夏のせいにして④『肉食え肉』

 結局その後は大した波乱もなく、時間だけが過ぎていった。


 もちろん、その間ずっとビーチチェアに座っぱなしというわけではない。

 瑛里華えりか美智子みちこも、時おりかおるたちに混ざって遊んだりもした。

 しかし肝心の英人はただ本を読んでいるかプールサイドを歩き回るかで、結局彼女らの中に混ざることはなかった。




「はー! お腹すいたー!」


 ひとしきりプールを満喫してきた美智子は、倒れこむようしてビーチチェアにうつ伏せになった。


「時間は……そろそろ六時か。

 確かに俺も腹が減ってきたな」


「ずっと本読んでただけなのに?」


 美智子はジト目で英人の横顔を見る。


「そりゃ減るだろう。俺をなんだと思ってるんだ」


「だってせっかく沖縄まで来たんだから、本ばっか読んでんのはもったいないよ。

 先生も一緒に楽しめばよかったのにー」


「全くだよ八坂君。

 こんなにもバラエティに富んだ美女を囲っておいて活字とにらめっことは、男としてもったいないにも程があるんじゃないかい?

 いや待てよ……八坂君、もしかして君」


 薫は顎に手を当てて神妙な顔をし、


「……泳げないんじゃないかい?」


 人差し指を立てて英人に詰め寄った。

 その顔はしてやったりとばかりに自信満々だ。


「ソウなんですか?」


「えー意外! 八坂さんって結構体格いいのに!」


 その言葉に誘われるように、カトリーヌと瑠璃子るりこも寄ってきた。


「……そうなの?」


 さらにはトドメとばかりに、美智子は横になったまま体を寄せて、英人の表情を覗き込んできた。

 瑛里華えりかも遠目から英人の表情をうかがっている。


 突き刺さる少女たちの視線。


「……うーん」


 さすがにこの状態ではだんまりを決め込むわけにもいかない。

 英人はしばしの間腕を組んで考え込み、


「ま、まあそういうことになるのか……なぁ?」


 苦し紛れに口を開いた。


「……フフッ」


 その言葉に、瑛里華は思わず吹きだした。


「おい、なんだその笑いは」


「いやなんでも?」


「まあ東城君が笑いたくなるのも分かるさ。

 だって、そんな済ました顔してカナヅチなんだからな!  ハッハッハッ!」


「だからといって大笑いするのもどうなんですかね」


「えぇー、じゃあ別に海じゃなくてもよかったのにー」


 美智子は口を尖らせる。

 確かにせっかく誘った相手が泳げないとくれば、海の魅力も半減というものだろう。


「元々そういう約束だったからな。それにお前が頑張ったのは事実だし。

 とはいえ、一緒にプールで遊んでやれないのは悪かった」


 対する英人は美智子の目を見、優しい口調で諭す。


「むー……なんかそういうのズルい……」


「皆さま、夕食のご用意ができました。

 ご準備の方を宜しくお願いします」


 僅かに表情を赤らめた美智子がむくれていると、青葉あおばの声が響いてきた。


「お、もう夕飯か。楽しみだな!」


「どんなご馳走なんだろ!」


「オナカぺこぺこです!」


 皆プールでお腹が空いていたのだろう、少女たちの意識は英人から今日の夕食へと急速に集まっていく。

 食欲につられるまま、一行は一旦別荘の中に戻ることになった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 自室で着替えた一行がバルコニーに出てみると、そこには豪勢な肉と野菜がこれでもかと置いてあった。


