剣客稼業~隙あらば他人語り~⑧

――突然だが、八坂やさか英人ひでとはかつて『英雄』だった。


「いきなり何を言ってるんだ?」と真っ先に言われても仕方のない、突拍子もない話だが、これはれっきとした事実である。


 しかし、彼が『英雄』と呼ばれたのはこの現実世界においてではない。

 それは剣と魔法のある『異世界』でのことだった――


 元々、八坂英人という人間はあまり友人の多いタイプではなかった。

 なので高校時代を孤独な状態で過ごしていた彼は、「せめて勉強だけでも」と必死に学業に励むようになる。

 いい大学に行けば環境も変わり、駄目な自分も変えられると思ったからだ。


 しかし万全の準備をしてきたはずの試験当日、不運が起こった。インフルエンザに罹ってしまったのだ。

 さらに不運は重なるもので、インフルエンザが完治した後も体調不良が続き、受験シーズンのほとんどを寝て過ごすことになってしまった。

 結果、滑り止めを含めた全ての試験を欠席する羽目になり、めでたく全落ちが確定したのだ。


 八坂 英人が異世界に召喚されたのは、そんな人生のどん底(と自身が勝手に思っていた)の時だった。


 異世界に来て最初に見た光景は、今でもよく覚えている。

 そこにあったのはまるで教会のように荘厳な雰囲気漂う建物と、驚いたようにこちらを見つめる胡散臭げな僧侶や貴族、王族の姿。


 僧侶からの説明によれば、ここは五つの国が長らく覇を競って割拠する異世界の大陸らしい。だが今は大昔に撃退したはずの魔族勢力が復活し、滅亡の危機に瀕しているという。

 だから魔王を打倒した太古の英雄伝説に倣い、『神の国(現実世界のことらしい)』より召喚した英人に世界を救う戦いに行って欲しいとのことだった。


 しかも今回は各国が独自に英雄召喚を実行したということで、英人含めて五人の英雄候補が召喚される事態になっていた。


 英雄として召喚されたとはいえ、元々五人全員が一般人。魔族のような存在と戦う力など本来ならあろうはずもない。

 だがその辺りはさすが異世界と言うべきか、五人全員が強力な特殊能力を発現していた。

 英人ら五人はそれらを武器に、各国を代表して魔族との戦いへと突入していったのだ。


 長い、戦いだった。

 見知らぬ世界でたった五人、各国の思惑に翻弄されながらも必死に生き抜いてきた。

 そして様々な出会いと別れを経て、実に八年もの歳月をかけて魔族の首領を撃破。

 英人たちは、世界を破滅から救った。


 世界を救い、正真正銘の『英雄』となった彼は、異世界での役目を終えて帰還の途に就く。

 英人は『英雄』を脱ぎさり、故郷であるこの世界にて第二の人生を開始することを決心した。


 半年かけて受験勉強を乗り越え、転移前からの第一志望であった早応大学に合格。

 英人は無事に大学生となる

 

