよねー」


「たとえ話の内容がどうであろうと、四姓会議は一千年近く続いてきた、由緒あるしきたりなのです。

 当主直々にそれを破ってどうしますか」


「しきたり、ねぇ……」


 湊羅は伸びをしながら寝室をで、中庭をボーっと眺める。


「別にこだわる必要ないんじゃない? だって今、21世紀よ?

 刀煉とねりのじーさんが海外で活動してたのだってもう20世紀の話だし、うちらも変わったっていいでしょ」


「……あの方は、例外です」


 佐都子は突き放すように言う。

 今でこそ西金神社の当主、刀煉 白秋は『護国四姓』の一角として君臨する京都の重鎮だ。

 しかし彼が一度は『護国四姓』の地位をかなぐり捨て、『国家最高戦力』としてこの京を出たという事実は他の三家にとっては半ばタブーでもあった。


「そう? まあ確かに人外じみて強いけど、話してみると結構普通のおじいちゃんだよ?

 それにさー考えてもみなよ、」


 湊羅は畳の上に無造作に置かれたリモコンを手に取り、テレビをつける。

 すると出てきたのは朝の情報番組で、観光シーズンである京都についての特集をやっていた。

 曰く、外国人の観光客は今年も増加傾向にあったらしい。


「京都の街自体がこんだけ変わってるんだよ? 私たちが変わらない理由はないでしょ。

 そもそも昔はともかく、今の首都は東京なんだし」


「世間はそうかもしれませんが、我らはそうはいきません!

 全く、どうしてこう屁理屈ばかりが上手くなってしまったのか……」


 しかしそんな番組には目もくれず、佐都子はため息交じりに布団を押し入れにしまう。


『護国四姓』の東、御守家の当主が湊羅に代わってからはや二年。

 元から少々抜けた言動をすることもあって、このように佐都子に叱咤されるのは日常茶飯事であった。


「で、何時からだっけ? 会議」


「10時です!

 ほらもう時間がありませんから、朝食を済ませて早く支度を!」


「はいはーい」


 佐都子の怒声に押し出されるように、湊羅は寝室を出て廊下をトタトタと駆ける。

 そして、ふと左を向いて中庭にある池を見た。


「……今日は、何か起こったりして」


 しかし湊羅は池の様子を一瞥だけして、再び廊下を小走りに駆けだす。

 池の中では、でっぷりと太った錦鯉がまるで踊るように水面を跳ねていた。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 現在時刻、午前9時40分。

 警察庁異能課の警視、義堂 誠一は巨大な鳥居を見上げていた。


「ここが、鹿屋野かやの大社……!」


 それは、10メートル近くはあるであろう高さの鳥居。

 数多の神社がある京都においてもそれは最大級の規模であり、普通ならこれだけでも著名な観光スポットになってもおかしくない。

 しかし、今義堂の周囲に観光客らしき人影はひとつもない。ただ、刀煉とねり 白秋はくしゅうという一人の老人が傍らに立っているだけだった。


「人払いの結界、という奴だ。

 鹿屋野は『護国四姓』の中でも『呪術』が得意だからな、その本丸がこうであっても不思議はあるまい」


「人払い、となると普通の人間はこの場所すら認識できないと……?」


「正確には『護国四姓』と許可された人間だけだな。

 そして例外は、それすら通用しない人間……つまりお前のことだ、義堂」


 白秋の言葉に、義堂はハッとする。

 無論、今の義堂は鹿屋野家相手に許可など貰ってはいない。

 今彼が鹿屋野大社を認識できているのは『不動の信念』のお陰だ。


「しかしいいんですか?

