夏のせいにして③『こっちを見て』

 ビーチに全員が集合してから間もなく。


「よーし! 

 全員揃ったことだし、ここは定番のスイカ割りといこうじゃないか!」


 大玉のスイカを脇に抱えながら、かおるが声高に宣言した。


「わざわざプライベートビーチに来てまでスイカ割りっすか……?」


「た、確かに微妙かも」


「おいおい何を言っているんだい、八坂やさか君に都築つづき君。

 消去法で考えたらもうこれしかないのだよ。

 一応ビーチバレーとかも考えたのだが……ほらこの日差しを見給え」


 そう言って薫が指さした方向を見ると、強烈な日差しによって砂浜が今にも燃えそうな程に照り返していた。おそらく素足で行ったら確実に火傷するだろう。

 さらに空を見上げると、


「この日差しの中で激しく動くのは厳しそうですね……」


「ジッと立っているだけでも辛いです……」


「まあ私もビーチバレーはパスね。日焼けもするし」


 天気の方も、清々しいくらいに雲一つない快晴だった。

 最早殺気すら感じる直射日光の前では、男女ともに日焼け止めは必須だろう。

 というより、今日はおそらく現地の人々ですら海には出まい。


「本日は快晴。そして最高気温は37度との予報も出ております。

 あまり日向で活動するのは好ましくないかと」


 大きなビーチパラソルの下、青葉あおばは淡々とそう告げる。

 このような状況では誰も異論のあろうはずもない。


「……ということだ。

 さすがにビーチに来てなにもせずというのもアレだし、スイカ割りだけでもやってしまおう!」


「「「「「「おおー!」」」」」」


 というわけで、一行はスイカ割りを行うこととなった。





 そして、僅か数分後。


「「「「「「「…………」」」」」」」


 一行は綺麗に割れたスイカを黙々と食べていた。


「ス、すみません……」


 スイカをしゃくしゃくとかじりながら、カトリーヌは頭を下げる。


「いや、カトリーヌ君は悪くはないさ。

 なんだろう、これはひとえに……『スイカ割り』というゲームそのものの限界かな?」


「それに一発でここまで綺麗に割るなんて……カトリーヌさんスゴイ……」


 落ち込むカトリーヌをファン研メンバーである薫と美鈴みすずがフォローする。

 丸く実った大玉スイカは、一番手であったカトリーヌの手によってものの見事に割られてしまった。


「しかし私たちの掛け声が届く前にスイカまで一直線って、カトリーヌさんて武術の達人か何かなの?」


 美智子みちこはカトリーヌに尋ねた。


「エエ、まあちょっとだけ」


「すごーい! そんなに綺麗なのに強いってそれもう最強じゃん!」


「ソンな……私なんてまだまだです。

 世の中にはもっと強い人が、いますから」


「……」


 カトリーヌの言葉に何か思う所があったのか、瑛里華えりかはチラリと英人を見た。


 それは口から種を吐き出しながら、呑気にスイカを食べている男。

 こんな男がつい先日、たくさんの人々を救ったのだ。

 なんの見返りも求めず、ただ約束を守るために。


 少しだけ、胸の奥が熱くなる。


(もう、なんなのよいったい……)


 だがそんな思いを振り払うように、瑛里華は目の前のスイカに集中した。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 それからさらに一時間後。


