輝きを求めて㉖『やりがいのある仕事です!』

 時間は僅かに巻き戻り、廉次が塀を飛び越えた直後のこと。


「逃げたか……ま、想定通りだな」


 その逃亡劇を遠目から確認し、英人は小さく溜息を吐いた。

 そして投石器を振り回す手を止め、力なくぶらりと垂れ下げる。


「おい、いいのか。

 そのまま逃がしたりして……?」


「問題ないさ。

 塀から出ても、すぐに校門まで戻ってくることは既に検証済み。

 いくら奴でも、怪我をしてるなら猶更そうするだろうさ」


「そう、なのか……?」


「そうなのも何も、お前の『異能』だろうが。

 まあ『異能者』本人ですら、その効果や発動条件を完全に把握してないケースは結構あるが……そのことは今はいい。

 とりあえず浅野、悪いが俺を校門辺りまで運んでくれ」


「あ、ああ……」


 少し戸惑いながらも清治は頷き、ゆっくりと英人の体を引く。


 多少意識は回復してることもあって重さは大分マシになったが、それでも英人の歩みは弱々しい。

 清治が傍目で見ていても、そのダメージと疲労の深刻さが十分に分かった。


「な、なあ」


「ん?」


「さっき、あの……『人狼ワーウルフ』? が逃げる時、投石をしなかったよな?

 やっぱりそれが出来ない位、体力が限界だということか?」


「ああ、そのことか」


 英人はフッと笑い、右手に握っていた投石器を見せる。

 だがそこに、レンガの欠片は入っていなかった。


「あの右手への一撃で、打ち止めさ。

 わざとらしく振り回してたのはブラフだよ」


「……!」


 清治は唖然とも驚きともつかぬ表情を浮かべる。


「なんだよ?」


「い、いや別に……ただ敵わないな、と思っただけさ。

 こんな非常時、しかも左腕まで失ったのというのに、よくそんなギャンブルが出来るよ」


「確かにギャンブルだが、やっとくに越したことはないしな。

 こちとら見ての通り、満身創痍だ。やれることは限られてくる。

 でもだからこそ、そいつを全力でやる以外にないのさ」


 そう言葉を続けつつも英人は歯を食いしばり、小さく一歩踏み出す。

 それはおそらく、少しでも早く校門まで行くためだろう。


 八坂 英人という男はその言葉の通り、正に今この状況であっても全力を振り絞ろうとしていた。


(やれることを全力で、か……)


 それはシンプルかつもっともらしい言葉。しかし、だからこそ実践するのとは凄まじく難しい。

 というのも基本的に人間という生物は、よほど環境なりコンディションなりが整っていないと簡単には全力など出せないのだ。

 そもそも出そうとしても、途中で妥協なり怠惰なりに阻まれてしまう場合が多いだろう。


 しかしそれでも、この目の前の男は全力で戦っている。

 何十倍もの身体能力を持つ相手に、左腕すら失いながら。


 清治は思わず歯噛みし、下を向く。


(もし、俺が今の八坂と同じ立場だったとして……ここまで出来るか、俺に?)


 ――いや。絶対に出来ない。


 だが問題提起が終わるより前に、当たり前の結論が心の中で提示された。

 自身のこととは言え、あまりの諦めの早さに清治は自嘲するように小さく呟く。


「だから、彼女も……」


「ん?」


「いや、何でもない」


 微かに笑みを浮かべつつ、清治は首を左右に振る。


 そう、今の自分に出来ることは少ない。ほとんどないと言い切ってもいいだろう。

 自分には英人のように生身で『人狼ワーウルフ』に立ち向けっていけるような勇気と機転はないし、楓乃のような強力な力もない。

 出来ることと言えばこうやって英人を抱えて歩くこと、ただそれだけだ。


 学校でも職場でも、これよりずっと難しくそして衆目を集めるような仕事はいくつもこなして来た。

 だが、これほどまでにやりがいや意義を感じたことは、今まであっただろうか?


 清治は、僅かに顔を上げる。


「……で、八坂。

 わざわざ校門で待ち構えるというのも、やっぱりハッタリの類かい?」


「まあな。

 俺らと桜木で左右を挟むようにして立つ。

 そうすれば奴の注意も分散するし、逃げ道も限定される。

 あくまでトドメは桜木で、俺らはボーっと突っ立てるだけだが」


「もし彼がこちらに襲い掛かってきたら?」


「その時は楓乃が後ろから、って感じだな。

 まあ相手の方が速いし、間に合わない可能性も十分あるが……そん時はそん時だ」


「……自分で言っといてなんだけど、本当にハッタリなんだね」


 清治は呆れ顔で英人に振り向く。


「しょうがねーだろ、こっちにゃもう戦う術がないんだし。

 それに、いくら『異能』があるといったって、後輩一人にやらせるわけにはいかんだろうが」


「はは。確かにそうだ」


「……今更だが、お前だけでも避難していいんだぞ?」


 英人は前を向いたまま、独り言のように呟く。

 それは彼にとって、当然の提案だったろう。


「いや、行くよ。一緒に」


 だが清治はまたも首を横に振り、抱える腕に力を入れなおした。


「……そうか」


「ああ、そうだ」


 そして再び、歩き始める。

 その視線は英人と同じく、ただ前を向いていた。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 横浜市立翠星高校の校門付近では、季節外れの猛吹雪が舞っていた。


