幕間 横浜市のおかしな人々②『このキャラ、覚えてますか?』

「いや失敬失敬。驚かせてしまったようですな。

 つい、いつもの癖が出てしまいまして。申し訳ない」


「は、はぁ……」


 ほっほっほっと笑う老人を前に、英人は気の抜けた言葉を返す。

 あれから数分ほどが経ち、英人は老人を連れて公園のベンチに並んで座っていた。


 視線を上げると、公園の中央ではカトリーヌと冴里が元気にボール遊びしている光景が目に入る。

 そしてさらには、老人からもらったであろう『横濱かもめ』を笑顔で頬張る子供たちの姿も。


「おっと、自己紹介が遅れてしまいましたな。

 私はこういうものです」


「『根岸製菓株式会社 会長  根岸ネギシ 文章フミアキ』……あの、根岸製菓の」


 名刺を片手に、英人は驚きの声を漏らす。

 根岸製菓といえば、横浜市は当然として全国的にもそれなりに名のしれた地元企業だ。主力商品である銘菓『横濱かもめ』は横浜みやげとしては某シューマイ弁当に並ぶ程の知名度を誇り、定番の一つと言っていい。

 加えて、ここは美智子のクラスメートである根岸 唯香の実家でもあった筈だ。


 しかしそこの会長ともあろう人間がどうしてこんな所に、と英人が聞こうとすると、それを察したように文章が口を開く。


「いやあ、さっきのはちょっとした趣味みたいなものでしてな。

 元から散歩好きではあったのですが、昔のちょっとしたきっかけでね。

 それから時折、こうやって外を歩いてはわが社のお菓子を配って回っているのですよ」


「そうですか……あ、俺は八坂 英人って言います。

 先程は失礼しました」


 英人は深く頭を下げる。


「いやいや、どうか頭を上げて下さい。悪いのはいきなり近づいた私の方なのですから。

 このご時勢、保護者の方から見れば警戒くらいはされて当然でしょう。

 実際、私も危うく警察沙汰になりかけたことが多々ありましたからな……ほっほっほっ」


「そ、そうなんですか。

 しかしそんなことがあったというのに、よく続けられますね?」


「ま、その辺りは根気の問題ですな。

 むしろ警察官を呆れさせてからが本番、というわけです」


 一体どれだけ警察沙汰になりかけたんだ、と英人は頬をヒクつかせるが口には出さない。


「ちなみに、会社の方たちは賛同してるんですか?」


「そこは『地元への広報活動』とでも言いくるめてありますから、心配御無用。

 もう小難しいことは息子……社長以下に任せてますし、爺はこうしてひたすらお菓子を配り続けるだけですな」


 文章はニコリと笑い、その立派な白髭を撫でる。

 そして『横濱かもめ』を美味しそうに食べる子供たちを眺めつつ、ぼそりと零すように呟いた。


「……いやあ、いいものですな」


「え?」


「お菓子を食べる子供たちが、ですよ」


「ええ……そうですね」


 英人は視線を上げ、文章と同じ景色を見る。

 お菓子の優しい甘さに顔をほころばせる子供たち……確かに、微笑ましい光景だ。


「やはり、いいですなぁ……!」


 もし右に座る老人の笑顔がニヤニヤしたものになっていなければ、だが。お陰で不審者にしか見えない。

 というより、並んでしまったこの状態だと英人まで不審者っぽく見えてしまう。


「おっと、つい顔がにやけてしまいましたな。お見苦しいものをお見せした。

 子供たちの、それも笑顔をみてしまうとつい癖で出てしまいまして。

 いやあ、これで警察や保護者の方々には何度誤解されたことか……んほっほっほぉ!」


 文章は口元を押さえつつ弁明するが、今度は笑い声が気持ち悪い。

 悪い人物ではなさそうなのだが、何度も警察沙汰になりかけた理由を英人は何となく理解できた気がした。


「……そうですか」


 念のため、文章に気付かれない程度に距離を空ける。

 特に意味があるかは分からないが、一応念のためだ。


「まあ私の笑顔はひとまず置いといて……ええと、八坂さんでしたかな?」


「はい」


