剣客稼業~隙あらば他人語り~②

 薫をなんとか撒いてから約30分、英人は夜の横浜の街を歩いていた。

 また横浜かよ! 内心思ったが今から会う男の職場のことを考えると、都内よりこっちの方がいいので仕方ない。


 時刻は間もなく夜の7時。

 日は既に沈んでおり、辺りは学生やらサラリーマンやらで賑わっている。

 中心街は飲み屋の明かりでオレンジ色に照らされていて、どこも盛況だ。楽しそうに飲んでいる雰囲気が歩いている英人にも伝わってくる。


 そんな光景を横目に英人は目的地の雑居ビルへと入り、エレベーターで三階に上る。ここが今日の待ち合わせ場所だ。

 なんの変哲もないただのチェーンの居酒屋だが、だからこそ気兼ねなく飲めるというもの。


「すみません。7時から予約してました八坂です」


 受付の店員に話しかけ、英人は店内を見渡す。もう既に客は結構入っているようであり、店内では店員がジョッキやトレーを持って忙しなく動いていた。


「はい、八坂様ですね。お待ちしておりました。

 席までご案内します」


 予約を確認してもらった後、英人は席へと向かう。

 席はチェーン店にありがちな二人用のこぢんまりとしたテーブル席であり、既に箸やおしぼりが準備されている。席にはまだ誰も座っていない。


 時間ギリギリの到着だったのだが、どうやら英人の方が先に着いてしまったらしい。

 おかしいと思いスマートフォンを見ると、メッセージアプリに通知が一件来ている。

 内容を確認すると、どうやら相手は仕事の関係で少し遅れるようだ。


 ……うーんしょうがない。

 相手には悪いけど、このまま一人で何も頼まずボーっとしているのも店に申し訳ないし、ビールとつまみだけ頼むか。


 そう思い、早速英人は店員を呼んだ。


「すみません。生一つと枝豆下さい」


「はーい。生一つと枝豆ですねー」


 注文を済ませた後、英人はおしぼりで手を拭きながら改めて店内を見渡した。

 そこでは、仕事終わりのサラリーマンやら学生やらが様々な話題で盛り上がっている。ただのチェーンの居酒屋と言えど、飲む人たちの人間模様は様々だ。


 上司の愚痴や仕事への文句、政治への不満に始まり、果ては恋バナ、人生相談まで。人種や言語が違うといっても、飲み屋の雰囲気はここも異世界も大した差はない。


 ……平和だな。


「生お持ちしましたー」


「どうも」


 英人はテーブルに置かれたジョッキを手に取った。

 泡の比率は綺麗に7対3、ジョッキが結露するぐらいにキンキンに冷えている。

 ここでは一杯399円。しかしあっちの世界じゃいくら金を出しても飲めなかった代物。


 転移前は未成年だったから飲んだことはなかったけれど、こうしてジョッキを手に持つと異世界から戻ってきたことを改めて実感する。


 ジョッキの底から立ち上る泡を見て、英人はかつての戦友たちを思い起こした。


(……みんなは、どう思うんだろうな?)


