番外編『ねこのきもち』 前編

 剣術師範である堀田ほった壮吾そうごが引き起こした連続殺人事件を解決してから数日。

 英人の日常はひとまずの平穏を取り戻していた。


 今週から再び講義とバイトとサークル活動のローテーションで、本日は家庭教師のバイトの日。

 午後の講義を終え、普段はそのまま一人で都築家に向かうのだが……


「フンフフーン♪」


 何故か、その都築つづき家で待っているはずの生徒が左腕に抱き着いていた。


(……なんで大学にいんだよ。

 そもそも何故抱き着く!?)


 事は数分前に遡る。

 講義を終えて校舎から出てきた英人の腕に、美智子みちこがいきなり「先生みーっけ!」と抱き着いてきたのだ。

 突然のことに驚きつつも冷静にはがそうとしたが「いーやーだー!」と駄々をこねだしたので仕方なく放置し、今に至る。


 大学の敷地内を男女二人が腕を組んで(一方的に抱き着かれて)歩く。

 もちろん美智子は早応女子の制服のままで完全に女子高生の装いだ。


 それとアラサー男が大学のど真ん中に一緒に居たら……


「うわぁ、あのオッサン女子高生連れてるよ……まさか援交!?」


「しかもあの人、東城とうじょう瑛里華えりかに振られた人じゃん。だからって女子高生に乗り換えるとか……ロリコンキモっ」


 まあこうなる。

 周りの視線に痛めつけられ、若干ナーバスになる英人。

 しかしその様子とは対照的に美智子の方はいつになく上機嫌だ。

 というか腕組んでいるのに無理やりスキップしようとするので、英人からしたら歩きにくくてしょうがない。


 なんだかな、と思いつつ英人はここ数か月で一番大きい溜息をついた。


「……む。私といても楽しくない?」


 その溜息を見て美智子はムスッとする。


「いや別に。

 そもそもなんでお前がここにいるんだよ?」


「まーまーいいじゃん。どうせ目的地は同じだし」


 正しいことを言っているはずなのに、妙にズレてるこの感じはなんだろう。

 調子を狂わされながらも、英人は渋々と腕に抱き着かれたまま歩いた。


 見れば分かるが、美智子の身長は170cmを超えている。

 同年代から見ればかなりの高身長だろう。モデルでも中々いないレベルだ。

 英人の身長はいちおう彼女よりも高いが、もしヒールでも履かれたなら追いつかれるどころか下手すれば追い越されてしまうだろう。

 だからそんな彼女が腕に寄りかかると、頬と頬がくっつきそうなほど顔が近くなってしまう。


「……?」


 さらに、ふと良い香りが鼻をかすめる。


 これは薔薇……だろうか?


 少なくとも高校生が付けるような制汗剤やコロンが出すようなかおりではない。


「あ、気付いた? 