「おー! バーベキュー!」


「まさに夏の定番って感じじゃないか、なあカトリーヌ君!」


「ハイ! お肉がとても美味しそうです!」 


「うわー、すっごい……肉もそうだけど、野菜も高そう」


 瑛里華は恐る恐る、といった感じでその肉と野菜の山を見つめる。

 別に彼女の実家が貧乏という訳ではないが、一人暮らしをしている関係上、食材の値段とかがちょっと気になってしまう。


「肉も赤身がメインっぽいが……なんかスーパーのとは身の締まり方が全然違うな。

 ……いくらぐらいすんだろ」


 英人は小声で呟くと、いつのまにか傍に立っていた青葉が淡々と喋りだした。


「この時期ですと、100グラムあたりおよそ四千円ほどかと」


「あっ、そうなんですか……」


 値段よりも、青葉の地獄耳に英人は少し驚いた。


「おおー! これ全部食べていいの、青葉さん!?」


「はい。典子様からも許可を頂いております。

 ジャンクフード以外の肉と野菜なら大丈夫だと」


「やたー!」


 その言葉に、都築つづき家の人間であるはずの美智子もはしゃいだ。

 どうやら彼女、普段の食生活にはかなり制限があるようで、本人が時折愚痴るのを英人も聞いたことがある。

 だからその分食べ放題の喜びもひとしおというわけだ。


「んじゃ、早速焼いていきますか」


 英人はトングを手に取った。

 恐らくは青葉が焼いてくれるのだろうが、この人数分を一人でやらせるのは申し訳ないし、それにバーベキューの醍醐味は自分たちで焼くことにもあるだろう。

 だが、そんなやる気になった英人を青葉はそっと手で制した。


「八坂様。少々お待ちを。

 今回は私の他に専属の料理人を呼んでおります。

 その者にお任せ下さい」


「専属の料理人?」


 英人は首をかしげる。

 すると、


「――待たせたな」


 まるで英人の問いに答えるかのように、その人物は悠然と窓からバルコニーへと入ってきた。


「……!」


「うわー……、すっごい強そう」


 その人物が放つ凄まじいまでのオーラに、一同は一気に言葉を失ってしまった。


 そこにいたのは、極限にまで鍛え上げられた筋肉。

 鷹のように鋭い眼光。

 さらには、常時全方位を警戒しているかのような隙のなさ。


 それはまるで、週末に放送される映画に登場してそうなオーラをふんだんに纏った、まさに「強い」という形容が似合う大男であった。


「この者は都築家専属の料理人、スティーブスター=シュワルツネークでございます。

 得意料理はバーベキューを始めとしたキャンプ料理となっておりますので、皆様のご期待に添えられるかと」


「スティーブスター=シュワルツネークだ。よろしく頼む。

 気軽にスティーブと呼んでくれ」


 そう言ってスティーブは英人にその分厚い手をさしだした。

 握手から入るということは、一応は西洋文化圏に属する人間なのだろうか。


「え、ええ。よろしくお願いします……」


 英人は恐る恐るその手を握る。

 もちろん英人とてオークやオーガで巨体は見慣れているが、ただの「人間」でここまでとなると『異世界』でも中々見るものではない。


「スゴイ……八坂さんが小さく見えます」


「体の厚みが全然違う……」


 そのあまりにも不釣り合いな握手に、周囲の少女も思わずザワついた。

 英人も決して小柄ではないのだが、さすがに相手が悪すぎる。


「ちなみに彼はベトナム戦争での従軍経験もある、元コマンドーです。

 合衆国軍を除隊後も傭兵として各地を転々とし、その意味不明なレベルの生存率から『蛇』という異名を持つほどだったと言います。

 しかしある時を境に心機一転、料理人を志すことになり、紆余曲折を経て都築家にて雇うことになりました」


「傭兵云々はともかく、料理人になるまでがいきなりすぎる……てか生存率が高いとなんで蛇なの?」


 青葉の淡々とした補足に、瑛里華はツッコんだ。


「フム……」


「……」


 しかしそんな彼女らとは対照的に、当の二人はいたって静かだった。

 スティーブは無言で顎を撫で、英人は困り顔で黙り込んでいる。


「ねえねえスティーブさん! 早くお肉焼いてよー!

