神なるもの⑰『全員集合』

『――い』


「……」


『――おい』


「……」


『おい、契約者! 大丈夫か!』


 英人の脳内に、ミヅハからの念話がけたたましく響く。

 脳を割らんばかりのその音量に英人の意識はたまらず覚醒した。


『……気絶してたか。

 どれくらいの間気ぃ失ってた?』


『ほんの一瞬! それより毒、毒!』


 ミヅハの言葉を受け、英人は瞼を開いて自身の体の状態を確認しようとする。

 しかし視界の全ては紫色。どうやら、一瞬気を失って毒の川に体ごと突っ込んでしまったらしい。


『いま私の水で押し上げるから!』


『ああ……頼む』


 そ数秒後、地面から湧き上がった水の勢いに押されて英人は毒の川から脱出した。


「……『全身修復』」


 英人はやや力ない声で詠唱し、自身の肉体を毒に侵される前の状態へと戻す。

 これで、都合10回目の『全身修復』。


 戦いが開始されてからおよそ1時間。英人にとってここまでのハイペースで『全身修復』を使うのは初めてだ。

 それは異世界における戦いでも、英人が即死するレベルの攻撃が来ることはあまりなかったことを示している。例えあったとしても、それが連発されることはまずなかった。

 確かにそれだけヒュドラの力が強いと言うことも出来るが、それ以上に彼の吐き出す毒があまりにも厄介だった。


「ち……一応『上級毒耐性ハイ・ポイズンガード』張ってんのに、気休め程度にしかならんとは」


 ミヅハの作った水の足場を飛び移っていきながら、英人は愚痴っぽく言った。

 基本的に『上級毒耐性ハイ・ポイズンガード』を使用しておけば毒状態にかかることはない。なにせ毒特化の『魔獣』が持つ劇毒すら防ぐのだ、少なくとも英人の記憶する限り『異世界』の生物にこの守りを貫く毒などなかった。しかし、ヒュドラの毒に関してはその常識も通じないらしい。

 つまり、ヒュドラの毒を体内に摂取するということは死に直結する。

 もし解毒するならもはや「摂取していなかった」ことにするしかない。だからこそ、英人は体が毒に侵される度にわざわざ『全身修復』行っていたのだった。


「また復活したか、しぶとい。

 いい加減鬱陶しいぞ、人間」


「仮にも不死身と呼ばれた人間から鬱陶しさを取ったら、一体何が残るってんだよ」


「ならばその戦意ごと討ち滅ぼすまで!」


 ヒュドラはその巨大な顎を開き、毒のブレスを放った。

 まるで滝かと誤認してしまいそうになるほどの圧倒的な質量。

 英人は水の盾を展開し、アンカーを使って横に跳ぶ。


「ったく、いくらデカいっつっても一体どこにそんな量の毒が詰まってんだよ」


 その馬鹿げた毒の量に悪態をつきながら、英人はすぐさま次の木に着地。

 しかしその木もすぐに毒の奔流に飲み込まれていってしまう。


(思ったよりも、毒の増加が早い……!)


 気付けば、周囲の木々は全てヒュドラの毒の中。英人は仕方なくミヅハが作った水の足場に再び着地した。


「ふむ、これで貴様を見つけやすくなったな。

 直に食ろうてやろうぞ!」


 開けた視界、ヒュドラは英人を取り囲むように触手を展開する。


「そりゃどう……もっ!」


 すかさず英人は足元の水を操作して、アイススケートのように毒の川を滑りながら触手を避けていく。


「ぬう、ちょこまかと……!」


「『鬼王鉄拳オーガーアイアン雷鳴ライトニング』っ!」


 触手の群れを掻い潜りつつ、雷撃の剛腕がヒュドラの胴体へと突き刺さった。


「ぐぬぅっ……!」


 表皮は焼け焦げ、胴体の肉は潰れる。

 ヒュドラは思わずくぐもった声を漏らした。


「嘗めるなァっ!」


 しかしヒュドラもやられてばかりではない。

 その巨体を強引に動かし、英人を振り飛ばす。


『契約者!』


『こっちは大丈夫だ! それよりもそっちに行ったぞ!』


「まずはこの忌々しい壁から破壊してやる!」


 吹っ飛ばした英人には目もくれず、ヒュドラは水の壁へと標的を定め突進する。

 2キロメートルにも及ぶ巨体の前進は、最早それだけで地形を容易く変えてしまうほどの破壊力を持っていた。


「おおおおっ!」


 どお、という音の後凄まじい衝撃と地鳴りが響く。

 圧倒的な質量から繰り出す、単純が故に強力な一撃。それはたとえ神器による防壁でさえもそう何度も防ぎきれはしない。


「でもこの壁は――防ぐだけじゃあないのさ!

 なんたって私は『武器』だからね! そらっ!」


 瞬間、壁からは何本もの水の槍が出現した。


「なっ――」


「ベタな言い回しだけど、蜂の巣にしてやるぜ! 『水鏡長槍陣』!」


 ミヅハの号令と共に、それらは容赦なくヒュドラの胴体へと突き刺さる。

 その光景はまるで槍衾。第一陣が表皮に穴を穿てば、第二第三の槍の群れがその穴へと殺到していく――最終的に、水の槍はヒュドラの巨体をくまなく貫いていった。


「グ……ガ……」


「これで一丁上がりぃ!」


 水の壁の向こうから、ミヅハがフフンと鼻を鳴らす。

 対するヒュドラは、水の槍に体を固定されて言葉を発することすら不可能となっていた。


『どうよ契約者! これが神器の力ってやつさ!』


『ああすごいすごい……ってまずいぞ!』


『ん、どした……ってえええええ!?』


 念話越しにミヅハが驚愕の声を上げた。

 それもそのはず、動きを封じられたヒュドラは自らの体を細かく分裂させたのだ。


『ちょっ、え、え?

