京都英雄百鬼夜行⑧『もう我慢できねぇ!』

(確か、あれは……)


 料亭の屋根を伝って、ひたひたとこちらに向かって来る「それ」を見ながら、英人はひそかに目を細めた。


 京の都に現れる、形のない影。かつてヒムニスの口から聞いたことがある。

 その名は、『影狼かげろう』と言っていた。


 それは人々の怨念や、『異能』の暴走から発生し、恨みのままに人の肉と心を喰らう『怪異』。

 古くは平安の時代から存在し、都に住む人々の平和と安全を脅かし続けてきた。

 京都の東西南北に構える『護国四姓』は、この影の怪物と戦うために生まれたものだという。


 しかし今、英人の周囲にそのような人間はいない。


(初見だが、探り探りやってくしかないか……)


 幸い目の前の『影狼』は完全にターゲットを英人に定めており、周囲の人間に危害を加える様子はない。

 またこのおかしな空気の所為かは分からないが、誰も『影狼かげろう』の存在に気付いていない様子。


「……代表」


 英人はそれだけ確認すると、静かに口を開いた。


「ん? まだなんかあるのかい?」


「やっぱり気分が悪いので、ちょっとトイレ寄ってきます」


「ええ!? でも宿まではそう遠くはないし、そこで」


 突然の申し出に薫は慌てたように言葉を返すが、英人はそのまま裏路地へと体を向ける。


「もう我慢できないんで!

