神なるもの⑩『清川家の一族 後編』

 それは今年の三月。

 風音の存在を隠蔽してから、もう10年が経とうとしていた時だった。

 風音が、桓本家に見つかってしまったのだ。


 それはふとした油断だった。

 おそらくは鍵を掛け忘れてしまったのだろう。風音が部屋から抜け出し、不幸にも桓本家の「影」に捕まってしまったのだ。

 俺は急いで桓元へ釈明に行った。


「まさか10年もの間、娘を隠しとったとはのう。

 一杯食わされたわ」


「う……!」


「いやしかし幸運じゃったわい。これで今年の『巫女参り』もなんとかなりそうじゃな。

 まさに『オオモリヌシ』様の思し召しよ」


「そ、それは……!

 それだと二回連続で清川家に!」


「仕方ないじゃろう、村にちょうど良い娘がいないのじゃから。

 それともなんじゃ、代わりがいるとでも言うんか? 10年前みたいに」


 そう言って村長は面妖な笑顔を浮かべた。


 このままでは、娘が生贄にされてしまう。

 なんとか出来ないか……そう考えた時、ふと思い出したことがあった。


「そうだ、京子、京子さん! あの20年前に村から逃げ出した時、京子さんのお腹には子供がいました!

 もし無事生まれたのなら、ちょうど20歳になっているはずです!」


 それは20年前に脱走した秀介しゅうすけの妻、秦野はだの京子きょうこ

 正直、この時まですっかり存在を忘れていた。


「京子の娘か……?」


「もし見つけることが出来たらその娘に巫女役を変わってもらう、それなら村長としても文句はないでしょう!?」


「ふむ、まあそう簡単に見つかるとも思えんが……まあいいじゃろう。

 『巫女参り』まではまだ時間はある、もし見つけられたら望み通りにしよう」


「あ、ありがとうございます!」


「ああそれと風音じゃが、ここでしっかり面倒を見ておくから安心せぇ」


「――ッ! は、はい……!」


 それは明白な人質宣言、しかし俺は頭を下げるしかなかった。


 それからは、必死の思いで秦野京子の足取りを探した。しかし問題が問題だけに警察沙汰にはできない。

 だから探偵を雇い、時には自分の足でひたすらに探した。


 そしてそれからおよそ三か月、ついに辿りついたのだ。

 残念ながら京子の方は亡くなっていたが、娘の方は今も生きていた。年齢も今年で20歳と申し分ない。

 しかし次の問題は、この娘が村に来てくれるかどうかだった。娘の命が掛かっている以上、絶対に来てもらわなければ困る。

 だから俺はさらに二週間以上かけ、彼女の素性を徹底的に洗った。

 するとクラブのホステスとして働いていることが判明し、俺はそれを脅しに使った。そして無事に秦野美鈴に『巫女参り』の前日に村へと来る約束を取り付けたのだ。


 わざわざ前日にたのは、『巫女参り』の真実が彼女に知られる可能性も低くするため。一旦来てしまえばあとはこちらのものだ。


 そして九月、その時が来た。

 軽トラックの運転席で、目当ての人物の到来を今か今かと待つ。


 しかしそこにいたのは、美鈴だけではなかった。


 彼女の隣にいたのは二十代後半くらいの、やや体格のいい男。

 本人が言うには美鈴の同級生ということらしいが……なんにせよ、こちらにとっては完全に招かれざる客。しかし彼女がどこまで彼に話しているのか分からない以上、そのまま返すこともできない。なので仕方なく村に招き入れることにしたのだ。



「……なんなんだ、あの男は」


 村へと向かう道中の中、ハンドルを握りながら俺は美鈴に尋ねた。

 件の男は後ろの荷台だ。


「先程言っていた通り、私の同級生です」


「そんなことを言っているんじゃあない!

