幕間 横浜市のおかしな人々①『お菓子好きかい?』
「うーん……ん、もう10時か」
とあるマンションの一室で、八坂 英人はスマホ片手にベッドから起き上がる。
本日は10月最後の土曜日。
本来であれば休日とはいえもう少し早く起きるはずなのだが、昨夜は飲んでいたこともあって、やや遅い起床となってしまった。
休みの時間を無駄にしたことに多少の罪悪感を覚えつつ、英人はいつもの朝支度へと入る。
まずは洗顔と歯磨きでもしようかとベッドから足を放りだした時。
「あいた」
ベッドの脇に寝っ転がっていた何かを、思わず踏んずけてしまった。
英人は寝ぼけ眼を細めつつ、自身の足元を見る。視線の先に横たわっていたのは、神器『
「ん?」
「ちょーう、痛いじゃないのさ!
あんまり乱暴に扱うと契約解除するぞコノヤロー」
「……なんだ、ミヅハか」
「なんだとは何だァ!
これでもワタクシ、『神器』なんすけど!?」
ミヅハはバッと足を払いのけるように起き上がり、抗議の視線を英人に送る。
いつも通り寸前までぐうたらと寝ていたのだろうか、またもやドレスの肩紐がずり落ちてる様はかなりだらしない印象を受ける。
端から見れば彼女は精霊などと言う幻想的な存在というよりも、ただの二日酔いでウザ絡みする迷惑女にしか見えないだろう。
「だったら『神器』らしく、剣の姿のまま大人しくしてろっていつも言ってるだろ。
そこそこ広い部屋だけど、いちおうここ一人暮らし用の1Kだからな?」
英人は頭をボリボリと掻きつつ、ミヅハの傍を横切って洗面所へとのしのし歩く。
このように勝手に現界するのは『異世界』でもままあったが、この世界においてはクロキア事件の際に召喚して以来から時々やるようになった。
それまでは亀のように剣の中に閉じこもっていたことを考えると、単純にこの世界を食わず嫌いしていただけなのだろうと英人は睨んでいる。
「別にいーじゃん。
ほら、一人分の家賃で二人暮らせてお得感出るし?」
「俺は一人分の家賃払ってその半分しか部屋を使えてないことに、文句を言ってるんだが。
ほら、そこの『
英人は部屋の隅に立てかけてある西洋剣を指さす。
それはかつて伊勢崎村にてヒュドラを倒した『聖剣』であり、先代の『英雄』が使っていた代物だ。
ミヅハが言うにはこいつもまた『神器』と同様に意思を持っているようだが、今のところは何も語る様子はない。
「え-やだー。だってこいついくら突いてもウンともスンとも言わんし。絶対狸寝入りしてるわコイツ。
こんな失礼で面白みのない奴、あたしゃ伝説の武器として認めんからな!」
「はいはいそうかい」
やたらと突っかかってくるミヅハとの会話を適当に切り上げ、英人は右手で蛇口をひねる。そして蛇口から勢いよく流れる水を手ですくい、顔に打ち付けた。やはり10月も末となると水温もやや下がり、朝の目覚めにはちょうど良い。
洗顔を終えて顔を上げると、そこには濡れた自身の姿が鏡に映った。
それはいつもの見慣れた自身の顔で、肩から先がない左腕も普段通り。
「あいよ、腕」
その様子を見てか、ミヅハは丸テーブルの上に置かれていた義手を放り投げた。
英人はそれをノールックで受け取り、
「おう」
そのままガチャリと左腕にはめる。
そして今日もまた、八坂 英人の新しい一日が始まりを告げるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「今日は、どうすっかな……」
テレビのチャンネルを適当にいじりつつ、ぼそりと呟く。
現在時刻は午前10時43分。
既に軽い朝食は取り終え、英人は何をするでもなくベッドを背もたれにテレビの画面をボーっと眺めていた。
因みにミヅハはあれから一向に剣に戻る様子はなく、好物の水ようかんをスプーンでちびちびと食べている。
「……お、こいつ契約者の後輩じゃね?
