神なるもの⑨『清川家の一族 中編』

「ハァ……ッ! ハァッ……!」


 正午。

 残暑の日照りの下、清川家の敷地内から一台の軽トラックが停車する。そこからまるで倒れ込むかのように降りてきたのは、家主の清川きよかわ団平だんぺい

 彼はそのままふらついた足取りで、自宅の玄関へと歩いていった。


「ハァッ……! ハァ……ッ!」


 激しい運動をしたわけでもないのに、動機が激しい。しかしこれでもある程度時間が経ってマシになった方だ。なにせ当初は運転席に座ったまましばらく動けないほどだったのだから。おかげで帰宅時間が伸びに伸びてしまった。


「ハァ……!」


 ようやく玄関までたどりついた団平は鍵を開け、乱暴にその戸を開いた。そのままどたどたと不揃いな足取りで板の間で踏み鳴らし、洗面所へと向かう。もちろん脱ぎ捨てられた長靴を綺麗に揃える余裕など、ない。


「ハァ……、ハァ……」


 洗面所に着くなり蛇口を最大まで開放し、浴びるように顔と手を洗う。特に手は念入りに。あの纏わりつくような温かさを早く忘れる為に、何度も何度も手を洗い流す。

 ふと、何かに気付いたように団平は顔を上げた。


「これが……俺の顔……?」


 元々、愛想がいい方ではないことくらいは自覚している。しかしそれでも、その表情は疲労と焦燥に満ち溢れていた。


「く……っ」


 団平は自身の頬にそっと手を這わせ、軽く揉みほぐす。もちろんその程度のマッサージで疲れた顔が元に戻るはずはない。

 それでも、鏡に映る顔が本当に自分の物かを確かめるためにひたすら触り続ける。


「嘘だろ……」


 団平がようやく現実を受け入れたのは、数分経ってからだった。





「……」


 団平は先程よりもさらに重い足取りで、自分の部屋へと歩いていた。


「……けど、これで……」


 引きずるように歩を進める度、うわごとのような呟きがも漏れる。


――そう、これでよかったんだ。


 美鈴は今頃、桓本家で監禁されているのだろう。部外者の登場という想定外の事態こそあったが、このままいけば美鈴が巫女となるはずだ。

 つまり、もう風音は、生贄に選ばれることはない。だからこれでよかったんだ。


 震える心に言い聞かせながら、団平は虚ろな表情で襖を開いた。


 その部屋は、8畳ほどの空間に中くらいのタンスと仏壇しかない、質素な部屋だった。

 団平は入るなり、真っ先に仏壇の前に座り、すがるように両手をすり合わせる。


「……志乃しの


 それは亡くなった団平の妻の名であった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 この村には、一つの風習があった。

 その名も『巫女参り』――10年に1度、『オオモリヌシ』様に巫女を捧げるという儀式である。

 そして巫女を捧げるという言葉、これは何かの比喩でも虚飾でもない。文字通り村から女性を一人選び、それを生贄として捧げるのだ。

 まるで中世どころか古代の儀式、しかしそれによって伊勢崎村は900年前から現在にいたるまでの間、安寧と繁栄が保ってきた。


 だからこそ村人たちはその儀式の存在について疑問を持つことはなかった。いや、たとえ持っていたとしてもそれを口外することなどありえなかった。

 それほどまでにこの村では『オオモリヌシ』様と桓本かきもと家の存在はは絶対なのだ。




――三十年前。


 姉が巫女として生贄に捧げられた。


 俺は悲しんだ。綺麗で、そして優しい人だったから。

 しかしそれを表に出すことは出来なかった。やれ「巫女として立派に勤めを果たした」だのやれ「村の為」だのという空気の中では、不用意に涙を見せることはご法度だったのだ。もし見られたら「崇高な巫女の使命を愚弄するか!」と顰蹙を買うのは目に見えていた。


