輝きを求めて㉓『私に出来ること』

――なんで、立ち向かって行けるんだ。


清治はただ、廊下の陰から唖然とするしかなかった。


桜木 楓乃が襲われる現場に居合わせたのは偶然。

本当なら自分も、楓乃を助ける為に飛び出そうとした。

しかし、足がすくんでしまってそれは出来なかった。


情けない話だが、少しでも考えてみればそれは至極当然のことだ。

あんな化物に立ち向かっていって、ただの人間が勝てるはずがない。確実にただの犬死だ。


(でも、それでも八坂は……!)


だがあの男は彼女を救い、しかも平然とその化物に立ち向かっている。

それも先程まではと違い、ただの丸腰。しかも至近距離でだ。


怖くはないのか?

自分と同じように足はすくまないのか?


「なあ八坂、お前は――」


思わず、その疑問が口から漏れ出る。

だがその問いに答えてくれる者は、誰もいない。


清治はただ、後ろからその様子を伺うことしか出来なかった。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「八坂アァ……!」


怒りに声を震わせ、『人狼ワーウルフ』こと廉次はじりじりと間合いを詰める。


(さて、『人狼ワーウルフ』相手に啖呵を切ってみたはいいものの……)


それに対し、英人は静かに構えたまま全く動こうとしない。

というより、出来なかった。


(体が重い、な)


体中の筋肉、そして骨が口をそろえて「もう限界だ」と悲鳴を上げていたのだ。

人狼ワーウルフ』との戦闘を開始してからまだそこまで時間は経過していない筈だが、それでもただの高校生の肉体にとっては限界以上の疲労と緊張。

英人としても、「攻め」よりも「受け」へと行動をシフトするよりなかった。


「オオオオォッ!」


当然、それを気遣う相手ではない。

人狼ワーウルフ』は間合いに入った瞬間、その長く鋭い爪を振り上げる。

それはなんの技術や心得もないような力任せの単調な攻撃ではあったが、単純であるが故に常人にとっては脅威。


直接避けるのは不可能と見た英人は倒れ込むようにして間合いを詰め、


「らぁっ!」


懐に抱き着くようにしてその凶刃から何とか逃れた。


「チィッ! 離レロッ!」


「それは出来ない相談っ……!」


さらに英人は『人狼ワーウルフ』の脇下に腕を潜り込ませ、さらに可動範囲を狭める。

端から見ればそれはボクシングのクリンチの様であり、現状時間稼ぎ以外のなにものでもない行動ではあったが、今の英人にはそれが精一杯だった。


「グゥッ……!」


「桜木! 今のうちに逃げろ!

 出来れば校舎の外に!」


「で、でも……!」


「いいからさっさとしろ!」


楓乃の迷いを、英人の怒声が上から叩く。

おそらく、そう長い間もたせられないということなのだろう。その声色には余裕がない。


しかし楓乃が逃げる決意を固める暇もないまま、『人狼ワーウルフ』は次なる行動に移った。


「サセルカァッ!」


「ぐっ!?」


「先輩!」


それは、ただただ単純な力技。

人狼ワーウルフ』は両腕で英人の胴体を抱きしめるように掴み、そのまま上へと引っこ抜くように放り投げた。


70キロ弱程あるはずの体が、まるで重力が反転したかのように宙を舞う。

そしてそのまま、英人の肉体は天井へと勢いよく激突した。


「つぅ……!」


肺を逆流した空気が、英人の口から漏れる。

常人ならすぐさま気を失いかねない程の苦痛であったが、英人はどうにか耐えた。

しかしそれでも甚大なダメージである事には違いなく、そのまま力なく床へと墜落する。


「先輩!」


「つ、う……っ!

