輝きを求めて⑥『これは夢なのか、現実なのか……』

「これは、夢なの……?」


 10月19日。

 図書室の片隅で、一人の少女は怯えていた。


 その少女の名前は桜木 楓乃。

 横浜市立翠星高校の二年生あり、そして今年17歳となる女子高校生である。


 ただそれはあくまで、この特殊な状況においての話。


「私、今27よね……!?」


 彼女の記憶の中では、自身はずっと未来の世界で生きている筈だったのだ。

 そう、高校などとっくに卒業して女優をやっており、本来なら今頃新たなドラマの撮影をしている予定のはず。


 だが、この状況はなんだ。


 自分はただ、明日に備えて就寝していただけ。なのに今、かつて母校に当時の姿のままでいる。

 まさか、タイムスリップをしたとでもいうのか。


「ワケ、分からない……」


 楓乃は机に突っ伏したまま、自身の二の腕をきゅっと握る。


 最初はただ、妙にリアルなだけの夢だと思っていた。

 だって学生時代の夢を見ることなんて、大人になったらそう珍しい事でもないのだから。


 だけど今は五感に訴える感覚全てが、それが夢や幻覚であることを否定する。


 味も匂いも痛みも感じる――いくらなんでもこんなこと、ただの夢ではありえない。

 そして体中に突き刺さる生徒たちからの好奇と妬みの目はかつての悪夢そのものだった。


 そうだ。かつての私は、これが嫌で嫌で仕方なかったんだ。


 だから毎日時間を見つけては、人目を避けるために図書室の片隅に籠り続けていた。

 なるべく地味なオーラを纏い、ただの根暗な文学少女を装いながら。

 この学校では、可能な限り周囲のゴタゴタとは無縁でいたかったのだ。


 子供の頃から、いつもそう。

 この容姿のせいで同性からも異性からも必要以上に特別視されてしまう。

 だから私は、この見た目がずっと嫌いだった――そう、あの人に会うまでは。


 ハッキリ言って根暗で少し面倒くさい人だったけど、それ以上にとても面白くて、そして優しかった。

 だから昨日の昼休み、ただ会いたいと思った私はお昼を食べることも忘れて図書室へと駆け込んだ。


 だけど昨日いつもいたはずのその人は現れなかった。

 そして校門をくぐった瞬間日付が飛ぶという怪奇現象に見舞われ、またここで蹲っている。


(……そもそも、この状況であの人に会ってどうするの?

 私はあの人に、何かして欲しいの?)


 机の上で、楓乃は頭を抱える。


 母校に戻ってから丸一日以上、色々見聞きしてきて分かったことがあった。


 それは自分以外の人間は皆、11年後の記憶なんて持っていないということ。

 つまりこの学校の中で自分だけが未来の記憶を持っている。


 だからあの人もそうなのだろうか。

 山下公園で10年ぶりに会ったことも忘れて、唯のいち高校生となってしまったのだろうか。

 私は、この世界でついに孤独になってしまったのか。


 そう自覚した瞬間、楓乃の心をどす黒い恐怖と不安が包み込む。


(助けて……!)


 その時、図書室の扉が開いた。


「あ……」


 思わず、声が出る。

 何故ならその扉を開くリズムと足音に、聞き覚えがあったから。


 間違えるはずもない、彼こそが――


「八坂、先輩……?」


 少女は会えた喜びと同時に、僅かに怯えながらその名を呟く。


「桜木……」


 目当ての人物も同様に、少女の名を口にする

 その表情は涙で滲んだせいでよく分からない。でも楓乃には確信があった。


 そして静寂が二人を包み始める。

 それはまるで、時間すら停止してしまったのような感覚。


「一昨日ぶり、いや……10年ぶりだな。

 元気してたか?」


 だがその言葉が、時を再び動かし始めた。


「せん、ぱい……!」


 安堵の表情と共に、涙を見せる。

 それは二日と、10年ぶりの再会だった。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






「とりあえず同じ境遇の仲間が見つかったのは、まあ良かったとしてだ。

 ……おい、なんでこっちを見ねぇんだ」


「……女には、色々あるの」


「女というか、今はどちらかと言えば少女だろ」


「それは先輩もでしょ」


 パイプ椅子に腰かけながら、楓乃はぷぃっとそっぽを向く。


 感動? の再会から数分。

 二人は図書室の奥にある図書準備室にいた。


 ここは基本鍵がなければ入れない部屋ではあるが、楓乃と英人はよく図書室に来てたこともあって時々鍵を貸してもらえていた。

 なのでたまに読書の合間を縫って雑談等をする時は、よくこの部屋を使っていたことを二人は互いに覚えている。

 そしてこの状況においても、この一風変わった慣習は健在のようであった。


「17は少年ってより青年って気もするが……まあその話は今はいいか。

 一応確認だが、お前は俺と同じく11年後の人格のままということでいいんだな?」


「ええ。

 一昨日……って言っていいのかな? 

