輝きを求めて㉘『プレゼント・フォー・ユー』

『あ、光が……。

 どうやらいよいよみたいですよ、先輩』


『ああ、だな……で、本当にここで良いのかよ?

 仮初とはいえ、一応は世界が終わる瞬間だぞ?』


『別にいいじゃないですか。

 変に気取った場所より、勝手知ったる図書準備室の方が私達らしいでしょ?』


『ん……ま、確かにそうか』


『だから大人しく、此処で待ってましょ……あ、そう言えば』


『ん?』


『今日って、何の日か覚えてます?』


『今日って……10月29日が?』


『ええ』


『何の日って……別に、ハロウィン会だろ? 他になんかあるか?

 あーそれともあれか? ハロウィンそのものってことか?』


『違いますよ……はぁ、よくそれで完全記憶能力とか言えますね。

 いいですか、今日は――』






 ――――――



 ――――



 ――






「…………ん。んん……っ」



 10月18日、午前6時34分。都内某所、とあるタワーマンションの一室。


 日本を代表する女優、水無月楓乃こと桜木楓乃は朝日を横顔に、ベッドからゆっくりと体を起こした。

 寝ぼけ眼をさすりキョロキョロと周囲を見回すと、そこにあるのは見慣れたいつもの空間。

 今日もまた、いつも通りの朝がやって来た。


「ふぅ……」


 楓乃は軽く伸びをし、その長い脚をベッドから放り出す。

 乱雑な動きでスリッパに履き替えると、すぐさま毎朝のルーティーンへと入った。


 まずは手と顔を洗い、軽くスキンケア。

 そのまま軽いストレッチを終えてから、朝食の準備へと入る。といっても、今日はどうにも自炊する気力が起きない。

 なので楓乃は冷蔵庫からヨーグルトとバナナを取り出し、ダラダラと自室のテーブルまで向かう。

 そして椅子に腰掛け、ヨーグルトを口に運び始めた。


 室内には、もそもそと小さな咀嚼音だけが響く。

 無駄に大きなテレビはあるが、自身が女優として売れるに従って点ける機会は殆どなくなっていった。今では無用の長物だ。


 ふと、楓乃は視線を僅かに横へとずらす。

 そこに置かれてるのは、一冊の台本。収録予定の邦画のもので、しかも自身が主演のためセリフも多く、昨夜も黙々と読み込んでいたものだ。

 楓乃はスプーンを咥えつつ、おもむろにそれを手に取った。


「栞……」


 パラパラとページをめくり、その細い指先で目当ての物を取り出す。

 それは吸い込まれるような藍色をした、本革製の栞だった。


「ふふ……」


 楓乃はは小さく微笑み、その表面をそっと撫でる。

 そう。これは高校時代、とある陰気で勝手に行方不明になってしまうような先輩からのレゼント。

 貰ったのは、11年前の10月29日――つまりは『ハロウィン会』の時だった。


「まさか、私の方が貰っちゃうなんてね」


 その日は本来であれば、楓乃がプレゼントを渡す側の筈だった。

 なので事前に希望を聞いてみたのだが……その際の当人はどうも勉強に夢中だったらしく、話半分に聞いてしまっていたらしい。

 そのせいか彼の中では「自分へのプレゼントの相談」ではなく「楓乃へのプレゼントの相談」へと勝手に変換されてしまったようで……何故か楓乃が貰う羽目になってしまった。


(ビックリしたなぁ、あの時は)


 当時を思い返し、楓乃はクスリと吹き出す。


 渡そうと思っていた相手からの、まさかの逆プレゼント。

 さすがに受け取れないと楓乃も最初は断ったが、結局は押し付けれるように手渡されてしまった。以来、こうしてずっと読書と仕事のお供としてこの栞を愛用し続けている。


(それに今思えば、これが最大のヒントでもあった……。

 私がこの栞を使い始めたのは10月29日からだから、それを10月20日時点の浅野先輩が知っているというのは矛盾してる。

 多分あの人も、11年前の記憶はおぼろげだったんだろうな)


 楓乃は栞を、そっとテーブルの上に置いた。

 おそらくは清治たち3年生が卒業する際に使っていたからこそ、清治も勘違いしたのだろう。

 だからこそ、本来であればあり得ない時期にこの栞の存在について言及してしまった。

 運動も勉強も出来る完璧超人がそのような初歩のミスを犯してしまったのは、11年来の片思いのなせる業か。


「ま、片思いに関しては私も人のこと言えないけどね……」


 楓乃は溜息をつきつつ、スマホのSNSのアプリを起動して登録された連絡先を親指でスクロールしていく。もちろん、目指すは「ヤ行」にいるあの先輩。


「ん、あった」


 その名を見つけ、楓乃の頬が僅かに緩む。


「10月29日……11年ぶりの誕生日プレゼントは何がいいかな、八坂先輩?」


 そして早速、英人に向けてメッセージを打ち始めたのであった。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 それと時を前後して。