 やっぱ何だかんだ言って『魔族』なだけはある、か……」


「グウウウゥゥッ……!」


ふらつきながらもと立ち上がる英人の前へ、『人狼ワーウルフ』は唸り声を上げながら立ちはだかる。

そして胸倉を掴み、左手一本で英人の体を軽々と持ち上げた。


「ぐっ……!」


「オオオオォッ!」


そのまま今度は振りかぶり、思い切り床面へと叩きつける。


「が……っ!」


「先輩!」


そのままめり込んでしまいそうな程の勢いで床に激突する英人の肉体。

みしり、と体が軋む嫌な音と楓乃の悲鳴が同時に廊下へと響き渡った。


端から見ればそれは最早意識どころか命まで持っていかれそうなダメージ。

だが、それでも英人はすぐさま立ち上がる。


「……シブトイナ、テメェ。

 マダ立テルノカ」


「当たり前だろ、こんな所で気なんぞ失ってられるか。まだまだ退かんよ。

 俺をどうこうしたいってんなら、もう噛み殺すしかねぇぞ……!

 その言葉と牙は飾りか、あぁ!?」


「甞メルナアッ!」


人狼ワーウルフ』は英人の挑発に乗る形で大きな顎を開き、飛び掛かる。


(……ここだ!)


しかし、それこそが英人が待ち望んでいた瞬間。

ここぞとばかりにその左拳を『人狼ワーウルフ』の口に向けて伸ばす。


「おおお……っ!」


人狼ワーウルフ』が必要以上に顎を大きく広げていたこともあり、その拳は面白いように牙を通り抜け、口内へと入りこんだ。

そして、舌の上を滑る形でするすると喉奥まで到達する。


「ガ、ア……!」


「まだまだ……!」


突然襲う息苦しさに『人狼ワーウルフ』は苦悶の声を漏らすが、英人はなおも腕を伸ばすことを止めない。

そして、拳の先端が食道まで到達しかけた時。


「グウッ!」


「先輩! 手が……」


人狼ワーウルフ』はその左腕に思い切り牙を突き立てた。


「グゥゥッ! グフッ!」


英人の左腕と喉の隙間から辛うじて呼吸とりつつ、『人狼ワーウルフ』は何度もその肉を噛みなおす。

同時にその顎からは、おびただしい量の血が溢れ出した。無論、その全てが英人のもの。


「ちょうどいい、そのまま俺の血で溺れろ!」


「!? ガッ、ゴポッ!」


しかし英人はそれを『人狼』の喉奥へと流し込ませ、逆にそれを利用する。

次第に『人狼』の呼吸には、血の泡が混じるようになっていった。


「ゴッ、グッ……グウウウウウッ!」


だが『人狼』もこのままでは終わらない。

より深く牙を食い込ませ、左腕ごと噛みちぎろうと顎に思い切り力を掛けた。


肉のねじ切れる音と、骨の割れる音が響く。

もはや英人の左腕が原型を留めていないのは明白だった。


「つ……もう限界か。

 なら――」


しかし英人は取り乱すことなく、冷静に空いた右手を『人狼ワーウルフ』の顔へと近づける。


「グ……!」


「もう一つ、貰ってくぞ」


そして、その親指を左目めがけて突き刺した。


「グウウウゥゥゥゥッ!」


「うおっ!?」


窒息による苦痛と、目がつぶれたことによる強烈な痛み。

人狼ワーウルフ』は苦悶の表情を浮かべ、歯を食いしばりながら頭を振り回す。


「おおおっ!?」


そしてぶちり、という音と共に英人の左腕が噛み千切られた。

同時に遠心力によって英人の体は楓乃の前へと投げ出される。


「先輩!」


「ああ……? なんか後ろでセンパイセンパイうるせぇと思ったら、お前まだいたのか。

 くそ……早く逃げろと言っただろう」


「そんなこと言われたって……!