 とにかく10月17日に山下公園で会った記憶はあります」


「うん。でその夜いつも通り就寝したら、いつの間にかここにいたと。

 つまりは俺と全く同じ状況ということだな」


「先輩の話を聞く限り、そういうことになりますね。

 でもこの現実離れした状況の説明にはなってない。

 一体、私たちの身に何が起こっているんですか?」


 椅子から身を乗り出すようにして、楓乃は英人に詰め寄る。


「それはまだ分からん。

 というよりなんだその目は。まさか俺を疑ってる?」


「だって先輩、思ったより冷静だから。

 それになんというか場慣れ? している感じはすごいしますし。

 まるでこんなこと日常茶飯事だったみたいに」


「流石にこんなタイムスリップみたいなのは、俺も初めてだよ。

 こう見えて結構焦ってる」


 英人の言葉に、楓乃は眉をひそめる。


「今回のケースは初めて、ってことは先輩」


「ああ、こういう非日常にはちょっとばかし慣れてる」


「やっぱり……!」


 楓乃は腕と脚を組み、納得したようにパイプ椅子の背にもたれた。


「ん、もしかして勘づいてた?」


「まあ、そうですね……ひと目見たときから、そうじゃないかと思ってました」


「ひと目って……図書室入った瞬間にか?」


「いえ、もっと前――そう、7月のあの日から」


 分厚い眼鏡の下から、鋭くも艶のある視線が英人を突き刺す。

 それは絶対的な確信を孕んだ、有無を言わさない視線だった。


「……」


「やっぱりあの日、私を助けてくれたのは先輩だったんですね」


「ああ」


「フン、否定したってバレバレだから……って、え?」


 その答えを予想していなかったのだろうか、楓乃はキョトンとした目つきで英人を見つめる。


「だからそうだって言っているだろ。

 自分から聞いておいて不満なのか?」


「あ、いや……そう、ですか。

 ならいいんですけど。

 まさかすぐに認めるなんて」


「今は非常時だしな。

 これから色々説明することを考えると、いちいち隠し事なんてしてる余裕はない」


 そう言うと英人は椅子から立ち上がり、出口のドアを開く。


「ちょ、ちょっと先輩。

 一体どこに……」


「時計見ろ」


「あ……」


 英人が親指で指し示した方を見てみると、時計が昼休み終了7分前を指している。

 予鈴が鳴る直前であるが、ここから教室まで戻るとなると今から出発しておかないと少し不安だ。


「というわけで、続きは放課後。

 そこで知ってる限りのことを話す。

 じゃ、お先に」


「ちょっと! 

