血命戦争⑲『もしもしポリスメン?』

 夜中の病院。

 クロキアと幹也は去り、辺りには呆然とした患者たちが取り残される。

 その中には英人と瑛里華、そして和香の姿があった。


 英人としては、今すぐにでも離脱して繁華街の方に向かいたい。

 しかしその前にやるべきことがあった。


「……申し訳ない。

 お前の大事な幼馴染、後回しにしてしまった」


 英人は涙を流しうずくまる和香の下までに近づき、頭を下げた。


「いえ、別に八坂さんのせいじゃないですから……でも」


新藤しんどう幹也みきやのことか」


「教えて下さい。幹くんはいったい、どうなってしまったんですか!?」


 和香はまるですがるように、英人に詰め寄った。


 赤い瞳に白い牙。おまけに荒れ地のようにひび割れた皮膚。

 せっかく会えた幼馴染の顔は、とても普通と呼べる代物ではなかった。


「……少なくとも、『人間』ではなくなった」


 英人は一瞬答えるのを戸惑ったが、冷静に真実だけを口に出した。


「そ、そんな……!」


 聞いた瞬間、和香は力なく膝をつきそうになった。


 最愛の人が、『人間』でなくなる――


 和香は『喰種グール』という言葉など知らないし、知るはずもない。

 しかし、そんな彼女とて心の底ではなんとなくそう予感していた。だだ、その覚悟ができていなかった。


 まるで魂が抜かれたかのように、全身に力が入らない。

 視界が白む。

 何も、考えられなくなる――


 でも。


 膝が地面につくすれすれの瞬間、和香は踏みとどまった。

 吹けば消えそうな程の僅かな希望を瞳に灯し、和香は英人を見上げた。


「……でも、幹くんはまだ生きているんですよね?」


 最愛の人が、『人間』でなくなる。


 本来なら、その事実だけでほとんどの人間の心は壊れてしまうだろう。

 でも、和香は耐えた。


 何故なら――どんな姿であれ、また幹也と会うことができたから。

 

たとえ虚勢でも、空元気でもいい。

 だからもっと会いたい。一緒に居たい。あの頃のように。


 私は彼を、諦めたくない!


「ああ。彼はまだ間違いなく生きてる。

 それに、希望はまだ潰えちゃいない。できれば俺は街の人々も、新藤幹也も両方助けたい。

 しかしそれには俺一人じゃ力不足だ。だから――」


「八坂さん……」


「柊さん、どうか俺に力を貸してくれないか?」


「……! はい!」


 和香は力強く頷いた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 現在時刻午前0時。


 終電が目前というだけあって、横浜の繁華街は駅を目指す人々でごった返している。


「んじゃまた来週なー」

「おーう」


 それはいつもの週末、いつもの喧騒。


「日曜どっか行く?」

「そうだなー」


 人々はその日常を、疑いもせずに謳歌していた。

 そんな折。


「グゥゥウゥ……!」


「オオオオォォ……!」


 数体の『異常者』が、突然現れた。

 それらは、英人が『喰種グール』と呼ぶ者たち。


「ん、なんだあれ? 質の悪い酔っぱらいか?」


「つーかなんだあの目と牙、コスプレ?

 ハロウィンはまだ先だろ」


 いくら普通人間とかけ離れた姿をしていても、当初の人々の反応は呑気なものであった。

 当然だろう。現実世界の善良な一般市民が『喰種グール』という存在を知っているはずもないのだから。

 その『異常者』たちの外見は都会から見ても決して普通とは言えないが、「なんだ、コイツ」とすぐに流される程度のもの。


 しかしそんな余裕と日常は、すぐに崩壊の時を迎えた。


「――グアアアアァッ!!」


「うわっ!? なんだやめろ! 

