夏のせいにして⑦『髪をかき上げたら』

 寝室での一件から数十分後、一行は食堂で遅めの朝食を取っていた。

 メニューはあらかじめ和洋中の中から選択しておいたものである。


「……今日は昨日より、日差しも弱めだね」


 焼き魚をつつきながら、かおるはおもむろに口を開いた。


「はい、今日の最高気温は29度。

 雲の日差しもそれほど強くありませんので、昨日よりも幾分安全かと」


「だったらせっかくだし海で泳ごうよ! 今日はそこまで暑くないみたいだし!」


 美智子みちこはテーブルから乗り出して宣言する。


「確かに……都築つづき君の言う通り、一度は沖縄の海を思いっきり泳ぎたいな」


「ワタシも泳いでみたいです!」


「右に同じくー!」


「でしょでしょ!」


 美智子の提案に薫、カトリーヌ、瑠璃子るりこの三人は乗り気な様子だ。


「うーん、興味はあるけど日焼けが心配……アナタはどうなの?」


 瑛里華は英人に尋ねる。


「俺は泳がんからどっちでもいいよ」


「ハア、そういえばそうだったわね。

 ……それじゃあ秦野さんはどう?」


「私、ですか?」


 美鈴みすずは意外、といった表情で自身を指さした。


「ええ。あ、もしかしてまだ体調が悪かったりする?」


「い、いえ。おかげ様でもう元気です……」


 まさかミス早応に話しかけられると思ってなかったのだろう、美鈴は気恥ずかしそうに俯く。


「だったら秦野はだの君、一緒に泳ごうじゃないか!」


 すると突然、薫が美鈴の後ろから抱き着いた。


「ええっ!? な、なんですか薫さん!」


「いいじゃないか。同じサークルのよしみだろう?」


「で、ですけど……」


 美鈴は顔を真っ赤にさせて身をよじった。

 性別問わず、体を密着させることに抵抗があるのだろう。


「いいじゃないか。せっかくだし泳いできなよ。

 別に全く泳げないわけじゃないんだろ?」


「八坂さんまで……」


「イッショに泳ぎましょう!」


「ほら、みんなもこう言ってる」


 薫は美鈴の耳元で囁く。

 それは同性でもハッとするようなウィスパーボイス。


「は、はい。私も泳ぎます」


 美鈴もその声にあてられたのか、最終的にはコクリと頷いた。


「うん! それがいい!」


 ニッコリと笑う薫。

 こうして一行は海へと行くこととなったのだった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「そらー!」


「エイッ!」


「そうらっ!」


「……えいっ」


「たぁーっ!」

 

「ほらっ」


 海の浅瀬で、煌びやかな美少女たちが海水を掛け合う――目の前では、そんな普通ながらも豪華な風景が広がっていた。

「とりあえず海に来たからにはこれをやっておこう」というわけで始まった遊びだが、意外と本人たちは楽しそうだ。これも常夏の陽気がなせる業だろうか。


 跳ねる水飛沫しぶき

 体が徐々に濡れていくにつれ、だんだん海水に対する抵抗もなくなっていく。


「そりゃっ!」


 ついには美智子が思い切って海にダイブした。

 頭の先まで海水に浸かり、笑顔で海面から顔を出す。


「ハハハ、大胆だな都築君!

 なら私も……そうらっ!」


「ワタシも行きます!」


 さらに薫とカトリーヌもそれに続く。


「あはは……元気だねー泉さんたち。

 こうなったら私たちも行っとく? 瑛里華」


 瑠璃子は恵理子を横目で覗き、尋ねる。


「うーんそうね……秦野さんは?」


「私も……泳ぎたいです!」


 美鈴は強く頷いた。


「うん! じゃあ行こっか瑠璃子」


「了解! よーし行くぞー!」


「はい!」


 そして三人も同様に海へと飛び込んだ。

 




「……お? 雨か?」


 それからおよそ一時間後。

 なにか頭に落ちるものに気付いた薫は、掌を上にかざした。

 よくよく周りを見てみると、先程まで晴れていた空はいつの間にか濁った雲で覆われている。

 そろそろ切り上げ時だろうか、と薫が思った瞬間。


――ッ、ザアアアァァァッ!!


