血命戦争⑱『来いよ”高み”へ』

「ノ、和香のどか……?」


 幹也みきやは振り向かずに、和香の声に答えた。


「そうだよ、幹くん。

 私だよ、ひいらぎ和香のどかだよ……!」


 瞳に涙を潤ませ、和香は再びその背中に声を掛ける。


 もしかしたら、もう会えないんじゃないかと思っていた。

 でもこうして今、また会えた。


「和香……」


「良かった……ホントに、心配したんだよ?」


 凝縮された感情が、目から零れて頬を伝う。


 目まぐるしく変化していく状況は、未だ予断を許さない。

 しかし今は再会の喜びが、不安や恐れといった感情を上塗りした。


「ワ、悪い。

 俺、他の人たちも助けに行かないと……」


 しかし和香とは対照的に、幹也の態度は事務的だった。

 声色や立ち居振る舞いからして、新藤 幹也本人であることには間違いない。

 しかし、


(この、違和感はなんだろう……?)


 それは特殊な状況とはいえ、今までの彼らしくもない態度であった。


「それじゃ……!」


 だが和香がそう感じる間にも、幹也はこの場を去ろうとする。


「ま、待って……!」


 和香がそれを追いかけようとした時。



「――そうだ。彼女の言う通り、待ち給え」



 巨大な漆黒の影が、二人の前に降り立った。



「あれって、翼……!?」


 例えるなら、夜空をさらに黒く塗りつぶす漆黒の二本のベール。

 それらは対称となって、一人の男の背から伸びていた。


 しかし翼以上に、その男の風貌に和香は釘付けになった。


 青白い髪に、赤い瞳。

 そして口からはみ出る牙と、黒一色の服装。


 それはまるで――



「『吸血鬼ヴァンパイアみたい』、かい? お嬢さん」


「えっ」


 思考を言い当てられてポカンとする和香の下に、その男はゆっくりと歩み寄ってきた。

 一歩一歩近づくごとに、尋常ではないプレッシャーを放つ。


 その場にいた全ての「人間」は直感した。

 姿形こそ人に準じているが、あれは決して「人間」と呼んでいいものではない、と。



「う……うあああああっ!」


 そのプレッシャーに耐えきれず、和香の背にいた女の子がたまらず泣き声を上げた。


 むしろ、子供だからこそ泣くことだけでもできたと言えるだろう。

 その証拠に患者を始めとした多くの大人たちは、まるで縛り付けられたかのように表情一つ動かせない。


 ただ一人の例外を除いて。


「ク、クロキア……さん……」


 その重圧に必死に抗うように、幹也はゆっくりとその名を紡いだ。


「おお。まださん付けで呼んでくれるとは、感心だね。

 やはり見込んだだけのことはあるよ。

 君は本当に、『』」


 クロキアは幹也に向かって優しく微笑む。

 しかしそれは決して「慈悲」や「慈愛」の類ではないことは、誰の眼にも明らかだった。


「アナタは、俺に……何を、したんだ」


「いい質問だ、的確に今回の件の核心を突いている。

 まずは見事と誉めてやろう。

 褒美と言ってはなんだが、そうだな……まずはお嬢さんに見てもらうとしようか。

 君が何になってしまったのかを」


 クロキアは指を鳴らした。


「なっ――! 体がっ!」


 それを合図に、幹也の体は金縛りのように硬直した。

 意識こそはあるものの、脳からの指令を体が全く受け付けない。


「さぁ、感動の再会といこうか」


 パチン、とクロキアはもう一度指を鳴らす。

 すると今度は幹也の意思に反し、体が後ろを向こうと動き始めた。


「ヤ、やめろ……!」


 じりじりと足が後ろに向かって反時計回りに動いていく。

 幹也は必死に抵抗しようとするが、体の方は全く言うことを聞いてくれない。


 図らずも、幹也はその全貌を愛する幼馴染に披露することになってしまった。


「み、幹くん、それって……」


 駐車スペースに設置された灯りの下に、その全てが晒された。


 それは赤い瞳に、白い牙。さらにひび割れつつある肌。

 まるでクロキアなる男と同様、『吸血鬼ヴァンパイア』のような姿。


 和香は絶句した。

 背中では依然として女の子が泣き声を上げているが、最早耳には届かない。

 ただ目の前の光景を理解するのに精一杯であった。


「見ての通りだ、お嬢さん。彼はもう『人間』ではない。

