幕間 横浜市のおかしな人々③『公私は分ける』
「すっげー! 髪真っ赤!」
「エ、えーと……オ、お知り合いですか? 八坂さん」
「いや、まあそうと言えばそうなんだが……」
カトリーヌからの質問に、英人はやや苦し紛れに首をひねった。
互いが互いを知っているという点では確かに「知り合い」ではあるが、別に友人でも仲間でもないので素直に頷きづらいのもまた事実。
一応、クロキア事件の際は一時的に協力こそしてもらいはしたが……。
英人がうーんと唸っていると、フェルノは悪戯っぽくクスリと笑う。
「まあ、彼とは言わばギブアンドテイクという仲さ。
彼のやることは為すことは大概、私の好物となり得るからね」
「コウ物……?」
カトリーヌは首を傾げ、その言葉の意味を考える。
しかし最初の「好みの匂い」という発言を思い出し、その白い顔は見る見るうちに赤く染まった。
「マ、マサか……!」
「違う違う……おい」
英人が横目で軽く睨むとフェルノは小さく息を吐き、
「分かってる分かってる。
ほらそこの奥さん、大丈夫だよ。私と彼は別に男女の仲じゃあない。
決して君たちの幸せな夫婦生活を壊そうとか考えてないから、どうか安心してくれ」
「エッ……夫婦?」
「だからそれも違うわ」
「あれ、そうなのかい?
てっきりそうかと」
フェルノは首を傾げるが、その仕草も何だかわざとらしい。
恐らく当たってようが外れてようががどちらでもよく、ただ英人をからかいたいだけなのだろう。
「それに……あまり『あっち』に関わることは言うな」
英人は番台へと近づき、囁くように小声で話す。
一応、カトリーヌと冴里は異世界とは無関係の人間である以上、英人の過去等それ関連の話題は正直好ましくない。
「フ……分かってるよ。
『世界の黙認』とやらがあるといっても、言わないに越したことはないからな。私も面倒は勘弁だ」
「ったく……」
英人は溜息を一つ吐き、カトリーヌたちの方へと向き直る。
「ア、あの……」
「まあ見ての通り、こいつは何というか……人をおちょくるのが好きな奴だ。
確かに知り合いではあるけど、奴のの言うようにいたってドライな関係だよ。
会うのも久しぶりだし」
「ソ、そうですか……」
「お、友達じゃないのか!?
ってことは……」
冴里はトコトコと番台まで近づき、よいしょと乗り出す。
「ん……おい貴公、なんだこの子は」
フェルノは思わず戸惑いの声を上げるが、この犬以上に元気な5歳児はまるでお構いなし。
さらに顔をぐいっと寄せ、
「友達いないのか!? 赤髪のねーちゃん!」
とんでもないことを言ってのけた。
一瞬、場は凍り付いたように白ける。
「…………は?」
どれほどの時間が経っただろうか。
しばらくしてからフェルノが漏らした一音は、呆れとも怒りともつかぬ感情のものであったのは無理もないだろう。
そしてそれを皮切りに、今度は押し殺したような笑い声が響いてくる。
「はっははは……確かにお前、こっちじゃまともに知り合いもいないか!
ほとんど偶然でこっちに来たんだもんな」
「……貴公」
フェルノはジト目で英人を睨みつけるが、それを遮るように冴里がまくしたてる。
「だから私が代わりに友達になってやるよ!
私の名前は冴里! 宜しくな!」
「は、はあ……?」
そのあまりの強引さに、さしもの『サラマンダー』と言えど困惑するばかり。
満面の笑みで握手を求める冴里の手を見、どうしたものかと眉をひそめて悩んだ時。
デッキブラシの柄が、突如としてその赤い頭を叩いた。
「痛っ……!
いきなり何をするんだい、
「そりゃこっちの台詞だよ!
受付もせずに、何サボってんだい! 居候の自覚がないんか!」
そう語気を荒げ、白髪の老婆がさらにポコポコとフェルノの頭を叩きだす。
マスクに三角巾、ゴム手袋をしている所から見ると、どうやら掃除の途中であったらしい。
「痛っ痛っ!
別にいいだろう、食費は掛かってないんだし!」
「だからってサボりは許せるかい!」
「ア、あの……。
どうか、もうそれくらいで……」
さすがにフェルノが不憫に思えてきたのか、カトリーヌが間に入ろうとする。
すると老婆は先程の剣幕からは打って変わり、
「……ああ!
すみませんねぇ。お見苦しい所を。
とりあえずは……大人二人で、宜しいですか?
