夏のせいにして⑥『何も起きないはずがなく』

「……やあ、来たよ八坂君」


 ドアを開けたら、銀髪の美女が立っていた。


「いや何しにきたんですか代表」


「おいおい、この手に持ったグラスと酒を見れば分かるだろう?

 もちろんサシ飲みだよ」


 時刻は夜11時過ぎ。

 夕食も終え、今は各自自室に戻って就寝までの時間を過ごしており、かくいう英人も既に入浴を済ませてあとは寝るだけだ。

 そんなリラックスした時間の中、いきなり呼び鈴が鳴ったので出てみたらこの状況というわけである。


「お酒ならバーベキューの時に散々飲んでたじゃないですか。

 もう十分でしょ」


「何を言っているんだ君は。

 ああいう大人数の盛り上がった酒と、小人数の静かな雰囲気の酒は別腹だよ。

 ささ、うるさくならないうちに入らせてもらおうか」


 そう言ってかおるはドアの隙間に強引に体を滑りこませた。

 すると、


――ぐに。


「おっと、胸が引っ掛かってしまったか。

 全く、今になって少し成長してきてるみたいでね。困ったものだ」


 胸が引っ掛かった状態のまま、薫は髪をかき上げた。

 顔こそ中性的だが、こういう部分を見ると彼女もれっきとした女性だということだろう。


「……はいはい今開けますよ」


「悪いね♪」


 観念した英人はドアを全開にし、薫を迎え入れた。




「おお、やはり部屋の広さは私たちと同じか!

 しかもそれを独り占めというのだから、君も贅沢だな!」


 薫は中央のソファーにドカッと腰を掛け、部屋の中を見渡した。

 昼の開放的で爽やかな雰囲気から一転、室内ではオレンジがかった照明によりかなり落ち着いた雰囲気が流れている。


「さて、早速飲もうとするか!

 八坂君、水と氷はあるかい?」


 やけにはしゃぐ薫がテーブルに置いたのは、高級ウィスキーだった。


「酒ってウィスキーですか」


「ああ! こういう時もあろうかと、宅飲み用に買っておいたのさ!」


「……ちなみにその宅飲みって、会場俺の家じゃないですよね?」


「お、さすがは元高級ホテル。いい氷が揃ってる」


「無視して冷蔵庫を漁らんでください」


「まあまあ。せっかくだし私が淹れてやろうじゃないか」


 英人の困ったような視線を尻目に、薫は慣れた手つきでウィスキーを淹れ始めた。


 静かな部屋の中に時折響くカラカラ、という氷の音。

 薫の手際と相まって、落ち着いた雰囲気を醸し出していく。


「上手ですね」


「伊達にバー通いはしてないさ……ほら、君の分だ」


「ありがとうございます」


「どういたしまして。

 じゃあ……」


 薫は自身のグラスを差し出し、英人もそれに続く。


「「乾杯」」


 そのまま、二つのグラスはゆっくりと触れ合った。






「――それで、ハイファンタジーとローファンタジーの境界についてなんだが……って聞いているかい?」


「ええ、もちろん」


 英人が答えると、薫はハッとした表情で首を振った。


「むう、いかんいかん。つい前回と同じように、私ばかりが話し込んでしまった」


「別にいいじゃないですか。俺は楽しいですよ?」


 英人はソファーで足を組み、グラスをあおる。これでかれこれ五杯目だ。


「その余裕、なーんか気に入らん……よし、閃いた! 

 今度は君が話してみてくれ。

 お題はそうだな……私のことだ!」


いずみ代表のことですか?」


 英人が眉を上げると、薫はふふん、と胸を張る。


「ああ、なんでもいいぞ!

 できる限りのことは答えよう!」


「そうですか……んじゃあ一つだけ」


 英人はグラスをテーブルに置き、真剣な顔で薫を見つめる。


「おお!? なんだい!?」


 対する薫は興味津々といった表情でテーブルに乗り出した。


「泉代表……なにか悩み事がありますね?」


「――!?  いや、それはあれだろう? バーナム効果ってやつだ。

 そういうふわっとしたことを聞いて、いらん情報を引き出すはらだな!

