剣客稼業~隙あらば他人語り~③
横浜の繁華街から少し外れた路地裏に、人だかりが出来ていた。
その場所は普段から都市の明かりが差し込む事はなく、一部の不良やゴロツキくらいしか出入りしないような場所なのだが、この日ばかりは多くの野次馬が集まっていた。
その入り口には事件現場を隠すためにブルーシートがカーテンのように設置され、さらに「立ち入り禁止」のテープも周囲に張られている。
「すみません、警察です。ちょっと通してください!」
野次馬をかき分けつつ、義堂が現場に向かう。
ここまで来るのにかなり急いでいたのか、その額には玉のような汗が噴き出ており、呼吸も乱れていた。
しかしそんな場合でも彼の凛とした表情は崩れることはない。
「捜査一課の義堂だ、入るぞ」
警備をしている警官に警察手帳を見せ、テープを潜り現場に入る。
入り口を覆うブルーシートをめくると、中には凄惨な光景が広がっていた。
――赤。
視界に入ってくる色はひたすらに赤だった。眩暈がするほどに。
その中心には、左肩から袈裟に裂かれ果てている青年の遺体があった。
義堂とて警察官としてそれなりの経験は積んできたと自負しているが、ここまでの凄惨な現場を見ることはめったにない。
遺体の周囲では、警官が現場の保全と調査を開始している。
義堂はその中の一人の肩を叩いた。
「すまない、遅くなった」
「あっ義堂さん、待ってましたよ」
義堂の言葉に答えた若い男性警察官の名は、
義堂と同じ神奈川県警捜査一課所属の刑事であり、階級は巡査部長。義堂の直属の部下でもある。
足立は義堂に指示されるでもなく警察手帳を開き、事件の詳細を報告し始めた。
「現時点で判明している情報ですが、被害者の名前は
職業はフリーターで、繁華街の居酒屋でアルバイトをしているようです」
「死亡推定時刻は分かるか?
……と言っても、聞いたところであまり意味はなさそうだな」
そう言って義堂は改めて平田の遺体を見る。
切り裂かれた動脈からは未だに血が弱々しく流れ出ており、辺りに広がる血も未だ乾ききっていない。つまりは殺されてからほとんど時間が経っていないということを示していた。
「ええ。おそらく今から遡って一時間のうちには、というところでしょうね……」
足立は遺体を横目で見ながら答える。彼としてもこれほどの量の血を見るのは初めてらしく、その顔は生理的な嫌悪感を隠しきれていない。
「それほど時間が経っていないとなると、犯人はまだそんなに遠くには行ってないはずだ。目撃情報は入ってきてないのか?」
義堂が尋ねると、足立は神妙な顔をする。
「それが、直接犯人を見た目撃者はいないんですけれど……」
「ん? どうした? 何かあるのか?」
「この遺体の第一発見者、こちらに通報してきた方なんですが、
その人が言うには『遺体が突然どこからともなく現れた』らしいんですよ」
足立の言っていることは非現実的であり、それは話している彼自身も重々承知している。
しかし、話している表情はいつになく真剣だった。
なぜならそれはまるで――
「まるで今都内で起きている『あの』事件みたいだな」
「ええ、あの妙な噂が流れている『かまいたち事件』と、状況が全く一緒なんです」
足立や義堂の言うように、都内では連続殺人事件が起きている。
ニュースでは表向きはただの殺人事件として公表しており、その詳細については報道されていない。だがそれは警視庁(都内を担当する警察)が公表できない事実があるからだと噂されていた。
その内容とは「被害者が突然何もない空間から斬殺体として現れた」、と言うもの。
世間的には今のところネットで少々噂される程度だが、内部情報の出回る警察内ではかなり実体を持った話題として広まっていた。
「しかしまさか本当に噂通りで、しかも今度は横浜で起きるとはな」
義堂は顎を撫でながら呟いた。
これまでの事件、共通していることがいくつかある。遺体が発見された状況は当然として、被害者の属性についても似通っているのだ。
都内の被害者三人はいずれも10~20代の若年男性であり、チーマーや半グレ集団に所属しているいわば「不良」と呼ばれる人間たちだ。