 だから俺は人目のつかないところで、泣いた。

 兄である秀介しゅうすけも静かに泣いていた。


 そして周りと同じように言い聞かせた。

「村の繁栄のためには仕方のないことなのだ」、と。


 その年、秀介と京子きょうこの間に鈴音すずねが生まれた。

 清川家の女児――つまりは生まれながらにして、巫女となる宿命を背負った子。

 その時秀介がどんな表情を見せていたのか、いまだによく思い出せない。


 ――二十年前。

 秀介の妻である京子が、腹に子を宿したまま村からいなくなった。

 わずか10歳の鈴音を置いて。


 この村の風習に、耐え切れなくなったのだろうか。

 兄に聞いても、「ただの夫婦喧嘩だよ」と誤魔化すばかり。


 それからしばらくして、今度は兄が死んだ。


 その年の『巫女参り』は余所の家の少女が捧げられた。

 基本的には清川家の女性が巫女となることが多いが、家の存続のため連続では選ばないのが通例なのだ。


 しかしそれは裏を返せば、次回は我々清川家の番だということ。おそらく、このままいけば鈴音が巫女として生贄に捧げられるだろう。

 本人もそれを承知しているようだ。


 そしてこの年、風音かざねが生まれた。


 正直、娘が生まれたという事実を呪った。

 姉の次は娘なのかと。


 しかし、風音が巫女になるとしてもその時はもう三十。

 このままいけば、大丈夫なはずだ。


 このままいけば……。



 ――十年前。

 当初の予定通り、鈴音が今回の巫女として選ばれた。


 姪の死に思うところはあるが、これもこの村の定めだ。彼女にやけに懐いていた娘には、やさしい嘘をついておいた。


 しかし、ここで予想だにしなかった事態が起こった。

 鈴音が突如として消えたのだ。しかも『巫女参り』の最終盤、生贄となる段階の直前で。



「――おい団平! 鈴音を見なかったか!?」


 その時の村長の様子は、よく覚えている。鬼の形相だった。


「いえ……巫女として其方にいるはずじゃ?

 まさか、逃げたんですか!?」


「分からん……とにかく突然いなくなっんじゃ。

 くそ、お前も知らんとは……!」


 おそらく、村長としても完全に想定外だったのだろう。

 これだけ感情的になる村長は初めて見た。俺もどうしてよいか分からず慌てふためく。


「……!」


 だが、まさにその時でもあった。

 俺にある考えが浮かんでしまったのは。


「村長!

 俺はとりあえず、自分の家を探してみます!」


「う、うむ!

 頼んだぞ!」

 

 それだけ残して俺は猛ダッシュで自宅にへと戻った。

 玄関に入ると、ちょうど妻と娘は祭りに向かおうとするところだった。


「あら、アナタどうしたの?」


「ゼェゼェ……ッ!

 鈴音……鈴音を見たか!?」


「見てないけど……何かあったの?」


「鈴音が……いなくなったらしい」


「!?  じゃあ、今年の『巫女参り』は……」


「それは分からない……だから志乃、今から言う話を聞いて欲しい」


 そして俺は咄嗟に思いついた計画を妻に話した。

 それは、風音も突然消えたと偽装すること。つまりは鈴音の失踪騒ぎへの便乗だ。


 今、少子高齢化の影響で村に若い女性はほぼいない。20歳以下で限定すれば風音ただ一人だ。そして『巫女参り』の日にちは変えられない以上、今度は風音が代わりの巫女となる可能性が高い。父親として、それだけはなんとしても避けたかった。

 だから自分たち夫婦は風音を隠すことに決めたのだ。


 隠し場所は裏山にある兄と作った秘密基地。そこは自分たち兄弟を除けば、村の人間すら知らないまさに秘密の場所である。

 作ってから二十年以上経ってはいるが、子供一人隠すくらいならなんとかなるだろう。


「――いいな風音! 次に俺が戻ってくるまでここでジッとしているんだ!」

 

「で、でも……ここ暗いし怖いよ……」


「いいから言う通りにするんだ!」


 俺は秘密基地の奥に風音を押し込み、急いで自宅へと戻る。

 そこではちょうど妻が村長の対応していた。


「あっアナタ……! おかえりなさい……!

 それで、風音は……?」


「ダメだ、見つからなかった……! クソっ、あいつどこに……!

