第三部:真夏の英雄譚
夏のせいにして①『夏だ! 海だ! プライベートビーチだ!』
八月初頭。
世の学生たちにとっては、夏休みの真っただ中。
「あっっっついねー……」
青のショートルーズウェーブヘアの少女、
「この部屋は空調がガンガン利いてて、むしろ涼しいと思うが」
その隣では、英人参考書のページをめくっている。
今日は毎週二回の家庭教師の日だった。
「いやいやそうじゃなくて。
今年の夏がなんか全体的にそうだなーってこと! 先生にぶい!」
「はいはい。つーか手止まってるぞ。
今日中に夏休みの宿題全部終わらせるんじゃなかったのか?」
「うう……先生が厳しい。
というか大学生だけ夏休みの宿題がないなんてズルいと思う……」
美智子は口を尖らせながら抗議した。
そもそも宿題など皆が嫌いであるが、それ以上に夏休みという期間は学生にとって大事であることには違いない。
部活やサークル活動に勤しむ者。
家族と旅行に行く者
受験勉強に励む者。
特に何もしない者。
そして、ひと夏のアバンチュールを謳歌する者。
つまり夏休みというものは、普段集団生活を送っている学生が、まさに千差万別の人間模様を垣間見せる季節だ。宿題だけにかまけたくないという気持ちも分かる。
「しかし名門校とはいえ、宿題の量えっぐいな……。
普通高校って夏休みの宿題はあまり出さないイメージがあったが。
俺の母校もそうだったし」
「『ここは余所と違って大学受験がないんだから、その分勉強しろ!』ってのが今のウチのモットーみたいなんだよね。
なんか最近大学における内部進学生の質の低下が著しいとかでさ」
艶のあるルーズウェーブヘアの隙間から、青みがかった瞳が英人を覗き込んだ。
「あー……確かになんとなく分かるかもしれん」
「やっぱセンセーもそう思うんだ。
ホント先輩たちの不甲斐なさのせいで、私たちはいい迷惑だよ!」
そう言って美智子は頬を少し膨らませた。
その横顔は依然として机にびったりくっ付いたままなので、頬の膨らみで顔が持ち上がる様はなんとも奇妙だ。
ちなみに小中高大と付属校を揃える早応では、エスカレーター式で大学まで上がってくる「内部進学生」は非常に多い。
幼少期から英才教育を施されたエリート一家の子息なども結構いるので一概にそうとは言えないが、付属校に入ったことでだらけきってしまった人種がいるのも事実。
となると美智子が言ったように、学内での勉強量が増えるのもごく自然なことだろう。
「でもまあその大量の宿題も今日で終わるってんだから、お前も大分頑張ったよ。
「う、青葉さんがそんなことを……」
「ほら分からない所があったらその都度教えてやるから、頑張った頑張った」
英人は手を軽くぱちぱちと叩き、うなだれる美智子のやる気を促す。
すると美智子は電源が点いたようにすくっと机から起き上がり、英人に向き直った。
「お、やる気が出たか」
「先生」
「ん、なんだ」
「今日中に宿題終わったらご褒美ちょーだい」
「は?」
突然のおねだりに、英人は間の抜けた声を出す。
対する美智子の瞳は本気そのものだ。
「ね? いいでしょ!?」
さらに追い打ちとばかりに美智子はずいっと顔を近づけた。
ここ最近妙に距離感が近いのは、決して英人の気のせいではない。
「いや、内容も聞いてないのに良いも悪いもあるか」
すると美智子は一瞬目を細めて考え込み、
「じゃあ一緒に海行こうよ、海!」
「海って……ざっくりしてんなぁ」
英人はため息交じりに答えた。
ただ単に夏だからということなのだろうが、言われた方は少し困る。
彼女はこう見えて名家のお嬢様。滅多な所には連れ出せない。
「――そういうことでしたら、都築家にて所有しているプライベートビーチはいかがでしょうか?」
そんなことを悩んでいると、後ろから凛とした女性の声が聞こえてきた。
都築家専属のお手伝いさんこと青葉だ。
ちょうどティータイムだったのだろう、台車にティーセットを乗せこちらへと向かってきている。
「プライベートビーチ、ですか?」
「はい。
法規制の関係でこちらは厳密にはプライベートビーチではございませんが、国内にもビーチに面した別荘を所有しております」
ポットから紅茶を丁寧に注ぎながら、青葉は淡々と答えた。
「そうだよ青葉さん! せっかくだからそこ行こう!