 だが、悲しむ必要はないよ。彼は今から種を超越した存在になるのだから。

 だからどうか我々を祝福してやってほしい」


「あ、アナタが幹くんを……!」


 和香は思わず、クロキアを睨みつけた。

 それは温厚な彼女が人生で初めて持つ、本当の怒りの感情だった。


「ハハハなるほど、いい表情だ。君はそういうタイプか。

 愛するものを奪われた際に人間が見せる表情にはいくつかのパターンがあるけれど、それは実に私好みだ。いつ見ても飽きない。

いや、いいものを見れた」


 コツコツと足音を立てながら、クロキアは幹也の隣にまで歩み寄る。勿論余裕の表情は崩さない。

 そして幹也の右肩にそっと手を掛けた。


「ハナ……せ……!」


 幹也は力を振り絞り、横にいるクロキアを睨みつける。


「それは少し無理な相談だな。

 何せ君は私と一緒について来てもらわなければならないからね」


「ダメッ……!」


 女の子を背から下ろした和香が、行かせまいと幹也の手を掴もうとする。

 しかし、


「きゃッ――嘘、動かなっ……!」


 パチンという音と共に、和香の体も動かなくなった。


「ハハハ! この状況で向かってくるなんて、君も中々肝が据わっているじゃないか。

 でも、勝手に触っちゃあダメだよ。これは私の新たな『器』だからね」


 ぽんぽんとクロキアは幹也の右肩を叩く。


「ウ、器だって……?」


「ん? ああそうか。一応生産者の責任として、君には説明しといた方がいいか。

 でも、まだ役者が揃っていない。だからもう少しだけ待ってくれ」


「役者……?」


「何、すぐ来るさ……ほうら来た!」



 瞬間、上空から稲妻のような光が地面に刺さった。



「うわっ!」


「きゃっ!」


 突然の光と衝撃に、幹也と和香は小さく悲鳴を上げる。


 稲妻が落ちた場所には――



「……久しぶりだな、クロキア=フォメット」


 男が一人の女性を抱え、立っていた。


「や、八坂さん……?」


「と、東城さん……?」


 和香と幹也は別々に、その突然の来訪者の名を呼ぶ。

 あまりに目まぐるしい状況の変化に、二人は同様に脳の処理が追い付かないでいた。


「おお久しぶり、八坂やさか英人ひでと。『英雄』よ」


 待ちに待った瞬間の到来に、クロキアは顔を歪めてニヤリと笑った。


「『元』、な……ほら、立てるか?」


 英人はお姫様抱っこの要領で抱えていた瑛里華えりかを地面にゆっくりと下ろす。


「うん大丈夫……でも寿命が縮むかと思った……」


 初めて体験する『エンチャント・ライトニング』による高速移動に、瑛里華はげっそりとした表情を見せた。


「美女同伴とは……いやはや、実に『英雄』らしい振舞いだ。

 いやぁ、あの』とまるで変わっていなくて安心したよ」


「お前もそのツラと態度、あの時と全然変わらないな。そもそも一度は殺したはずなんだが。

 なんだ、長生きも過ぎると、死ぬ回数まで増えちまうのか?」


 そう軽口を交えつつ、英人は静かに重心を前に移す。


 まだ「エンチャント・ライトニング」は解除していない。

 このまま踏み込み、光速の一撃で一気に勝負を決める――!


「――おっと焦らないでくれ。

 君にそうされると、私としても不本意な決断をしなければならなくなる。

 全く、君はいつだって抜け目がない。

 殺し合いをするにしても、もう少し間を大切にしてほしいものだよ」


 しかしクロキアが右手で制した。

 残った左手は幹也の肩を再び叩く。


「……新藤しんどう幹也みきやを人質にする気か」


「ああとりあえず今は、ね。

 それに、こんな街中で私と君が戦ってみろ、不慮の事故で無関係な人間が死んでしまう可能性があるじゃないか。

 それはとてもいけないことだと思うのだが、どうだろう?」


 さらにその右手を高く掲げ、市街地の方向を指し示した。

 どうやら、彼にとっての人質はこの付近にいる住民全体のようだ。


「ふっ……どの口が」


「だが事実だろう? 

それに私とて無益な殺生は好むところ――」


 ではない、と言い終えようとする寸前、右腕に鋭い痛みが走った。


 見上げると、

 数瞬おいて、どしゃりと肉塊の落ちる音が後ろから響く。


「おやいつの間に……本当に、抜け目がないな。

というより今の私の話を聞いていたのかい?