 私もうお腹ペコペコ!」


 しかし待ちきれなくなった美智子が声を上げたことで、その静寂と握手はようやく解かれた。


「おっとすまない。

 腹ペコなお嬢のためにも早く焼かんとな……長々と握手をしてしまって悪かった」


「いえ、大丈夫です」


「……フッ、大丈夫か。

 よし、これからは私が肉を焼くから、君たちは座って待っていてくれ」


「「「「「「はーい!」」」」」」


 こうして一行はバルコニーの中央のテーブルへと座り、料理を待つことにしたのだった。





「――それでスティーブ、どうでした彼は?」


「……凄まじい戦士だ。

 こちらが全力で握っているというのに、周りに気取られぬよう顔色一つ変えぬとはな。

 フッ、彼が戦場で味方だったなら、私も大分楽ができたというもの」


「珍しいですね。貴方がそこまで褒めるとは」


「当然だ。彼はこれまで出会った中で、間違いなく最強の男なのだからな。

 アオバ、代わりにトシロウに言っておいてくれ……『彼ならミチコを守ってやれる』と」


「ふふ、分かりました」




 ………………


 …………


 ……




「うわー! おいしそー!」


 スティーブが肉を焼き始めてからおよそ十分。

 続々と送られてくる肉と野菜の山に、美智子は目を輝かせた。


「このお肉ってすごい高いやつなんでしょ!?

 これはもうお腹が破裂するくらい食べないと!」


「いやいやそんなに食べたら太るわよ、瑠璃子」


「うわあ……美味しそう。でもこんなに食べられるかな……」


「ムリせず私たちのペースで食べましょう!」


 テーブルには自室で休んでいた美鈴も加わり、一同は食事の時を待つ。



「よし! 秦野はだの君も復活して全員揃ったことだし、僭越ながら私が乾杯の音頭を取らせてもらおう!」


 肉がある程度揃ったことを確認すると、薫はグラスを片手に立ち上がった。


「まずは皆、今日一日お疲れ様。

 昼は海とプールを大いに満喫し、夜は豪勢なバーベキュー……今回の旅は大変魅力的で、そして思い出深いものになることは疑いない。

 まずは代表として、この場をセッティングしてくれた都築家の皆様にお礼を……ありがとうございます」


 薫は青葉とスティーブに向かって頭を下げ、他のメンバーもそれに続く。

 二人はそれにさらに深い礼で返した。


「……で、今回、この場には私を含め七人の男女が集まったわけだ。

 だがそのメンバーは我らファン研を始め、昨年のミス早応や早応女子の生徒など普段は接点のない人たちばかり。実際、私も今日初めて会って喋ったしね。

 じゃあ何故、そんな今まで交わることのなかった私たちはここに集まることが出来たのか? 

