血命戦争⑬『出会いたい』

「そうですか……和香のどかが今こっちに」


 夜の公園。

 二人の男女が、ブランコに座って話をしている。


「そ。表向きは明るく振舞っているけど、すごく心配してたわよ?

 だから早く会いに行って顔を見せてあげて」


 その二人の名は東城とうじょう瑛里華えりか新藤しんどう幹也みきや。名門早応大学が誇る美男美女であった。


 しかし、今は暗がりでお互いの顔はハッキリとは見えない。


「すみません……まだそれはできないんです」


 僅かに揺れるブランコに身を任せ、幹也の体は前後に動く。

 キィイ、という鎖のきしむ音が、瑛里華にはひどく虚しく聞こえた。


「それはなんで?

 やっぱり、何かの事件に巻き込まれたってこと?」


 瑛里華は幹也の方へと顔を向ける。

 暗がりでその横顔ですらおぼろげであったが、彼の悲しげな感情だけは読み取れた。


「……やっぱりすみません。俺の口からは、何も言えないです」


「……昨日和香ちゃんと一緒に、あなたの部屋に行った。

 直接は見てないけど、部屋の中が血まみれだったことも知ってる。

 やっぱり一度、警察に行った方が……」


「それも今は、できません」


「なんでよ!?」


 幹也の煮え切らない態度に苛立ち、瑛里華はブランコから立ち上がった。

 タイミングを計ったかのように、雲が途切れて月光が差し込む。


「あ……」


 自身を照らす光を見て、幹也は「しまった」という顔をした。


「あ、あなた……」


 瑛里華は両手で口を押さえて後ずさった。


 赤い瞳と。白い牙。

 照らしだされたのは、人生で初めて見る『人外』の姿だった。


「……つまりは、こういうことです」


 幹也は僅かに微笑んだような表情で、瑛里華を見た。

 対する瑛里華は、言葉が出ない。


《人ではない「何か」になってしまった……ということか》


 代わりにバッグの中から、「そいつ」が唐突に喋りだした。


「ちょっと何いきなり……」


《別にいいだろう? 相手が普通じゃない以上、私がしゃしゃり出ても問題はないはずだ》


「えっと……今の声はどこから?」


「ああもう……!