 誰しも心当たりの一つや二つはあるしな、その手には乗らんぞ!」


 薫はそう言って必死に否定する。

 しかしその慌てた姿こそが、悩みがあるという明らかな証拠であった。

 英人は追及を続ける。


「いーや、今の代表には一つだけ大きいのがあるはずです。それを教えてください。

 ほら、俺たち同じサークルのメンバーじゃないですか」


「むむう……まーた君は年上の余裕を振りかざして……まあいい、言うよ。

 私の悩みというのはね……秦野君のことだ」


 ふぅ、と零すように薫は白状した。


「秦野さんの?」


「ああ。彼女、最近元気がないみたいでな、少し心配しているんだ」


 薫はグラスを持ち上げ、琥珀色の水面に浮かぶ氷を見つめた。

 氷はゆらゆらと、まるで彼女自身の心のように揺れ動いている。


「なにか事情とかは聞いたんですか?」


「もちろん聞いたさ。しかし『大丈夫です』の一点張りでな。

 そう言われてしまうと、こちらとしてもこれ以上は迂闊には踏み込めない。

 だから元気が出ればと思って、今回の旅行に私は二つ返事で了承したのさ」


 薫は小さく息を吐く。

 そしてその悩みごと飲み干すように、一気にグラスの中身を空にした。


「……ふぅ。

 確かに私は、彼女にとってはただのサークルの代表に過ぎない。それくらい分かってる。

 ……でも、そんなに頼りないかな? 私は」


「代表……」


 それは、英人が初めて見る表情だった。

 表情からはいつもの飄々とした笑みは消え、その頬には薄っすらと影が差し込んでいる。


「……っと、すまない。今のは忘れてくれ」


 しかしそこはさすがと言うべきか、薫は即座に表情を戻してしまった。


 目の前にあるのは、いつもの余裕のある顔。

 しかし今の英人にはそっちの方がむしろ虚しい。

 だから、


「……いや、忘れませんよ。せっかく言ってくれたんですし」


「む……そういうのは、キレイさっぱり忘れてしまうのがイイ男だと思うのだが」


「あいにく、俺は無駄に物覚えがいいんですよ。

 だから絶対忘れたりはしません」


 英人は薄っすらと笑い、ウィスキーを一口飲む。


「はあ……まったく君という奴は。これじゃあおちおち悩み事も話せないじゃないか。

 というか、そもそもなんで私に悩み事があると気づいたんだい?」


「そりゃあ、いつもと様子が違うからですよ」


「? 別に君とサシ飲みはいつものことじゃないか」


 薫は首を傾げながら言うと、英人はウィスキーを飲み干し、


「ですけど、場所はいつも周りに客がいるバーでしょ?

 この別荘にだってバーはあるのに、あえて俺の部屋にまで来た……。

 すぐにピンときましたよ、『ああ、代表に何かあったんだな』って。

 これでも俺、代表のことはそれなりに分かってるつもりですから」


 そう薫に微笑みかけた。


「……! むむむむ、君は、君という奴は本当に……!」


 その言葉を聞いた途端、薫の体はわなわなと震えだす。


「ん? どうかしました?」


「ああ。君の言う通り、私はもうどうにかなりそうだ……。

 よし決めた! 今日は飲み明かそう!」


 そう宣言すると、薫は早速棚から酒を無造作に取り出していく。

 恐らくは青葉がサービスとして置いてくれたものだろう、そのどれもが高そうだ。


「まさか、それ全部飲むつもりじゃ……」


 英人は思わず頬をヒクつかせるが、もう遅い。


「フフ♪ 今夜は寝かさないから、覚悟したまえ」


 両手には、既に大量のボトル。

 そしてその瞳は、いつもよりやけに艶っぽく光っていた




 ――――――





 ――――





 ――





「……ーい! 

 おーい! センセ―起きろー!」


「ほら! 早く起きなさい!」


 なにやら、二人の少女がやかましく声を掛け続けてくる。

 時おり体を強く揺さぶりながら。


「んん……?」


「あっ起きた! まったくいつまで寝てんの、先生!」


「バカンスだからといってだらしないわよ!」


 英人は頭を押さえながら、ゆっくりとだるそうにベッドから身を起こす。


 辺りを見回すと、豪華な家具に大きなベッド。

 そう、ここは間違いなく別荘のスイートルームにある寝室。本来なら英人だけしかいないはずだ。

 なのに、


「……なんでお前らがいるんだよ?」


「先生があんまり遅いもんだから、青葉あおばさんに言って鍵を開けてもらったの!」


「ほんと、アナタって人は……あとそういえば、泉さんもいなかったわね」


 目の前では美智子みちこは眉間にしわを寄せて英人に詰め寄り、瑛里華えりかが呆れたように溜息をついている。

 一体何なんだ、と英人が思っていると、


「泉様でしたら、別の寝室で眠られてたので私の方で起こして参りました」


「いやーつい寝ちゃってたみたいでね、失敬失敬!」


 青葉が淡々とした口調と共に、服のはだけた薫が寝室に入ってきた。

 瞬間、部屋の空気が凍った。


「えっ……なんで泉さんが……」


「まさか、アナタ……」


 男の部屋に、服のはだけた女性がひとり。

 二人は同時に英人を睨んだ。


「いやいや、ただ二人で飲んでただけだって。

 途中で代表が寝ちゃったから別室のベッドに移して、俺はここで寝てたの」


「なるほどそうだったのかい! それはありがとう!」


「む~っ!」


「ふ、ふーん……」


 頭を押さえながら説明する英人に対し、一方の薫は元気ハツラツ。

 そんな二人の状態のギャップが、より怪しさを引き立てる。

 もしやこの二人……と美智子と瑛里華が疑惑の眼差しを向けていると、


「……ちなみに部屋中のごみ箱をチェックしましたが、そういう類の物はございませんでした。どうかご安心くださいませ」


 それを見透かしたように青葉がそっと二人に耳打ちした。


「「……ッ!!」」


 話を聞き、見る見るうちに顔を赤くする二人。

 嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかくこれで疑いは晴れた形になった。


「う~ん……でも、良かったのかな?」


「いや私に聞かれても困るわ」


 赤面した顔を冷ましつつ、二人はチラリと視線を移す。

 

 そこではベッドサイドに立ち、楽しそうに英人に話しかける薫の姿があった。

 当の英人は寝不足なのか頭を押さえているが、それでもその光景は何となく様になっている。まるで、カップルみたいに。


「……ねえ瑛里華さん。

 私、こういうのなんて言うか知ってる」。


 その様子を死んだ目で見つめながら、美智子は静かに口を開いた。


「奇遇ね。不本意だけど私にも心当たりがあるわ」


 瑛里華も同じく死んだ目でそれに答える。


「それじゃ同時に言ってみよーよ。

 せーの、」


「「漁夫の利」」


 二人は顔を見合わせ、小さく溜息をついたのだった。

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