「――これで、終いよ」


 それを氷扇片手に操るは、『ダイアモンド・ダスト』こと桜木 楓乃。

 彼女が氷扇をひと仰ぎする度に風と雪は勢いを増し、まるで竜巻のように廉次の体を覆う。


「う、ぐ……!」


 その勢いと寒さの中では、口どころか目すらまともに開けることができない。

 末端から、廉次の四肢は徐々に凍り付いていく。


 そして猛吹雪が晴れる頃には、廉次の体は頭だけを残し、その全てが氷漬けとなっていた。


「ま、こんな感じかしら」


 その様をまるで完成品を目にした彫刻家のように楓乃は満足そうに眺める。

 因みに頭だけ凍らせなかったのは、窒息による死を防ぐため。


「く、くそ……!

 離せ、離しやがれ! まだ俺は」


「五月蠅い」


「がっ!」


 それに加え尋問でもしようかと思っていたのだが、廉次の往生際の悪さに苛立って頭を思い切り踏んづけて気絶させてしまった。

 やはり今の彼女はアメコミ有数のドSキャラである。


「ん、ご苦労さん。

 しかし想像以上だな、お前の力。まさかここまでとは思わなかった」


「当たり前でしょう? 私を誰だと思ってるの」


「はいはい氷の女帝サマ、だろ?」


「少し口調が気に入らないけど……まあそういうことね。

 で――」


 楓乃は氷扇をパタパタと仰ぎつつ、校庭を見回す。

 そこにはこちらの様子を戸惑いの目で見つめている、全校生徒の姿があった。


「あれ、どうするの?」


「ああ、あれね。

 どうすっかな……」


 英人は右手で頭を掻く。

 当面の危機が去ったのはいいが、死闘の最中ではその後の対処までを考える余裕はなかった。

 後はこの空間から脱出するだけなので別に放っておいてもいいのだが、それはそれでやり辛いのもまた事実。

 どうしたものか――そう英人が悩んだ時、清治がおもむろに口を開いた。


「……なあ、二人共。

 ここは俺に任せてくれないだろうか?」


「ん、アナタが? 顔だけ男」


「ああ。元はと言えば俺の所為でもあるわけだから。

 それに――」


 清治は体の横で、拳を軽く握り直す。

 そして決意を込めたような表情で、その顔を上げた。


「なんとなく、この世界について分かってきたんだ。

 確かにさっきまでは自覚はなかったけど、今ならちゃんとした実感がある。

 だからこそ、ここは俺にやらせてほしいんだ」


「浅野、お前……」


「自分にやれることを全力で……俺もそれをやってみるよ。八坂。

 それに……おそらくそのこと自体が、この世界からの脱出にも繋がると思うんだ」


 二人を安心させるように、清治は小さく笑う。


 この空間自体が清治の『異能』であるとはいえ、この状況を綺麗に対処をするというのはやはり難しい。

 しかしそれでも彼は「任せろ」と言った。


 そんな清治の決意を見、英人は僅かに押し黙る。

 そして数秒の後、


「分かった。任せる」


 その意志を尊重するように、深く頷いた。


「ああ、任された。

 それじゃ、早速行こうか。桜木さんもいいかな?」


「……ハァ、まあ了解したわ。

 でもそんな大口叩いといて、もししくじったら承知しないから」


「て、手厳しいな……」


 『D・D』こと楓乃の冷めた言葉に苦笑しつつも、清治は再び英人を肩に抱えて歩き出す。


 向かう先は、本校舎入り口のちょうど前あたり。つい先程まで『青春の叫び』で使っていた朝礼台だ。

 なので必然的に三人は全校生徒が集まる校庭のド真ん中を突っ切る形となる。


「悪いけど、ちょっと道を開けてくれるかな?」


 しかし、そこはやはり学校一の人気者。

 ただその一言を発しただけで、生徒の群れはまるでモーセのように真っ二つに割れていく。


 その中を清治は悠々と歩き、司会席へと英人たちを座らせ自身は朝礼台の上へと立つ。

 そして静かに、マイクを取った。


「――まずは皆さん、お騒がせしてしまって大変申し訳ない。

 当イベントを取り仕切るものとして、深くお詫びする」


 その第一声は、謝意の表明。

 ある意味彼らしいと言えば彼らしい出だしではあったが、生徒たちは一様に怪訝な顔を浮かべる。

 一連の騒動を見れば誰だって清治に責任がないことくらい分かるからだ。


 だが清治はその様子を受け止めながらも、淡々と言葉を続ける。


「また今起きた騒動について、皆も色々聞きたいことがあると思う。当然のことだ。

 そして俺には、それを説明する義務がある。

 そう、俺こそが――」

 

 そして口からマイクを離し、一息。


「この『11年前の翠星高校』という世界を創った、張本人だ」


 清治はその事実を、全校生徒に向かって放った。

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