 ほら、今喋ったのはコイツよ」


 瑛里華は手鏡を取り出し、幹也に見せつけた。

 そこには幹也ではなく、瑛里華を模した「そいつ」の姿が映る。


《初めまして。私はこの東城瑛里華のアバターみたいなものだ。

 本体からは侮蔑ぶべつの念を込めて「そいつ」と心の中で呼ばれている。よろしく、新藤幹也君》


 鏡の中で、「そいつ」は小さく手を振った。


「よ、よろしくお願いします。

 ……すごい、鏡の中に人がいるみたいだ。

 こんな能力もあるんですね」


 まるで珍しいものを見るように、幹也は手鏡の中の像を食い入るように観察する。


《こっちからすれば、君の方も大概なんだけどね……あと口ぶりから察するに、やはり『私』たちのような人間は他にもいるかい?》


「ええ……俺も知ったのは最近なので詳しくは分からないんですけど、どうやら一部の人には特殊な力があるらしいんです」


「特殊な力?」


「はい、どうやら『異能』って呼ばれているみたいで」


「じゃあ、今の君の姿もその『異能』によるものってこと?」


「それは分かりません……でも、少し違うんじゃないかと俺は思っています。

 いくら不思議な能力を持った人たちがいるからって、この姿はあまりにも異常ですから」


《確かに、その姿はファンタジーに片足突っ込んでいるしねぇ。

 全く、能力バトルものなのか魔法ものなのかハッキリしてほしいよ》


「そいつ」はやれやれと両手を上げた。


「アンタね……」


「本当に、ついこの間までは全然想像できませんでしたよ。こんな状況。

 こんなアニメやマンガみたいな出来事に、まさか自分が巻き込まれるなんて」


 幹也は少しうつむき、地面を見る。


 自分が『喰種』と呼ばれる存在になって、しばらくが経った。

 今までは追っ手から逃げるのに必死で、現状を顧みる余裕など皆無であった。

 しかしこうして改めて考えてみると、「人間」でなくなったという事実の重みが両肩にズシリと乗りかかる。


「やっぱり、そうなったのは先月から?」


 瑛里華は再び幹也の方を向いて尋ねる。


「はい。時期で言えば……六月上旬辺りですかね。

 多分、ですけど」


「……犯人に心当たりはあるの?」


「犯人?」


「決まってるでしょ、幹也君をこんな姿にした奴よ」


「……」


 その問いに対し、幹也はそのまま押し黙ってしまった。

 しかし「分からない」と答えないのは、犯人の見当自体はついているということだろう。


《あまり口に出したくない人物か……それじゃあ私から答えを言ってしまおう。

 少なくとも共犯者の一人に茅ヶ崎ちがさき圭介けいすけがいる……こんなとこでどうだい?》


「!? ……なんで、茅ヶ崎さんがそうだと?」


「君の同級生から目撃証言があったのよ……行方不明になる直前、二人で夜に会ってたって。

 しかもその事実を茅ヶ崎本人は認めようとしないっていうし、怪しさ満点。

 多少なりとも関わっているのは間違いないでしょ?」


《それに、茅ヶ崎自身が『人間』を別の種に変えるという御大層な『異能』を持っているとも思えない。

 おそらく、他に強大な力を持った黒幕がいると考えた方がいいだろう。

 もしかして、その人物にも心当たりがあったりするのかい?》


「そいつ」は鏡の中でずいっと前のめりになり、幹也を問い詰める。


「すごいですね、この人……なんでもお見通しだ」


《まあね。私は東城瑛里華の能力をフル稼働させたアバター。

 つまりはパーフェクト瑛里華さ! ははは!》


 まるで待ってましたとばかりに鏡の中で「そいつ」は偉そうに高笑いした。

 何よそのダサいネーミングは、と思いつつも瑛里華はもう口に出してツッコむことはしない。これ以上変に付き合うと無駄な時間を食いかねないからだ。

 それにもう慣れた。悪い意味で。


「ちなみにその黒幕の名前って?」


「もう勘弁してください……これ以上言って、東城さんを巻き込みたくないです」


 ブランコから立ち上がって詰め寄る瑛里華に、幹也は両手を振って距離をとった。

 片や人外だというのに、立場は全く逆だ。


「今更何言ってんの。ここまで来たら、巻き込んだも何もないでしょ。

 だったら最後まで情報を共有した方がむしろ安全ってものよ」


《同感だな。まあ同じ人格だから当然だが。

 さ、早く白状し給え》


 鏡と実物、二人の「東城瑛里華」が幹也を問い詰める。

 迫力すら感じる二つの美貌に、最初は渋った幹也もついに観念した。


「……クロキア=フォメットっていう人です」


「誰それ?」


「詳しくは知りません。

 突然茅ヶ崎さんに紹介された人で、素性とか全然分りませんでしたから」


《名前はどう考えても外国人だが、見た目や話し方はどうだい?》


「見た目はなんというか……人間離れしてました。

 青白い髪に赤い目で……あとオーラって言うんでしょうか、部屋にいるだけですごい圧力を感じたのを覚えてます」