 いくら私の『異能』で認識出来ても、許可なく入り込んでいることには変わりありませんが……」


 義堂は困惑した表情を浮かべる。

 何せ義堂がこの四姓会議に行くことを聞いたのは起床した直後。

 昨日に引き続き今日も修行をするものだと身構えていたのだが、あれよあれよという間にここまで連れてこられてしまった。

 正直まだ頭は混乱しているが、それでもこの会合、部外者が気軽に出席していいような類のものでないことだけは分かる。


「大丈夫だ。

 元々大した話などしておらんし、それに今日は奴が来るらしいからな……異能課の人間なら、会っておいた方がいいだろう」


「奴?」


「……すぐに分かる。

 それより本殿に行くぞ、義堂」


「は、はい」


 そして二人は足早に本殿へと向かった。





 鳥居の規模と比例するように、本殿もまた巨大だった。

 

「……圧倒されたか?」


「……少々」


 静かに正座する白秋を横目に、義堂は屋内を見渡す。


 案内された場所は、本殿を少し入ったところにある部屋だった。

 しかしその広さは尋常ではなく、ゆうに百畳はあるだろう。

 西金神社もそれなりに規模は大きかったが、それとは比較にならない。因みに二人は今、部屋の西側に座っている。


 しかしまだ北と東と南が開いているな……と義堂が思った時、白秋が口を開く。


「興味深いのは分かるが、そろそろ来るぞ」


「え?」


「残りの『護国四姓』だ」

 

 そしてその言葉と同時に、襖が開いた。

 入ってきたのは、中性的な顔の者と頬のこけた病弱そうな男性の二人だった。

 傍らには、側仕えと思われる人物も見える。


「あ、刀煉のじーちゃんもう来てたんだ。

 おひさ」


「ん」


「いい加減、その口調はどうにかならないのか……御守みもりの百代目。

 ああ刀煉さん、どうも」


「うむ久しぶりだな、荼毘だびよ」


 両者は小さく会釈し、それぞれ東と南側の席へと座す。

 義堂はそっと耳打ちするように白秋に尋ねた。


「白秋さん、あれが……?」


「ああ。

 東、つまり正面にいるのが御守家百代目当主、御守みもり 湊羅そら

 そして南側が荼毘家六十二代目当主、荼毘だび 光耀こうようだ」


 白秋の説明を受け、義堂は改めて両者の姿を見た。

 聞くところによれば、彼らは皆代々受け継いできた強力な『異能』を持っているという。


(確かに、実際に目の当たりにしてみると良く分かる……。

 間違いなく彼らは、強力な『異能者』だ……!)


 義堂は思わず、息を飲む。

 同じ『異能者』である故か、義堂には彼らが本物であると肌で感じ取っていた。


「……なんや、この小童は」


 義堂が湊羅と光耀に目を奪われていると、後ろから突然声が聞こえたきた。

 思わず振り向くと、そこには背格好がよく似た二人の老婆がいた。


「おお、ばば様方」


「白秋、お前が連れてきよったんか。

 この余所モンを」


「そやそや。

 白秋貴様、何のつもりや」


 老婆たちは義堂の姿を見るなり、一様に不快そうに表情を歪めた。


「何のつもりと言われましても、これは新しい弟子です。

 つい昨日取りましてな」


「弟子ぃ?」


「貴様がぁ?」


 老婆たちはさらに表情をしかめ、義堂の顔を睨みつける。


 身をかがめもしないのに同じ高さに顔があると考えると、身長は相当小さい。

 おそらく相当な年齢なのだろうか、と義堂が正座しながら思っていると。


「まあまあお二方。そう邪険にしないでやってくれないか。

 だって彼は白秋の弟子なのだろう?

 彼が駄目だとなると、外国人である私は非常に居づらくなってしまう」


 飄々とした声がそのさらに後ろから聞こえてきた。

 見上げると、輝くような金髪をした外人がそこにはいた。


「リチャード……」


「おお白秋、我が戦友よ! 元気そうじゃあないか!

 また会えてうれしいぞ、ハハハハハハ!」


 白秋を一目見るなり、リチャードは歓喜の声を上げる。

 そしてそれを見た東と南の当主は呆れたように小さく息を吐いた。


「なに、あれ…?」


「……五月蠅い男が来た」


 現在時刻、午前10時ちょうど。

 イレギュラーばかりの四姓会議は、早くも波乱の兆しを見せようとしていた。


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