 なんで一人で来なかった!」


「……一人で来いとは、言ってなかったはずです。

 それに、七月のことは八坂さん含め誰にも言ってませんから安心してください」


「――ッ!」


 第三者の介入という完全なる誤算。自分のやることはどうしてこうも計画通りにいかないのか、余りのツキのなさにイライラする。

 しかし一応は当初の目的である美鈴の確保は完遂した。これで風音を返してもらえるはず――



「――団平、あの余所者を殺せ」


「…………なんですって?」


 村長の口から出たのは、予想外の指令だった。


「まずはお前の望み通り、今年の巫女は美鈴とする。風音もお前の元へ返そう。

 しかし、余所者を連れてきたのはお前の不手際。じゃからお前が直接手を下せ」


「し、しかし……」


「本来なら風音を隠してきた件だけで万死に値する所業なのじゃぞ?つまりはこの伊勢崎村の裏切り者と言っても過言ではなかろうて。

 ならば罪滅ぼしのためこれくらいはやってもいいと思うが? ん?」


「わ、分かりました……」


 もちろん、人を殺した経験などない。

 だが娘のためにここまでしてきたのだ。今更後には退けなかった。

 そしてつい先ほど、俺は余所者を山奥に埋めてきたのだ。


 直接手こそ下してはいないが、死体遺棄を行った以上人殺しと同義だろう。

 だが、これでいい。

 何故なら俺ははたった一人の家族を守り切ることができたのだから――。



 ――――――



 ――――



 ――



 亡き妻に向かって手を合わせた後、団平はなおも重い足取りで風音の部屋へと向かった。

 そこは二階の一番奥。何箱も積みあがった段ボール箱やら木箱やらをどかすと、古びた扉が現れた。そこは風音をかくまう隠し部屋であった。

 団平はそのまま軽く一回、ノックをする。


「……風音、いるか?」


 しかし、返事はない。

 いつもはすぐに返事をくれるはずなのに。


「……おい」


 もしかしたら、昨夜叱ったことをまだ根に持っているのだろうか。

 しかしまだ『巫女参り』が終わっていない以上、下手に外に出られても困る。


 ならば此方から、と団平は全ての鍵を開けて部屋へと入った。


「……風音?」


 だが、その中には娘の姿はなかった。

 雑多な家具の他には、使い古された絵本やら玩具やらがあるだけである。


「風音、風音っ……どこだっ!?」


 団平は必死の形相で布団やら絵本やらをひっくり返し、部屋の中を探し回った。

 しかしいくら探しても、娘の姿は影も形もない。


「そういえば昨夜といい、どうやって……!?」


 昨夜は、久しぶりに帰ってきたばかりだからと閉めた鍵は一つだけだった。

 しかし鍵が掛かっていたことには変わりない。ましてや今日に限っては鍵を5つも掛けていたのだ。本来なら、万が一にも抜け出すことなどできないはずなだ。


「くそ……!」


 団平はキョロキョロと辺りを見渡し、手掛かりを探る。

 すると気になるものがあった。


「なんだ、この絵……」


 それはクレヨンで描かれた絵。

 大きな蛇に剣を持った人間がいることから、おそらくは藤太の昔話をモチーフにしたものだろう。

 しかし壁に貼る位置が下過ぎて床で折れ曲がってしまっている。いくらなんでも不自然だ。


「まさか……」


 団平はその絵をゆっくりとめくる。

 そこには、子供一人がギリギリ通れるくらいの穴が空いていた。



 ………………


 …………


 ……




「風音っ、風音っ……!」


 部屋の穴を見つけてから二時間。

 団平は草をかき分け、娘の行方を必死に探していた。


 何故穴を空けてまで抜け出したのかは分からない。しかし今まで桓本家に囚われていた関係上、村人の目につくような場所へは行かないはず――その推測のもと、団平は必死に周囲の山を捜索していた。