最初はチーム同士の抗争や内紛が原因かとも疑われたが、それにしては手口が残忍すぎる。今時ヤクザでもこんな殺しはしないだろう。
「ど、どうしましょう、義堂さん。
こんなの捜査しろって言われてもどうしたらいいか分かんないですよ……!」
足立が弱音を吐くのも分かる。
義堂とてこんな事件は初めてだ。もし経験者がいるのなら即刻捜査の陣頭指揮を執ってもらいたい。
しかし、ない物ねだりをしても始まらない。
「誰が相手だろうと事件は事件だ、俺たちのできることを全力でやるしかない。
とりあえずは周辺の人間に聞き込みだ。もしかしたら犯人はまだ近くに潜んでいるかもしれないからな。
早速取り掛かるぞ!」
「は、はい!」
義堂の一喝と共に、足立も即座に動き始めた。
………………
…………
……
あれから義堂と足立は周囲で二時間ほど聞き込みを行なったが、二人とも有力な手掛かりや目撃情報を得ることはできなかった。
仕方ないので二人はとりあえず状況報告のために一旦神奈川県警本部に戻ることにした。
時刻は既に11時過ぎ。
普段なら夜勤を除いて職員の大半は帰宅しているはずだが、今夜に限っては繁華街で殺人事件が起きたということで、オフィス内は昼間と変わらない喧騒のままである。
義堂や足立の所属する刑事部捜査第一課は、殺人・強盗・放火・誘拐等の凶悪犯罪を担当する部署であり、刑事ドラマでもよく舞台となるいわば花形部署だ。
だからこそ今回みたいな事件が起きた際はもはや戦場と言ってもいいほど、部署内は忙しくなる。
「藤堂課長、ただいま戻りました」
義堂は捜査一課の島の一番奥にあるデスクへと向かい、挨拶をした。
「おう義堂か、ご苦労」
義堂の言葉に答えたのは、白髪の混じる髪をオールバックに纏めた壮年の男。
この人物こそが神奈川県警が誇る捜査一課長、
ノンキャリア出身の叩き上げでありながら、その抜群なまでの捜査手腕とどんな手掛かりも逃さない「嗅覚」で捜査一課長にまで上り詰めた敏腕刑事だ。
キャリアである義堂も刑事の一人として尊敬しており、日々薫陶を受けている。
義堂は警察手帳を開き、これまで収集した情報を報告する。
一通り報告を終えると、藤堂は腕を組んで考え込み始めた。
「何もない所から突然遺体、か……」
いつになく難しい表情をする藤堂。
本来ならば与太話だと切り捨てられてもおかしくない話である以上、当然の反応だ。
しかし前例が既に三件も起きているという事実が、事態をややこしくさせていた。
「ええ。
遺体の発見がそのような状況であるため、それ以外の目撃情報や犯人の手掛かりなどは聞き取ることができませんでした」
どんな事件であれ、初動捜査が肝心であるのは警察内の常識。
しかし有効な手掛かりが何一つ手に入れられていない現状では、事件の解明はおろか捜査の方針すら立てられない。
(いったいどうすれば……!)
義堂の表情には悔しさが滲む。
「そんな顔をするな、義堂。
相手が人間なのはもちろんのこと、たとえ妖怪であろうとも俺たちのやることは変わらない。できることをやるだけだ。
それに明日には警視庁との合同捜査本部も設置されることになった……だから義堂、今日はもう休め」
藤堂は立ち上がり、義堂の肩を叩く。
「し、しかし……!」
「困難に直面した時こそ頭を冷やす……こんな事件なら猶更だ。
ましてや今のお前は酒が入っているんだ、今日はもう帰ってしっかり疲れと酒を抜いてこい。
部下を持つ人間がそんな面をしていたら士気に関わるぞ?」
焦る表情の義堂に、今度は両肩に手を乗せて諭す。
尊敬する上司にここまでされてしまうと、義堂も反論はできない。
「……分かりました。今日は失礼します」
義堂は頷き、荷物を纏めて県警本部を後にした。
自宅に戻った後もその真面目な性格らしく、上司の言いつけ通り体を休めることに専念した。
ルーティンワークの如く機械的に風呂に入り、夕食を取る。
ベッドに入る頃には酒はすっかり抜けていたが、事件に対する疑念と焦りだけは、次の日の朝も頭の中で重く渦巻いたままだった。
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