夏のせいにして⑧『夏はこれからだ!』
『――
『どんな感じって、何それ?』
『いや俺は受験に失敗した高校生で、ほかの「英雄」もリストラされたサラリーマンとか、虐待されてた子供とかじゃないですか。
鈴音さんにも、もしかしたらそういう境遇があったのかなって』
『ふふっ。なーに、おねーさんの暗い過去を聞いてそこの漬け込もうっての?
英人君ったら意外と抜け目ないねー?
私、浮気性なのは良くないと思うなあ』
『いやいや、そういうんじゃないですって。
鈴音さん、中々元の世界でのことを語ってくれないから……。
別に人の過去に無理して踏み込むつもりは全くないんですけど、なんかやっぱり聞いといた方がいいかなって……』
『それって私たちが、この異世界でたった五人だけの仲間だから?』
『多分……そんな感じです。
同じ境遇だからこそ、力になれることもあると思うんで』
『ふふっ、英人君優しいね。
でも……ゴメンね。いくら聞かれようと、こればっかりは私ひとりで何とかしたいんだ。皆にも心配かけたくないし。
だから一日でも早くこの世界を救って、元の世界に戻らなきゃ』
『元の世界で、やらなきゃいけないことがあるんですか?』
『うん。助けたい人たちがいるんだ。
以前は無力で何もできなかったけど、今はこの力があるから。
それに……』
『それに?』
『私、妹がいるの。
とーっても大切な』
『妹……』
『そう、だからおねーさんは頑張らないと!
ああでも……』
『もしおねーさんが死んじゃったら、その時は英人君にお願いしちゃおっかな?』
――――――
――――
――
翌日、バカンス最終日。
常夏の島を満喫した英人達一行は、帰りの飛行機に搭乗しようとしていた。
あまり海に出た時間は多くなかったとはいえ、そこはさすがに常夏の島。
強力な日光によって全員の肌は僅かに茶色く焼けてきている。
(鈴音、さん……)
そんな中、英人は窓の外の景色をボーっと眺めながら、その名前に思いを馳せていた。
年齢は英人の二つ上で、出身地は不明。
綺麗な黒髪と円らな瞳が特徴的な、まさに「大和撫子」と呼ぶに相応しい美女だった。
(確かに、
英人は、昨日見た
艶のある黒髪に、くっきりとした丸い瞳。
その美貌には確かに、鈴音の面影が色濃く残っていた。
とはいえ苗字が違う以上、すぐに断定はできない。
鈴音という名前だって決してメジャーではないにせよ、それなりにありがちなものだ。
しかし、あれを他人の空似と片づけてしまっていいのだろうか。
(……やはり、秦野さんが……?)
英人がそう結論づけようとした時。
「せーんせっ」
聞き慣れた声が、右耳に聞こえてきた。
英人が視線だけ右に移すと、
「ん、なんだ」
「いや、なんか暇だから来ちゃった」
「多分俺の所に来ても、その暇は解消されんと思うぞ」
そう言うと、美智子は不満そうに口を尖らせる。
「えぇー、そんなこと言わずに付き合ってよー。
まー待ち時間ができちゃったのは、ウチの飛行機に不備が出たせいなんだけどさ」
「ま、プライベートジェットとはいえそういうこともあるだろ。
無理に出発して墜落でもされるよりはよっぽどいい」
「ふーん」
美智子は小さく答えると、こてっと頭を英人の肩に乗せた。
「……おいおい」
「別にいいでしょ。疲れてるんだから」
「俺も一応疲れてるんだがなぁ」
そうぼやく英人。
しかし肩をどけるようなことはせず、美智子と一緒にボーっと外を眺め続けた。
「……ねぇ、どうだった?」
「何が」
「今回のバカンス」
美智子は少し頭をずらし、英人の横顔に視線を向ける。
その際に彼女の髪が少しだけ、英人の頬に触れた。
「ん、そうだな……まあ、いい思い出ができたよ」
「そっか」
そう言って美智子は再び、窓の外を眺めた。
「……なら、良かったかな。
先生、なんかこのところ忙しそうだったし」
「そう見えてたか」
「そりゃーね。あんなに家庭教師の日時を変更されたりしたら、私じゃなくても気付くよ」
「そいつは悪かった」
「まあ別にいいんだけど……あとそれとね」
美智子は英人の肩から起き上がり、改まったように向き直る。
「ん?」
「先生、何かあったでしょ?」
「何かって……なんだそりゃ」
英人がそう答えると、美智子は腕を組んで考え始めた。
「うーんよく分かんないけど……なんか、いつもの先生と違うよーな気がしたから?」
「なんか、ね……」
英人は適当に相槌を打つ。
実際、英人は昨日の件について、美鈴と話すべきか悩んでいた。
本当に彼女が鈴音の関係者だったらいいが、ただの他人だとしたらその名が『異世界』に関係する以上、『世界の黙認』の存在を考慮に入れてもおいそれとは追及できない。
だからこそ、英人は今日まで美鈴にそのことを聞けずじまいだったのだ。
「だからなんだろ、悩んでないでもっとガツガツいっちゃったら?