あ、小学生以下はタダだからその子は大丈夫だよ」
笑顔でこちらに向き直った。
英人とカトリーヌとしては、その光景にただただ唖然とするしかない。
「全く……そんなに叩かなくてもいいじゃないか、湯浅殿」
「あん?」
フェルノの言葉に老婆は再び怒りの眼差しを向ける。
「はいはい。ちゃんとやりますよ……じゃあ、合計で900円ね」
さすがの彼女もこれ以上デッキブラシで叩かれるのは嫌なのか、不満げな顔を浮かべつつも受付を再開した。
「お、おう……」
英人はその空気に流されるまま財布から千円札を差し出し、お釣りの百円玉を受け取る。
「ごゆっくり、おくつろぎください」
「ごゆっくりー」
そしてどことなく釈然としない気持ちのまま、男湯の暖簾をくぐるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ふぅ……」
湯船に肩まで使った瞬間、そんな声が腹の底から溢れ出す。
現在時刻は午後の4時近く。
3時開店だったため流石に一番風呂とまではいかなかったが、周囲に利用客は殆どおらずほぼ貸し切り状態。
それに日もまだ沈まぬ内から大浴場を使えるというのは、普段は夜に入浴する身としては中々に贅沢な心地だった。
(しかし、こんな所で奴に会うとはな……)
浴槽の壁に寄り掛かりつつ、英人は天井を見上げる。
彼女は好物である戦火を求めてこの世界まで来てしまった『魔族』の一人。
弱体化してるといえど人間など軽く超越した力を持っていることに疑いはなかったが、普段はどこで生活をしているのか少し気になってはいた。
だがまさか、それが近所の銭湯であろうとは。
(『異世界』が絡んでいるというのに、なんつー世間の狭い……)
もう一つ、英人はふぅと息を吐いた。
「すげー! でっけー風呂!」
「ソンナにはしゃぐと、危ないですよ!」
壁を隔てた向こう側では、カトリーヌと冴里の掛け合いが聞こえてくる。
冴里を相手しながらではカトリーヌも中々体を休めづらいであろうが、英人にはどうしようもない。
「冴吏ちゃーん、ちゃんとカトリーヌの言う事は聞いとけよー!
ケガするからなー!」
「はーい!」
出来ることと言えば、こうして壁越しに声を変掛けるくらいだ。
とはいえ効果はあったようで、冴里もはしゃぐのを止め浴場内には水音だけの静寂が訪れた。
(……思えば、ここまでゆっくりしたのは久しぶりかもな……)
ふと、自身がこの世界に戻ってからの日常を振り返る。
剣と魔法の世界から戻ってきて出会ったのは、『異能』という新たな非日常。
当然英人が無関係でいられる筈はなく、これまで様々な事件に巻き込まれ、そして時には自分から首を突っ込んできた。
「色んなことが、あったよなぁ……」
最初は細々とした『異能者』の犯罪から始まったが、今では『異世界』関連の存在が絡む事件まで対応するようになっている。
特に大学二年生になってからの事件の規模と頻度は、もはや異常であると言っていい。
(どうも『異世界』で戦争を経験した所為からか、心の中でこっちが平和だと決めつけてしまってたな。
よく考えたら、決してそんなことはないはずなのに)
英人は湯の中で足を組みなおす。
『異能』関連の事件の増加に、『異世界』からの来訪者。
さらには有馬 ユウの存在。
表向きは平和であるが、解決すべき課題は山積みだ。
正直頭が痛くなる思いだが、一方でこの世界に生きる人々にも思いを馳せる。
まずは隣の浴場にいる、カトリーヌと冴里。
身の回りで言えば家族にお隣の白川家の人たち、都築家や義堂、それに楓乃。
大学関連ではファン研の皆に瑛里華、加えて柊 和香と新藤 幹也がいる。
『異世界』関連まで広げればヒムニスやフェルノだってそうだ。
そして今日も、新たな人たちと出会った。
それはふとしたきっかけからだったから、ひょっとしたら自身のことなど特に気にも留めてないのかもしれない。
(……でも俺は、その出会いを決して忘れたりはしない)
英人は湯の中で拳を軽く握る。
「……よし、出るか」
そして勢いよく立ち上がり、湯船を後にした。
………………
…………
……
「ほら」
脱衣所を出ると、番台の方から何かが飛んできた。
「おっと」
英人が右手でそれを掴むと、その手の平からじんわりとした冷たさが伝わってくる。
手元を見てみると、それはキンキンに冷えたコーヒー牛乳だった。
「それ、湯浅殿から。
さっき見苦しいものを見せたお詫びだってさ」
「そうか。
じゃ、お言葉に甘えて」
英人はロビーにある革製のソファに座り、瓶の蓋を開ける。
そしてぐぃっと一気にコーヒー牛乳を喉に流し込んだ。
渇いた体に、強烈な甘さと冷たさが、染みる。
「ふぅ。
やっぱ風呂上がりだと、旨いな」
「だろう?