ほら、桜木とかいう」
「ん? ああそうだな」
顎でテレビ画面を指し示すミヅハに、英人は小さく頷く。
彼女の言う通り午前の情報番組には、英人の高校時代の後輩である桜木 楓乃(芸名は水無月 楓乃)がゲストで出演していた。
基本女優業が忙しくバラエティに出ることはあまり無いが、おそらくは何らかの宣伝で出演してることは容易に想像がつく。そしてその予想を裏付けるように、司会が楓乃主演の映画のことについて言及し始めた。
『いやー水無月さん。
次の映画、あの大ヒットドラマの続編なんですって?』
『ええ。
【
『おお!
ということはあの比留間 寝子の活躍がスクリーンでも見れるというわけですね』
『はい。
劇場版では京都を舞台に、寝子の今まで見られることのなかった一面を見ることができると思います。それこそ過去の因縁だったり、恋愛だったりと』
楓乃は柔らかく微笑む。
クールビューティーな魅力が女優・水無月 楓乃の最大のセールスポイントではあるが、時折見せるこういった表情もまた世の男を虜にする要因のひとつだろう。
『おおー! これは期待大、ですねぇ。
比留間 寝子と言えば、夢の中でトリックや犯人を暴くという特殊な能力が特徴ですけど、水無月さん自身は最近は何か面白い夢とか見られました?』
その質問に楓乃は人差し指と中指で頬を押さえ、
『そうですね……最近だと高校時代に戻った夢、ですかね?』
『ほう、高校時代!
そう言えば高校時代の水無月さんって、どんな感じだったんですか? やっぱり滅茶苦茶モテたでしょう?』
『いやいや全然ですよ。当時の私は本当に地味でしたから。
ずっと図書室にこもってましたし、そのせいで同学年に友達もほとんどいませんでしたから』
『うへぇー本当!?
俺だったら絶対告るな! 絶対!』
司会はややオーバーに驚いたリアクションをする。
このようなアイドルや女優の「友達いないアピール」はおそらく見慣れているのだろう。しかし彼女の場合、紛れもない事実であることは英人が間近で見てきている。
『ふふ、ありがとうございます。
まあとにかく、そんな感じの灰色な高校生活でしたかね』
『いやーその学校の男ども皆見る目ないわぁ!
逆に水無月さん自身は、何か好みのタイプとかあったの?』
『好み、ですか?』
『そうそう!』
司会の言葉に追随するように、スタジオ内の出演者がうんうんと頷く。
日本トップクラスの美貌を持つ女優のタイプ、世の大半の男共が知りたいと思うだろう。
ある意味では日本中がその回答を固唾を飲んで見守る中、楓乃はしばしうーんと考え、
『……勝手にいなくならない人、ですかね』
カメラ目線でそう答えた。
「……言われてんぞ、契約者よ」
「俺の場合は不可抗力だろうが」
バツの悪い表情で、英人はチャンネルを変える。
なんだか、このまま見続けていてもいいことが起きる気がしなかった。
そしてリモコン片手に再びチャンネルを回していくが、土曜日の午前中にやってる番組はどれも情報系かゆるーい旅番組ばかり。
「……暇だな」
ミヅハが思わず漏らした一言に、英人は無言で肯定するしかなかった。
しかし暇と言っても現状大学からの課題等はなく、別に試験が近いわけでもないので勉強する必要性も薄い。それに都築家への家庭教師もない以上、完全に今日は何もない日となってしまった。
ここまで来たら、もういっそこのままダラダラ過ごすというのも、ある意味で大学生らしいと言えばらしいかもしれない。
しかしやはり少しもったいないな、と英人がぼんやりと思った時。
――ピィーン……ポォーン
と、やや間の抜けた呼び鈴が鳴った。
「宅配?