 くっ……があっ! い、痛えぇぇぇっ!!」


喰種グール』が一斉に、通行人の群れに飛び掛かったのだ。


 たちまち上がる悲鳴。

 それとは対照的に、『喰種グール』の咆哮は歓喜に満ちる。

 何せ見渡す限りの人、人、人。まさに彼らにとっては尽きることのないご馳走だ。


「きゃあああっ!」

「くそ、来るなぁ!」

「助けてー!!」


 そしてそれを皮切りとして、各所で悲鳴が上がる。

 たちまち深夜の繁華街はパニックに陥った。


「どけ! 早く進め!」

「ちょっと押さないでよ!」

「早くしろおおぉ!」


 駅に向かって我先にと押し寄せる人々。

 人ごみからは、絶えず怒号が飛び交う。

 誰だって、命は惜しい。


 しかし急な混雑により、遅々として前には進まない。

 浪費されていく時間。後方からは『喰種グール』の群れが迫る。

 まさに絶体絶命の危機。横浜という都市に今、地獄が誕生しようとしていた。


 その時。


 ――パァン!


 一つの銃声が、その混乱を撃ち抜いた。



「皆さん! 落ち着いて下さい!」


 次に響いたのはよく通る、頼もしい声。

喰種グール』も通行人も、銃声と声の主の下に視線を寄せる。


 そこにいたのは、真面目とか誠実といったような言葉を体現したような男だった。

 その名は義堂ぎどう誠一せいいち、警視庁『異能課』所属の刑事である。


 義堂の一喝によりパニックが治まった直後、今度はけたたましいサイレンの音が辺りに響いた。

 それは誰も聞いたことのないような大音量。

 それもそのはず、神奈川県警内で出動できるパトカーを総動員し、真夜中の横浜に集結させたのだ。中には機動隊の車両も見える。


「大人しくしろ! 君たちは包囲されている!」


「市民の皆さんは、焦らず落ち着いて駅構内に向かってください!」


 パトカーから降りた警官たちは一斉に混乱の収拾を図った。

 機動隊を始めとした重装備の警官隊は盾を構えて『喰種グール』の前に立ちはだかり、一般の警官は交通整理を行なって通行人の整理を行う。

 まさに迅速かつ見事な連係プレー。その甲斐あって、なんとか最悪の事態を防ぐことに成功した。


「か、間一髪だった……」


 その様子を見た義堂は、大きく息を吐く。

 おそらく、あと数分到着が遅れていたら大惨事だったであろう。

 まさに紙一重であった。


「おお義堂。数日ぶりだな」


 不意に、肩をポンと叩かれる。

 振り向くと、そこには見知った顔があった。


「藤堂さん……!」


「ま、元気でやっているみたいでなにより……まあこんな形で再会するとは微塵も思ってなかったが。

 まさかこんな夜更けに、神奈川県警全体に警察庁から動員命令が出るとはな。

 ……これ、お前がやったんだろ?」


 やれやれ、と言った表情で藤堂は義堂を横目に見た。


「まあそんなところです。今回ばかりは自分でも相当な無茶をやったと思ってますよ。

 でも、これはこれであなたの教え通りでもありますからね?」


「確かに無茶や猛進は若手の特権と俺は言ったが、ここまではさすがに予想してなかったぞ。いくらなんでもやりすぎだ。

 本来ならば叱責すべきところだが、多くの市民が助かったのもまた事実。

 ま、今回は不問にしといてやる」


 そう言って藤堂は腕を組み、悪戯っぽく眉を上げる。


「恐縮です」


 対する義堂も、少しニヤリと笑って頭を下げた。


 藤堂の指摘の通り、警官隊の配備を進言したのは他ならぬ義堂である。

 二十三体もの死体が見つかった以上、他にも『喰種グール』は大量にいるかもしれない――その推測の下、大規模な緊急出動要請を純子じゅんこに提案していたのだ。


 さすがに純子には『喰種グール』のことは伏せたが、今回の犯人は「人間を変化させて操る能力」を持った『異能者』の可能性があるとして必死に説得した。

 途方もない話であるが、もし大量の『喰種グール』が街中に現れたら一大事だ。


 純子も最初はさすがに渋ったが、義堂の必死の訴えについには首を縦に振った。

 それから警察庁の上層部の承認を経て、今に至るのである。


「義堂さん!」