私はいわゆる人間の食事は必要ないが、それでも風呂上がりには一本やるようにしている」
フェルノは番台に頬杖をつき、ニコリと微笑む。
「そういや、ここに居候してるって言ってたよな。
さっきの湯浅さんっていうばあちゃんが、ここの店主?」
「ああ。名前は
ここの二代目らしいね」
「二代目……まあ確かに、ここかなり年季入ってるもんな。
いまどき煙突ある銭湯は少ないし」
「ここ、昔ながらの薪で沸かしてるしね。
火が主食の私としては、割と都合のいい場所なのさ。
……湯浅殿は口うるさいけど」
そう言ってフェルノは不満そうに目を逸らす。
先程の掛け合いからも見ても分かるように、日常的に相当ドヤされているのだろう。
元が『異世界』出身の令嬢なのだから、仕事に慣れなくても仕方ないのかもしれないが。
そんなことを思いつつ、英人は空き瓶を瓶ケースへと捨てる。
「まあでも、意外と馴染めてるじゃないか。
どうよ、こっちの世界での暮らしは?」
「んー、そうだな……」
フェルノは番台に伏し、遠くを見つめる。
本能からの行動だったとはいえ、やはりかつての故郷に思う所はそれなりにあったらしい。
「確かにここは魔素も薄いし、いささか退屈な感じは否めないけれど――」
そのまま言葉を続けようとした時、入り口の戸がガラリと開く。
入ってきたのは、おそらくは地元の住人であろう高齢者の集団だった。
「おーフェルノちゃん、今日もやってるねぇ!」
「また湯浅の婆さんに叩かれたりしてないかい?」
「まあ、そこまで悪くはないと思ってるよ。
……はーい、今日もいらっしゃーい!」
そしてフェルノは背を伸ばし、ニコリを笑って番台の仕事へと戻る。
「……そいつは、結構」
対する英人は小さく微笑み、カトリーヌたちが来るまでその様子をずっと見つめていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『下田の湯』を出、マンションへと帰る頃には、辺りはもう暗くなり始めていた。
「いやー、良い風呂だったな!」
「デスネ!」
マンションの廊下では、綺麗な体となった冴里がウキウキとはしゃぎながら歩いている。
「たまにはこういうのもいいな。
いつもはシャワーで済ませちまってるし」
「イツモは、シャワーだけなんですか?」
「ああ。水道代とガス代がかかるし、何より色々面倒だからな」
「ソレなら、また行きませんか?
コノような感じで、一緒に」
カトリーヌはフフっと英人に微笑みかける。
「……それもいいかもな」
「ハイ!」
カトリーヌは嬉しそうに頷くと、とある部屋の前で立ち止まる。
部屋番号は403。表札には、ローマ字で「Nagatsu」と書いてある。
「そういや、もう帰ってきてるんだっけ?」
「ハイ、先に夕飯のご準備をしていると連絡が」
「腹減ったー!」
確かに、扉からは微かにいい匂いが漂ってくる。
そのスパイスの特徴的な匂いから察するに、今日の献立はカレーなのだろう。
英人は早速、玄関の呼び鈴を押した。
「はーい」
そして数秒後、扉が開いて一人の女性が顔を出す。
それは、僅かに紫がかった髪が特徴的な、30代半ばほどの女性だった。
おっとりとした表情は一児の母らしく母性に富んでおり、その美貌は鼻を横切る傷が恨めしく思える程だ。
英人たちの姿を認めると、女性はぱあっと表情を明るくさせた。
「あら、八坂さんにカトリーヌさん。
今日は娘の面倒を見てもらって、本当にありがとう。
それにお風呂まで連れて行ってもらったみたいで……本当に、ごめんなさいね」
「いえいえ。
俺、今日ヒマでしたし。な?」
「ハイ、楽しかったです」
「私もスゲー楽しかったぞー!」
冴里は駆け寄って女性の腰に抱き着く。
「もうこの娘ったら……二人に迷惑かけてないでしょうね?」
「うーん、分かんない!
だから二人とも、ありがとう!」
冴里はブンブンと頭を振って礼を言う。
その様子に二人は顔を見合わせて笑い、
「ああ、どういたしまして」
「ワタシも、どういたしまして」
「良かったわね、冴里。
そうだ、二人共ご飯まだでしょう? せっかくだし家で食べていって。
ほら今日のお礼だと思って、ね?」
女性は微笑み、その手で二人を促す。
英人とカトリーヌは再び視線を交わし合い、
「じゃあ、お願いします――
笑顔で頷いて長津家へとお邪魔したのだった。
………………………………………………………………
10月某日
警視庁異能課にて
「長津さん。
こちら、この前の事件の報告書です。確認を」
「ん、ああ。
ご苦労さん……そういや義堂、お前いくつだっけ?」
「? 28歳ですが、それが何か?」
「いや、知り合いにそれくらいの年代の男がいてさ。
ちょくちょく世話になってるんだけど……もうすぐ誕生日らしいんだよ。
何か、いいのないかねぇ?」
「さ、さぁ……。
やはりそこは、個人の好みがあるでしょうから」
「そうだよねぇ……あ、そろそろ上との会議あるからちょっと席外すな」
「え、ええ」
「つーわけでそれじゃ。
お前ら―、私がいないからといってサボるなよー」
バタン!
「……なあ水野」
「なーに義堂さん」
「長津さんって、誰かにプレゼントを渡すような人だったのか?」
「義堂さん。
それ、チョー失礼」
~幕間 横浜市のおかしな人々・完~
【お知らせ】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
これにて幕間と第四部は完結です!
いただいた星、フォロー、ハート等はとても励みになっております!
本当にありがとうございます!
そして次回からは、第五部がスタートします!
その舞台は……西の都、京都!
土曜日はお休みして4/22(水)よりスタート致しますので、乞うご期待!
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