 もう少しで死んじゃう所だったんですよ!?  それに今だって……!」


楓乃は英人の傍らにしゃがみ、介抱しようと試みる。

しかし極度の疲労と大量の失血により青白く変色し始めていた英人の顔色を見て、楓乃は思わず言葉を失った。


「だいじょぶだいじょぶ。まだ許容範囲だ……それより、今のうちに逃げるぞ。

 多分今なら、多少は時間を稼げる」


「え?」


「ほら、見てみろ」


楓乃は振り向き、『人狼ワーウルフ』を見る。


「ガ、ガ、ア……!」


するとそこには、息苦しそうに首を掻きむしって悶える『人狼ワーウルフ』の姿があった。


「あ、あれは……」


「フ……腕食いちぎられる前に、拳に握っといたレンガ片を『再現』で戻しといた。

 さすがの『人狼ワーウルフ』も、食道や気道の強度は人間とさほど変わらんだろ……さ、行くぞ」


英人はよろりと立ち上がり、出口へと向かって歩き始める。

しかしもはや足にまともな力が入らないのか、二三歩でふらりと倒れそうになってしまった。


「あ……せ、先輩」


楓乃はそっと駆け寄り、英人の右肩を持つ。


「悪い……」


「私が、連れてきますから……!」


そして英人の右腕を肩に掛け、引きずるようにして歩き始めた。

その体は重く、溢れ出る血によって制服は汚れていくが、今の彼女にとっては思慮の外。

ただひたすら二人で生き残る為、ひたすらに歩を進める。


しかし楓乃の耳元では、英人の弱々しい息遣いが聞こえてくる。

すでに意識はほとんど失っているのだろう、体に力も感じられない。


(私が、何とかしなくちゃ……!)


楓乃が歯を食いしばっていると、前方から人影が現れた。


「桜木さん! 手伝うよ!」


「あ、浅野先輩……!?

 どうしてここに……?」


「詳しい話はいいから!」


清治は反対側から英人の体を抱え、歩き出す。


「急ごう……!」


「は、はい……!」


今度は三人で廊下を歩く。

しかし男女二人がかりと言えど、人ひとり運ぶのは相当負担であり、遅々としてその歩みは進まない。

そして、そうこうしている間に――


「グウウッ……!」


倒れていた筈の化物が、再び立ち上がった。


「う、嘘……何で……!?」


思わず振り向いてその様子を見た楓乃は絶句するが、『人狼ワーウルフ』は気にも留めずにその右手を顎へと近づける。

そしてそのまま自身の喉へと潜りこませた。


「ガ、ハ……アアアアアアァ、オオッ!」


「な、なんだ一体……!?」


「まさか、自分の手でレンガを……?」


自身の手で異物を直接取り除く――それは、窒息によって死の瀬戸際まで追い詰められたからこそ出た強引な方法だった。

当然、食道に詰まったレンガなど容易く抜ける筈もない。

その無骨な角は『人狼ワーウルフ』の粘膜を削りに削る。


「ガアアアアアアァッ! ガハァッ!」


もはやそれは筆舌に尽くしがたいほどの苦痛。

だが『人狼ワーウルフ』はそれを、大量の血を吐きながらもやってのけた。


「オオオオオオッ!」


それは命惜しさからくる火事場の馬鹿力か。それとも、英人や楓乃ひいては清治に対する怨恨からか。

だがその場にいる楓乃と清治がその原動力を知ることは叶わない。


「グゥ……グフウゥッ!」


かくして復活した『人狼ワーウルフ』は、その殺意の眼差しを三人へと向けた。


「くっ……! こうなったら俺たちだけでも逃げよう、桜木さん!」


清治は英人の体を離し、楓乃へと手をさしだす。


「でも先輩が……」


「今は一人でも多く生き延びることが先決だ!

 はら早く!」


そして清治は強引に楓乃の腕を掴もうとする。

しかし、楓乃はその腕を振り払った。


「桜木、さん……?」


「浅野先輩は、先に行ってて下さい。

 私はこのまま先輩を引きずって行きますから」


「でも……!」


「いいんです」


そして楓乃は英人の体を抱え直し、再び引きずるように歩く。

もちろんそれは、到底『人狼ワーウルフ』から逃げ切れるような速度ではなかった。


「いいわけあるか!

