輝きを求めて⑤『あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!』
校門を跨いだ瞬間、日付が変わる――それはまさに晴天の霹靂といえる現象だった。
(まずは、状況の整理だ……!)
英人は混乱する頭を必死に整理しながら、駆け込むように3-Bの教室へと入る。
現在時刻8:25――朝のホームルームまでおよそ15分。
生徒の登校がピークに達しつつある時間帯であり、後からも次々とクラスメートがドアを開いて入室してくる。
しかし今の英人にそれを悠長に眺めている余裕はない。
急いで鞄を机の上に置き、椅子に座ってその混乱渦巻く頭を抱えた。
(そう、まずは今何が起こったか……簡潔にその事実だけを言えば、こうだ。
俺は学校から出た瞬間、学校に入っていた。しかもその日付は一日後。
つまり俺は下校した直後に、次の日の登校時間まで飛んだことになる……!)
校門から出るまでは、その日の日付は10月18日だった。
翠星高校へ来る前の元の世界の日付がそもそもそうであったし、昨日も校舎内のカレンダー等で散々確認したから間違いない。
(そしてその10月18日の15時50分、いや正確には51分頃に俺は校門を抜け、この学校の敷地から外に出た……。
だが次の瞬間、俺の体は何らかの理由で10月19日の8時21分にジャンプ。
つまり一瞬の間に、16時間半程もの時間が経過した計算になる)
英人はブレザーの襟を持ち上げ、中に着ているシャツを確認する。
現状まだシワも汚れも少ないそれは、朝に着たての感触そのものだ。
少なくとも昨日の放課後まで着ていたものではない。
体調についても午後特有の疲れはスッキリと取れており、代わりに眠気の余韻が脳内に残っている。
つまり、英人の肉体や身だしなみ自体もいわゆる朝モードになっていると言う他ない。
(実家でちゃんと生活したという事実だけが残っている……過程が全くと言っていい程ない。
本来なら昨日の俺は学校を出た後にお使いを済ませ、家に帰り、そこで食事なり入浴なりして今日という日を迎えるはずだった。
だが俺は、それを感じることすら出来なかったということなのか!?)
当惑した表情のまま英人はジッパーを引き、学生鞄を開く。
その中身は予想通り、今日つまり10月19日の時間割に対応した科目の教科書なり資料集なりが入っている。
もちろん、英人自身が自分で中身を入れ替えた覚えはない。
自身の知らない、もしくは感じることが出来ない領域で勝手に身の回りの事が運んでいる。まるで見えない何者かが、英人の高校生活をしっかりサポートしてくれているように。
英人は10月18日のことを振り返る。
学内の風景に生徒同士の人間関係等、確かに昨日調査した限りでは学校内での矛盾点や問題点は特に見つからなかった。
そして客観的に見れば、今の英人の状態とてその問題のない状況と言える。
何故なら余裕を持った登校時間にちゃんとした教材の準備、これらは単純な「学生生活」という枠で考えれば至極真っ当なものなのだ。
(だが……それもある意味当然だな。
つまるところ、この翠星高校の存在自体が一つの大きなイレギュラー。
問題は木ではなく、森そのものだったというわけだ)
そして今日もいつも通りに、学校の始まりを知らせるチャイムが鳴る。
「おーしホームルーム始めるぞー。
遅刻してる奴は……いないな。
それじゃ級長、朝礼宜しく」
「きりーつ!」
(……もう、ホームルームか。
だがこれでハッキリとした)
「気を付けー!」
(おそらく空間全体が『異能』なり『魔法』なりによって半ば意図的に創り出されたもの。
つまりこいつは――)
「礼!」
(大元をどうにかしない限り、この空間から出られないということか)
号令と共に、英人も小さく頭を下げる。
10月19日の学校生活が、たった今スタートした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……さて、とりあえず午前中は平穏に過ごせた。
ここからどうするか」
現在時刻、12時56分。
無事昼休みを迎えた英人は、校舎裏に佇んでいた。
校舎の北側に位置するそこは日中も薄暗く、人通りもかなり少ない。一人考え事をするには絶好の場所だ。
今から色々と検証を始める訳であるが、といっても午前の授業中に何もしてなかったというわけではなく、これらの時間中にも英人はこの状況に関する考察を重ねていた。
その結果、この特殊な空間について、英人は以下のふたつの仮説まで絞り込んだ。