ほら、よく考えたら先生っていつもそんな感じじゃん! お節介というか!
私を助けた時もそうだったし!」
しかし美智子はそんな英人の葛藤を見透かしたように、ニッコリと笑いかける。
(そういや、最近はよく笑うな……)
それを見た英人はふと、そんなことを思った。
家庭教師になった当初、彼女はここまで明るく笑う少女ではなかったはずだ。
もちろん多少は笑いもしたが、今とはその性質がまるで違う。あの事件以降、本当に彼女は心から笑うようになった。
(……これが、ヒムニスの言う『変わった』ってやつか)
英人は背もたれに預けていた頭を上げ、美智子に向き直る。
「……確かに、お前の言う通りかもな。
ここで日和っていても仕方ないか」
「うん!
よく分かんないけど、いい顔になったじゃん!」
美智子は満面の笑みで頷いた。
かつての仲間、異世界の存在。
たとえ関係あろうがなかろうが、そんなものは二の次だ。
大事なのは、彼女がファン研のメンバーであること。そして代表が悩んでいること。
その二点だけあれば十分。
ならばお節介を焼くことに、躊躇はいらない。
「――よしっ、ちょっくら行ってくる」
「えっ、先生?」
英人はすくっとベンチから立ち上がる。
いきなりの行動に美智子は驚くが、それはひとまず後回し。
そのまま歩いて向かうは――
「秦野さん」
「や、八坂さん……」
美鈴の目の前に立ち、英人はゆっくりと口を開いた。
「ちょっとはな、『八坂さん! 少しお話があります!』……へ?」
しかしそれを言い終わる前に、美鈴は突然立ち上がって英人の手を引いた。
英人の腕を掴む、
力こそ弱いものの、手の平からはしっかりと強い意思が感じられた。
「ええと……! あのっ……!」
そして隅まで引っ張ると、美鈴は息を乱しながら英人に向き直った。
「昨日言っていた鈴音というのは、
おそらく、八坂さんより二歳ほど年上だと思うのですが」
「……ああ、そうだ」
英人は頷く。
間違いなく彼女の言う「清川鈴音」は、彼の知る人物の名だ。
ある程度覚悟はしていたが、やはり直感が示した通りだった。
「やっぱり……! ということはお知り合いだったんですか?」
「まあ、そんなところだ」
「そう、ですか……」
それを聞いた美鈴は少し俯き、しばし考え込んだ後、意を決したようにまた顔を上げた。
「清川鈴音という人は……私の姉です。
秦野は母の旧姓を使っていたものなので、苗字こそ違ってはいますが」
「そう、だったのか……」
「それで八坂さん。突然で申し訳ないのですけど……そのことについて、一つだけお願いさせてもらえないでしょうか?
別に断って下さっても大丈夫ですので……」
そう言って視線を泳がせる美鈴。
よく見ると両手でワンピースの裾を押さえ、肩を僅かに震わせている。
「いや大丈夫だ、遠慮せずに言ってみてくれ」
「どうか一緒に、清川鈴音の……姉の生まれ故郷に、来てくれませんか!?」
美鈴は顔を上げ、懇願するようにそう告げた。
「……鈴音さんの、生まれ故郷……」
英人は静かに、その言葉を反芻する。
共に死線をくぐって来た仲間の血縁と、その故郷。
それは英人にとって、大切な過去の断片。
空港の一面に張られたガラスからは、絶えず常夏の日差しが差している。
夏休みはまだ、その半ばすら迎えてはいなかった。
~夏のせいにして編・完~
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