「ん、つ……ぅ」


 小さい呻き声を漏らしながら、一人の男性が病室のベッドから身を起こした。


「ここ……病院?」


 ベッドサイドに置かれていた眼鏡を掛けつつ、男性は周囲を見回す。


 白いシーツに、白いカーテン。微かに鼻腔をくすぐる消毒液の臭いを鑑みても、ここが病院であると判断するのにそう時間は掛からなかった。

 だがそれに気付いた瞬間、背中からは鈍い痛みが襲ってくる。


「つつ……痛てて……」


 思わず右手を背に回すと、そこには仰々しいまでの治療の跡が指に触れる。

 どうやら、いつの間にかかなりの重傷を負ってしまったらしい。

 なので逆側からも確認してみようと左腕を動かそうとした時、ようやくその手が誰かに握られていることに気付いた。


「あざみ、さん……」


 視線を向けると、そこには手を握りしめたままベッドに寄りかかり、静かに寝息を立てている女性がひとり。

 彼女こそがその男性――仲木戸智弘にとっての最愛の人であり、伴侶であった。


「ん、んぅ……智弘、くん?」


 智弘が起きたことに気付いたのか、あざみもつられるようにして目を覚ます。


「ああ、おはよう」


「おはよう……って、意識戻った!?

 怪我は大丈夫!? もう痛くない!?」


「いや、痛いことは痛いよ、うん。

 でも、大丈夫……どうやら、心配かけたみたいだね」


「良かった……」


 智弘の言葉に、あざみはほっと胸を撫でおろす。

 充血した瞳と目元の隈を見るに、夜を徹して智弘の傍にいたのだろう。その際の彼女の心労は計り知れない。

 だから智弘は少しでも彼女を安心させるために優しく微笑み続けた。


「……そう言えば、日向ヒナタは?」


「日向なら、お母さんの所に預けてあるよ。

 あの子もすごく心配してたから、智くんが起きたと知ったらすごく喜ぶと思う」


「そうか……うん」


 智弘は小さく頷きつつ、あざみの手を握る。


「智くん?」


「いや、あざみさんがこうして手を握ってくれたお陰で、無事帰ってこれたんだなって。

 なんか……寝ている間、変な夢を見ていたからさ。まるで過去に戻ったような」


「私も、同じ夢を見てたかも。

 本当にリアルな……高校の時の」


「あざみさんも?」


 二人は驚いたように目を見合わせる。


「ははは……。

 手繋いだまま寝てたから、かな?」


「かもしれないね。

 でも……うん、懐かしかった。久しぶりにあざみさんの制服姿が見れたし」


「もう……」


 あざみは苦笑しつつ、高校時代のことを思い返す。


 あの頃は同じグループに居た清治のことが好きで、智弘についてはいちクラスメートとしか思っていなかった。

 でも今、そんな彼と結婚し愛し合うようになっている。


「ねぇ智くん。もし――」


 私たちが大学で再会しなかったら、どうなってたと思う?――ふとそんな問いが、口から漏れそうになった。


「ん?」


「いや、何でもない」


 だがあざみはそれを口に出すことはせず、首を横に振る。

 何故なら、それは無意味な仮定だと悟ったからだ。


(だって貴方はたとえどんな時でも、そしてどんな相手だろうと、私のことを命懸けて守ってくれる)


 脳裏に微かに浮かぶ未来の夫の雄姿に微笑み、あざみはそっと口を開く。


「ね、智くん」


「何だい?」


「愛してる」


 唐突な告白に、智弘はきょとんする。

 しかしすぐに優しい笑顔に戻り、


「僕も、愛してるよ」


 同じ言葉を最愛の人へと返した。








 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






「く、そ……ッ!」


 ビルの隙間を、一人の男が早歩きで進んでいた。


 その男の名は杉田 廉次。昨夜未明に人をひとり刺したばかりの、まさに生まれたての犯罪者であった。

 彼は道端で目を覚ました後、路地裏を当てもなく歩いている。


「何でこの俺が……あああっ!」


 廉次は突然、傍にあったポリバケツを思い切り蹴飛ばした。

 中からは大小のポリ袋が散乱し、腐臭ともつかぬすえた臭いが廉次の鼻をつく。


「ああああ”っ!」


 ビルの隙間に、まるで獣の咆哮のような叫び声が木霊する。

 彼がここまで怒りを露わにするのは、偏に自身の虚栄心が傷つけられた為。


「くそっ、俺は『人狼ワーウルフ』だぞ!? 人を超えたんだぞ!?

 なのにあんな、八坂や仲木戸程度の奴等にいぃ……っ!」


 クソ、と廉次はビルの壁を蹴った。


「これも有馬の野郎が、土壇場でフケやがったからだ……!

 くそお! 有馬ぁ! さっさと出てこぉい!」

 

 大声でその名を呼び続けるが、当然、返事をする者は誰もいない。

 廉次は再び、壁を蹴った。


「……クソッ!

