輝きを求めて⑨『愛妻弁当?』

 『人狼ワーウルフ』――それはこの世界においても、様々な伝承・神話・創作にて度々登場してきた怪物。

 さらに昨今ではそれをテーマにしたTRPGも大きく流行しているなど、一般的にもよく知られた存在だ。


 そしてその知名度の高さは、『異世界』でも同様――ただし、それは実際にある脅威として。

 そんな存在が今、英人の命を刈り取ろうとしていた。


(『異能』関係じゃないってのか……?)


 尻もちをつく『人狼ワーウルフ』を見下ろしながら、英人は脳は状況の分析をハイスピードでこなしていく。


 実際に『異世界』で相対した経験から、目の前の存在は『人狼ワーウルフ』であることに間違いはない。

 問題はなぜ今此処にいるのかだが、クロキアやフェルノそれにヒムニスの例を考えれば今更だろう。


人狼ワーウルフ』という種族自体は数いる『魔族』の中でもそう戦闘能力が高い方ではない。

 狼由来の身体能力や探知能力は目を見張るものがあるが、魔力は多くなく魔法自体も不得手。

 なので総合的に見れば、精々が高く見積もっても中級程度。本来の英人であれば、まず遅れを取ることなどありえない相手だ。


 が、しかし。


(今の状態でやり合えば、死ぬな。

 間違いなく)


 今の英人の肉体は何の変哲もないただの男子高校生。


 しかも今は相手の先制によって左腕の肘から先がないという状態だ。

 出血量を鑑みても、もう長くは動けない。


 ならば、今は全力で逃げに徹する――!


 そう判断した英人は右手で地面に落ちた鞄を持ち、『人狼ワーウルフ』に投げつけた。


「グッ!?」


 空中で一回り程回転したそれは見事『人狼ワーウルフ』の顔面に命中し、みごと一瞬だけ怯ませる。


 それは、相手からしたら目の見えない中での衝撃。

 さらなる追撃がくると思ったのだろうか、『人狼ワーウルフ』は焦った様子で自身の周囲を当てもなく攻撃し始めた。


(やはりこいつ、戦い慣れてないな……!)