 すみませんけど代表は先に帰っといてください!}


「ちょ、待ち給え!」


 薫は引き留めようと手を伸ばす。

 しかし英人はそれすら振り切るように走りだし、そのまま裏路地へと消えて行った。



「抜け出す口実としては雑だったが、まあいいだろ。

 とにかく、奴をどうにかしなくては……な!」


 古民家の壁に背を預けつつ、英人は『エンチャント・ライトニング』を使用して雷撃をその身に纏う。

 上方向からは、『影狼かげろう』の足音が先程よりも強く響いてくる。


 英人は軽く跳躍し、古民家の屋根に立つ。

 そして表通りを挟んだ向こう側にいる『影狼かげろう』と対峙した。


「亞あ゜ー……ァ?」


「……速攻で、行かせてもらう」


 そう吐き捨てるように言って英人は右手を掲げ、雷撃を集中させる。

 そしてそれを振り下ろし、影狼目掛けて一気にそれを放った。


「――『ライトニング・ボウ』」


 それは中距離以上の射程で使う雷属性の中級魔法、『ライトニング・ボウ』。

 雷霆の弩が夜空を裂き、『影狼かげろう』目掛けて一直線に突き進む。


「嗚ぁあー啊!」


影狼かげろう』も直撃は分が悪いと踏んだのか、力の限り横に跳ねてそれを避けようとする。

 しかし、


「『乱れ矢』――っ!」


 英人がそう小さく詠唱すると瞬時に雷撃の弩は十数本の矢に分裂し、四方から『影狼』を追尾した。

影狼かげろう』も持ち前の俊敏さで最初の一本こそ躱すものの、数の暴力の前には無力。

 矢の群れ全てを避けること能わず、体に無数の風穴を開けたまま霧散した。


「とりあえず、こんな感じか……?」


 英人は跳躍し、『影狼かげろう』のいた屋根へと飛び移る。

 先程放った雷撃の弩は、並みの魔獣であれば一発で撃退出来る代物。

『魔素』の薄いこの世界の怪異ならば十分に余裕を持って倒せると思われたが、


「……ア、啞、ぁA?」


 あの不快な鳴き声が、今度は英人の耳元に響いた。


「な……!」


 英人は右手に雷撃を再び集中させ、振り向きざまに手刀で薙ぎ払う。

 しかし手には僅かな靄を切ったような、頼りない手ごたえが残るだけ。


 視線を上げると、体を二つに裂かれた『影狼かげろう』はまるで時間を巻き戻したかのように元の姿へと瞬時に再生した。


「魔法も物理も効かない、か……」


 ヒムニスの言が正しいのなら、これは怨念の集まった思念体のようなもの。

 単純な攻撃では怯ませることまでは出来ても、消滅させるには至らず千日手となる。

 どうしたものか、と英人が顎を撫でた時。


 一筋の光弾が、『影狼かげろう』の眉間を貫いた。


「あ゜」


『影狼』は明らかに苦渋の混じった呻き声を漏らす。

 そして必死にその光弾の出所を追おうとするが、時すでに遅し。

 今度は青い炎と共に、完全に消滅した。


「――このように、『影狼かげろう』は普通の攻撃では倒せない。やるなら『浄化』でだ。

 ……お前なら出来るはずだぞ? 元『英雄』よ」


「アンタ、さっきの……」


 英人が後ろを振り向くと、そこには一人の男が立っていた。

 夜空に輝くような金髪に、チェックのグレースーツ。昼に蕎麦屋で会った男だ。


「リチャード・L・ワシントンだ。

 近い内に会おうと言っただろう? 忘れてもらっては困る」


「そういうのって、多少日にちを跨ぐものだと思うのだが」


「それも一つの見解ではあるな。いち個人として尊重しよう。

 しかし事実としてはこうなった。大人しく受け入れ給えよ」


 人の話を聞く気があるのかないのか分からないような返答をし、リチャードは英人の横に立つ。

 流石は欧米人と言うべきか、その身長は英人よりも一回り程大きい。

 しかし英人はその端正な横顔を見ず、彼の手元に視線を落とした。


「……その銃で、『魔法』を撃ってるわけか」


 英人の知識にはない拳銃だった。

 シルバーの銃身は通常のそれよりもひと回り以上は大きく、白を基調とした装飾が施されている。

 その華やかな外観はまるで武器というよりも、骨董品や美術品のようであった。


「ご名答。まあ『あっち』に関わった人間であれば、一目瞭然か。

 こいつは言ってしまえば、この厳しい環境へ適応するためのちょっとした工夫でね。

 ここは幾分マシではあるが、異邦人は色々苦労するんだよ……それより、次が来るぞ」


 リチャードは顎で前方を指し示す。

 するとおよそ数百メートル先、新手の『影狼かげろう』の集団が屋根伝いにこちらへと接近してきていた。

 そしてそれは、後方からも。


『影狼』たちの鳴き声が、木霊のように夜空に共鳴する。


「群れか、こいつら」


「どうやらそうらしい。

 それより、頼むぞ」


「はいはい。

 『浄化』だったな」


 英人は左腕に『大司教の御手アークビショップ・フォース』を『再現』し、リチャードは拳銃を再び構える。


 そして、一呼吸。

 二人の男は顔を見合わせることすらなく、


「啊゜っ」


「あ”」


 背中合わせに前後の『影狼かげろう』達を、同時に全て打ち抜いた。


「素晴らしい。

 そしてこの場合、私とお前の相性は良いと言うべきなのだろうか」


「それこそ見解によるだろうな」


「フッ、違いない」


 背中越しに、リチャードは笑う。


「しかし噂以上だな、八坂 英人。

 その応用力の高い『異能』もそうだが、何よりセンスがいい。

 思い切りの良さと慎重さが程よい塩梅でブレンドされている、まさに優秀な戦士の証拠だ」


「それはどうも。

 それでアンタは何者だ? さっきの物言いといい、『あっち』の関係者で間違いないんだろ」


 英人は振り向き、再びリチャードの隣に立つ。


「確かに関係はあったが……大昔のことだ。とうに忘れたよ。

 それよりも私にとって大切なのは現在、ひいては未来さ」


「まあ俺も人の過去をむやみに詮索する趣味はないが……それよりも」


 英人は目線だけ動かし、周囲を見回す。

 リチャードとの攻撃によって『影狼かげろう』の気配こそ完全に消えたが、まだあの違和感のある空気は残っている。


「これ、アンタか?」


 英人がそう尋ねるとリチャードは苦笑しつつ首を振り、


「いいや、私ではない。

 こいつは人払いの結界だ。初めてか、見るのは?」


「……『呪術』、か」


「ご名答。二問連続正解だ。

 周りを見ろ、彼等も祝福してくれている」


 リチャードは羽ばたくように両手を広げ、ニヤリと笑う。

 するろ同時に四方からぞろぞろとまるで歌舞伎の黒子のような、黒ずくめの集団がやってきた。

 ピリピリとした敵意を全身に感じる辺り、味方ではないらしい。


 英人は僅かにリチャードに口を寄せ、尋ねた。


「おい、あれは……?」


「『護国四姓』の一つ、鹿屋野かやのの人間たちさ」

 

「へぇ、あれが……」


『護国四姓』という名は、英人も知っている。

 とは言えあくまでこれもヒムニスから聞いた知識ベースのものなので、直接会うのはこれが初めてだ。


 彼ら四家の主な役目はこの国、もとい京都を守護。

 既存の知識を照らし合わせて見るに、現状敵対する理由などないはずだが……?

 英人が目を細めると、黒子の一人が声を上げた。


「貴様等、我等の都に何用だ!

 これは鹿屋野に対する挑戦であるか!」


 その声は明らかに過剰な怒気を含んでおり、英人の取り付くシマもない。

 英人はもう一度、リチャードに尋ねた。


「……なんか、めっちゃ怒ってるが。

 何だ、あいつらの管轄で勝手やったからか?」


「もちろんそれもある。

 が、」


 そこまで言うと、リチャードは不意にその口を止める。

 その視線の先には、


「――鎮まりなさい、お前たち。

 鹿屋野の人間が、そう血気逸るものではありません」


 リチャードの視線の先にいたのは、おそらくは還暦あたりの女性だった。

 白髪交じりの髪を後ろに束ね、服は深紫に金の刺繍が入った、巫女装束によく似た和装。

 その姿をひと目見た黒子が一斉にかしずく様子から見ても、彼女の持つ力の大きさが伺えよう。


「し、しかし静枝しずえ様。

 京をあのような」


「私は鎮まりなさい、と言いました」


「は……はっ!」


 静枝と呼ばれる女性が横目で睨むと、焦ったように黒子は頭を伏せた。

 辺りには、『影狼かげろう』がいた時以上の緊張感が漂う。


 しかしそんな緊張をものともしない男が、ここには二人いた。


「ほお……君自ら、お出ましとは。

 今日は運がいい」


 そしてその一人は颯爽と屋根から降り、その金の瞳を輝かせる。


「久しぶりですね、リチャード・L・ワシントン」


「他人行儀だな。

 ファーストネームで呼んでも構わないと言っただろう? 

 三間みま 静枝しずえ、我が友よ」


 リチャードの飄々とした言い様に静枝は呆れたように息を吐く。


「……貴方、どうやら自身の立場が分かってらっしゃらないようね。

 他の国ならいざ知らず、ここは京都です。貴方の出る幕などはありません。

 そうでしょう? 合衆国の『国家最高戦力エージェント・ワン』」


 そして絶対零度のような、冷めた目線で見つめる静枝。

 対するリチャードはそれすら意に介さないように首を左右に振り、


「おいおい、そう睨まないでくれ――同盟国の仲じゃあないか」


 そう不敵に笑った。



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