 これから、どうするか……」


 怒りに表情を歪めつつも、廉次は冷静に次の一手を模索し始める。


 頼みの綱となる有馬がいない以上、自分一人でやるしかない。

 幸い元の世界においても『人狼ワーウルフ』の力は健在。ならば、いくらでもやりようはある。


 廉次は僅かに、口角を上げた。


「次は……こっちの山手あたりをやるかぁ?」


 あっちの世界では広さが限定されていることもあってしくじったが、こちらはほぼ無限大。

 自身の『異能』を駆使すれば逃げるも隠れるも自由だ。

 そうだ、これでかつてのクラスメートを血祭りにあげてやろう――廉次がそうほくそ笑んだ時。


「杉田、廉次だな?」


 突如後ろから、男の声が響いた。

 廉次は慌てて振り返る。するとそこには、スーツに身を包んだ、誠実を絵に書いたような男が立っていた。


「なっ……!?」


「警視庁異能課、義堂誠一だ。

 杉田 廉次、お前を仲木戸 智弘さん殺人未遂の件で逮捕する」


「な、なんで此処が……!」


「詳しい話は既に八坂から聞いている。

 11年前のことは知らんが……この世界で、あいつの『目』から逃げられるとは思わないことだ」


 警察手帳を胸ポケットにしまい、義堂はゆっくりと廉次に向かって歩み寄る。

 その目には、絶対に逮捕するという強い意志が込められていた。


「く、くっ……!

 おおおおおっ!」


 おそらく、このまま走って逃げ切ることは不可能。

 そう悟った廉次は落ちていた鉄パイプを拾い、一か八かと義堂に飛び掛かった。


 しかし。


「遅い!」


 柔道の有段者でもある義堂に通用するはずもなく、背負い投げで一気に肩から地面へと叩きつけられる。


「が、あ……!」


「悪いが夜はとにかく、昼間のお前に負けるわけにはいかないんでな……11時43分、容疑者確保!」


 その右手に、ガチャリと手錠が掛けられた。






 ――――――



 ――――



 ――





 翠星高校の卒業生が同じ夢を見た夜から、数日が過ぎた。


 それは『異能』が絡む大事件ではあったが、所詮夢は夢。

 世の中は相も変わらず、普段通りの日常を迎えている。


 そして今日も、とある男が行きつけのバーにただ一人。


「……先に何か、頼まれますか?」


「……いや、もう少しだけ待たせてくれると。

 すみません」


「いえ。浅野さんには、よく来ていただいてますから」


 それは高級ブランドのスーツに身を包んだ、如何にもエリートサラリーマンといった風貌の男だった。

 髪型は綺麗に整えられ、靴や時計もよく手入れされている。一見すれば、誰がどう見ても仕事も出来て、稼ぎもいい超有望株に見えるだろう。


 だが今の彼はマスターが出してくれたおしぼりで手を拭きつつ、しきりに時計をチェックするばかり。

 しかも体までそわそわと震わせているその様子は、彼の身に付けている物の価値と比べてあまりにもミスマッチだった。


「……どなたか、お待ちで?」


 そんな様子を気遣ってか、マスターがカウンター越しに声を掛ける。


「ええ、まあ……」


「女性ですか?」


「いえ、男ですよ」


「ほお」


 マスターは意外そうに声を漏らす。

 長くこの仕事をやってきた経験から言って、その男――浅野 清治の動揺はほぼ間違いなく恋愛絡みのものだと予想していたからだ。


「今日、久しぶりに会う約束をしてるんですけどね。

 なんか、緊張しちゃって……」


「久しぶり……かつての同級生ですか?」


「ええ」


「で、その方が中々来ないと」


「まあ、そもそもがそんなきっちりとした約束じゃあなかったんで……」


 清治は再び、おしぼりで手を拭う。


「来ない可能性もある、と?」


「まあ可能性としてはありますけど……でも不思議と、来るとは確信してるんです」


「それは何故?」


 マスターは首を傾げる。


「なんというか……俺自身、彼のことあまり知ってるわけじゃないですけど、何故かそう思えるんです。

 たとえあやふやな約束でも、きっちり守ってくれそうというか……」


「信じてるんですね、その人のこと」


「ええ、ですから――」


 その時、カランと店の入り口が開く音がした。

 そして同時に一人の男が、店の中へと入ってくる。


 それはまるで学生のような恰好をした、推定アラサーの陰気な男。

 正直な所この店には若干不釣り合いな男であったが、清治はゆっくりと椅子を返してその姿を正面から見る。



「11年ぶりだな、八坂」



 そして爽やかな笑顔で、彼を出迎えた。






                    ~輝きを求めて編・完~





【お知らせ】

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

これにて『輝きを求めて』編は完結です! 

いただいた星、フォロー、ハート等はとても励みになっております!

本当にありがとうございます!


そして次回ですが、幕間ということで日常編を2~3話かけてやる予定です。

タイトルは『横浜市のおかしな人たち』、乞うご期待!

                


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