 いくら目潰しされているとはいえ、『異世界』産の化け物がこの体たらく。

 おそらく戦いそのものに不慣れな個体なのだろう。


 そう思いつつその下半身に目を逸らすと、英人と同じ学生ズボンを履いているのが見える。

 つまり、この『人狼ワーウルフ』の正体は翠星高校の生徒の誰か。


「ガァッ!」


 だがそんな英人の思考を遮るように、『人狼ワーウルフ』はその怒りに任せ、英人の鞄を投げつけてきた。

 視界が塞がれている故に狙いが適当になったのだろうが、それでも人の領域をはるかに超えた剛腕により、鞄は大きな弧を描きながら塀の外へと飛んで行く。


「お……」


「フゥッ、フゥゥゥッ!」


 目が見えない事に対する苛立ちと、小細工とも言える牽制。

 それらに対する怒気を荒い呼吸に滲ませ、『人狼ワーウルフ』は周囲を威嚇し始める。


 一触即発の危険な状態ではあるが、この状態は英人にとりむしろ好都合。

 そのまま右手の中指と親指を口に咥え、


「――ヒュィッ!」


 思い切り口笛を鳴らした。


「ッ!? ガァッ!」


 当然、『人狼ワーウルフ』はその音目掛けて鋭い爪を突き立てる。

 が、英人はそれを右へ転がりギリギリの所でそれを避けた。


「グゥッ!?」


 対する『人狼ワーウルフ』の方は、必中を期したはずの攻撃が避けられたことで、思わず唸り声を漏らす。

 だが『人狼ワーウルフ』が当惑したのも僅かに刹那。


 ――タッ。


 その狼の耳は、自身の後ろの塀に手の肉が触れた音を、確かに拾った。


「ガアアッ!」


 本能の赴くまま、反射するように『人狼ワーウルフ』はあらん限りの力を以てそこへと爪を突き立てる。


 前のめりになりつつも繰り出された鋭い爪は風を切り、瞬時に骨と肉を断つ音を奏でる。

 さらにその人を超越した剛腕は、鈍い破壊音と共に肉ごとそのまま塀を突き破った。


 だがその時、『人狼ワーウルフ』はその感触に微かな違和感を覚えた。


 ――余りにも、軽すぎる。


 瞬間、背中に軽い衝撃が走った。


「グ……ッ!?」


 これは、人間の足だ。

 誰かが、自分の背中の上に乗っている――『人狼ワーウルフ』がそう理解するのに、さほど時間は必要なかった。


 おそらく、今貫いたのは先程切り捨てた左腕。

 奴はその腕を口笛に続く第二の囮に使ったのだ。


「ガアアアァッ!」


人狼ワーウルフ』は怒りの咆哮を上げ背中の不届き者を排除しようとするが、既に手遅れ。

 いくら彼が人類を遥かに超越した爪と膂力を持っていようが、背中に対する有効打はない。

 そして右腕が塀に埋まったせいですぐに振り向くことも出来ない。


 その様子をあざ笑うかのように、背中の人間は軽快な足音と共に塀の外へと飛び越えていったのだった。






 ――――――



 ――――



 ――






「……ふぅっ!」


 朝日に横顔を照らされながら、英人は疲労と達成感を込めた息を大きく吐く。


 見上げると、そこにあるのは翠星高校の本校舎。

 そして周囲には登校中の生徒の群れがぞろぞろと流れている。


 息を整えつつ、英人は左のポケットから携帯電話を取り出して画面を確認。


 現在時刻、8時22分。

 そして日付はひとつ変わり、10月20日。


(それに、左腕……直ってる)


 英人は携帯を持ったまま袖をまくり、左の肘の付け根の部分を確認する。

 そこには傷跡はきれいさっぱりなく、痛みなどの不審な点も見受けられない。


 あまりに自然だったもので携帯を持つ左手を見るまで気付けなかったが、昨夜斬られた筈の左腕はまるで『再現』を使ったかのように元通りとなっていた。


「どういう、ことだ……?」


 正直、左腕が治ることを期待しなかったわけではない。

 だがいざ起こってみると、今の状況に対する疑問がただ深まってくだけであった。


「八坂先輩っ!」


「うおぅっ!?」


 だがそんな脳内に渦巻く謎を、朝に似合わぬ叫び声が吹き飛ばす。

 声がした右後ろに目をやると、青ざめた顔をした楓乃が立っていた。


「大丈夫でしたか!?」


 そして英人の顔を見るや否や、焦った様子で駆け寄ってくる。


「あ、ああ。

 この通り五体満足だ」


「本当!?

 本当にどこも、怪我はナシ!?」


「ああ」


「……はぁ、良かったぁ」


 英人の体をくまなく観察してその無事を確認すると、楓乃は安堵の溜息を漏らした。


「なんというか、心配かけたな」


「本当にそう!

 体感時間はあれから数分だけだけど、人生で一番肝が冷えました」


「まあさすがに俺も焦ったし、お互い様だな」


 英人はフッと笑う。


「お互いさまって……まあいいです。

 結局、あの後はどうなったんですか?」


「ああその事だが、そうだな……」


 英人はわざとらしく視線を周囲に送る。


「へ?……あっ」


 楓乃もそれを追ってみると、そこには二人を囲むようにヒソヒソ話をする学生たちの姿が。

 なるほど朝っぱらから校門の真ん前で言葉を交わし合う男女がいれば、こうなってしまうのは自明の理だろう。


「一旦、それぞれの教室に行こう。

 続きはまた図書準備室で」


「は、はい」


 英人の提案に、渋々と言った感じで楓乃は頷いた。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「わ、『人狼ワーウルフ』!?

