輝きを求めて㉒『助けてー! オオカミ男に襲われてまーす!』

 本校舎3階。


「――やぁ、『英雄』」


「お前……!」


「ああ、正しくは『元』、『英雄』だったか。すまない。

 まあ悪気は……もちろんあったんだけどさ」


 英人が疲弊する体に引きずりつつ到達したそこには、一人の黒髪の少年――有馬がいた。彼はまるで英人を待ちかねていたかのように、意気揚々よく口を開く。


「事実だ。別に構わんさ。

 しかし、有馬と言ったな……お前、何者だ。

 少なくとも、この学校の生徒じゃないだろう」


「まぁね。この制服も、雰囲気出すために着てただけさ。

 普段は僕、学ランだし」


 有馬は見せびらかすようにブレザーの襟をパタパタと振る。


「じゃあ単に他校の生徒……なわけないよな?

 もう一度聞く、お前は何者だ」


「ハハ。体は疲労困憊だというのに、目の力が凄まじいね。ちょっと恐怖を感じるよ。

 しかし何者か、か……まあとりあえず、今の所は杉田 廉次を『人狼』に転生させた張本人、とでも言っとくよ」


 わざとらしく悩んだ振りをしながら、有馬は答える。

 今といい、この少年の仕草はいちいちが演技がかっているようだった。


「転生……もしや、『転生石』というやつか?」


「お、ご名答。まあクロキアとの一件で知ってたか。

 そう、それを使って転生させたのさ。

 ちなみに数ある『魔族』の中から『人狼ワーウルフ』を選んだのは僕のセンス。

 ほら、こういう場所に潜り込ませるにはうってつけじゃない?」


 そして笑いつつ、有馬はゆっくりと英人に歩み寄る。

 やる気がないのか現状敵意の類は感じ取れないが、英人は僅かに構えをとる。


「ああ分かってると思うけど、やる気はないよ。

 今回の主役はあくまで杉田 廉次や君で、僕はあくまで傍観者だから」


「……俺の前で、それが通ると思うか?」


 英人は目を細め、有馬を睨みつける。


「僕としては、通して欲しいなぁ……やっぱりダメかな?」


 有馬は英人の脇に立ち、肩をポンと叩く。


「ああ。ダメだ」


 しかし相手がこの件における黒幕である以上、英人としても見逃す理由はない。

 英人はレンガの欠片を握りこみ、振り向きざまに頭部を殴ろうと腕と振りかぶる。

 

 だがその時、


 ――ピロン♪


 突如として、英人の携帯電話がポケットの中で鳴った。

 そして同時に、東校舎の方から『人狼ワーウルフ』の咆哮が轟く。


 今、この状況で英人にメールを送る人物など一人しかいない。

 それは英人の後輩、桜木 楓乃だ。


「……いいのかい、出なくて。

 たぶんそれ、君の可愛い後輩からのSOSだと思うよ?

 『助けてー! 傷が全快したオオカミ男に襲われてまーす!』ってね」


「お前……!」


「というわけで、僕はここでさよなら。

 『人狼ワーウルフ』との第二ラウンド、頑張ってくれよ?」


 有馬は薄っすらと微笑み、そのまま階段を下り始める。

 そして去り際に、


「ああそうだ。

 せっかくだし、フルネームを名乗っておくよ。

 僕の名前はユウ。有馬 ユウだ。じゃあね」


 それだけ残し、忽然と消え去った。


「くそ、次から次へと……!」


 英人は悪態をつきつつも、携帯電話を確認する。

 そこには予想通り楓乃からのメールがあり、その文面は短く「図書準備室 助けて」とだけ。


「間に合ってくれよ……!」


 何にせよ、今は急ぐしかない、

 英人は疲労した体に鞭打ち、『人狼ワーウルフ』の吠えた場所へと急ぐのだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 所変わり、再び図書準備室。


「匂ウ……匂ウゾ!

 桜木 楓乃! オマエガ此処ニイルノハ分カッテル!

 隠レテモ無駄ダ!」


(まさか、私の匂いを辿って……!?)


