輝きを求めて④『新しい朝が来た』
「……ま、こうなることは大体予想ついてたけどな」
空白の目立つ陳列棚を前に、英人は軽くため息をつく。
現在時刻13時10分。
昼休みも既に半ばを迎えた今、購買部はさながら嵐が過ぎ去った後の様であった。
メロンパンやカツサンド、フレンチトースト等の人気あるものは速攻で売り切れ、残っているのは不人気物のみ。しかも今となってはそれらですら僅かしか余っていないという状況だ。
(とりあえず、あるもんから選んでいくしかないか。
別に俺は一個だけ食えればいいし)
気を取り直しつつ、英人はその寂しく残された不人気者の中から焼きそばパン一個を手に取った。
焼きそばパンと言えば漫画やアニメの中では定番の総菜パンにはずなのだが、この現実では不人気の筆頭候補。
別に学生たちも嫌いというわけではないのだろうが、わざわざ進んで食べたいかと言われるとそうでもないらしい。事実、当時の英人すら買った回数は数える程しかなかった。
「これ、お願いします」
「はいよ、130円ね」
英人がレジ台に焼きそばパンを置くと、その向こうで中年女性がぶっきらぼうに手を差し出してくる。
不愛想な購買部のおばちゃん、これも当時の英人が嫌という程見慣れた光景だ。
学生相手とは言え、クレームが来ないのかと心配になる程の不愛想な接客態度。
そんなある意味で翠星高校の名物であったこのおばちゃんは、生徒たちの間では「ブルドッグ」と呼ばれていた。
「……ふっ」
「ん? なんだい?」
「いえ、なんでも……はいこれ、130円ちょうどです」
おばちゃんの追及を咄嗟に誤魔化しつつ、英人は尻ポケットにねじ込んでいた財布から四枚の硬貨を取り出す。
それは中学、高校と六年間使い続けてきた二つ折りの財布。
さすがに11年後までは使い続けていないが、青春時代を共にしてきただけあってまだまだ手に馴染む感触がある。
「ああうん、ちょうどだね」
「……いつも、ありがとうございます」
「はいはい……んん?」
ここに来てから、見るもの触れるものがなつかしい物ばかり。
どことなく満足そうに微笑んだ英人は、颯爽と購買部を後にしたのであった。
………………
…………
……
「よいしょ、っと……」
校庭に置かれたベンチに、英人はゆっくりと腰掛ける。
あれから数分、本当は購買部に隣接した生徒ホール内で食べたかったのだが、あまりの混雑のためあえなく断念。
そして落ち着ける場所を探して歩き回っている内に、流されるようにしてここまで来てしまった。
とはいえ今の時間帯はこちらも結構な数の生徒が行き交っており、中々に活気だっている。
「ふぅ……よし」
そんな様子を横目で見つつ、英人はぴっちりとラッピングされた焼きそばパンの包装を剥がし始める。そして半分ほどめくった後、やや緊張した面持ちでその茶色の頭にに齧りついた。
(うん……ちゃんと食べれてる)
口の中に広がるソースの味と、鼻腔を突き抜ける青海苔の香り。
その後には麺とコッペパンのややボソボソとしつつも僅かに弾力のある食感が追ってくる。
五感で感じるそれらは、紛うことなき焼きそばパンそのものだ。
(味覚も食感も問題なし。それに今のところ体の不調もない。
食事もちゃんと出来るようだな)
滅茶苦茶おいしい、とは言えないもののどこか安心できるような味に英人は安堵の溜息を漏らした。そして残りも一気に頬張る。
「うん、ごちそうさん」
そして包装をくしゃくしゃと丸め、ベンチからゆっくりと立ち上がった。
結果として杞憂に終わったわけだが、食事についても大きな問題がないことを確認できたのは大きい。
そして腹を満たした次は何処に向かうかだが、校庭まで出てきたのならその選択肢は自ずと決まってくる。
(んじゃとりあえず、グラウンド行ってみるか)
昼休みももう残り10分程度であり、この時間からだと校舎内に戻って散策するには足りない。
それにここからだとグラウンドは渡り廊下を横切った先にあり、歩いて1分も掛からないのでちょうどいいだろう。
そう判断した英人は早速グラウンド方面へと歩き出した。
(体育以外じゃ、あまり俺と縁のある場所じゃあなかったよな……)
やや急ぎ気味に歩を進めながらグラウンド関連の思い出を掘り返すが、あまり目立った記憶は出てこない。
というのも当時の英人の運動能力は平均をやや下回る程度。つまりクラスで目立つわけでもなく、また馬鹿にされる訳でもないポジション、いわば空気に近かった。
なので英人本人にとっても体育という時間は無味無臭に近く、普通にやっていれば何の波乱も感動もなく終わってしまう類のものでしかなかったのだ。
(そんな奴が高校卒業後には必死で体を動かし続けるようになる……少し感慨深い、かな?)