 それは、一人の男性のせいだ」


 薫の言葉と同時に、少女たちは一斉に同じ方向へと目を向けた。

 その先にいるのはもちろん、八坂英人。やや陰気な顔をした、二十八歳の大学生だ。


「は、はあ」


「フ……そんなとぼけた顔をしても無駄さ。

 どんなに裏方ヅラしようと、私たちは分かってる」


「そうだよ、先生」


「確かに……」


「デスネ!」


「だよねー」


「ま、そうかもね」


 まるで当てつけのように頷き出す少女たち。

 彼女たちにとっては、既にそのことは共通認識であるようだった。


「まあ、とにかくそういうことさ。

 君がいたからこそ、私たちはここにいる。そして私はこの出会いに感謝したい。

 というわけで……この罪作りな男に、乾杯!」


「「「「「「カンパーイ!」」」」」」


「か、乾杯」


 少女たちの勢いに引っ張られるように、英人もグラスを持ち上げる。

 だが一方で、やはりヒムニスや義堂にも来てもらうべきだった――と少し後悔するのであった。




「ふう……」


 乾杯してからおよそ四十分。

 食事は一段落し、各々は好きなように真夏の夜の雰囲気を満喫していた。


「すみませんスティーブさん。肉のお代わりお願いします」


 英人はテーブルを立ち、スティーブが待つコンロに都合五回目となるお代わりをしに行く。


「おお、よく食うな。 よい戦士の証拠だ」


「アッ、私もお肉お願いします」


 カトリーヌもそれに続いた。


「了解した。少し待っていてくれ」


 返事と同時に、スティーブは二人前の肉を慣れた手つきで焼いていく。

 ゴツい見た目とは裏腹に、とても繊細で器用な動きだ。


「……フフッ」


「ん、どうした? まあ確かに見ていて面白くはあるが」


「イエ、そうじゃないんです。

 ただすごく、この時間が楽しくて……八坂さんはどうですか?」


 カトリーヌはチラリと、微笑んだ表情を英人へと向ける。


「俺は……」


 その何気ない問いに、英人は思わず身構えてしまった。


 答えは簡単。

 何も考えず、「楽しい」とただ口にすればいいだけ。

 けれど中々その言葉がスムーズに出てこない。


 もちろん、自身が楽しいと感じているのは間違いない。

 だがそれを認めることに、不自然なほどの抵抗感があったのだ。


「……ダイ丈夫ですよ、八坂さん」


「え?」


 英人は視線を上げる。


「イマは言えなくても、いつかは言える時が来ます。だって、私がそうでしたから。

 だからそれまで、私たちが精一杯楽しみます!

 そうすれば、八坂さんも楽しみやすくなるはずです!」


 カトリーヌは屈託のない笑顔を英人に向けた。


 今は赤い仮面を被っていない。

 しかし人に元気を与えるその振る舞いは、まさにヒーローそのものだった。


「……ああ、そうだな。

 ありがとう」


「ハイ!」


「仲がいいな二人共。もしかして付き合ったりしてるのか?」


 そう話しつつ、スティーブは肉と野菜が乗った皿を二人に渡す。


「イエイエ! そんなのじゃ、ナイ、です……ハイ」


 その問いにカトリーヌは真っ赤な顔をブンブンと振って否定した。


「ほう」


 スティーブはその様子を見て目を細めた。明らかに邪推している表情だ。

 なんとか誤魔化そうと、カトリーヌは肉を口に運ぶ。


「エ、エートこのお肉、とてもおいしいですね! 何枚でも食べられます!」


「ああ。俺が厳選した肉だからな。

 霜の降った和牛もいいが、やはりバーベキューは合衆国産に限る。

 肉の詰まった赤身ならではの歯ごたえがたまらん」


「タシカに、お肉って感じがしますね!」


「ああ。そしてなにより気に入っているのは……値段だ」


「味じゃねーのかよ」





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 



「……はぁ」


 バルコニーの手すりに背を預けながら、瑛里華は小さく息を吐いた。


 それもそのはず、プールでの一件以降ほとんど英人と話せていないのだ。

 今もこうして一人寂しくバルコニーの隅で肉をちびちび食べているという有様。

 ちなみに唯一の友人である瑠璃子るりこは薫とすっかり意気投合して大はしゃぎ中なので、話し相手もいない。


(別に話してないからといって、それがなんだという話なんだけどね)


 瑛里華は振り向き、夜の海を眺めた。


 まるで既に眠りに入っているかのように、穏やかにたゆたう常夏の海。

 時折吹く微かな潮風が、心地よい潮騒とともに頬を撫でる。


 海で遊び、豪邸に泊まって、ご馳走を食べる。

 そんな文句なしに最高級の体験をしているはずなのに、瑛里華はどこか心寂しい感じを覚えていた。


 そんな折。


「――ねえ、隣いいかな?」


 ふと、後ろから声が聞こえてきた。


 それは、彼女にとって今はあまり聞きたくなかった声。

 しかし、ある意味では心から待ちわびた声でもあった。


 不安と緊張に体を強張らせながら、瑛里華はゆっくりと振り向く。


 そこに居たのは、バカンスの主催者である都築つづき美智子みちこであった。

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