 二人の下に、もう一人の人影が走り寄ってきた。

 義堂の元部下、足立啓太郎だ。


「ん? おお足立か。元気してたか?」


「元気と言えば元気だったんですけど、義堂さんが抜けた穴を埋めるのが大変で大変で……」


 よく見てみると、足立の目元には隈ができていた。


「そ、そいつは大変だな……」


「ま、コイツに関しては俺がみっちり指導していくから、県警のことは心配するな義堂」


「そんなぁ」


 藤堂は足立の肩をポンポン叩くが、当の本人は涙目だ。

 よほど彼の指導が厳しいのだろう。


「と、とにかく、我々は今の均衡の維持に努めましょう」


「そうだな。よし行くぞ足立!」


「了解!」


 しかし、それも束の間。


「……ぐぅぅっ! くそ、相手の力が強すぎる……っ!」


「もっと押せぇー! すぐ後ろには市民がいるんだぞ!」


 警官隊の所々で悲鳴が上がり、じりじりと後退していく。

 盾のおかげですぐには発達した牙の餌食にはならないが、その常人離れした怪力に押されつつあった。


「チッ。『下級喰種ロー・グール』共め、警察如きに手こずりやがって」


「ホント、警察もこんな時にだけ頑張らなくてもいいのに、ねぇ?」


 さらにその後ろからは、白い肌を持つ男女二人組が現れた。


(『上級喰種ハイ・グール』――!)


 それを見た瞬間、義堂の頬に汗が伝う。

 今はなんとかギリギリのところで防衛線を保っている状態。

 もしそんなところに『異能』を持った『上級喰種ハイ・グール』が現れたら、どうなるかなど説明するまでもない。


 そもそも一般の警官に、『上級喰種ハイ・グール』の対処など不可能だ。


「さて、いっちょ暴れるとするか……いくぞ冨美子とみこ


「それはいいけど、アンタ如きが私に命令するのは止めてよね、大口おおぐち


 二体の『上級喰種ハイ・グール』が臨戦態勢に入る。


「くそ……こうなったら俺が……!」


 義堂はせめて相打ちにでも、と拳銃を構えた。


「あら勇敢。

 なら、まずはアナタから殺してあげるっ!」


 義堂目掛け飛び掛かる『上級喰種ハイ・グール』。


 彼我の距離は約10メートル。相手はおそらく一呼吸のうちに詰めてくるだろう。

 拳銃だけでとても撃退できるものではない。

 だからとて、何もせずにやられるわけにはいかない。


(来るなら来い!)


上級喰種ハイ・グール』の眉間に狙いを定め、義堂は引き金に力を籠める。


 しかし弾丸が放たれる直前、二人の間に光が降り注いだ。


「えッ――!」


「なにっ――! 上か!」


 想定外の状況に、眼前の敵のことも忘れて互いに空を見た。


 そこにあったのは、直径1メートルほどの光球。

 それはまるで恒星の如く、断続的に光の波動を放っていた。


「何よ、あれ……! くっ、体が焼けるように熱い!」


 光を浴びた瞬間、女の『上級喰種ハイ・グール』はもだええだす。


 そして、


「グ、グゥアァァァ……ッ!?」


「オオオオォォッ!?」


 先程まで警官隊と押し合いをしていた『喰種グール』の殆どが、炎と共に消滅していった。


「これは……まさか!?」


 義堂は思わず周囲を見渡す。


 一斉に『喰種グール』の群れを退治する。

 そんな芸当ができるのは義堂が知る限り一人しかいない。



「くそ、なんなのよこれ! 大口、大丈夫!?

 おい大口!」


「……残念だが、そいつはたった今俺が直接『浄化』した。悪いな」


 その男は、燃える『上級喰種ハイ・グール』の陰から姿を現した。


「な、何よアンタ……!」


 それは、学生のようなラフな格好に身を包んだ、二十代後半の陰気な男。

 その名も――


「八坂……!」


「おう義堂。待たせたな。

 さて、今はとにかく時間がない」


 英人は左腕に光を纏い、女の『上級喰種ハイ・グール』と対峙する。


「――さっさと済ませてしまおうか」


 その姿はまるで、希望の光を放っているかのようだった。

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