 すみません村長、風音まで突然いなくなって……」


「ああ、ちょうど志乃から聞いたよ。

 しかし困ったのう……立て続けに神隠しとは。

 悪い夢でも見てるようじゃ」


「やはり、鈴音もウチの娘と同じように……?」


「ああ、いきなり体が光に包まれたと思ったら消えとった。

 年をとって幻覚を見たのかと思ったぞい」


「そ、そうですか……」


 正直、村長が言っていることの意味はよく分からなかった。

 だが確かなのは、不測の事態の連続でこの老婆の判断力が鈍っているということだ。これなら、バレずに隠し通せる。


 しかしその時、俺は甘く見ていたのだ。

 この村に900年かけて溜まり、蠢いていた闇を。



「うーむ、なら仕方ないのう。

 ならば志乃…………お前、今から巫女になれ」



「………………………………………………………………は?」


 一瞬、何を言っているのか分からなかった。


「え……わ、私が……?」


「な、なんで家内が!? こう言ってはなんですが、今年で35ですよ!?

 若くはないですし、嫁ですから直接清川の血は継いでません!

 巫女の用件は満たしてないはずです!」


「しかし、嫁入りしとる以上『清川家』じゃろう? 確か遠縁でもあったはずじゃ。

 年もまあ……志乃は小奇麗で若く見えるし大丈夫じゃろ。

 この際贅沢は言ってられん、とにかく『巫女参り』を完遂することが先決じゃ。

 ほれ、早くこっちこんかい」


「いやちょっと待って下さい!」


「おい、岩夫」


「……ハッ」


「ぐむっ!?」


 瞬間、黒装束に身を包んだ大男が俺のの体を抑え込んだ。

 凄まじい力。体をピクリとも動かせない。


 かねて噂には聞いたことがあった。

 桓本家には邪魔者や反逆者を始末する「影」がいつの時代にもいる、と。


「ぐぐっ……!」


「アナタ!」


「さ、はやく行くぞ。

 あまり『オオモリヌシ』様を待たせてはいかん。

 もし下手に抵抗するようなら……」


大男が、俺の肺を背中から強く押した。


「ガハァッ!」


「アナタぁ!」


「分かっとるの?」


 凄まじい力で押さえつけられ、全身が軋む。

 しかし黙りこくるわけにはいかない。


「そ、村長。お、お願いです……家内は……家内だけは……!」


 必死に手を伸ばす。

 大切なものを守るために、大切なものを失わなければいけないのか。

 なんとしても、なんとしても守る……!


「……分かりました。

 鈴音ちゃんの代わりに私が巫女を引き受けます。

 ですからどうか、あの人は……!」


 しかし、その願いは叶わなかった。


「おおそうかい! 

 いや儂らとしても無益な殺生はしたくないでな。

 ほれ、早速行くとするかの」


「……はい。

 ごめんなさい、アナタ」


 目の前で、二人はゆっくりと去っていく。


「……やめろ」


 追いかけようとするが、押さえつけられている体はピクリとも動かない。


「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!」


 その日、妻は生贄として捧げられた。




 結局、鈴音と風音の捜索は大々的に行われることはなかった。


 何故なら巫女役の失踪は桓松家にとっての大失態。村での権威を守る為にも、内々で処理されたのだ。

 つまり、今回の巫女役は表向きは鈴音ということになった。志乃と風音の二人は単なる行方不明者として処理された。


 しかし、そんなことを考えていても仕方ない。これからはこのたった一人の家族を守ることに全霊を捧げなければ。


 まずは、風音を家の一室に押し込めて鍵を掛けた。

 秘密基地に隠し続けることも考えたが、行き来のことを考えると自宅が一番いいだろう。村人も当分は気を使って家には近づくまい。


 最初は風音も泣いたりしたが、「いつか出す」といって宥めた。

「それっていつ?」と聞かれても、「いつかだ」とだけ答えた。


 それからはひたすら普通に過ごした。

 気取られぬように、疑われぬように、悟られぬように。

 俺は、ただの「妻と娘を失った男」として変わらぬ日々を過ごそうとした。


 変わった事と言えば、風音の部屋の鍵が増えたこと。そして、風音の成長が止まったことぐらいだろうか。


 そう、ずっと10歳の頃の姿のままなのだ。

 

 最初は運動不足や栄養失調かとも思ったが、それだけでは説明がつかない。

 まるで大人になることを拒絶しているかのように、風音の姿は子供のままだった。


 しかしそんなことはどうでもいい。むしろ体が大きくならないのは好都合だ。

 そうだ、ずっとこのままでいい。

 ずっとこのまま、俺はたった一人の家族を守り続けるけてみせる――



「――コイツ、オマエノムスメダナ?」



 しかしそれもまた、儚い幻想でしかなかったのだ。


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