京都英雄百鬼夜行⑥『最強の男』
道場に、二人の男が対峙していた。
一人は二十代後半の若き警察官で、木剣を正眼に構えている。
そしてもう一人は七十も半ばになろうかという老人。だがこちらの方は無手。
体力、武器の違いを見ても有利不利は火を見るより明らか。
しかし。
(隙が……ない……)
義堂の頬に、一筋の汗が伝う。
ここは西金神社のさらに奥、山林を抜けた先にある道場。
神社と同様かなり年季が入った造りをしており、まるで武の神様が鎮座しているような荘厳さを覚える。
そして互いに構えてから数分、両者互いに一歩も動かずの膠着が続いていた。
白秋の構えは、左右の腕を腰のやや上あたりまで上げた、合気道によく見られるもの。
つまりは義堂の攻撃を待っているというわけだが、義堂からすれば肝心の攻め手が見つからない。
厳密に言えば隙のようなものは時折見え隠れするのだが、それは明らかな罠。
半端な実力者であれば容易く釣られてしまうであろうが、義堂とて未熟ではない。
そこへと攻め込む愚かさを、はっきりと感じていた。
だが指導してもらう以上このままずっとにらめっこ、というわけにもいかない。
義堂は静かに、鼻から息を吸う。
そして勢いよく目を見開き、白秋の双眸を睨みつけた。
(隙がないのなら、自分の得意技で押し切る――!)
義堂は流れるような動作で木剣を引き込むように左肩に担ぎ、同時に右足を半歩踏み出す。
その技は、剣道で言う所の「担ぎ面」。
相手の意表を突きまさに瞬きの内に一本を取る、義堂の得意技であった。
何千何万とこなしてきた動きに淀みはない。
それは気力、剣筋、体捌き、全てが文句なしに揃った一撃、のはずだった。
「甘い」
「な……!」
だが瞬きをする間もなく押さえられたのは、義堂の方であった。
木剣を持つ両手は白秋の右手一本に見事に掴まれ、ビクとも動かない。
(ま、全く見えなかった……!)
おそらくそれは、驚異的な速度での踏み込み。
それによって瞬時に間合いを詰め、義堂の技を出し切る前に潰したのだ。
「……もう一度だ」
白秋は手を離し、再び間合いを取る。
しかしそれは先程よりも半歩以上は近く、構えすら取っていない。
その老人は静かに、切っ先の寸前へと体を無防備に晒していた。
「……行きます」
しかし、感じるプレッシャーは先程とは比にならない。
義堂は即座に直感した。
これは、ハンデなどでは断じてない。むしろ、ここにきてこの老人は本来の実力を発揮してきたのだ。
(だが、退かん……!)
義堂は次なる技を繰り出すべく、重心を動かす。
しかし今度は動き出す前に、
「ここだ」
白秋の右手一本で制された。
「く……!」
義堂は負けじと次から次へ攻勢をかけようとする。
だが、またも出す前に防がれる。
次も。
次も。
その次も。
それは最早、義堂の動きを完全に読んでいるとしか思えないような動きであった。
そしてそんな一方的なやり取りが行われること数度。
「……参り、ました」
義堂はその攻め手を止め、木剣を静かに下ろした。
同時に心臓が思い出したようにバクバクと鼓動を始め、額からは滝のような汗がどっと溢れ出る。
動作量こそ多くはなかったが、相当に緊張していたということなのだろう。
「……才は、申し分ない。胆もある。
だが鍛錬はまだまだ足りてないようだな」
「恐れ、いります……」
「まあ、普段の業務に追われているだろうことは想像つくがな……」
疲労困憊の義堂に対し、白秋は汗一つかかずにその場に悠然と立つ。
変化と言えば、少々呼吸の間隔が早くなっている程度か。
「……気付いたか」
義堂がその様子を眺めていると、白秋は小さく息を整えた。
「い、いえ……」
「齢というのは、こういうことだ。
技術も経験も、根本の体力あってこそより光る代物。
儂はもう、戦い続けることは出来ん。この乱れた呼吸がいい証拠だ」
「それを言うなら、私の方がよっぽど」
汗だくの体で義堂は口を開くが、白秋は首を振り、
「儂のこれは、空元気みたいなものだ。実際の消耗具合はお前とそう大差ない。
ただ昔から、この手の誤魔化しやハッタリが得意だったというだけだ」
「……」
「だから儂はもう、『最高』の名を、冠してはいけない」
白秋は義堂の目を、その双眸で静かに見つめた。
そこには諦観や未練といった負の感情はない。ただ、ありのままの事実を泰然と受け入れている表情だった。
「……疲れたな、一度座ろう」
「は、はい……」
言われるがまま、義堂は木剣を置きその場に正座する。
白秋はその前に、胡坐をかく形で座り込んだ。
「確か、お前の『異能』は精神や認識等に関するあらゆる干渉を無効化する、でよかったな?」
「はい。
個人的にはあまり実感は湧きませんが……間違いないみたいです」
「となると、常時発動型の能力になるな……それも防御専用の。
ならば悪いことは言わん。義堂、鍛えろ。
その手の『異能者』は何よりも己自身が強くなければ始まらん」
「分かっては、いるのですが……」
義堂は視線を落とす。
白秋の言っていることは当たっている。
自身の『異能』が物理的な攻撃にも防御にも使えない以上、頼れるのは己の体と技術のみ。
『