 それって、あの!?」


 驚愕に染まった表情で、楓乃は図書準備室のパイプ椅子から立ち上がる。

 そしてその際の衝撃で机にのったパンやらお茶やらも同時に揺れた。


「ああ。

 『あの』が何を指しているのかは知らんが、多分それで合ってる」


「いやそれはもちろん『人狼ゲーム』とかの『人狼』ですけど……。

 ほら、あの夜の間だけ狼男になって人を食べるっていうやつです。

 だけど本当にそんな架空の生物が?」


「ああ、本当だ。

 出せる証拠はないがな」


 英人はそう言ってペットボトルのキャップを捻り、お茶を一口含む。


人狼ワーウルフ』に関しては『異世界』の絡む話になってくるが、ここに至っては互いの安全の為にも、情報共有はしておくに越したことはない。

 なので英人は『異世界』というワードは伏せつつ、『人狼ワーウルフ』について説明を始める。


「まあ結論から言ってしまえば、『人狼ワーウルフ』は実在する。

 見た目や性質は巷で言われてるのとほぼ同じ、半人半狼の怪物だ。

 主に夜中、狼男の姿となって人を襲う」


「怪物と言うからにはやっぱり、強いんですか?」


「普通の人間では話にならない位にはな。

 毛皮も厚いし、筋肉も発達してるから生半可な刃物は弾かれるし、もちろん嗅覚や聴覚、牙や爪と言った狼由来の武器と身体能力も備えてる。

 プラスして高い知能もあるから本物の狼より断然厄介だな」


「でも弱点がありましたよね?

 確か……そうそう、銀の銃弾」


 クリームパンを齧りつつ、楓乃は言う。


 ちなみに学生時代はそれが好物であり、食べる姿を英人も度々目撃している。

 焼きそば同様イマイチ学生人気のなかったパンではあったが、好んで買っていた人物が将来のトップ女優と考えると中々に面白い。


「いや、そういった意味での弱点はないな。

 対処法や戦術みたいなものはあるが」


「え、じゃああれは嘘?」


「まあ物理的なダメージくらいは受けるかもしれないが……まあそれだけだな。

 特に何かしらの効果があるって訳じゃない」


「えぇ。

 なんか、夢を壊されたような感じ……」


 半目で英人を睨みつつ、楓乃はなおもクリームパンに齧りつく。


 だが事実、『人狼ワーウルフ』に明確な弱点となるものは存在しない。


 身体能力は確かに高いが、魔法が苦手な為おおよその属性魔法は通ってしまうし、それなりの実力があれば肉弾戦で倒すのもそう難しくはない。

 一応刺激臭を嗅がせて嗅覚を潰す、毒を食べさせるといった戦術が取られるケースもあるにはあるのだが、それよりも手練れを一人呼んだ方が早くて確実。

 つまり、正面から戦うことさえ出来ればいくらでも対処のしようがあるということなのだ。


「まあそもそも銀の銃弾どころか、普通の銃すらここじゃ手に入るわけないしな。

 だから現状、今の俺たちじゃ奴を倒す術はない。そもそもの身体能力に差がありすぎる。

 事実、昨夜は左腕持ってかれたし」


「え? でも先輩の左腕はちゃんと……」


 楓乃は不思議そうに英人の左腕を見つめる。


「日付を跨いだら元に戻ってたよ。

 思うに、おそらくこれもこの空間における一つのルールなんだろうな。

 桜木、昨日と今日の登校時間覚えてるか?」


「えっ……確か昨日が8時15分位で、今日が10分ちょっとって感じですが、それが?」


 楓乃は小さく首を傾げる。


「そして俺は昨日が21分で今日が22分、つまり俺もお前も僅かな差異があるわけだ。

 桜木、これどういうことか分かるか?」


「違い……」


 英人の質問に、楓乃は頬に指をあて考え始める。

 そして数十秒経った後、ハッとしたように口を開いた。


「もしかして、当時の自分たちの登校時間?」


「多分な」


「ということはつまり、私たちは……」


「11年前と全く同じ学園生活を再現させられてるということだ。 

 だから俺の左腕も元通りに直った。

 何故なら11年前の今日この日、俺が左腕を斬り落としたという『事実』はなかったわけだからな」


 そう言って英人はもう一度、お茶を口に運ぶ。


 おそらくこの空間は、深夜のある時点で強制的にリセットないしアップデートされるのだろう。そして何事もなかったかのように次の日を過去の事実そのままに再現し、スタートさせる。


 つまり前提として「11年前の10月20日は五体満足であった」という『過去の事実』があったので、昨夜つまり10月19日に起きた左腕欠損よりもそちらが優先されたのだ。だから今英人は五体満足でピンピンしていられる。

 そしてこの仮説ならば、昨日の朝もシャツが綺麗になっていたり教科書が揃っていたりした理由も上手く説明できる。


「じゃあ、もし死んでしまっても次の日には生き返る?」


「さすがにそこまでは微妙かなぁ。

 検証するにしてもリスキーすぎるし、やるには早計だ。

 だが腕が元に戻った以上、かなりの修正力をこの空間が持っていることは確かだ」


「そうですか……しかしこれからどうします?