ね、先生!」
「そんな目をキラキラさせながら言われても困るわ。
こういうのはまず所有者の許可がいるだろうが」
「えー、じゃあ今夜パパに聞いてみよ。
でも宿題終わったら一緒に海に行くのは決定だからね! 先生!」
美智子はさらにずいっと距離を詰める。
なんだか今日は妙に押しが強い。
「お、おう」
「よーし、やるぞー!」
英人が頷くと、美智子はすさまじいまでのやる気を出し始める。
現金な奴だな……とは思うが、まぁ出してくれるだけありがたいと思おう。
とにかく、こうして英人の夏休みの予定が一つ埋まったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから時は巡り、八月中旬。
「……灼熱の日差しに、白い砂浜。
おお! まさに常夏の島だな、八坂君!」
「プライベートジェットなんて、生まれて初めて乗りました……」
「ワタシも、ビーチに来るのは生まれて初めてです!」
ファン研メンバーが三者三様にはしゃいでいるのは日本が誇る常夏の島、沖縄。
そして……
「なんで私が……」
「まあまあいいじゃん
ほとんどタダで沖縄旅行できるんだし!
しかもこのビーチ、実質貸し切り状態なんだってさ!」
その後ろには早応大学が誇るミスコン王者、
「……なんか、妙に人数が増えちまったな」
「……だね」
予想以上に賑やかになった光景を、英人と美智子は呆然とその光景を見つめる。
「というかなんで沖縄!?
せっかく海外にもプライベートビーチがあるんだから、そっちに行きたかったー!」
汗でしっとりと湿った髪をいじりながら、美智子はぶーぶーと文句を垂れた。
「しょうがないだろ。俺含めパスポート持ってない奴が複数いたんだ。
今から申請してたら夏が終わっちまう」
「うー……それはまあ百歩譲るとして、なんでこんなに人呼んじゃったのさー!」
「それは……ヒムニスに聞け」
英人はだるそうに額の汗を拭った。
何故こんな大所帯で海に行くことになってしまったのか?
そう、それは大体ヒムニスのせいである。
「……んっと、ヒムニスからか」
噂をすればなんとやら、と件の人物から着信が来た。
あまりにも良すぎるタイミングに英人は気味悪さを禁じえない。
『やあ。そろそろ着いた頃だと思ってね』
『何か他の女子連中がお前経由で今回の話が来たと言ってるんだが』
『だろうね。実際私が動いたんだし』
飄々とした口調で電話口のヒムニスは答えた。
『なんでわざわざ……』
『まあ単純に美智子君の父君から頼まれたのさ。
いくら家庭教師とはいえ愛娘が男女二人きりというのは癪だから、誰か近しい人物を同行者として見繕ってほしいってね。
それで私が選んだのが彼女たちというわけさ。どうだい、見事な人選だろう?』
『ファン研はまだ分かるが、瑛里華も呼ぶのか』
『本当はフェルノ=レ―ヴァンティアや、君の実家のお隣さんとかもメンバーに入れるつもりだったんだけどね。
だが前者は神出鬼没で捕まらず、後者はちょうど家族旅行と被っていたときた』
『いくらなんでも前者は無茶が過ぎるだろ。
というか、そこまでやっといてお前は来ないのか?
こっちは男一人で若干心細いんだが』
『私は新藤君たちを見てなきゃいけないからね。大人しく留守番さ。
まあ私のことは置いといて、今回の旅行は君にとってもいい機会だと思うよ?』
『いい機会?』
『君、戦いっぱなしだったじゃないか。特にここ最近は。
だからいい加減、体を休めといた方がいい。
それに……』
『君と関わってきた人たちがどう変わったのかを知る、絶好のチャンスだ』
ヒムニスは「じゃあね、存分に楽しんでくれ」と残して通話は切れた。
「ったく、勝手なことを……」
英人はスマートフォンを持つ手をだらんと垂らし、改めて常夏の砂浜を見た。
そこでは真夏の海よりも煌びやかに輝く少女たちが、この非日常を楽しもうと精一杯はしゃいでいる。
「おーいこっちだ八坂君!」
「ウミ、とっても楽しいですよ!」
「……私たちも行こっか、先生」
「だな」
こちらに向かって呼びかける少女たちに向け、二人は同時に歩きだした。
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