 ……ああもう、こういう所は10年経っても変わってないんだから」


 不満げにその後ろ姿を見つめる楓乃。

 だがその口元は、僅かに緩んでいたのだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





「……さて、とりあえず『異能』についてはざっとこんな感じだ。

 何か質問あるか?」


 英人はマーカーのキャップを閉め、ペントレーに置く。

 中央のホワイトボード描かれているのは、『異能』について出来る限り分かりやすく解説した図や文章たち。


 現在時刻、16時32分。

 英人によって急遽開催された『異能』の授業がちょうど終わった所であった。


「……つまり、私にもその『異能』があるってことでいいんですか?」


「もちろん。問題はそいつが発現してるかどうかだな。

 その辺りは個人の資質や周辺環境によるが、基本的にはごくごく少数だと思ってくれていい」


「少数って、どれくらい?」


「正直に言って、正確な所は分からん。

 発現したとしても、世間体のためにそれを隠す奴が結構いると言われてるしな。

 まあ俺の体感的には『異能者』と呼べるレベルにあるのは数万人に一人、といったところか」


「なるほど、ね。

 でも『異能』、かぁ……」


 楓乃は自身の頬を人差し指と中指でそっと撫でる。

 学生時代の英人もよく見かけた、考え事をする時に見せる癖だ。


 なにせ、それは楓乃にとっては人生で初めて聞く『異能』という超常の概念。

 聡明な彼女と言えど心から理解するには少しばかりの時間を要した。


「……うん、でも理解はしました。

 話だけならともかく、実際にこの目で見てるわけですから。

 この学校でのこともそうだし、それに7月のことだって」


「理解が早いのは助かる」


「それで結局八坂先輩って、一体何者なんですか?」


「ん? 俺?」


「そうですよ。

 今の状況ももちろんだけれどそれ以上に私、先輩のことが気になります。

 そもそもこの11年間、何をしてたんですか?」


 楓乃はゆっくりと立ち上がり、机をそっと撫でながら英人に近づく。

 英人は思わず一歩間を開けようとするが、有無を言わさぬ瞳がそれを制す。

 致し方なし、と英人はその場に留まった。


「まあ何つーか自分探しの旅、さ。8年半ほどな。

 そんで二年前に日本に帰ってきて今は大学生やってる。

 ……あと、時々『異能者』関連のゴタゴタの解決もな」


「ふぅん……ということはあの夜もそれ関連?」


「そういうこと。

 まあ俺も『異能者』ってことでそういう依頼だったりを国から受けるわけよ。

 要は下請けだな」


 英人は下から覗き込む氷のような双眸を、じっと見つめ返す。

 学生の頃から嘘や誤魔化しは通じづらいタイプであったが、年齢を重ねたことでどうも磨きがかかっているらしい。


 なので英人は己の持ちうる情報を大盤振る舞いとばかりに開示する。

『魔法』と『異世界』という、本当に隠したいものを隠す為に。


「へぇ。じゃあ先輩もすごい力を持ってるんだ」


「もちろん。

 そうだな……とりあえず、これでいいか」


 英人は鞄の中からプリントを一枚取り出し、楓乃の前で真っ二つに破る。

 そして、


「『再現』」


 一瞬にしてプリントを元通りに修復してしまった。


「え……!?」


「これが、俺の『異能』だ」


「まさか、本当に? これ手品とかじゃない!?

 でも切れ端の方はまだ残ってるし……」


 楓乃は先程切り離されたプリントの切れ端と、『再現』によって修復されたプリントを見比べる。

 だがそこに書かれている英人の筆跡は、完全に同一のもの。

 さらに表面の質感からして両方とも間違いなくシャープペンシルで書かれた文字であり、さらには細かいシワまで完全に一致している。

 まさに時間が巻き戻ったとしか思えないような精密さで、プリントは元通りとなっていた。


「満足してもらえたか?」


「ええ、実物を間近で見せられたらさすがに。

 でも、何というか……すごい。まさかこんな世界があったなんて……」


 楓乃は好奇と驚愕に目を見開きながなら、再び頬に指をあてる。


「まあ普通は知らんし、それに知る必要もないことだ」


「でも、今はその『普通』じゃない

 だから教えてくれた」


「そういうこと」


 一枚半となったプリントを机に置き、英人は楓乃に向き直る。


「話を纏めるとだ。

 今、俺達は何らかの『異能』に巻き込まれた状態にある。

 そしてこの状況から脱するには『異能』の解除条件を探るか、もしくは大元の『異能者』に直接接触する必要があるわけだな」


「ちなみに先輩、犯人の目星はついてるんですか?」


「いや全然」


 あっけらかんとした答えに、楓乃はズッコケる。


「えぇ……、じゃあ手掛かりゼロからスタート?

 ここの生徒が容疑者だとして、600人以上はいますけど。

 まさか一人一人に聞き込みでもするつもりですか?」


「まあ待て。

 確かに目星はついてないが、やるべきことはちゃんと考えてある。

 それに学校という特殊な環境を考えたら、直接犯人探しをするアプローチは現状得策じゃない」


「ん? というと?」


 クールっぽさを纏わせつつも、コンパクトかつ可愛らしい仕草で首を傾げる楓乃。

「女優」というフィルターがかかっているせいか、なんとなく演技っぽいと英人は勘ぐってしまいそうになる。


「今回やるのはその逆、つまり『異能』方面からのアプローチだ。

 さっきも説明した通り、『異能』ってのはその人物の性質だったり精神状態だったりに影響される事例が多々ある。

 だからまずはこの『異能』に対する検証や考察を重ね、『異能者』の人物像やアリバイを絞りこんでいくというわけだ」


 ヒムニスから聞いた話だが、実際にこれは海外の『異能』犯罪対策において既に確立しつつある手法。


『異能』犯罪はその性質上、人海戦術による捜査が難しい場面が多い。

 なので捜査を効率化するため、プロファイリングから分派する形で出来上がったという。


「なるほど……。

 とりあえず、基本路線は分かりました。

 でも具体的にはどうするんです?」


「なに、方法自体はそう難しいことじゃない。

 今からやるのはな」


「今から……?」


 その言い様に、楓乃は眉をピクリと動かす。

 こういう時のこの人は、さらっと無茶をする――そんな思い出が蘇ってきた。


「ああ。

 というわけで桜木……今夜はちょっとだけ、不良になるぞ」


 しかしそんな不安をよそに、英人はニヤリとその口角を上げた。

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