今の時間だと、一二年生がサッカーなり野球なりで遊んでいる時間だろうか。
そんなことを考えながら、英人は渡り廊下の段差に足を掛けた時。
「そういやキヨハルー、昨日の『プレシャス・デイズ』見たか?」
「ん、『プレシャス・デイズ』?
えーと、何だったっけそれ」
「今やってるドラマだって。この前見てるって言ったじゃん。
主演の
「ああ確かに。
彼女、綺麗だし演技力もあるよね」
「だろ? あー俺もあんな彼女欲しい!」
(ん? あれは……)
左方向から突如聞こえてきた話声と足音に、英人は視線を向ける。
「いやいや泰士、いくらんなんでもアンタにゃ理想高すぎだって」
「なんだよアキー、別に夢見るくらいいいじゃねーか。
そりゃ確かに無謀だけどさ……ああでもキヨハルなら、もしかするとワンチャンあんじゃね!?」
それは男子二人に女子二人の集団。
学生ホールのある方角から出てきたことから、昼食を済ませたばかりといった所だろう。
みな一様に満腹後のやや重たい足取りで、こちらに向かって来る様子が見て取れる。
「いやいや、そんなわけないって。
俺如きがそんな……」
「いやいや学年、いや学校一のモテ男が何言ってんだよ。
あざみもそう思うだろ?」
「うーん、まあでも流石に相手が人気女優てのはちょっとハードル高すぎじゃない?
確かに浅野君って結構モテるけど」
「いやいやそんなことないって……」
このようにリア充っ気たっぷりの会話を惜しげもなく放ってくる男女グループであるが、実は彼ら全員が英人のクラスメートでもある。
(えーと、男二人が
そして女子二人が
彼らの顔を見、英人は何とか全員分のフルネームを思い出す。
かつてクラスメートの大半は今でも正直自信はないが、あの四人に関しては話は別。
というのも彼らこそがこの学校におけるトップカーストのグループだからだ。
特にそのリーダー格である浅野 清治は、この学校における人気と知名度をほぼ独占していると言ってよい。
彼を一言で表すとすれば「完璧超人」、まさにこれに尽きるだろう。
テストはいつも学年トップクラスであり、運動方面でもサッカー部の主将と文武両道。さらにはその爽やか系イケメン、加えて柔らかな物腰と外面内面共に隙がない。
当時英人の耳に入った噂だと、最低でも月に一度は女子から告白されてたという。
泰士が言ったように「学校イチのモテ男」とは決して誇大表現ではないのだ。
(まあ俺からすりゃ、雲の上の人間だわな)
英人は渡り廊下に足を掛けたまま、彼らが通り過ぎるのを待つ。
別に先に前を横切ってしまってもよいのだが、今は四人の姿を間近で見ておきたいという気持ちが勝った。
なにせ彼らはいつだって学校の話題をリードしてきたグループ、早いうちに観察しておいて損はないだろう。
それに浅野はともかくとして、他の三人だって中々の人物だ。
まず鶴見 泰士は成績こそイマイチなものの野球部の元キャプテンであり、さらにはその陽気なキャラクターと相まってクラス内での発言力はかなり高い。
その幼馴染で相方ポジションの石川 亜紀もその勝気な性格とセンスの良さでちょっとしたファッションリーダ的存在になっている。
そして最後の山手あざみはテニス部主将で成績も優秀であり、さらには正統派美少女なルックスによって男子からの人気は随一。
これ程のメンバーが一堂に会したわけなのだから、彼ら四人が翠星高校のトップカーストに君臨したのは半ば必然と言えた。
「そういや次の授業って何だっけ」
「えーと確か、そうそう数学の演習よ」
「うわ、マジか。
まだ俺全然公式とか頭に入ってねぇよ。今年の夏まで野球ばっかやってたし」
「それ言ったら清治やあざみは運動部のキャプテンやりながらいい成績取ってんだから、そんなの言い訳にならないでしょ」
「いやいや、そうは言っても俺と二人じゃ頭の造りが違いすぎるって!
