血命戦争㉙『人間らしく』

 七月下旬。


 深夜の横浜を震撼させた事件から、およそ二週間が経った。


 日本有数の大都市で発生した大規模暴動事件に、ほぼ同時に発生した地震による横浜ランドワークタワー及び山下公園の損傷被害。

 これらの二大ニュースは瞬く間に国内ひいては海外にまで波及し、各メディアを騒がせた。


 その原因はうだる暑さと都会の喧騒、そして汚染された空気が引き起こした集団幻覚だと見られており、今回の暴動はそれを発端としたパニック、と表向きには報道された。

 

 また『異能』の存在を知る上層部においては、本件は死者を操る『異能者』が引き起こしたテロ事件であると認識されている――――




「――うん、体の経過は今のところ大丈夫だ。

 君の体はもう普通の『人間』に戻りつつあるし、再度化け物になる兆候も見受けられない」


「そうですか……! 先生、ありがとうございます!」


「ありがとうございますっ! ヒムニス先生!

 ……良かったね、幹くん!」


「ああ!」


 ヒムニスの言葉に、幹也みきや和香のどかは顔を見合わせて喜び合った。


 ここは早応そうおう大学付属病院の一室。

 事件直後、幹也はこの病院に運び込まれ、今日までヒムニスの手での治療を施されていた。

 カトリーヌの時と同様、今回も上層部がヒムニスに一任した形だ。


「一応今日で退院だけど、なるべく毎日通院はしてくれ。

 少なくとも夏休みの間はね」


「「はい!」」


「それと、僕の言ったことは大丈夫かい?」


「はい。なるべく二人で一緒にいる……ですよね?」


 ヒムニスの問いに幹也が答えた。


「ああ。先程説明したように、新藤しんどう君の体は絶えず変化の機を窺っている。

 だからお互いの『異能』で人間の姿を繋ぎとめる必要がある。

 まあ現状でも県を跨ぐくらいなら大丈夫だけど、なるべくは直接声が聞こえる距離に二人とも居続けることが望ましいね」


「はい! ですからしばらくは幹くんの家にお邪魔しようと思ってます!」


「うん、それが現状ベストだね。

 何せ君たちの力は、愛が強いほど強力になる。この夏は存分に愛を育み給え。

 そうすれば、いつかはその『化け物』だって消えてなくなるはずだ」


「あ、愛を育むって……」


 幹也は照れたように頭を掻く。


「恥ずかしがることはない。

 君たちのそれは『化け物』だって倒した強力な武器だ、大事にしたまえよ」


「……はい!」


 ヒムニスの言葉に幹也は顔を上げる。


「ヒムニス先生、本当にありがとうございました!」


 二人はヒムニスに深く頭を下げ、個室を後にした。





「せっかくの退院だし、今日のご飯はご馳走にしようよ!」


「ん、そうしよっか」


 他愛のない話をしながら二人は病院の廊下を進んでいく。

 この光景こそが、二人が勝ち取った日常。


 そんな中、一人の人物の姿が二人の目に入った。

 それは二十代後半ほどの、やや陰気な風貌をした男だった。


「……あっ、八坂さん!」


 その姿を見た和香はぴょこんと跳ねる。

 英人はそれに僅かに手を上げて返した。


「ええと……和香、この方は?」


「そっか、幹くんは……だったよね?

 この人は八坂やさか英人ひでとさんと言って、幹くんと同じ大学の二年生。

 一緒に幹くんのことを探してくれた人なんだよ!」


「そうだったのか……ありがとうございます!

 和香がお世話になったみたいで」


 幹也は深く頭を下げる。


「いや、礼を言われるほどのことはしてないよ。

 少し大学を案内してあげたくらいだし」


「そんなことないですよ! 八坂さんのおかげで大学内でも迷わないで済みましたし!

 本当にありがとうございました!」


 和香も続いて頭を下げた。


「いやいや……でも無事に見つかって良かった」


「はい! 