「うひゃあ!  なにこれ、雨!?」


「これってもしかしてスコール!?」


 辺り一面に、まるで滝のような雨が降り出した。

 そのあまりの粒の大きさと量に、視界は一気に不透明なものとなる。


「この雨じゃ遊泳は無理だ! とりあえず止むまで一旦陸に戻ろう!」


 薫は大声で周囲に指示を出す。


「「「「はい!」」」」


 帰ってくる返事。

 かくして一行はいったん浜辺に戻ることにした。




「……はあ、まさか南国のスコールがここまでとはね……。

 少し侮っていたようだ」


「ハイ……とても強烈でした」


「うう……寒……」


 突然のスコールから逃れるため、ビーチパラソルの下でタオルにくるまる一同。

 しかしそんな中、瑛里華がある異変に気付いた。


「あれ……秦野さんは?」


「そういえば確かに……おーい秦野くーん!」


 薫は大声で呼びかけるが、返事はない。

 まさか……、と少女たちの中に不穏な空気が広がる。


「ねぇ! あれじゃない!?」


 そんな中、瑠璃子が海を指さす。


 一同がその方向を見てみると、雨に遮られた視界の中、人影らしきものが浮かんでいるのが見えた。

 詳細な状況までは分からないが、溺れている可能性が非常に高い。


「皆様はここでお待ちを。

 私が行ってまいります」


 それを見た青葉あおばは即座に上着を脱ぎ、下に着ていた競泳水着のみとなった。

 そのまま海に向かって一歩を踏み出そうとする。


 だがその前にひとり、先んじて動きだす人影があった。


「ちょっ……先生っ!?」


 それは、これまでずっとビーチチェアで休んでいたはずの英人。

 彼は瞬時に上着のシャツを破り捨て、浮き輪片手に海へと飛び込んだ。


「アナタ、泳げないはずじゃ……!」


 瑛里華は思わず口を開く。

 だがその人影は止まることはなく、グングンと凄まじい勢いで沖合に進んでいった。





「――大丈夫か!?」


 飛び込んでからものの十数秒後。

 英人は海面に浮かぶ美鈴の姿を捉えた。


「や、八坂さんっ……! すみません私、足がつっちゃって……」


 体をバタつかせながら美鈴は小さく答えた。

 恐怖と体の冷えで唇は小刻みに震えているが、どうやら意識はしっかりしているようだ。

 安堵しながら、英人は持ってきた浮き輪を渡す。


「とりあえずこれに掴まるんだ!」


「あ、ありがとうございます……!」


 美鈴は抱き着くようにその浮き輪に掴まった。

 

「……ふぅ、危なかったな」


「すみません。ご心配をおかけして……」


「なに、大丈夫大丈夫。

 それより、早く浜辺に戻ろう」


 英人は美鈴の肩を優しく叩き、その顔を見つめる。


「……は、はい」


 すると美鈴は少しだけ表情を緩め、頷いた。





「……おおッ! 戻ってきたか秦野君っ!

 一時はどうなることかと思ったぞ!」


 二人が浜辺に戻るやいなや、涙目の薫が美鈴に抱きついた。

 先程空を覆っていた分厚い雲も、今は過ぎ去って晴れ間が覗きつつある。


「す、すみません。ご心配をおかけしました」


「別に君が謝ることはないさ。でも、本当によかった……。

 八坂君も、ありがとうね」


 薫は美鈴の体に押し付けていた顔を上げ、英人を見つめた。

 その瞳はまだ涙が滲んだままだ。


「いえ。とにかく彼女が無事でよかったです」


「というか君、本当は泳げたんだね。

 なんで隠してたんだい?」


「それは……」


「センセ―ッ! 秦野さーんッ!」


 どう答えたものか、と英人が悩んでいると、美智子たちも近くに駆け寄ってきた。


「よかったー! 大丈夫、怪我無い!?」


「ブジで本当によかったです!」


「目立ったケガはなし……ホント、無事でよかった。

 スコールももう止んだし、ひとまず安心ね。

 それに……」


 瑛里華は英人の方に顔を向ける。


「アナタ本当は泳げたのね、って……」


「そーだよ。なんで隠してたのさー! って、その体……」


 英人の体を見た瞬間、瑛里華と美智子は言葉を止めた。

 さらに二人のリアクションを皮切りに、少女たちが一斉に英人の上半身に視線を注ぎ始める。

 当然目に入ってくるのは、シャツを脱ぎ捨てて露わになった英人の上半身。


「……す、すごい体だね」


 薫は思わず溜息を漏らす。


 それは、恐ろしさすら感じるほどに無駄の削ぎ落された肉体だった。

 腕、脚、胸、腹、背中――体の全ての筋肉が、極限にまで洗練されている。

 その威容は、さながら抜き身の名刀のようであった。


「まあ、俺の体のことはいいじゃないですか」


しかし英人本人としてはあまり話題にしてほしくはないのだろう、薫に対してややぶっきらぼうな言葉で返した。


「なんだい、そんないい体しているのにもったいない。

 まさか、その肉体を見せたくなかったから『泳げない』って言ったのかい?」


「そんなところです」


 英人は少し視線を外しながら、自身の左肩を撫でた。


 確かに、できるだけ生身の肉体を晒したくはなかったというのは事実だが、それは筋肉ではなく、『異世界』の技術で作られた左腕の方。

 一応魔法によって生身の腕に見えるようにはしているが、バレるのではないかと少し不安だったのだ。


「ふーん……じゃあもう先生も泳げるってことだね! もう体も見せちゃったんだし!」


「いえ美智子様。この後もまたスコールの恐れがございますので、今日はもうお止めになった方がよろしいかと」


「ええー! ……うーん、まあ仕方ないか」


 美智子は少し残念そうに頷く。


「青葉さんの言う通りだな。よし、今日はもう別荘に引き上げるとしよう!」


 結局一行は薫の指示に従い、別荘まで引き上げることとなった。



「秦野様の方は念のため、医務室までお願い致します」


「は、はい」


 少しふらつきながら歩き始める美鈴。

 その肩を、英人は優しく支えた。


「歩けるか?」


「だ、大丈夫です……」


 だがその手を振り払うように、美鈴は自分の力だけで歩こうとする。

 おそらく、周囲に心配をかけてしまった罪悪感からくる行動だろう。美鈴はおもむろに額に張り付いた前髪を後ろにかき上げる。

 その時。


「なっ……!」


 思わず、英人は固まった。

 何故なら初めて露わになった全貌が、あまりにも「ある人物」に似すぎていたからだ。


鈴音すずね、さん……?」


 震える声で、英人はその名を口に出す。


「――ッ!?  な、なんで……!?」


 すると美鈴も、驚愕に目を見開いた。


 それは英人にとって、特別な名前の一つ。

 清川きよかわ鈴音すずね――かつての英人と同様、この世界から『異世界』へと召喚された人間。


 そして『無限の魔導士』の異名を持つ、五人の『英雄』の中の一人でもあった。

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