 なにあれなにあれ!?』


『知るか! いいから分裂した肉片にも攻撃だ!』


『お、おおー!』


 そう返事をしたミヅハは水の壁から再び大量の槍を展開、射出する。


 文字通り、雨のような集中砲火。ただの肉片に避けられる道理はない。

 しかし命中する瞬間、ヒュドラの肉片はそれぞれ蛇の形に姿を変えた。


「ハハハハハ! 甘いぞ神器!

 体を貫いた程度で我を殺せると思うな!」


 小さな蛇たちはそのまま毒の川へと潜りこんで攻撃を回避する。


『ああもうちょこまかと……!

 そっちの方にいったぞ!』


『分かってる!』


 英人はそう念話で叫びながら、向かってくる小型の蛇を『エンチャント・ライトニング』で焼き殺していく。

 しかしその全てを倒すには至らず、そうこうしている間に英人の周りには大量の蛇が殺到する。そのまま集まった蛇たちは融合を繰り返し――再びヒュドラの巨体を形作っていった。


「ふう……便利ではあるが、これは少々疲れるな」


 ヒュドラは元通りになった首を煩わしそうに少し捻った。


「一応知ってはいたが……何でもありだな、お前」


「それは貴様もだろう、さかその身に直接『魔族』を宿すとはな。

 少々驚いたが、しかしその程度では我を殺すには至らん」


「分かってるさその位……っ!」


 英人は僅かに表情を歪める。


「はっは、それはそうだろう。

 いくら直接浴びぬでも、これだけの量の毒に囲まれてはな。

 人間ならばその瘴気だけでも患うというもの。

 どうした? 先程までのように直してみせよ」


「チ……『全身修復』」


 英人はぼそりと魔法を詠唱する。

 これで11回目。

 いくら英人の魔力が多いといっても、神器との併用では使える回数に限度がある。


(本来なら、もう少しマシなんだが)


 英人は心の中で悪態をついた。

 異世界と比べたらかなり劣るが、この世界にも魔力の源となる『魔素』はある。

 通常はそれを摂取しながら戦うのでもう少し余裕があるのだが……この『神域』内は異様にその『魔素』が薄かった。

 

(……多分、900年という時をかけてコイツが全て吸い尽くしてしまったんだろうな)


 つまり、今回はほとんど補給なしでヒュドラを倒さなければならない。それも毒が村に流出しないよう『神域』全体を巨大な水の壁で囲み、かつ自身は毒でやられないよう逐一『全身修復』を行いながら。

 考えるだけで頭が痛くなるような魔力の大量消費。果たして、どれ程持つやら。

 一瞬、英人の脳裏に『魔王』を倒したあの技の存在が過った。が、それはすぐに振り払う。

 発動するには魔力が絶対的に不足しているし、何より今の英人にはその資格がない。


「ま、ない物ねだりしても仕方ない……か」


 英人は額の汗を拭う。

 元より消耗戦は覚悟の上。ならば全てが尽きるまでひたすら戦い続けるのみ。

 英人は気合を入れ直し、ヒュドラへと再び向かっていった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 同じサークルのメンバーが、目の前で巨大な蛇と戦っている――果たしてどれだけの人間が、その言葉を信じてくれるだろうか。


「八坂、さん……」


 両手を胸の前で握りしめながら、美鈴は念じるように呟いた。

 無論、祈ったとて状況が好転するわけでもない。いたたまれなくなった彼女はチラリとミヅハの横顔を見る。


「……ん? 虫でもついてる?」


 その視線に感づいたのか、間の抜けた返答が返ってきた。

 しかし顔はこちらへ向けることはなく、頬にはジワリと汗が浮き出しているのが見える。

 おそらく、彼女もかなりギリギリの戦いを強いられているのだ。考えてみれば当然だ、相手は昔話に出てくる化け物なのだから。

 それを瞬時に理解した美鈴は、すぐに前を向いて己の不用意な行動を恥じた。


(私は出来るだけお二人の邪魔にならないようにしないと……!)


 美鈴は懸命に、壁の向こうの景色を見る。

 それは最早オカルトさえ超えた神話の世界。その中で八坂やさか英人ひでとという男は命を懸けて戦っている。


 同じサークルのメンバーで、年上の人――それが当初、美鈴が彼に持っていた印象だった。

 泉代表には気に入られていたようだったが、美鈴にはよく分からなかった。そしてそれは今もっと分からなくなっていて――


(なんで、この村の為にそこまで命を懸けられるんですか?)


 至極当然の疑問が美鈴の脳裏にはっきりと浮かんだ。

 だって、そうだろう。『卑奴羅ヒドラ』の存在を差し引いたとしても尚、正直言ってこの村はまともではない。この現代において生贄などいかな宗教においても許されるはずがないのだから。

 なのに彼は今、そんな村の為に戦っている。


(……それほど、姉さんのことが?)


 ふと、鈴音のことが思い浮かんだ。


 美鈴は彼女の過去については知る由もない。でも、今なら何となくは分かる気がした。


「……姉さんも、ずっと戦っていたのですか?

 今の八坂さんのように……」


 そう言い終えた後、美鈴は再び両手をキュッと握りしめる。

 もちろん、その言葉に答えるものはいない。


 その時――


「あ、美鈴お姉ちゃん!」


「……」


 清川きよかわ風音かざね清川きおよかわ団平だんぺい

 美鈴にとっては意外とも言える人物たちがその場に現れる。



卑奴羅ひどら』荒ぶる『神域』。

 奇しくも今ここに、藤太とうたの血を継ぐ者全員が集結したのだった。

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