 しかし、たった一人だけでは山ひとつ探すだけでも凄まじい労力がいるのもまた事実。加えて探す当てすらない以上、もはや無謀と言うしかない。


「ハァッ……! ハァッ……!」


 なんの手掛かりも得られないまま、ひたすら時間だけが過ぎていく。

 しかし、なんとしても日の入り前に探し出す必要があった。


 なにせ夜の山における捜索活動は至難の業。それに、子供の体で一夜を過ごすのはあまりにも危険だ。

 せめて手掛かりさえあれば……そう思った団平の頭に、一つの可能性が過った。


「もしかしたら、秘密基地に……!?」


 久しく部屋の中で過ごしてきた娘である。もしこの山林の中で知っている場所があるとすれば、あの秘密基地だけだ。

 確証など何処にもないが、今はこれにすがるしかない。

 団平はそう決断し、山道を急いだ。



「風音っ……!」


「お、お父さん……」


 果たしてその推測は当たっていた。秘密基地の奥で蹲っている風音に、団平は駆け寄っていった。


「あっ!」


 そのままひとつ、風音の頬に平手打ち。しかし疲労のせいか上手く力が入らず、その音は頼りなかった。


「ハァ、ハァ……! 

 なんでまた抜け出した!」


 しかしそんなことは関係ないとばかりに、団平は乱れた息のまま風音を叱咤した。


「……」


「あとあの穴はなんだ!? いつから作っていた!?」


「……」


「答えろ!」


 なんの反応も示さない風音に、団平は声を荒らげた。

 しかしその後の言葉が続かない。それもそのはず、他ならぬ団平自身が己の感情を測りかねていたのだ。

 だが、このまま何もしないわけにはいかない。そう言い訳をするように、風音へと手を伸ばした時――


「……もう、やだよ」


 ポツリと、風音が零した。


「風音……?」


「もうやだよ、こんなの」


 憐れむような、怒るような、父である自分ですら初めて見る表情を娘は浮かべていた。


「な、何を言っているんだ風音……ああそうか、ずっと桓本家にいたから疲れてたのか、なら」


「違うよ」


「な……いや、そうだな。ずっとあの部屋にいるのは嫌だったよな。

 でも今日の『巫女参り』が終われば――」


「だから違うよ!」


 いつになく張り上げられた風音の声に、団平は固まった。

 風音は涙を浮かべてまくしたてる。


「お父さん、今の自分の顔を見てみなよ。ひどい顔だよ?

 隈もすごいし、頬もこけて……今にも死んじゃいそう。

 なのに10年前からずっと、私の為に頑張ってさ……」


「か、風音……」


「何があったのかは詳しく知らないけど……辛いことがあったんでしょ?

 例えば、お母さんのこととかお姉ちゃんのことで」


「……」


 この娘はずっと、そんなことを考えていたのか。

 団平は驚くとともに、じんわりと何か暖かいものがこみ上げるのを感じた。


「だから私、大人になるのをやめたの。

 だってずっとこのままだったら、お父さんだってこれ以上困らないでしょ?」


「……!」


「でも、もう分かんなくなっちゃった……。

 私がこの村にいるせいで、お父さんが苦しんでる」


「そんなことは……」


「それにね、私でもう19歳だよ? 色んなこと、してみたいし知ってみたい。

 だったらもう、私がこの村からいなくなるしかないよ……」


 風音は頭を伏せ、いっそう涙を流した。

 一方で団平は絶句しながら佇む。


(俺は一体、風音の何を見てきたんだ……)


 娘がもう19であることなど、今の今まですっかり忘れていた。

 いや、無意識のうちに見ないようにしてきたのかもしれない。

 もし本当にいなくなってしまった時、それを直視するのが怖いから。無駄に数を増やした鍵がいい証拠だ。


 しかしそんな中でも娘は、自分なりの戦いを必死に続けていた。

 おそらく『巫女参り』のことも薄々気付いてたのだろう。

 だからこそ彼女はささやかな抵抗として自身の未来を捨て、子供であり続けることを選んだのだ。


 思い返して、ぞっとした。

 俺はこんなにも恐ろしいことを娘にしてしまったのか。娘の為と言いながら、俺はこれほどまでに残酷な運命を……!