まず一つ目は、この空間自体が「『11年前の翠星高校』という環境を正確に再現した仮想世界」というもの。
そして二つ目は「この学校内だけが、11年前にタイムスリップしている状況」というものである。
(この翠星高校という空間自体が外界から隔絶してると考えると、細かい枝葉はあれどおおよそこの二つのどちらかで間違いないだろう。
んで、この二つをそうだな……『仮想世界説』と『限定タイムスリップ説』とでもしておくか)
これらは二つとも下校から登校へのジャンプという現象から逆算した仮説。
つまりはこの学校が半ば元の世界から独立した空間であるという前提を元に成り立っている。
そしてこの二説を大きく分ける要素、それは「この空間は一から作られたのかどうか」である。
(『仮想世界説』はまさに、その「世界を一から作った」という想定から生まれた仮説だ。つまり『異能者』や、もっと言ってしまえば『異世界』関係の誰かがこの世界を創り出したということ。
そして『限定タイムスリップ説』の方は、元の世界をベースに状況を作り出したという想定がベース。つまり俺は元の世界にいながら「11年前の翠星高校」という過去にいることになり、同時にこの塀の外では11年後の世界が今も平然と存在しているというわけだ)
ここが完全な異空間なのか、それとも現実の一区画が11年前の状態に変容したものなのか。
「……よっ」
英人はおもむろに植え込みに落ちていた小石を拾い、塀の外へと投げた。
それは緩やかな放物線を描き、そして数秒の後にカンという無機質な音を奏でる。
塀に遮られているせいで直接は見えないが、どうやらアスファルトの上に着地したようだ。
(塀を境に小石が跳ね返ってきたり消えたりとかはしない、か……。
物体の通過については制限がないということか?
じゃあお次は……)
英人は校舎の壁に寄りかかり、顎を撫でる。
そしてしばらく考え込んだ後、ゆっくりと塀へ向かって歩き出した。
敷地をぐるりと囲む塀の高さはおよそ2メートルとちょっと。
今の英人の体力や身長でも、なんとか登れそうな高さだ。
英人は早速手をかけ、慎重に壁面へと足をかけていきながらよじ登っていく。
「よい、しょ……っと」
崖や城壁など、異世界で似たような経験をしてきたせいか意外とスムーズに上まで到達することができた。
英人は塀の上に足をかけ、ややふらつきながらも立ち上がる。
「ふぅ……。元の体なら、このくらいひと飛びだったんだがな。
にしても……」
そして塀の上から、外の景色を一望した。
「この景色、久しぶりだな。
ま、細かい部分は全くと言っていいほど覚えてないだけど」
翠星高校自体はごく一般的な住宅街の中に立地しているため、目に入ってくるのはどれも一軒家の屋根ばかり。
そもそも卒業後はほとんどこの周辺に近づくことはなくなった為、今と昔を比較しようもない。
だが何となく、昔のままの風景であるという直感が英人にはあった。
「多分、校舎内からは見える景色もちゃんと11年前に設定しているのだろうな。良く出来てる。
……よし」
懐かしい景色を堪能した後、英人はその視線を下へと下ろす。
もちろん、そこにあるのはアスファルトに包まれた公道。
そして次に携帯を開いて現在時刻を確認、13時01分。
最後に一つ深呼吸をし――
「よっ」
英人は塀から外へ、勢いよく飛び降りた。
………………
…………
……
「……ん。
ここは校門、か?」
英人は辺りをキョロキョロと見渡す。
奥にはグラウンド、そして正面には翠星高校の本校舎が堂々と鎮座する。
どうやら、英人の体は校門まで一気に飛んできたようだ。
早速左ポケットから携帯電話を取りだし、画面を確認する。
10月19日 13時7分――塀かた飛び降りてから、6分が経過していた。
(俺が飛び降りた所は、校門からみてちょうど正反対。
そして6分という、ちょうど敷地の外側をぐるりと徒歩で回って来たような時間経過。
つまり俺は――)
塀を飛び降りたあと校門まで歩いて戻って来た、そう英人は結論付けた。
だが問題は、何故その間の記憶がないのかということ。
英人は顎に手を当てながら、校舎へと向かい歩き出す。
(……『完全記憶能力』がある以上、学校外での記憶を忘れたという可能性はほぼない。
だから、そもそも俺は学校外での出来事や経験を知覚することすら出来なかったということになる)
英人は顎に添えた手を、そっと側頭部へとスライドさせる。
(つまり翠星高校の外では、肉体は俺のコントロールから完全に外れてしまう……?)