 それからさらに一年と二か月。

 無事二年生に進級した英人は今――



 ………………


 …………


 ……



「――これが、俺の話せる全てだ」


 思ったより長い話になってしまった。時刻は既に午後2時を回っている。

 英人はひたすら長い自分語りを終え、買っておいたペットボトルのお茶を一口だけ、口に含んだ。


 義堂の方は二時間近くに及ぶその話をただ静かに聞いていた。

 作り話だと疑うこともなくひたすら真剣に、耳に入った言葉を必死に反芻する。

 英人はその真摯な姿を見て「やはり、この男が親友でよかった」と心から思った。


 二人の間にしばらく沈黙が流れる。

 風は、まだ強い。


 これ以上語る言葉はない。

 後は義堂がどう受け止めるか、英人はただそれを待つだけだ。


「…………」


 義堂は口元を手で押さえたまま立ちすくんでいる。

 しかしついに決心したのか、その力強い視線を再び英人に向けた。


「……ずっと、戦ってきたんだな。俺たちの知らない所で」


 最初の言葉は、絞り出すような重苦しさこそあったが、とても丁寧で柔らかいものだった。


「……まぁな」


「そして今もまた、戦おうとしている。誰からも知られることも、認められることもないのに」


「……まあ、好きでやっているようなもんだ」


 義堂は英人の隣に立ち、屋上から街の様子を見つめる。

 ピーク時ほどではないものの、人がそれなりに出歩いていて活気のある光景だった。


「異世界の存在はともかくとして、まさかこの世界にも『異能』という超常現象が蔓延っていたとはな」


 その街の様子を眺めながら、義堂は話す。


「『異能』に関しては俺だって知ったのは最近だ。

 その辺りはおあいこだな」


「ふっ。そっちは魔法を使う癖して白々しい」


 英人の言葉に、義堂は少し吹き出す。

 しかしすぐに真剣な表情に戻り、英人に向き直った。


「……なあ八坂、一つだけ聞いていいか?」


「なんだ?」


「お前のその……『世界の黙認』、だったか? の効果は分かった。

 でもだとしたら何故、俺は昨日お前を認識できたんだ?」


 それは義堂からすればもっともな疑問であったし、英人にとっても当初は最大の謎でもあった。

 だがもう既に種明かしは済んでいる。

 それは――


「ああそのことか。

 それは簡単、お前がその『異能者』だからだよ」


 義堂がここに上がってきた際、英人は対象の能力を視認できる『看破の魔眼』を再現し、彼の『異能』を見ていた。

 まさか、とは英人も思っていたがその予感は見事に的中した。


「い、『異能者』……? 俺が……?」


 あまりにも衝撃的だったのか、口から出る言葉は心なしか震えている。


「ああ。さっきこの『看破の魔眼』使って見させてもらった。

 お前の『異能』の名前は『不動の信念』。精神や認識、記憶に関するあらゆる干渉を無効化するという能力だ」


 この日本で生活していたら普通は洗脳を受けたり、記憶を改ざんされたりなんてことはまず起きない。

 義堂がこれまでの人生で自身の『異能』の存在に気付く機会がなかったのも当然と言えた。


「全く、その『異能者』の事ですら、『そういう存在もいるのか』と一歩引いて考えることでなんとか受け入れたというのに……。

 まさか自分がその『異能者』とはな。頭がどうにかなりそうだ」


 義堂は屋上に設置された柵にもたれかかり、手のひらで頭を押さえる。


「『異能者』の資質自体は誰でも持ってる。しかしその大半が自覚してないか、発現してないかだ。

 だからまあなんつーか、何が言いたいかっていうと、この現実世界ってのは世間一般が思うよりもずっと不思議に満ちているってことさ」


 頭を抱える義堂の横で、英人も背中越しに柵に寄りかかる。

 空を見上げると、強風のせいか雲の動きが恐ろしく速い。


 義堂はしばらく考え込んでいたが、ようやく頭の整理がついたのか勢いよく柵から起き上がった。


「ふぅ……とりあえずは理解したよ。お前のこと、この世界のこと、そして俺自身のことを」


「そりゃよかった」


「だから次は、これからの話をしよう……八坂、今回の犯人についてどう思う?」


 義堂の言う通り、本題はそちらの方だ。

 だからこそ英人は今回のような時間を設け、全てを明かしたのだ。


「単純な戦闘力だけで言えば、問題ない。

 昨夜の刀さばきからしておそらく相手は剣術の達人だが、真正面から戦えば勝てる。単純な身体能力に結構差があるしな」


「しかし『異能者』なんだろ? その辺りは大丈夫なのか?」


 義堂は英人の方を向き、疑問の声を上げる。義堂にとっては人生で初めて相対する超常の存在、不安に思うのも無理はない。


「確かに不安要素ではあるが、おそらく奴の能力は『空間転移』に属する類のもの。

 厄介な能力ではあるが、こいつはあくまで移動のためだけの能力。直接戦闘に関わるものではないから問題ないはずだ。

 だが……」


「自在にワープする犯人をどうやって捕捉するか、か」


「そういうことだ」


 英人はまた一口、お茶を口に含む。


『空間転移』の能力は『異能』の中でも上位に相当する希少な能力だ。魔法においても高ランクのものでなければ行えないほど難しい芸当でもある。

 だがそれだけに発動するには制約も多く、おそらく犯人の『異能』にも発動条件がある筈。


 それが分かれば――


「なあ義堂、一つ聞いていいか?」


「ん、なんだ?」


「昨日、路地裏にいた不良たちからの証言ってもう取ってる?」


 英人の言葉を聞いて、「ああ」と義堂は警察手帳を開く。


「昨日のうちに粗方は聞いてある。

 全員の証言をまとめると、こうだ。

 『突然黒ずくめ男が刀を持って襲ってきたので逃げようとすると、斬りつけるでもなくいきなり仲間の一人に対して刀を投げ渡してきた。すると男と仲間の二人が同時に消えてしまった』……といった感じだな」


「つまり『刀を渡す』がキーか」


「しかしタネが分かっても瞬時にワープされてはな……『渡す』という行為に関してもどこまでを指すのか分からない以上、対策は難しい」


 義堂は顎を撫でながら言う。

 確かに一見すると犯人の『異能』は制限が多くて使いづらい能力に思える。

 しかし相手は剣術の達人、その脅威度は高いと言わざるを得ない。


「それに昨夜の騒ぎだ。おそらく犯人としても少しの間は鳴りを潜めようとするだろうな」


「昨夜の件を受けて捜査本部も人員を増やすだろうが、さすがに限界がある……このままでは奴の独壇場だ」


「そうさせん為にも、俺も今日からは毎晩徹夜で首都圏一帯を監視するつもりだ。

 今度は逃がさん」


「八坂、お前……」


 英人の言葉に、義堂は一瞬驚いたように英人の横顔を覗き込むが、すぐに下を向いて考え込んでしまった。


「……すまない」


 そしてしばらくしてから絞り出した言葉には、心苦しさと悔しさが滲んでいた。


「どうしたんだ、いきなり」


「お前はもう既に俺たち警察のために戦ってくれているというのに……!」


 義堂は英人の前に立ち、深く頭を下げる。


「警察組織に属するものとして不甲斐ないのは分かってる! 情けないのも分かってる! 

 でも今のままでは犯人までたどり着けそうにない……!」


 義堂は姿勢を崩さずにただ強く、言葉を重ねていく。


「『異能者』である奴を逮捕するには、お前の力が必要だ……! だから……!」


 そして今度は膝を地面につけようとする義堂を、英人は肩を掴んで押さえた。


「や、八坂……?」


「それ以上は警察が、いや義堂誠一がしたらだめだ」


 英人は肩に手をかけたまま、義堂の体を起こす。

 顔を持ち上げられた際の義堂の表情は、悔しさで溢れていた。おそらくその悔しさは、警察ではない英人では到底理解しえない程のものなのだろう。


 それでも、唯一無二ともいえる親友が悔しがっている。

 そしてそれを必死に押し殺して、自分に頭を下げている。

 キャリア警察官というプライドをかなぐり捨ててまで。


 だからこそ、俺がやらなければならない。どうにかしなければならない。

 ――そうだ、そのための『力』だ。


 親友の覚悟を目の当たりにして、英人も腹を括った。


「義堂、お前の覚悟は分かった。後は俺に任せろ」


 英人の表情は、かつてないほどの覚悟に満ちていた。


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