「……すまない、すまない風音っ!

 俺が、俺が悪かった……!」


 気付けば、団平は我が子を両手で抱きしめていた。

 10年ぶりの抱擁。なのに重さも、大きさも、匂いでさえも何ひとつ変わっていない。今はそれがひたすらに虚しい。

 しかし、それでも抱き続ける。

 10年の空白を埋めるように。


「うぅ、お父さん……ううぁぁぁあああっ……!」


 風音もそれに応えるように、その小さな腕で団平を抱き返す。

 辺りには、親子二人の泣き声だけが響き続けた。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 同刻。


『――とりあえずは以上だが、これでいいのかい?』


『ああ十分。サンキューヒムニス。

 んでそっちの方の首尾は?』


 日の入りの太陽を眺めながら電話をする男が一人いた。


『いや、流石にすぐには動けないようだよ。

 規模が不明瞭だし、なにより確証に欠けるからね。少なくとも今夜中は絶対無理だ』


『なるほど……ま、仕方ないか。

 その辺りは現場でなんとかするわ』


 それはやや土で汚れた服を着た、20代後半の男。

 名前は八坂やさか英人ひでと、この伊勢崎村で死んだはずの男である。もちろんそのすぐ後に『全身修復』で生き返ったわけだが。


『しかし知らない番号から電話が来たと思ったら君とはね……しかもとんでもない案件を抱えてるときた。

 前々から思ってたけど君、結構トラブルに好かれる体質なのかい?』


『全力で否定したいが、ここ最近のことを考えるとな……というか電話に関しては、ここら一帯全然スマホが繋がらねぇのよ。

 ったく、おかげで無駄に走りまわる羽目になった』


 受話器を片手に、英人は後ろを振り向く。

 そこでは駄菓子店の店主である老婆が、のほほんとお茶を飲んでいた。

 いま英人がいるのは伊勢崎村から離れた所にある駄菓子店。かなりの時間を割いてようやく探し当てた場所である。


『とはいえ大丈夫なのかい?

 先程の仮説が正しければ、いくら君でも……もう少し体勢を整えてからの方がいいんじゃ?』


『いや、もうタイムリミットだ。

 相手が待ってくれない以上、今夜中に片を付けるしかない。ま、一応最低限の準備はしたしあとは全力でやるだけだな』


『そうか……』


『言っておくが、止めないでくれよ? 

 これは俺のための戦いでもあるからな』


清川きよかわ鈴音すずねのことかい?』


『ああ。だってよ、ここで仲間の故郷ひとつ守れねぇんだったら、わざわざこの世界に戻った意味がないだろ?

 だから頼む』


 言うと、受話器の向こうからは溜息交じりの言葉が返ってくる。


『……そうか分かった。幸運を祈る』


『ああ了解。恩に着る』


 英人はカチャン、と受話器を置いた。


「おばあちゃん、電話ありがと」


 英人は小さく一礼し、古ぼけた丸椅子から立ち上がる。

 すると、後ろからやや掠れた声が聞こえてきた。


「……難しいことはよう分からんが、頑張ってきんさい」


 慌てて後ろを振り向くと、老婆は依然としてのほほんとお茶を飲んでいる。

 しかしその目はこちらを向き、僅かに微笑んでいるように見えた。


「……はい!」


 そう答えた英人は店を飛び出し、伊勢崎村の方角を見据える。

 

 視線の先には、夕日に照らされ夜の準備を静かに始めていく山々。

 その向こう側では今夜、祭りがある。

 関わった全ての人間の運命を狂わせきた祭りが。


 それを今から――壊しに行く。

 持てる力全てを使って。


「よし……行くか」


 英人は気合を入れ直し、全力で駆けた。

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