 ハァ……いくらすぐに再生すると言っても、痛いことには痛いんだよ? これ」


 そう愚痴るクロキア。


 すると右腕の切断面からは、赤色をした植物の根のようなものが何本も伸びる。

 それらは互いに絡み合い、太さを増し、見る見るうちに新しい右腕を作り出した。


 再生したことを確認すると、クロキアは再び視線を戻す。

 そこにはいつの間にか取り出した剣を左手に持った、英人の姿があった。


「聞いたさ、ちゃんとな。でも安心しろ。

 俺はどちらかと言えばこういう小回りの利いた戦闘の方が得意だ。

 そんな心配は無用だよ」


 英人はゆっくりと、クロキアとの間合いを詰める。

 放つプレッシャーは、クロキアのそれをも上回っていた。


「その会話のペースを強引に持っていく感じ、変わらないなぁ。思わず背筋が震える。

 でも今回は、私の案を通させてもらうよ……そら!」


 パチン、とクロキアはまたしても指を鳴らす。

 しかし、特に何かが起きた様子はない。


「……? 何も起きないけど?」


 瑛里華はキョロキョロと辺りを見回した。


「まあ、ここからじゃ見えないだろうな……でも君の眼なら、見えるはずだよ?」


 クロキアは右手の人差し指で、英人の左目を指さす。

 おそらく、『千里の魔眼』で見てみろということなのだろう。


 英人は早速『千里の魔眼』を『再現』し、周囲を眺めた。


「……お前、いったいどこにこんな数の『喰種グール』を……!」


 瞬間、英人の表情は険しくなった。

 広がった視界には、繁華街に出現した大量の『喰種グール』の姿が映り込んでいたのだ。


「この時のために地道に作っておいた、総勢五百体もの『喰種』さ。

 いやあ、色々面倒なこの国でここまで数を揃えるのは本当に骨が折れた。

 今回はそれを贅沢にも人間共が腐るほどいる繁華街に解き放ってみたよ。

 どうか楽しんでいってくれ」


 君へのプレゼントだ、とでも言わんばかりにクロキアは英人に掌を差し出す。


「なるほど。

そのふざけた手口、マジで本物のクロキア=フォメットということか。

 だとしたらお前、どうやって生き延びた?」


「まあその話はおいおいするとして、我々はひとまずこの場を失礼させてもらおう……ハッ!」


 クロキアは幹也を抱えたままジャンプし、ひと跳びで病棟の屋上にまで飛びあがった。


「幹くん!!」


「何、心配しないでくれお嬢さん。今すぐ新藤幹也を殺す気はないよ。

 それに、我々の決着はもっと然るべき場所でやるべきだと思うのだが……どうかな?」


「然るべき場所、ねぇ」


 英人は脚に力を籠め、いつでも飛び上がれる準備をしつつ思考する。


 この場でクロキアを倒すこと自体は、決して不可能ではない。

 だが奴は『吸血鬼ヴァンパイア』の中でも策謀に長けたタイプだ。

 おそらく今挑んだとしても、時間を稼ぐか無事逃げ切るかの策は当然立てているのだろう。

 それにわざわざ迎えに来た以上、奴にとって幹也はかなりの重要人物。おそらく本当に今すぐ殺したりする可能性は少ないと言えた。


 となると目的は未だ不透明だが、今は繁華街の方をどうにかするのが賢明だ。

 とにかく、今は時間が惜しい。


「……いいだろう。そのふざけた誘い、乗った」


 静かな殺気を滲ませた表情で英人は頷いた。

 その表情を見たクロキアは、さらに恍惚とした笑みを浮かべる。


「フフ、さすがだ。ならば私は決戦の地で君を待とう!

 ここは『魔法』も『魔族』もない退屈な世界、だが我らの決着をつけるにふさわしい場所だけはある! 其処で決着を付けようじゃないか!

 それでは一旦さらばだ、英雄よ!」


 そしてクロキアは空を覆わんばかりの翼を広げ、飛び立った。


吸血鬼ヴァンパイア』には、夜闇に紛れて一時的に姿や気配を消す特性がある。

 クロキアの場合も例外ではなく、その黒い姿はしばらくしたら『千里の魔眼』の追跡からもロストした。


 しかし、場所を知らせるためにわざとこちらに分かるように飛んでくれたのだろう。

 進んでいった方向は明らかだ。


 そう、その先にあるのは――


「……ランドマークタワーか」



 地上70階、全長296メートル。

 其処は、日本で二番目に高い超高層ビル。


 その名も横浜ランドマークタワー。

 文字通り、横浜の象徴ランドマークとも言うべき摩天楼であった。

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