輝きを求めて㉕『ちょっと遅かったんちゃう?』
――どうして、こうなった!?
おびただしいまでの冷汗が、『
目の前には、氷雪を纏いながら一歩一歩間合いを詰めてくる楓乃の姿。
そしてその遥か後ろでは、逃がさぬとばかりに英人が投石器を振り回してこちらを狙っている。
最早それは『
(俺は、人を超えた力を手に入れた。
そうだ、そのはずだ……!)
『
人の何倍も発達した大腿に、肉を容易く切り裂くほどの強度と鋭さを兼ね備えた爪。そしてその瞳は暗闇でも物の動きをつぶさに捉え、嗅覚は僅かな残り香すらも判別する。
そう『
なのに、今の自分の有様は何だ。
『異能』はあれども、身体能力はただの高校生でしかない英人に何度も退けられ、爪まで吹き飛ばされた。
そして今度は英人よりも身体能力の低い後輩に鼻を潰され、さらには突如発現した『異能』によって力では完全に上を行かれてしまった。
(どっちも、ただの人間だろ……!?
何でそんな奴らに……!)
廉次は心の中で悪態をつくが、無論それで現実は好転することはない。
迫りくる絶望を前に、思わず廉次は半歩後ろへと下がった。
「さ、いい加減観念なさい。駄犬。
死に際くらいは、不細工でいたくはないでしょう?」
「グ、ク…………有馬ァアアッ! 俺ノ体ヲ治セエェッ!」
廉次は顔を上げ、ありったけの力を以て吠える。
夜の静けさもあって、その声は学校全体によく響いた。
「ソレトチカラダ! モットチカラヲ寄越セ!
此処ニイル奴等全員ヲブッ殺セルヨウナ、チカラヲ!」
それはまるで、地獄に垂れた蜘蛛の糸を掴むような必死の叫び。
しかしその悲痛の懇願に、応える者は誰ひとりとしていなかった。
「オイ、有馬ァッ!
テメェ見テルンダロ!? ダッタラ早ク返事ヲシロオォッ!」
「……良く分からないけどアナタ、捨てられたようね?
まあ最初から拾われていたかどうかすら微妙だけど……もういいかしら?」
「グ、クウウゥ……ッ!」
絶望と悔しさに、廉次は表情を歪める。
最早敗北は必至。有馬の助力も望めない以上、反撃も出来ない。
彼に残されていた選択肢は、ただ一つしかなかった。
「クソッ……!」
廉次は体を180度反転させ、全力で走りだす。
(このまま一旦外まで出れば、自動的に日付は変わる!
時刻が日中になっちまうのだけはマズいが、『
「逃がすか!」
当然、その後ろからは楓乃が氷柱を雨のように降り注がせる。
廉次は右から左へとジグザグに跳んで一本でも多く躱そうと試みるが、やはりそこは死角からの攻撃、その全てを躱すことは能わなかった。
「グッ……!」
脚に背中に、氷柱が次々と突き刺さる。
『
(あと、もう少し……!)
だが、それもあと僅かの辛抱。
ようやくある程度の距離まで塀に近づいた廉次は、最後の力を脚部に込める。
そしてそのまま、思い切り跳び上がった。
「オオオオッ!」
毛皮に包まれた巨体が、夜の風を切る。
高さよりも距離に重点を置いたその跳躍は、容易に廉次の体を敷地の外へと運ぶ。
「ちっ……、速い……!」
そして後ろからは、舌打ちする楓乃の声が風に乗って聞こえてきた。
いくら強力な『異能』を持っていたとしても、彼女の肉体はただの人間。
時速100キロ近い速度を瞬間的に出せる『
「ヤ、ヤッタ……っ!
ソウダ、最初カラコウシテリャ良カッタンダ……ハハハハハ!」
そして廉次の体は、そのまま夜の住宅地へと飛び込んだ。
――――――
――――
――
杉田 廉次が翠星高校に入ってから3年。
結局彼にとって、高校生活はあまりパッとしないままで終わってしまった。
不良キャラのお陰である程度の発言力こそあったが、それはあくまで「ある程度」止まり。
そもそも進学校という環境、しかもそのトップカーストが清治のような人当たりのよい完璧超人であれば、不良というブランドそのものに限界があったのだ。
しかし廉次は今更それを捨てる勇気も持てず、少ない取り巻きと共にずるずると高校生活を過ごしてしまった。
当然勉学の方は疎かになり、成績は右肩下がり。大学受験も失敗した。
この瞬間、彼は何者でもなくなってしまったのだ。
一年浪人するという選択肢ももちろんあったが、やめた。
同級生が華のキャンパスライフを送っている横で家に閉じこもって惨めに受験勉強するなど、彼のプライドが許さなかった。
じゃあ次は何をするかと考えた時に思いついたのが、バンド活動。
廉次自身、音楽はそれなりに好きだったし、ギターを触った経験もある。
それにこれでひと山当てることが出来れば、人生は一気に逆転出来る。そういう安易な思い付きでその夢に食いついた。
だがそんな一時の思い付き以上の才能も努力も情熱も、廉次にはなかった。
そして、それから10年。
今はただズルズルとコンビニバイトで生活費を稼ぎ、場末のライブハウスでギターを奏でる日々。
同時期に活動し始めた仲間もとっくにメジャーデビューするか引退するかしており、気付けば周りは自分よりも年下ばかり。
同年代の中で廉次ただ一人だけが、どちらの道にも進めずに燻り続けていた。
このままではマズい、という危機感はある。
だが、これから何をどうすればいい?――そんな問いが頭に浮かぶ度に、現実逃避のようにギターに手を伸ばす。
清治のような優等生にも、そして完全な不良にもなり切ることができない。
そして、そんな時だった。
廉次がその光景を目にしたのは。
「あれは……仲木戸? それに、山手も……?」
それは、かつてのクラスメートが仲睦まじく歩いている姿だった。
真ん中には2、3歳だろうか、子供らしき人影も見える。
そして何より、二人の薬指には銀色の指輪が光っているのがはっきりと分かった。
「は、あ……?」
予想だにしなかった光景に、廉次は開いた口が塞がらなかった。
一人は高校時代さんざん見下し、イジメてきた男。
そしてもう一人は学年のマドンナ的存在で、廉次自身も密かに狙っていた女。
そんな二人が結婚して、しかも子供まで作っている。
「う、う……!」
その残酷な事実を突きつけられた瞬間、猛烈な吐き気が廉次を襲った。
そしておびただしい量の劣等感と嫉妬心が、猛烈な勢いで胸から吹き出してきたのだ。
別に、彼女が清治と結婚しているのはいい。
しかしそれが何故、智弘なのか。
(あいつは高校時代、俺より下だった……! そうだ、その筈だろ……!