 英人が頷くと、文章はベンチに置いた紙袋から『横濱かもめ』を一つ取り出し、英人に向かって差し出した。


「おひとつ、どうですかな?」


「え、いいんですか?」


「もちろん」


 今度は普通の、優しい笑顔で頷く。

 英人は勧められるがまま『横濱かもめ』を受け取り、封を切って口へと運んだ。


 それは羽を広げたカモメの形をした、栗あん入りのお饅頭。

 お菓子としてはいたってオーソドックスなものであるが、やはり長らく地元の銘菓として支持されているだけあって、その品質は高い。

 しっとりとした程よい甘さが、心地よい舌触りと共に口の中へと広がる。

 英人にとっても、それは幼いころから慣れ親しんだ味であった。


「……どうですかな?」


「いつも通り、美味しいです。とっても」


『横濱かもめ』をゆっくりと咀嚼しつつ、英人は小さく微笑む。


「良かった……やはり、いいものでしょう? お菓子とは」


「え?」


「食べれば自然と笑顔になる。今の貴方のように」


「あ……確かに、そうですね」


 英人は自身の頬をさすり、僅かに表情がほころんでいることを確認する。

 公園の子供たちを含めれば、文章の言う通り『横濱かもめ』は食べる人全員を笑顔にしていた。


「これは、弊社の従業員にも常々言っていることですが……お菓子というものには人を笑顔にする不思議な力がある、と私は思ってます。

 少々洒落た言い方をすればお菓子の持つ魔法、ですかな?」


「魔法……」


『横濱かもめ』の包み紙を丸めつつ、英人は横目で文章を見上げた。


 もちろん比喩的な表現として「魔法」と言っているのは分かっている。

 だが自身が実際に魔法を使うこともあって、英人にとってはどことなくその言葉が新鮮に響いた。


「ええ、そうです。

 たとえどんなに心が沈んでいても、ひと口食べればふと笑顔がこぼれる……少なくとも私は、お菓子の持つそんな魔法を信じているわけです」


「じいちゃーん!

 さっきのお菓子、もう一個くれ!」


 文章がほっほっほっと笑っていると、冴里がカトリーヌの手を引いて駆け寄って来た。


「ん? お代わりですかな?」


「いんや! カトリーヌさんの分!

 さっきお願いするの忘れてたし、頼む!」


「イヤ冴里ちゃん、私は大丈夫ですから……」


 カトリーヌは戸惑いの表情を見せるが、冴里は構うことなくその小さな手の平を差し出す。

 それを見た文章は白髭をひと撫でし、『横濱かもめ』を二つ、その上に乗せた。


「ん? いっこ多いぞ!?」


「ほっほっほ。もうひとつはサービスです。

 心やさしいお嬢さんへのね」


「そうか! サンキューじいちゃん!」


「ア、ありがとうございます……!」


 カトリーヌは一礼し、冴里と一緒に『横濱かもめ』を頬張る。


「うめーな!」


「ハイ!」


 そして顔を見合わせ、二人は同時に笑顔になった。


「うんうん。

 この笑顔になる瞬間、たまりませんなぁ……んほっほっほぉ!」


「根岸会長、笑い声笑い声」


 文章は咳ばらいをし、表情を戻す。


「おっと失敬。気を抜いたらまた出てしまいました。

 さて、ここの子供たちにはあらかた配り終えましたし、私もそろそろ行くとしましょうかな」


「もう行くんですか?」


「ええ。まだまだこの街には、お菓子を待っている子供たちが沢山いますからな。

 爺だからと言って、休んでばかりもいられません」

 

 文章はそう言って杖を支えに、よっと立ち上がる。

 そしてくるりと英人たちへと向き直り、小さく礼をした。


「それではお嬢さんたちに、八坂さん。さようなら。

 またいずれこの横浜で会いましょう」


「じゃーな!」


「ハ、はい! さようなら!」


「はい、またいずれ」


 三者三様の返事に再びニッコリと微笑み、文章はゆっくりと歩き出す。

 そのまま公園を去っていく……と、思われたが。


「……おおそこのボク! お菓子食べるかい!? 