 ケガで入院してましたが、それも今日で退院です! ね!」


 そう無邪気に言って、和香は幹也の腕を掴む。


「おいおい、和香……」


「ははは。仲が良くていいじゃないか」


「ハイ! 私と幹くんは昔も今も仲良しです!」


 和香は満面の笑みで答える。


「全く……すみません、そろそろ俺らはこれで」


「ああ」


「それでは!」


 軽く手を振り、二人は腕を組んだままその場を後にした。

 その後ろ姿は、どこにでもいる仲睦まじい普通のカップルそのものだ。


 そしてこれこそが、英人が取り戻したかった光景。



「……幸せになれよ」



 英人は少しだけ微笑み、再び歩き始めた。




 ………………


 …………


 ……




「よう、ヒムニス」


 軽いノックの後、英人はヒムニスの部屋へと入る。


「ああ来たか。腕の方はもう改修済んでるよ。

 今持ってくるから、少し待っていてくれ」


「おう、サンキュ」


 小さく答えた英人は部屋にある患者用の椅子に座った。



『――いやー今回の事件、現場のとある警察官が迅速に動いたことで被害は殆ど出なかったそうですね?』


『はい。警察側は今回の事件について未だ詳細は明かしていませんが、その警察官の尽力で被害が最小限に食い止められたのは事実のようです』


『なるほど~。いや昨今の警察は何かと不祥事が多いから、一人でもこういう人がいるというのは我々市民にとっては心強いですねぇ。

 それで次のニュースですが――』



 部屋の奥に置かれたテレビからは、お昼のワイドショーの音声が流れてくる。

 彼らの言う警察官とはおそらく義堂のことだろう。


 現在の彼は暗部である『異能課』に所属しているため公表はされなかったが、今回の事件を経てさらに警察内での存在感を増したに違いない。

 実際、義堂の働きで多くの人命が救われたことは疑いようのない事実だ。


「……今度、何か奢ってやんねーとな」


「ん? 何か言ったかい?」


 別室からケースを抱えてきたヒムニスが首をかしげた。


「いや、なんでもない」


「そうか……まあいい。

 それよりほら、頼まれてた義手だよ」


 そう言って、ヒムニスはケースを開いた。

 中にあったのは、新品同様に磨かれた英人愛用の左腕だ。


「おお、綺麗になってんじゃん」


「元々予定してた改修はともかくとして、修理の方は君の『再現』を使えば済む話なんだけど……」


 ヒムニスは不満そうな目を向ける。

 まぁ余計な作業を増やされれば、誰しもこうなるだろう。


「別にいいだろう。あまり精密な物だと失敗が怖いしな。結構集中力使うし。

 こういうのは専門家に任せるのが一番」


「私、本職は魔法研究なんだけどね……。

 まぁそれが今や技術者や医者の真似事までするんだから、人生何が起こるか分からない……っと、話が逸れたね。

 さ、とりあえず装着してみてくれ」


「ああ」


 英人はスペアの義手を取り外し、改修された義手を取り付けた。


 まずは金具で物理的に義手を固定し、次に魔法で神経と感覚を同期させる。

 ピリッと全身を駆け巡る電流。


 すると左腕が指先からゆっくりと動き始めた。


「……うん、悪くない」


 左腕を軽く振り回しながら、英人は満足そうに答える。

 素材のせいからか、以前よりもその義手は大分軽くて動かしやすくなっていた。


「外装を炭素繊維に変えたからね。鉄製の時と比べて大分軽くなっているはずだよ」


「ああ。これで多少戦いやすくなる」


「それは良かった」


「クロキア=フォメットを召喚した組織に『転生石』……どうやらまだまだ戦いは続きそうだからな」


「そうだね……」


 しばしの間、部屋に沈黙が流れる。

 クロキアの消滅によって事件は一旦の解決を見たが、まだ多くの謎が残されたまま。

 また近いうちに何かが起きることは明白だった。



「……そういやさっき、あの二人と会ったよ」


 そんな重い空気の中、新しい左腕を眺めながらふと英人は呟いた。


「新藤君と柊さんだね。彼らは今日で無事退院だ。

 ちなみに私の方からも彼らに事件の事を色々聞いてみたけど、『喰種グール』や『吸血鬼ヴァンパイア』のことは何一つ記憶していなかった。もちろん『魔法』のことも。彼らは今回の事件の当事者だというのに」


「ま、今回は規模が大きかったからな。

 『世界の黙認』としても、調整するにはああせざるを得ない部分もあったんだろう。まとめて消した方が確かに楽だしな」


「しかし、毎度のことながら君の頑張りが忘れ去られてしまうとはね……。

 他人事とは言え、なんともやりきれないよ」


 ヒムニスは溜め息をつき、テレビの画面を見る。

 もちろんそこに「八坂英人」の名前が出ることはない。


「別に裏方も悪くはない。表に立つ苦労を知ってるからな。

 むしろ義堂にその役を背負わせてしまって申し訳ないぐらいさ」


 だがそんなことを気にする素振りもなく、英人は腕の挙動に集中していた。


「まあその点については、私自身も分からないわけではないが……」


「それに、二人の記憶の件についてはあれでいいと思っている」


「ん? 何故だい?」


 ヒムニスは意外そうに眉を上げた。


「確かに二人は今回の中心人物である以上、本来は『喰種グール』や『魔法』関連の記憶が残っていてもおかしくはないはずだ。現状との整合性を取る意味でもな。

 しかし『世界の黙認』はあえて二人の記憶からもそれらを抹消した。

 それは何故か?