(そう今の俺は……何もかもが足りない)
義堂は、かつて親友と交わした約束を思い出す。
それは友がその絶大な力で死線をくぐり、自身がそれをサポートするというもの。
確かに互いの力を考えれば、これベストに近い。
しかしそれでもなお、義堂の心中には共に戦いたいという想いが燻っていた。
そしてその想いを見透かしたかのように、白秋が口を開く。
「……成程。どことなく、読めてきた。
ふん、あやつを思い出す」
「あやつ……?」
「何、独り言だ。
老いのせいか最近増えてきてな、気にするな。
それより義堂、お前は強くなりたいということでいいな?」
「え、ええ……」
「どれくらいだ」
「どれくらい、とは……?」
「どれくらいかと聞いている」
白秋は、義堂の顔を睨みつける。
真剣そのものの眼差し。ふざけた回答をすれば即座に斬って捨てられるような凄みがあった。
義堂は神妙に呼吸を整え、言葉を紡ぐ。
「『
それは、無謀ともとれる宣言。
「ほう、ならば――」
しかし白秋はその言葉を聞き、
「あの男をも超えるということか」
今日初めての、笑みを浮かべた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それは、一瞬の出来事だった。
「グッ、ク……!」
「ア、ガッ……!」
金髪の男が不敵な笑みを浮かべた次の瞬間、暴漢たちは痙攣しながらその場へと倒れ尽くしていた。
店員も、客も、驚きのあまり口が塞がらない。
いつ、どのように、何をしたのかさえ不明。
それは普通の人間では認識すら出来ないような、超常の一撃であった。
「『まあ、こんなものか……これに懲りたら、今後は合衆国民として相応しい振る舞いをするんだな』」
金髪の男は英語でそう吐き捨てると、店員の方へと向き直る。
「あ、えっと……」
「申し訳ない」
そしてその顔を見るなり、流暢な日本語と共に深々と頭を下げた。
「い、いえ」
「我が祖国の同胞が、大いに迷惑を掛けた。
少ないが、これはお詫びとして受け取って欲しい。
ああこちらは、他のお客さんへのデザート代にでもしてくれ」
そう言って金髪の男は懐から札束を取り出し、押し付けるようにして店員の手に握らせる。
「いやそんな……受け取れません」
「まあそう言わないでくれ。
こちらとしても、受け取ってもらわないと気が済まない。
突然降って湧いたとでも思って、ほら」
金髪の男はずいっと顔を寄せ、至近距離で店員の瞳を覗く。
すると店員の方も態度を休息に軟化させ、こくりと小さく頷いた。
「うん、結構。
他のお客様に置かれましても、大変なご迷惑をおかけした。
彼らについては私が責任もって警察まで送り届けるので、どうか許していただきたい!」
それを見た金髪の男は満足そうに微笑むと、今度は客席に向かって優雅に一礼。
まるでブロードウェイの幕引きのような華やかさに、周囲からは次第に拍手と歓声が巻き起こった。
「いいぞー!」
「ありがとう金髪の人!」
「ははは、どういたしまして!
皆様もどうか、よい京都観光を!」
一つ一つの声援と歓声に、男は丁寧に受け答えをする。
その姿はまさに、「スター」と形容するに相応しい佇まいだった。
しかし、英人はその光景を終始渋い顔で眺めていた。
「この男……」
店員や客は気付かなかったであろうが、この男の目は騙せない。
先程の暴漢たちを倒した一撃、あれは徒手空拳によるものではなく雷撃による気絶だ。
そしてその雷撃を発生させたのは『異能』ではなく――
(『魔法』だな。間違いなく)
英人は目を細め、金髪の男の姿をまじまじと見た。
この世界で『魔法』を使う人間など、限られている。ほぼ確実に『異世界』関係者で間違いないだろう。
とはいえ悪人というわけでもなし、現状は人助けをしているのみ。
どうしたものか、と英人が悩んでいると。
「やあそこの貴方も、迷惑を掛けて済まなかったね」
あちらの方から一気に歩み寄ってきた。
「いや、俺は別に迷惑などしてないが」
「いやいやそんなことはない。
食事とは万人が享受すべき、至福の時間であるからね。
その雰囲気自体を台無しにしてしまったわけだし、私がそれを保障するのは当然のことだ。
ほら、これで八つ橋でも買うといい」
金髪の男は強引に一枚、お札を英人に握らせる。
そしてそのままさらに近づき、英人に軽くハグをした。
「いや金は……」
ある意味欧米人らしいふるまいだが、英人にとっては鬱陶しい事この上ない。
そっと引きはがそうとすると、
「……人の好意は、素直に受け取っておくべきだぞ? 元『英雄』よ」
「……!」
その一言に、英人は思わず目を見開く。
そして今度は英人の方が金髪の男を捉えようとするが、そう思った瞬間にはもう英人の体を離れていた。
「ははは!
私の名はリチャード・L・ワシントン!
近いうちにまた会おう! それではさらばだ!」
そして大きく笑いながら、蕎麦屋を去っていく。
英人はその姿にやや圧倒されながらも渡されたお札を見、
「……なんで、ドルなんだよ」
溜息と共にその100ドル札を再び握りしめた。
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