 そこでは薄い扉一枚隔て、『人狼ワーウルフ』と呼ばれる化物がこちらを伺っている状況だった。

 楓乃の背中に、じっとりとした嫌な汗が浮かぶ。


「此処カ!?  此処カ!?それとも此処カ!?」


 おそらく、かなり荒っぽい探し方をしているのだろう。

 木製の本棚や椅子が無造作に倒されたり投げられたりする音がひっきりなしに響いてくる。

 そしてそれは、確実に図書準備室の方へと近づいて来ているのが楓乃にも分かった。。


(何とか、何とか助かる方法を考えないと!)


 半ばパニック状態にある頭を何とか押さえつつ、楓乃は急いでメールを送信する。

 文面は手短に「図書準備室 助けて」のみ。これだけでも信頼する先輩はきっと分かってくれるだろう。

 しかし、それが間に合うかどうかは別問題。というよりむしろ間に合わない可能性の方が高い。


 そう判断した楓乃は、周囲のものを手当たり次第にまさぐり始める。

 しかし図書準備室においてあるものなどたかが知れてるもので、基本的には本や文具程度しかない。


(となると、先輩に頼まれたこれを使うしか……!)


 楓乃は意を決し、ビニール袋の中から「それ」を取り出す。

 そしてまるでお守りのように、両手で固く握りこんだ。


「オオオオオオッ! 何処ダァッ!」


人狼ワーウルフ』の咆哮と騒音は時を追うごとに着実に迫ってくる。

 遅くとも数十秒以内にはここを見つけてしまうだろう。


 となれば、勝負は『人狼ワーウルフ』がこの部屋に入って来たその一瞬。


 楓乃は震える脚に鞭打ち、必死の思いで扉の脇に立った。


(出来る! 私だって……先輩のように!

 そうよ私は日本一の大女優! この程度の事、なんてことない!)


 相手は、ただの人間など片手で屠れるであろう力を持つ化物。

 死の恐怖に怯えながらも、楓乃は心の中で自身を鼓舞する。


 そして、僅か10秒後。


「……此処カ」


 薄壁隔てた向こう側からその呟きが響き、同時に図書準備室の扉は強引に蹴破られた。

 入ってくるのは、鋭い爪と牙を生やし、黒い毛皮に覆われた『人狼ワーウルフ』。


 楓乃が立っているのはそのちょうど右側。

 両者がその視線を合わせるまでもう一秒もない。


(見る、こっちを……!)


 そして『人狼ワーウルフ』が、その顔を僅かに右に向けた時。


「やああああぁぁっ!」


 楓乃は両手に持った「それ」を、『人狼ワーウルフ』の顔面に向けて吹きかけた。


「!? ナッ!」


 まさか、待ち伏せをされているとは思っていなかったのだろう。

 奇襲は見事成功し、『人狼ワーウルフ』は思わず戸惑いの表情を浮かべた。

 しかし、それも束の間。


「ガハァッ、ゴホッ、オッ!

 ナ、何ダコレ!? ハ、鼻ガアァッ!」


 鼻を引き裂くような刺激臭に、『人狼ワーウルフ』は悲鳴を上げてのたうち回った。


「きゃあっ!

 い、今の内……!」


 楓乃はそれに巻き込まれないようにしゃがみ込み、隙をついて図書準備室と図書室を抜け出す。

 そして廊下に立ち、ようやく一息をついた。


「や、やった……! 成功……!」


 図書室内では、今もなお『人狼ワーウルフ』がその臭いに苦しむ様子が騒音として聞こえてくる。

 それは仕掛けた楓乃から見ても、想像以上の効果であった。


(本当に効くんだ、これ……)


 息を飲みつつ、右手に持った小型の霧吹きをまじまじと見つめる。


 中に入っているのは、ただの無色透明の液体。

 そしてその液体の名は、アンモニアと言った。


 これも英人が事前に用意していた対『人狼ワーウルフ』用武器の一つ。

 元々は化学実験室に置いてあったものだが、拝借して空の霧吹きに移し替えたものだ。


 あくまで実験用というだけあってその濃度こそ低いが、それでもあの特有の刺激臭は健在。人間ですら直に嗅ぐのは危険であるし、狼の嗅覚を持つ『人狼ワーウルフ』であればそのダメージはなおさら深刻だろう。

 本来なら英人が接近戦を優位にする為に使うつもりであったが、それが思わぬ所で役に立った。


(とにかく、まずはこの校舎から出ないと。

 あ、そうだ。先輩に連絡っと……!)