「青白い髪に赤い目って……どう考えても普通じゃないじゃない。明らかに怪しいわよ」


《むしろ痛いな。今時のV系でも珍しいんじゃないか?》


「いや、東京の人ならそういうファッションもあるのかなって……」


 過去の自分を反省するように、幹也は自分の頭を掻いた。

 見てくれこそ今風の超イケメンではあるが、根っこは上京して数か月の秋田っ子なのだ。


「ハァ……で? それ以外に何かあった?」


 その様子に溜息をしつつ、瑛里華は質問を続けた。


「見た目以外はいたって普通でしたよ。日本語も上手で、話しやすい人でしたし。

 ただ……」


《ただ?》


「最後に、『吸血鬼ヴァンパイアの存在を信じるか』と突然聞いてきたんです。

 質問の意図は分かりませんが、それから後の記憶がなくて――」


「『吸血鬼ヴァンパイア』って、あの?」


 半信半疑、といった表情で瑛里華が問い返す。


「はい。あの血を吸う化け物です。

 今思えばあの人の姿も、かなり『吸血鬼ヴァンパイア』ぽかった気がします。

 それに今まで何度か追っ手からの襲撃があったんですけど、皆そいつからの命令だと言っていましたし……」


《追手とは……何とも非現実的な話だが、その姿を見る限り丸っきりデタラメというわけでもないか。

 私の存在といい、この世界はそれなりに不思議で一杯みたいだしな》


「で、君はこれからどうするの?

 さすがにこのままというわけにはいかないでしょ。

 追われているみたいだし」


「一応、自分なりに元の姿に戻る方法を探してみます。

 ……今のままじゃ、おいそれと人前には出れませんから」


 幹也は横を向き、遠くを見る。

 その表情は誰が見ても寂しく、悲しげだった。


(その姿じゃ会いたい人にも会えない、か……)


 それを見た瑛里華は一つ大きなため息をつき、


「……分かった。私がなんとかする」


 胸を張って宣言した。


「え、ええ!?」


「だって、今の君は堂々と街中歩けないでしょ?

 だから私が代わりに動いてその元に戻る方法をどうにかするわ。

 それに、そのクロキアとかいう奴もなんとかする」


「いやいくらなんでも危険ですよそんな……」


《諦めろ幹也君。『私』はこうなったらテコでも動かん。

 だからずっと彼氏がいないままなのだ》


「余計なことはいいの! 

 それにこれは君だけじゃなくて、和香ちゃんのためでもあるから」


「和香の……」


 大切な幼馴染の名前を聞いた途端、表情の悲しみは深くなる。


「会いたいんでしょ」


「それはまあ……大切な幼馴染ですから、会いたいという気持ちはありますけど……」


「確かにそれもあるだろうけれど、聞きたいのはそこじゃない。

 ……好きなんでしょ、彼女のこと」


「ええ!?  な、何をいきなり……!」


 幹也は慌てたように顔を赤くして俯いた。


「いいから答えて……どうなの!?」


 瑛里華は腰を落とし、下から見上げる様にして幹也に詰め寄る。

 始めは幹也も目が泳いでいたが、


「……はい、好きです。

 俺はもう一度、人として彼女に会いたい」


 瑛里華の瞳を真っすぐと見つめ返し、力強く頷いた。


「うん」


《鬼か私は。というかその厳しさを何故自分に向けられない》


「あ?」


 文字通り鬼の形相で、瑛里華は鏡を覗き込む。


《図星だからといって、どうか怒らないでくれ……とまあ『私』の恋愛観はともかくとして、まずはそのクロキアとやらの居場所だな。

 幹也くん、何か心当たりあるかい?》


「心当たりって程じゃないですが……最初に会った場所は、『ノスフェラトゥ』というバーでした」


「ノスフェラトゥ、ね……分かった。明日早速当たってみるわ」


《我ながら、こういう行動力は見事だねぇ……っとちょっと待った、誰か来る》


 何かに気付いたのか、突然「そいつ」が表情を険しくさせた。

 いつものふざけた態度とは違う、真面目なトーンだ。


「どうしたの? 何か視界に映った?」


 瑛里華はキョロキョロと周囲を見渡す。


《いや……五感でなく、第六感が危険を告げている。

 なるほど、『私』にはこんな潜在能力もあったのか》


「そいつ」は鏡の中で汗を垂らす。よほど嫌な予感を察知したらしい。

 そして、「そいつ」が感じるということは――


(確かに、何だか背筋がぞわっとするかも)


 瑛里華にもその感覚は伝わってきていた。

 次の瞬間、


「ウウウウゥ……!」


「何、あれ……」


 瑛里華は絶句する。


 目に映ったのは、幹也と同じように赤い瞳に白い牙をした人間だった。

 だがその言動は似ても似つかない。まさに人の姿を模した獣のようであった。

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