なのに何で……!)
その幸せそうな様子を見れば見るほど、今の自分が惨めになっていく。
(俺はどこで……どこで間違えた!?
そうじゃなきゃ、仲木戸如きが……!)
廉次は口元を押さえ、その場から逃げるように駆け出した。
そして、それから一ヶ月後。
「はぁ、はあぁ……っ!」
血がベッタリと付いた包丁を片手に、廉次は地面を見下ろす。
そこでは、智弘が背中から血を流している。
廉次はたった今、仕事から帰宅中の智弘を待ち伏せて刺した所だった。
「は、は……!」
乾いた笑いが、口から洩れる。
この一ヶ月、廉次はずっと智弘とあざみの身辺調査に没頭していた。
現在の職場に大まかな住所、生活パターン、そして何故二人が結婚したか。かつてのクラスメートを伝ってそれら全てを調べ上げた。
それによると、どうやら智弘は廉次と同じく大学受験に失敗したらしい。
そして一浪の後、清治とあざみがいる二橋大学へと入学した。
また、元々あざみは清治のことが好きだったが、大学入学直後あたりに告白してキレイにフラれたようだ。
だがその後大学で智弘と再会し、同じ出身校ということで二人は仲を深めていった。そしてそのまま付き合い始め、25歳の時にめでたくゴールインしたという。
「へ、へへ……ざまぁ、見やがれ……!
お前は、俺より下なんだよ……!」
震える口調で、廉次は智弘に向かって吐き捨てる。
そう、一カ月ものあいだ周到に準備してきたのはこの時の為。
身を焦がすような劣等感を払拭するには、こうするしかなかった。
今更何を後悔するものか。
「はは、ははははははは!」
そう自分に言い聞かせるように、廉次は大声で笑った。
「――へぇ、やるじゃん」
「!?」
だが不意に後ろから聞こえた声に、廉次は振り返る。
「おいおい物騒だなぁ。いきなりそんなもの向けないでおくれよ。
まあでもその顔、初めて人を刺した感がすごく出てていいんじゃない?」
それは、中肉中背に黒髪の、いたって普通の少年だった。
「だ、誰だ!」
「お、自己紹介がまだだったね。
僕の名前は有馬 ユウ。君にお節介を焼こうとしてる男さ」
有馬と名乗る少年はさも普通のように、返り血にまみれた廉次へと語りける。
この状況で普通でいられる――それ自体が異常ではあったのだが、不思議と廉次はその少年から目が離せない。
「お節介、だと?」
「ああ。
杉田 廉次君。君、もう一度高校生活をやり直してみたくはないかい?」
そしてその口から出たのは、あまりにも馬鹿げた提案だった。
――――――
――――
――
「ここ、は……?」
校門から一歩入った場所で、『人間』に戻った廉次は立ち尽くす。
『
しかし、廉次はすぐに異変に気付いた。
「夜……!?
それに、傷が……!」
空は暗く、月が昇っている。
そして自身の体を眺めると、右手の指がない。それに背中と脚に、何本かの氷柱が刺さっている。
これじゃあまるで――
「ここを出てからおよそ7分、か。
怪我してるとはいえ、ちょっと遅かったんじゃないか?」
「まあ、愚図らしくはあるわよね?」
「なっ!?」
突如左右から響いた声に、廉次は驚愕する。
交互に首を振ると、右には英人、そして左には楓乃がまるで廉次を迎え入れるように立っていた。
「な、何故……!?」
「『高校の敷地内からでた肉体は、高校時代の人格によってコントロールされる』――こいつはこの世界のルールだ。
つまり怪我をした高校生のお前は、何らかの対処をするため必ず学校へと戻ってくる。それが分かってたからこそ、俺たちはここで待っていたのさ」
清治に肩を借りながら、英人はフッと笑う。
それは、英人が以前検証したこの空間におけるルール。
そしてそれがあったからこそ、『
高校時代の自分が、置いてきた荷物を取りに戻って行かないように。
「く、くぅ……っ!
クソがぁぁあッ!」
廉次はもう一度、『
だが、もはや何もかもが遅い。
「凍りなさい、その腐った脳髄ごと」
絶対零度の言葉が、左の耳を刺す。
そして次の瞬間。
廉次の体は『人間』のまま、猛吹雪の中へと飲み込まれていった。
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