というよりそもそも、英人自身の肉体と人格自体に疑問点があった。
今、この11年前の肉体に28歳の人格が宿っている――ならば、元の人格はどこに行ってしまったのか?
他の生徒たちが元の世界の記憶を持っているような様子は見受けられない。皆なんの動揺や驚きもなく高校生活を謳歌している。
だが英人だけは、この翠星高校という領域内でのみ未来の人格を持つことを許されてる。
(これじゃあまるで、28歳の人格自体がイレギュラーであるみたいだ……!)
英人は僅かに眉をひそめる。
おそらく学校の外では高校三年生の八坂 英人が普通の日常を送っているのだろう。塀から飛び降りた後、丁寧に校門まで歩いて戻ってきたのがそのいい証拠だ。
当時の自分なら、わざわざ塀を登ってまで中に戻ろうとは思わない。
だがそれも一歩学校の敷地に入ってしまえば話は別。
「28歳の人格」というわけの分からない存在に肉体を支配されてしまうことになるのだ。
つまり17歳の自分も、登校した直後に下校している、なんて現象に悩まされているのだろうか。
とにかく、学校の敷地を境として人格の入れ替わりなり切り替えが起こっているとみて間違いなさそうだ。
(とりあえずこの空間について、一定の情報は得た。
次はいよいよ、事態の解決に向けて動くべきか)
そして解決するにはその原因を突き止め、それを何とかして除去する必要がある。
そう考えた時、英人の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
(……待てよ。
そもそも、何故俺だけが元の人格をこの空間に持ってこれたんだ?
俺自身の能力のお陰なのか?
それとも……この空間が出来た要因に、俺が関わっているからか?)
英人は立ち止まり、校舎を見上げる。
先程、この校内においては大きな矛盾や問題点はないと英人は考えた。
だが逆を言ってしまえば、今の自分自身こそがこの空間における大きな矛盾点ではないのか。
つまり、手掛かりは自分自身。
「八坂 英人」という人間を掘り下げることが事態解決のカギとなるのではないか。
ならまずは、犯人捜しよりも当時の自分を探る必要がある。
そう考えた時、英人の頭の中にとある場所が浮かび上がってきた。
「図書室……!」
昨日は時間的な制約によって調査が後回しになってしまったが、本来は其処こそ英人との繋がりが深い場所。
ある意味で翠星高校における唯一の居場所であったと言っていいのかもしれない。
自然と、英人の足は早まる。
下駄箱を抜け、階段を一段飛ばしで上り、すぐに右。
場所は2階の一番奥、間違えるはずもない。
そして、確か其処にはいつも――
英人は図書室の扉を開く。
するとそこには、
「……八坂、先輩?」
一人の少女が、片隅にうずくまるように座っていた。
そして英人の姿を見るなりその瞳を涙で滲ませ、まるですがるような目つきでこちらを見てくる。
灰色のセミロングに、黒縁の伊達眼鏡。
地味目な姿こそしているが、その下の整った顔つきは絶世の美女そのもの。
そう、それはまさに日本を代表する女優となるにふさわしい逸材。
「……桜木」
英人はぼそりとその名を呟く。
『水無月 楓乃』――本名 桜木 楓乃がそこにはいた。
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