いや、この音は部屋の方か……」
そう呟きつつ、英人は立ち上がって玄関へと進む。
これがマンション入り口のものであったのなら宅配業者だと簡単に推測できるのだが、今回は玄関の呼び鈴。つまりはマンション内部の人間からだ。
(まさか、大家とかじゃないだろうな)
どことなく嫌な予感を感じつつも、英人はドアノブを回してドアを開ける。
「――ア! 八坂さん、おはようございます!」
するとそこにはファン研の仲間であり、そしてこのマンションに住むご近所さん、カトリーヌ=フレイベルガが立っていた。
「……お、おはよう」
元気そうに挨拶をするその様子を前に、英人はきょとんとした表情を見せる。
学部もサークルも同じということもあって、彼女とは一緒に通学する仲だが、基本はマンションの前で待ち合わせ。休日にこうして直接部屋まで尋ねてくることはそう多くはなかった筈だ。
英人がやや驚いていると、今度は足元から声が聞こえてくる。
「おはよーさん!」
「ん、冴里ちゃんも?」
「おうよ!」
満面の笑顔を浮かべながら、冴里と呼ばれる少女はやや癖のある返事で答えた。
冴里は同じマンションに住む5歳の女の子で、英人とはこの子の母親も含め時おり立ち話したり遊んだりする仲だ。見ての通り人懐こい性格なので、英人に限らず多くの住人が冴里と知り合いであると言っていいだろう。
「おう……もしかして、また急な仕事が入ったって?」
「ハイ。午後3時くらいまで面倒を見て欲しいと。
出来れば八坂さんの方にもお願いしたいって言ってました」
カトリーヌは申し訳なさそうに、そう告げる。
というのも冴里の家はシングルマザーの家庭であり、その母親も警察関係者。なので急な仕事が入ってしまうことが時々あり、中にはこうしてマンションの住人に娘の世話を頼むこともあったのだ。
最近はカトリーヌとも仲良くしていたようであったし、その流れで今回は依頼されたのだろう。
「とゆーわけだから、一緒に遊ぶぞ!」
カトリーヌと手を繋ぎながら、冴里はぴょんぴょんと飛び跳ねる。
特に予定のない英人としては、断る理由はない。英人は小さく頷き、
「分かった。
んじゃ少し準備するから、待っててくれ」
「ハイ!」
「やったー!」
こうして本日の英人の予定は決まったのであった。
………………
…………
……
「よっしゃついたー!」
目的地へと着いた瞬間、冴里は大いにはしゃいで歓喜する。
英人とカトリーヌは後ろからピッタリと付いてきながらも、その様子にやや圧倒されていた。
「いつもながら、元気だなこの子……母親の方はあんなおっとりしてるのに」
「デ、デスね……」
三人が今いるのは、マンションから徒歩で数分ほどの公園。
本人たっての希望、そして母親からの許可もあって連れて来たわけであるが、道中からもうテンションがすごい。おそらく久しぶりに散歩する大型犬とて、ここまでではないかもしれない。
「ほらー! 二人ともはやくはやく!」
「はいはい」
冴里に手招きされるがまま、英人たちは公園へと入る。
やはり土曜の昼間だからか、家族連れを中心に人はそれなりに多い。
迷子にならないように気を付けなきゃな、と英人が思った時。
「……もし、そこのお嬢さん」
立派な白髭をたくわえた、スーツ姿の老人が杖を片手に冴里に向かって歩み寄って来た。
「お? なんだじーちゃん!」
どことなく怪しげな風貌の人物であるが、冴里は特に臆することなく無邪気な笑顔で返答する。
ある意味大物であるが、保護者代理としては放ってはおけない。
万が一があってはならないと英人が間に割って入ろうとすると、老人は手に持った紙袋からカモメの形をしたお菓子を取り出す。
「ほほ、元気ですな……これ、私の所で作っているものなんだが、よかったら食べるかい?」
そしてにっこりと優しい笑顔で冴里に語りかける。
その手にあるお菓子は、横浜市民なら誰もが知る地元の銘菓、『横濱かもめ』であった。
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