 こんなことしてたら確実に二人共……!」


「……お願いです。どうかもう少しだけ、この人と一緒にいさせてください。

 私、もう二度とこの人を見失いたくないんです……だって」


血で汚れた顔で、楓乃は微笑む。


「私の――好きな人ですから」


「桜木……さん」


その言葉と覚悟に、清治は呆然と立ち尽くした。


「グウウウゥ……!」


しかし、そんなことはつゆ知らずと『人狼ワーウルフ』は三人の元へと迫る。

そして逃がさぬとばかりに楓乃達の頭上を軽々と飛び越え、


「ココマデダ……!」


怒りの形相のまま三人の前へと対峙した。


彼我の距離は、もはや幾ばくもない。

逃げることの無意味さを悟った楓乃はゆっくりと英人の体を下ろす。


「やらせない……!」


そして両手を広げて『人狼ワーウルフ』の前へと立ちふさがった。


「フン……!」


それは、誰がどう見ても無意味な抵抗。

楓乃本人でさえそれは十二分に分かっていた。


(でも……こんな傷ついてまで守ってくれた先輩を、見捨ててなんて置けない!

 たとえ一秒でも二秒でも、私が先輩のことを守る!)


再び思い出されるは、英人の背中。

今の自分ではその万分の一も頼りにならないであろうが、それでも彼の役に立てたなら――その想いを胸に、楓乃は目を閉じる。


(そう、今の私に出来るのはこれくらい――)


「シネェッ!」


楓乃の体目掛け、鋭い爪がギロチンのように振り下ろされる。


だが、その時。



「――本当に、そうか?」



(――えっ?)


微かなささやきが、楓乃の耳へと届いた。


まさか、意識を失ったはずの英人が喋ったのだろうか。

だが今の楓乃に、振り返ってそれを確認する余裕はない。


(でも、先輩と違って私に出来ることなんて……)


しかしまるでその言葉に導かれるように、楓乃は自らの人生を振り返る。


高校までの嫌な思い出に、英人との出会いと別れ。そして10年越しの再会。

高校以降は、英人と出会ったからこそその運命が決まったと言ってもいい。


それは、短くも楽しき日々。

別れた10年間は辛かったが、それでもその日々をなくそうとは思わない。


一緒に本を読み、勉強をし、時々他愛のないことを言い合う。

それが彼女にとってのかけがえのない宝物。


『――お前、意外と演技とか向いてるんじゃないか?』


(……あった…………)


そしてそこに、楓乃が唯一胸を張れるもの、その原点があった。



――――キィンッ



「…………ア?」


空気が軋むような音と共に、楓乃は瞼を開く。

目の前には、『人狼ワーウルフ』が驚いた表情で自身の腕を見つめる姿。そしてその腕は、肘の付け根までが凍りついていた。


「……そう、私に出来ること。それは演じ、人々を魅せること。ただそれだけ。

 ただそれだけのことを、私忘れてた」


「何ヲ、シタ……!?」


「あら、ごめんなさいね。

 あまりに手癖が悪いものだから、ついオイタをしてしまったの。

 まあ貴方みたいな愚図には、これでも不十分なくらいかしら?」


「テ、メェ……!」


人狼ワーウルフ』は飛び掛かろうとするが、楓乃は素早くその足元を氷結させて拘束する。


「グッ……!」


「全く、弱い犬ほどよく吠えるとはよく言ったものね」


楓乃は先程までとは全く違う、氷の女王のような冷めた視線で相手を見下す。

そしてその言動と雰囲気は、アメコミに出てくるあるキャラクターと瓜二つであった。


「……マサカ、オマエモ『異能』ヲ……!?」


「そ。演じた役柄の能力を使える、それが私の『異能出来ること』。

 そうね、名付けて――」


それは、アメコミ史上初の日本人女性ヒーロー。

雪女と人間のハーフであり、そのサディスティックな言動が特徴的な雪と氷を自在に操る氷雪の女帝。

そして再来年には水無月 楓乃を主演としたハリウッド実写化も予定されている。



「『大和撫子千変万化アクト・アクター・アクトレス』……! 

 さあその腐った脳髄ごと、氷漬けにしてあげる」

 


その名も『ダイアモンド・ダスト』――通称『D・D』。

アメコミファンに今なお根強く親しまれてい、日本産のヒーローだった。

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