 これお母さんがくれた香水なの」


 英人の様子を見て美智子は嬉しそうにする。

 確かに、母親からの贈り物ならこの高級感漂う芳香ほうこうは道理だ。


「……香水は校則違反じゃないのか?」


「付けたのは放課後だからヘーキヘーキ……で、どうよ?」


「どうって?」


「だからつけてきた香水。私いい匂いする?」


 そう言って目を輝かせる美智子。そして顔が近い。

 ここまで近いと香水だけじゃなくて、なんとなく美智子自体の匂いも漂ってくる気がする。


「……まあ、よろしいんじゃないでしょうか」


 英人はそれまで頑張って目を逸らしていたが、観念して美智子の方を向いた。

 思えばここまで間近で彼女の顔を見るのは初めてだ。


 長いまつ毛に白い肌、そして透き通った水色の瞳。

 ややジト目なのが、かえって年齢以上の色気を感じさせる。

 もしかしたら高校の制服よりもスーツやドレスと言った衣服の方が似合うかもしれない。


 そんなことを考えながらほんの数瞬だけ、至近距離で見つめ合う。

 すると美智子の顔はみるみるうちに赤く染まり、さっきまでのベタベタ具合は嘘のように腕から離れて距離をとった。


「ハイ! これでサービス終わり! 早く私の家行こ!」


 美智子は顔を隠すように背を向け、上ずった声で話す。


「お、おう」


 英人は美智子のテンションの落差に少々戸惑いつつも、提案に了承したのだった。




 早応大名物の並木道の下を二人は横に並んで歩く。

 といっても何かを話ながらというわけではない。


 英人は美智子の様子を横目で見た。

 彼女は耳まで顔を赤くして俯いている。英人の腕から離れてよりずっとこの状態だ。


 ……そんなに恥ずかしかったのなら、わざわざ大学まで来て抱き着かなければいいのに。


 英人がそんなことを考えた時。


「あ」


 前方から、少し間の抜けた声が聞こえた。一文字だけだが、聞き覚えのある声だ。

 視線を前に向けると、そこに居たのは我らが早応大の誇る絶世の美女。


「よう、また会ったな東城とうじょう瑛里華えりか


「……別にアンタに呼び捨てされる謂れはないんだけどね」


 軽く挨拶すると、瑛里華は腕を組んだまま不機嫌そうに答えた。

 ストーカー事件以降二人は時々大学内で出会うが、その度にこのようなやり取りが繰り広げられている。最早大学内でもちょっとした名物になっているくらいだ。

 出会うたびに瑛里華が突っかかるので、大学内の英人の評判も「いい加減許してやりなよ……」みたいな同情的なものに変わりつつある。


 瑛里華はいつものように英人を睨んだ後、視線を美智子の方に移した。


「あ、ちなみにこの子は俺が家庭教師をしている生徒だ」


 瑛里華にいらん誤解をされるのも面倒なので英人は先手を打って事情を説明するが、その間も瑛里華は美智子をじっと見つめていた。


「え、えーと初めまして。早応女子二年の都築つづき美智子みちこ……です」


 いきなりジロジロ見てきたことに戸惑いつつ、美智子も一応自己紹介の弁を述べる。


「こちらこそ初めまして。

 私の名前は東城とうじょう瑛里華えりか、この早応大学の二年生。よろしくね」


「よろしくです……」


「しかし貴女も大変ね。こんな軟弱男が家庭教師なんて」


 そう言って瑛里華は微笑んだ。

 その表情は一見するとさながら女神のようであるが、言っている内容は刺々しいにも程がある。まあ英人にとってはいつものことなので、特には気にはしていないが。

 むしろ最近はその過激な言動によって瑛里華の好感度が下がってしまうんじゃないかと心配する余裕すらできた。


 というわけで英人は彼女の罵倒に対して涼しい表情をしていたが――


「軟弱男ってそれ、先生のこと?」


 美智子の方は先程までの表情から打って変わってムッとしていた。

 ジト目がちな目線をさらに強め、瑛里華を睨む。


「先生……? ああ貴女の隣にいる男のことね。

 そうよ、この男は女性が目の前で襲われていても何もせずに逃げ出すようなロクデナシよ」


「先生はそんな人じゃない。私のこと助けてくれたし」


「助けたって、貴女を?」


「うん。だから今言った『軟弱男』とか『ロクデナシ』って言葉、取り消して」


 そう言いつつ、美智子は一歩踏み出て瑛里華に詰め寄った。

 身長は美智子の方が10cmほど高いので、彼女が瑛里華を見下ろす形だ。


 やばい、雲行きが怪しくなってきた……そう思い英人は止めに入ろうとするも、


「お、おい美智『先生は黙ってて』……はい」


 しかし瞬く前に跳ね返されてしまった。哀れ。


 あ、あれ? いつものあのゆるーい感じはどうした? というか悪口言われたの俺よ俺。なんでお前がキレてんのさ?


 英人はボーゼンと立ち尽くす。


「……で、取り消してくれるの?」


 美智子は青く燃える瞳で瑛里華を見下ろす。


「なんで取り消さなきゃならないのよ。こっちだって見捨てられているのは事実なんだから」


 対する瑛里華は灼熱の瞳で美智子を見上げた。両者共に目から光線でも出しそうな勢いだ。


「だったらそれはアナタが先生にとって、助けたくないような人だったからじゃないの?」


「何それ。私の方に問題があるっていうの?」


「そこまで言ってないよ。でも先生にだって好みがあるんじゃない?」


 美智子は勝ち誇ったような表情を浮かべる。


「……ふーん、じゃあつまりはただの女子高生好きってだけじゃない。

 ただの変態よヘ・ン・タ・イ」


 わざと「変態」強調する瑛里華。もちろん英人にダメージが入る。

 しかし美智子の方はその発言に顔を少し赤くした。


「……べ、別に、変態でも構わないし……!」


「は、ハア? アンタ何言って――」


 瑛里華が驚いた瞬間、美智子はボーっと立っていた英人の手を掴む。


「とにかくそういうことだから……センセ、もう行こ!」


「お、おい」


 そのまま強引に手を引き、二人は人だかりの中へと埋もれていった。

 人の輪の中に残されたのは、瑛里華ただ一人。


 周囲の目が状況を見守る中、瑛里華は美智子なる少女の言動を思い返す。

 変態でも構わないという言葉と、あの表情。

 他人の「好き」に敏感なその感性は、すぐに結論を出した。


 そう、つまりそういうことである。


「…………マジ?」


 驚愕のあまり、思わずその口からはたった二文字だけが零れた。

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