 楓乃は再び携帯電話と取り出し、メールを打ちながら駆け足で廊下を急ぐ。


(『人狼ワーウルフ』撃退、図書準備室は脱出、今は校庭に向かってます……これで良し!)


 そして手早く送信ボタンを押し、そのままのスピードで階段を降りていく。

 目指すは、一階の出口。


 やはり本日が『ハロウィン会』と言うこともあってか、東校舎の方に生徒はおらずその行く手を遮るものはいない。

 楓乃はスムーズに一階まで降り、出口へと続く廊下を走った。


「よし、これで……!」


 視界には既に、下駄箱の影が見える。

 ここから外に出てしまえば、とりあえずひと安心だろう。楓乃は走りつつも、ほっと安堵する。

 しかし、その時だった。


「――逃ガスカヨ」


「えっ」


 楓乃の目の前に、突如として『人狼ワーウルフ』が現れたのである。

 それはなんの予兆も前触れさえもなかった。


(まさか、これが先輩の言ってた……!)


 しかし、だからといってこのまま棒立ちになっている訳にもいかない。

 楓乃は再びアンモニア水溶液の入った霧吹きを『人狼ワーウルフ』目掛け構えようとする。


「サセルカァッ!」


「きゃぁっ!」


 しかし、至近距離で『人狼ワーウルフ』の瞬発力と膂力に敵うはずもなく、容易くそれは奪い取られてしまった。

 そして『人狼ワーウルフ』はそれを恨めしそうに見つめ、


「フンッ」


 左手で窓を割り、そこから霧吹きを投げ捨てた。


「あ、あ……!」


 逃げられると思った矢先から、一転しての命の危機。

 思わず楓乃は後ずさるが、『人狼ワーウルフ』相手にそんなことは何の意味も為さなかった。


「ヨクモ、鼻ヲ潰シテクレタナ……」


 一歩一歩、『人狼ワーウルフ』が殺意をその身に纏わせて近づいてくる。

 だが、今の楓乃にはそれを追い返す手段は何ひとつない。


(逃げ、なくちゃ……!)


 となると当然、残された手はそれだけ。

 しかし肝心の足が恐怖に震えて動かない。


「殺ス……!」


(もしかして私、ここで死ぬ……?)


 振り上げられる、『人狼ワーウルフ』の腕。


 死という残酷な事実に直面し、楓乃の心を絶望の黒い霧が包んでいく。

 まるで走馬灯のように過去の記憶がリフレインするが、すべてが黒く塗りつぶされる。


 そして、心の全てが覆いつくされようとした瞬間、



『――別に、好きにやっていることだ』



「せん、ぱい……」


 脳裏に浮かんだある光景が、その絶望を拒んだ。


 それは、11年後の7月。

 山下公園で見た、戦う英人の後ろ姿――


「――おおおおおおぉぉぉっ!」


「グゥッ!?」


 そして、その瞬間。

 割れた窓から英人が飛び込み、『人狼ワーウルフ』に蹴りを喰らわせる。


「せ、せんぱい……!?」


「ぜぇ……ま、間に合った……!

 まさかまた校舎の外壁から下に降りることになろうとは」


 そしてふらつきながらも立ち上がり、倒れる『人狼ワーウルフ』と対峙した。


「先輩!」


「分かってる。聞こえてるって。

 しかしよく一度は撃退したな……意外とやるじゃないか、桜木。

 ……さて」


「八坂ァ……テメェ、マタシテモ……!」


 『人狼ワーウルフ』は怒りに声を震わせ、立ち上がる。


「そりゃこっちのセリフだ。

 せっかく負わせた傷をあっさり回復させやがって……それに」


 対する英人は僅かに首を横に向け、背後の楓乃を見た。

 そこにあるのは日本を代表する女優が見せる、本物の涙。


「うちの可愛い後輩をよくも泣かせてくれたな。

 これ、高くつくぞ?」


 そして英人は構え、『人狼ワーウルフ』と相対する。

 その後ろ姿はかつて楓乃が見たそれと、全く同じものだった。




 

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