 これはあくまで仮説だが……こいつは『世界の黙認』からのメッセージなのではないかと俺は考えている」


「メッセージ? 何だいそれは?」


 ヒムニスは首をかしげる。

 その疑問に、英人は義手を見つめていた顔を振り向けて答えた。




「――『普通の人間として生きろ』、さ」





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 病院を出ると、七月の強い日差しが全身に降り注いだ。


「暑……」


 英人は思わず零す。

 クーラーの効いた病院内との落差を差し引いても、このうだるような暑さには恨み言の一つも言いたくなる。


「あ、やっと見つけた……!」


 そんな真夏の熱気にうんざりしていると、どこからか声が聞こえてきた。

 それは今学期に入ってから何度も聞いた、英人にとって馴染みのある声。


東城とうじょう瑛里華えりか……」


「瑛里華でいいって言ったでしょ。

 ハァ……やっと捕まったわ。貴方、神出鬼没すぎ。

 たまたまさっきすれ違った和香ちゃんから居場所を聞けたから良かったけど」


「学期末は色々忙しくてな。

 んで、何の用だ?」


 英人は眩しさから目を覆うようにして、視線を逸らす。


「決まっているでしょ。

 お礼を、言いに来たの」


 だがそれとは対照的に、瑛里華は真剣な目で英人を見つめた。


「……何かしたっけ、俺」


「私との約束、守ってくれたでしょ。

 世間は何でか覚えてないみたいだけど、私はちゃんと覚えてる。

 貴方は、和香ちゃんと幹也君を助けてくれた……!」


 瑛里華は瞳を僅かに潤ませた。

 そして――



「――だから、ありがとう……英人さん」



 深々と頭を下げた。

 その姿に、英人はうだる暑さを一瞬忘れてしまった。


「……ど、どういたしまして」


《お、照れてる照れてる。流石毎晩練習した甲斐があったな『私』よ。

 さあさあ、この勢いで『アレ』もやってしまおう!》


「アレ?」


「いやいや何でもないから!」


 英人が尋ねると、瑛里華はその整った顔を真っ赤に染めて否定した。


《えーせっかく英人さんが命を懸けたのにそれだけぇ?

 ちょっとサービス精神が足りないんじゃないのかい、『私』ぃ?》


 左手に持つ手鏡からはブーブーと文句が響く。

 瑛里華は観念したように咳ばらいをし、


「ああもう! 分かったわよ!

 ……ふぅ。えーと、左の頬を出して」


「は?」


「いいから!」


 瑛里華はずいっと英人の顔を覗き込む。


「……おう」


 有無を言わさぬ勢いに、英人は思わず左頬を差し出す。

 

 するとその瞬間――左頬に何か柔らかいものが、触れた。

 

 それは、時間にしてほんの刹那。

 英人が再び意識を前に向けた時には、瑛里華は既に口元を押さえながらそこにいた。


《……どうか許してほしい。今の『私』にはこれが限界なんだ》


「お、おう」


 英人は思わず茫然としながら返答する。


「と、とにかく今の所はこんな感じだから! それじゃ!」


 だが瑛里華はさらに真っ赤になった顔を両手で覆い、そのまま逃げ出すように去って行ってしまった。


 英人は状況が全く理解できず、呆然とその後ろ姿を眺める。

 何か反応した方が良かったのだろうが、頭に言葉が浮かんでこない。



 というより「今の所」って何?



 英人の頭の中はまさに混乱の極致であった。


 次第にじりじりと、夏の暑さが蘇る。


(……ま、これはこれでいいか)


 汗ばみ始めた頬を撫で、英人はゆっくりと歩きだす。



 照り付ける日差し。

 道路を覆う陽炎かげろう

 止まぬ蝉声せみごえ



 それはこの世界で迎える、いつも通りの夏模様。


「……夏、か」


 月が明ければ、もう夏休みだ。





                          ~血命戦争・完~




 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 これにて『血命戦争』編は完結です。


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