なあキヨハルにあざみ、その脳細胞を俺にも少し分けてくれよー!」
「えぇ……それはいくらなんでも」
「ははは……」
一応同じクラスの仲間ある以上、相手も当然英人の顔は知っているだろうし何なら事務的な会話くらいはした覚えがある。
とはいえ当の英人は特定のグループにすら属さないいわばカースト外の人間でしかなく、互いに話しかける理由などあるはずもない。
なので四人は英人のことなどあまり気にする素振りも見せず、目の前を通り過ぎ去ろうとしていく。
別に、何らおかしいことではない。
カースト云々の前に、彼らとは生きている世界がまるで接していなかったのだ。だからこれもまた、この学校における日常の一幕でしかない。
(特に彼らも、大きな違いはない……おっと)
とはいえあまり見つめすぎるのも良くなかったらしい。
ふと清治と眼が合ってしまい、英人は咄嗟に目線を逸らす。
(とりあえず、こっちはこっちでやる事やっとかないとな)
そして何事もなかったかのように彼らの後ろ姿を見送り、グラウンドへと歩を進めるのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……結局収穫はなし、か」
下駄箱で上履きを脱ぎながら、英人はぼそりと呟く。
現在時刻15時50分。
初日の授業をようやく終え、英人は帰宅の途に着こうとしていた。
結局、グランドについても目立った問題点はなし。
その後も10分休みで校舎内を回ろうとしたが、やはり時間的制約が厳しいせいで思うように進めることが出来なかった。
思い切って授業をサボるという選択肢もあったが、これはあくまで最終手段。
下手に問題になってその後の行動が極端に制限される可能性が高く、こういった序盤で使うのはあまり好ましくないだろう。
となると残る自由時間は放課後だが、今日に関してだけは英人は最初から寄り道せず帰ることに決めていた。
(確かに学校に飛ばされてきた以上、内部のことは気になる。
だがそれ以上に……)
英人はポケットから携帯を取り出し、画面を見る。
そこには母親からのお使いを依頼するメールが表示されていた。
(家族のことが気になるからな)
英人はそれに「分かった」とだけ返信をし、携帯を閉じる。
もちろん直帰する理由というのはお使いではない。
それはただ英人自身がいち早く家族の動向をその目で確かめたかったという一心からである。
もし何らかの重大な問題があったら一大事であるし、あったらあったで解決の手掛かりになる可能性もある。
だが何より英人自身、昔の家族と会ってみたい気持ちもあった。
なので英人は足早に校門へと急ぐ。
(しかしお使いか。
懐かしいな、昔はよく頼まれてた)
終礼直後ということで、敷地内には帰宅する生徒たちの流れが出来つつある。
さらには部活動の準備を始める生徒も行き交っており、校舎周辺は忙しない空気で包まれていた。
そんな喧騒を横目で見ながらも、英人は黙々と歩を進めていく。
(さて、買う物はキャベツにパン粉……つまりは揚げ物か。
多分、あの頃の母さんの得意料理からして――)
トンカツ、だろうか。
そう予想した英人は顔を上げ、校門を跨いだ。
「……な、に?」
だが、しかし。
その先に広がっていた光景を前に、思わず英人の口から声が漏れた。
(な、なぜ……)
そして同時に脳内では、疑問と混乱の感情が一気に溢れ出てくる。
(確かに俺は今、校門を出た……それは間違いない。
だが……!)
目の前には、三年間通い続けた校舎が見える。
そう、校舎が自分の
たった今、校門から外に出たはずなのに。
(な、なぜ……?)
今度は自身の周囲を見渡す。
そこには先程までと同様に、数多の翠星校生の群れが歩いているばかりだ。
だがその流れは先程までとは逆だった。
つまり校門から出るのではなく、皆校門から校舎へと向かっているのだ。
(待て待て待て待て!)
英人は必死に頭を振り払う。
そうだ。自分はたった今、学校から帰ろうとしたはず。
ならばこんなことはあり得ない筈だ。
しかし体を包む感覚の全てが、その考えを残酷に否定していく。
頬に浴びる朝日の感触。
澄んだ空気と下がった気温。
そしてやや眠気が残る体。
これじゃあまるで――
英人は急いで携帯を取り出し、画面を確認する。
「嘘、だろ……」
だがその残酷な真実に、英人の表情は驚愕に歪む。
そして携帯を持つ手を力なくだらりと下げた。
『10月19日 8時21分』――画面には、そう簡潔に表示されていた。
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