「……結局、すぐプールに来ちゃったね」


「ま、海は泳ぐより眺めるのが一番ってな」


 ビーチチェアに並んで座りながら、英人と美智子はジュースを飲んで寛いでいた。


 ここは、別荘の裏にあるプール。

 大きさはだいたい学校にあるプールと同程度で、おそらく英人たちが来る前に大掃除がされたのだろう、真っ白なプールサイドが眩しく輝いている。


「そうらッ!」


「エイッ!」


「うりゃー!」


 プールの真ん中では、薫とカトリーヌと瑠璃子るりこの三人がビーチボールでワイワイとはしゃいでいる様子が見えた。


「泉さんって、あんなにアクティブというか、はしゃぐ人だったのね……。

 てっきりもっとクールな感じの人かと思ってた」


 言いながら、瑛里華は英人の左隣のビーチチェアに座った。

 これで両隣を瑛里華と美智子に挟まれた恰好だ。

 ちなみに美鈴は暑さと疲労で体調を崩したということで、自室で休憩中。


「ファン研の代表やってるようなモノ好きだしなあ。

 ひと癖ある人なのは間違いないな。ま、そこが魅力といえば魅力だけど」


「ふーん……そういえば、私あんまり大学での先生って知らないや。

 普段はどんな感じなの?」


 美智子は体を横に倒し、英人にその正面を向けた。

 いつの間にか羽織っていたパーカーはない。


「なんでそんなこと聞くんだよ」


「気になるから」


「――ッ!」


 それは、あまりにも直接的なセリフ。

 瑛里華は思わず飲んでいたジュースを吹き出しそうになった。


 その人の普段が気になる……つまりは知りたいということ。

 女がそうなる対象なんて、瑛里華が知る限り一つだけだ。


「別に、普通だぞ普通。

 毎週講義に行って図書館行ってサークル行って……バイトはお前ん家だしな。それ以上のこととかは何もねーや。

 ミス早応ならともかく、普通の学生のキャンパスライフなんてこれでも充実してるくらいだぞ。なあ?」


「えっ!? ああまあ……そうね。

 まあ私は私で確かに他に色々あるけど、ベースはそんなところね」


「ふーん。なーんか夢がない感じ」


 話題が終わっても、美智子は依然として体を英人の方へと向けたまま。

 その澄んだ瞳で英人の横顔を見つめ続けている。


(もう、そういうのってせめて私のいない所でやってよ……。

 というか、最近の高校生ってこんなにグイグイ来るの……!?)


 瑛里華は平静を装いながらジュースを飲むが、美智子の動向が気になって仕方ない。

 このあまりの狼狽うろたえっぷり、もし『そいつ』が見たら溜息ものだろう。



 爽やかな風の音。

 プールで楽しくはしゃぐ三人の声。

 時折グラスの中を泳ぐ氷の響き。


 時間がゆっくり流れているように感じるのは、はたして常夏の陽気のせいだけだろうか。


「……ねえ先生。こっち向いてよ」


「――ッッ!?」


 だが、その静寂を破ったひと言は瑛里華の意識にさらなる追い打ちをかけた。


「ん? なんで?」


「なんでって……別にいいじゃん。

 ほら、人と話す時は目と目を合わせた方がいいっていうし!」


「そりゃ時と場合によるだろ。

 そもそも固いビーチチェアで横になると、肩が凝る」


「そういう理屈はいいの!

 今日は私へのご褒美なんだし、先生は私と言うこと聞くべき!

 だから――」


 一瞬、微かに間が空く。

 まるで、次の言葉にとある想いを込めるように。


「こっち、向いて?」

 

(あっ……)


 その言葉が響いた瞬間、瑛里華の胸には生まれて初めての感覚が宿った。

 例えるならそう、心臓を針金で締めつけれらたような鋭い息苦しさ。


(待って……!)


 向かないで、と瑛里華は思った。

 なぜそう思ったのかは分からないし、そもそも今は分析する余裕もない。

 ただ、一度でもそっちを向いてしまったら二度とこちらに向いてもらえなくなる――そう思ってしまったのだ。


 体が勝手に動き始める。

 上体を起こし、右手をその男へと伸ばす。


「待っ『おーい八坂君! すまないがボールを取ってくれないか!』――」


 しかし瑛里華の手が届くより前に、薫の声が張り詰めた空間を通り抜けた。


「……ん? 

 あーはいはい、今拾いますよ」


 英人はビーチチェアから起き上がり、足元に転がるボールを拾う。

 そのままプールサイドに向かっていった。


「おお、ありがとう。あとせっかくだし、君もどうだい?

 このプール、ちょうどいい水温で快適だぞ!

 ほら、その上着も脱いでさ!」


「イッショに、遊びましょう!」


「そうですよー!」


「いや俺は……」


 そんな会話が聞こえてくるが、瑛里華の耳には入らない。

 不安と安堵が入り混じった気持ちの整理に、心が手一杯だったからだ。


「あ……」


 ふと、視線を美智子の方へと向けてみた。

 なんとなく、彼女の顔が気になったから。


「うう……」


 そこにはあったのは、その髪と瞳の青色に不釣り合いなほど顔を真っ赤に染めて恥ずかしがる表情。


 それは勇気を出して一歩を踏み込んだ、乙女の顔そのものだった。

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