 わが社の自信作だよ! んほっほっほぉ!」


「な、何ですかアナタ!?」


 新しく公園に入って来た親子連れに、気持ち悪い笑顔で突っ込んでいった。

 英人は一瞬それを白けた目で見たが、


「……よし冴里ちゃん、今度は俺と一緒に遊ぶか?」


「おおマジか! うれしーぞ!」


 すぐに冴里の手を引き、砂場へと向かったのだった。



 その数分後、呆れ顔の警察官がやってきたのは言うまでもない。








 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇








 そしてそれから二時間ほど経ち、午後二時を回った頃。


「いやー遊んだな!」


「ああ、そうだな」


「フフッ、ですね」


 そろそろ切り上げ時と三人は公園を出、マンションへと帰路についていた。


 午後の日差しに照らされた住宅街の道路を、三人はまるで親子のように横並びで歩く。

 今回の主役である冴里もたくさん遊んでもらえて満足したようで、二人の間で手を繋ぎながらウキウキとスキップしていた。


「デモ……みんな、汚れてしまいましたね」


「ああ……まあこいつはしょうがないさ」


 英人はシャツの裾を持ち上げ、苦笑する。

 カトリーヌの言う通り、グレーの布地は土埃によって薄っすらと茶色に汚れていた。彼女の着ているカーディガンとスキニージーンズも同様だ。

 そして冴里に関してはまさに土だらけ。いちおう二人とも注意はしたのだが、彼女の有り余る元気はそれを大いに上回ってしまった。


 どうしたものか、と英人が思った時、カトリーヌが思い出したように口を開く。


「……ソウ言えば、確かこの近くにセントウ? があるそうですよ!」


「銭湯か……そういやあったな。

 確かこの方向に煙突が……あった」


 英人が顔を上げ右へと向くと、ちょうど数百メートルほど先の所に古ぼけた煙突が見える。

 直接は行ったことはなかったが、その辺りにかなり歴史の古い銭湯があること自体は英人も知っていた。

 その先から微かに煙が出ている様子から見るに、もう営業を始めているのかもしれない。


「セッカクですし、ここで体を洗います?」


「おーいいな! せんとう!」


「んーでも、お母さんの方は大丈夫かな?」


「チョット、聞いてみます……」


 カトリーヌはスマホを取り出し、冴里の母親に連絡を取る。

 そして数分後。


「ダイ丈夫みたいです!」


「よっしゃー!」


 カトリーヌからの報告に、冴里は喜びで飛び跳ねる。

 こうして英人たちは、銭湯に向かうことに決まった。



 ………………


 …………


 ……




「ここ、か……」


「デスネ」


 煙突を目印に目的地へとたどり着いた英人たちは、その建物を見上げた。

下田̪シモダの湯』と書かれた木製の看板に、築数十年はあろうかという佇まい。そして極めつけはシンボルとも言える古びた煙突。

 ひと目見ただけで、老舗と分かる銭湯だった。


 とはいえけっこう掃除や手入れは行き届いているらしく、古さは感じても汚さは感じない。

 どことなくレトロな雰囲気が魅力的な建物とも言えた。


「さて、早速入るか……。

 それじゃカトリーヌ、冴里ちゃんのこと頼んだ」


「ハイ!」


「じゃな!」


 三人は下駄箱で靴を脱ぎ、銭湯へと入る。

 おそらくこの構造ナラバ、浴場の入り口に番台と呼ばれる受付があるはずだ。

 だが、そこには。


「ん? これは珍しい。道理で私好みの匂いがすると思った。

 久しぶりだな……元『英雄』よ」


 昭和チックな内装とは似ても似つかない、燃えるような赤髪をした美女が座っていた。

 英人は思わず、声を震わす。


「な、お前……!」


「しかも家族連れとは……ほう。

 貴公、いつの間に再婚したんだ?」


 その女の名は、フェルノ=レ―ヴァンティア。

 『異世界』出身の魔族『サラマンダー』の令嬢であり、そして好物である戦火を求めてこの世界まで来てしまった、無類の物好きでもあった。


 

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