 夜まで居残れば、またその『人狼ワーウルフ』が出てくるわけですよね?」


 クリームパンの袋をくしゃくしゃと丸めつつ、楓乃が尋ねる。


「ああ、だから夜間調査は一旦中止にするしかない。

 最低限、奴をどうにかする策を準備するまではな。

 その代わり、今日からは昼メインの調査に切り替える」


「例えば?」


「左腕の件で感じた事だが、この『異能』はやたら当時の翠星高校を再現することにこだわっている。

 そしてそんな空間の中、今のところ俺たち二人だけは元の記憶を持ってるイレギュラー。

 つまり……」


「私達の周囲、クラスメートを当たってみると」


 楓乃の言葉に、英人は僅かに笑って頷く。


「そういうことだ。

 そして付け加えるならば、その中でも過去とは違った動きをしてる奴、そいつを突き止めたい」


「違った動き……」


「ここまで忠実に再現してる所を見るに、犯人はかなりの未練を学生時代に残してる。だからこの空間ではそれを晴らそうとしてくるはず。

 そこを上手く捕らえる」


 ただでさえ学生数が多い関係上、手掛かりを掴むにはこうやって捜査範囲を絞るしかない。

 しかし自分たちの特異性を考えた時、何か変化があるとしたらそれは近い周囲であるという予感も同時に英人はしていた。


「なるほど」


 納得したように、楓乃は頷く。


「まあ、とりあえず当面の作戦は決定だな。

 各自クラスの様子を調査して、また放課後に共有しよう」


「ええ……でも先輩、よく気付きましたね。

 この空間が過去の事象すら再現してるって」


「それはこいつのお陰さ」


 そう言って英人は鞄から、カラフルな布で包まれた直方体を取り出す。


「弁当箱……?」


「ああ」


 そして上の蝶々結びを解き、二段構えの弁当箱を開いていく。


 露わになったのはおかずの彩り美しい上段と、白と黒の下段。

 それはいかにもオーソドックスと言った感じの弁当であった。


「あ、美味しそう。先輩が持ってくる弁当、昔からクォリティ高かったですよね。

 でもこれが何で?」


「これ、実は家の隣に住んでる子が作ってくれたやつなんだよ。

 さすがに毎日じゃないけど、こうして時々な。

 今回はこれが目印になってくれた」


 優しい目で、英人は弁当を見つめる。


 何の変哲もない弁当だが、学生時代はずっとこれに支えられてきた。

 それに11年経った後もたまに料理をご馳走してくれるものだから、正直彼女には頭が上がらない。


「ふむ、弁当にそんな秘密が。

 ……へぇ」


 だがそんな英人とは対照的に、楓乃はジト目でその弁当箱を見つめる。


「なんだその反応は。

 自分で言うのもなんだが、結構いい感じのシーンだと思うのだが」


「まあそうですけど……因みに、その子とやらの年齢は?」


「確か、この時は10歳だったな。

 まあ今も時々手料理振舞ってくれるし、いい娘だよ」


「今も……?

 それってつまり、21歳になっても?」


 楓乃はパイプ椅子から立ち上がり、机越しにずいっと英人に詰め寄る。

 未来の話とはいえ、やはり女優をやってるせいか、なんとなく目力がすごい。


「そうなるが……それ今大事?」


 やや圧倒されつつも、英人は答える。

 一瞬、室内に広がる沈黙。


「……ええ、それなりには」


 だがその事実を確認できて満足したのか、楓乃は妖艶な微笑みを見せながら再び席についた。

 そして二袋目のクリームパンへと齧りつく。


(え、何……?)


「フ……」


 当惑する英人をよそに、笑みを浮かべたまま黙々とクリームパンを食べ続ける楓乃。



 ――作戦、大丈夫だよな?

 そんな不安を頭に過らせながら、英人は残りの昼休みを過ごすのであった。

 





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今回で本作の文字数が50万字を突破いたしました! ここまで長く続けられたのも偏に読者の皆様方のお陰です!

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これからも拙作を宜しくお願い致します!

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