 ジョッキを少しだけ持ち上げる。


「……乾杯」


 英人の小さな呟きは店内の喧騒に飲まれ、人知れず消えた。



 ………………

 …………

 ……



 英人が一人で飲み始めてから約30分後、急いだ様子で席に向かってくる人影があった。


 整髪料で整えた黒髪、よく手入れのされたスーツと革靴、引き締まった表情。

 見た目からして仕事のできそうな男だ。


「すまない八坂。遅れてしまった」


 この男こそ今日一緒に飲む相手。

 英人の幼馴染で、今は警察のキャリア組である義堂ぎどう誠一せいいちだ。


「いや、仕事なんだろ? じゃあ仕方ないさ。

 酒は生でいいか?」


「ああ悪い」


 ちょうど英人もジョッキが空になりそうだったので、生を二つ頼んだ。


「やっぱ最近は忙しいのか?」


「まあな。近頃は色々と物騒な事件も続いているし……とはいえ遅れていい言い訳にはならんが」


 おしぼりで手を拭きながら義堂は答える。

 見ての通り誠実な人物なのであるが、少し堅すぎる所が玉に瑕だ。


「別に上司と飲むわけじゃないんだから少しくらい遅れたって別にいいよ。

 まあなんだ、俺とお前の仲だろ? って奴。

 ほら、ビール来たし乾杯しようぜ」


 店員が持ってきたビールの内、一つを義堂に差し出す。


「おおそうだな……じゃあ、乾杯」


「乾杯」


 そして英人は今日二度目の乾杯をした。




「しっかしこうして二人で飲む日が来るとはなー」


「まあ再会したのが去年の話だからな。十五年近く間が空いてるし、そう思うのも無理はない」


 義堂が言う通り、二人がこうして飲むようになったのは去年からだ。


 二人が知り合ったのは、それこそ幼稚園の頃から。

 もともと互いの家も近く、小学生になった後も当時は一緒に登下校したり、日が暮れるまで遊んだり、お互いの家でゲームしたりとまさに親友と言える関係性だった。

 だが中学校に上がるタイミングで義堂の家が親の事情で引っ越してしまい、そこからは疎遠に。その後も一応はメールのやり取りこそしていたものの二人で直接会う機会はめっきりと減ってしまい、最後は英人が異世界に行くことで完全に途絶えてしまった。


 しかし英人が八年ぶりに戻ってきたことを聞きつけて、いち早く連絡くれたのもまた義堂だった。その時は英人も感激に震えたのをよく覚えている。

 そして英人が大学に入学してからは、こうして時々飲む仲になっているのだ。


「十五年で色々変わったよなー。

 俺はただの大学生だけど、お前は天下のキャリア警察官ときた。今は神奈川県警に出向しているんだろ?」


「まあ元々こっちに住んでいたからな、そういう意味では仕事しやすくて助かってるよ。

 そういうお前こそ、28歳のキャンパスライフはちゃんと満喫してるか?」


 そう義堂に言われて、英人は今日一日を振り返る。

 サークル代表にアルハラを受け、友人の存在を疑われる……改めて考えると、すごい。


「ま、まあ……それなり、だな」


「なんだその煮え切らない反応は」


 義堂よ、お主も同じ立場に立ったらきっと同じ反応をするからな絶対。


 義堂の言葉を受けて英人はそう思ったが、これ以上キャンパスライフを深堀されても困るので話題を変えることにした。


「そういえば、今の階級は警部なんだろ? やっぱりもう部下とかいんの?」


 因みに警部とは警察の階級の中で上から六番目、県警で言えば課長補佐クラスに当たる。


「まあ一応、な。俺としてはもっと現場に出ていたいが、部下を持つとそうも言ってられない」


 ジョッキを見つめながらしみじみと語る義堂。

 人の上に立つものとして苦労というものは、英人にも異世界の経験で一応覚えがある。


「まあでもお前みたいな男が出世して偉くなれば、警察もより良くなるってもんでしょ」


「警察組織をもっと良くしたい、という熱意自体は今もある。

 しかしこうして目の前の業務に追われると、ついそんな自分を見失ってしまいそうでな……ああ、そういえばお前確か昔「自分探しの旅」をしてた時あったよな? 高校卒業してから。

 それって実際どうなんだ? 本当に自分を見つけることができるのか?」


 義堂が言うように、世間的には英人は八年もの間自分探しの旅をしていたということになっている。

 これは異世界に行っていたことで八年間行方不明になっていたという事実を、『世界の黙認』が勝手に穴埋めした結果だ。英人は正直雑な修正だな、と思っているが。


(しかし……あの頃となると、あっちでの話になるか……)


 英人は異世界での八年間を振り返る。

 するとまるで走馬灯のように、様々な光景がフラッシュバックした。


「そうだな……まあ見つかったような、見つかってないような……」


 英人は目頭を手で押さえつつ、答える。

 別に泣いているわけではなく、溢れんばかりの思い出の数々を少しだけ整理したかった。


「はっきりしないな」


「まぁなんというか『まだまだ見つからない』ということを見つけた、という感じ……かなぁ?」


 なんとも曖昧な回答だが、これは英人の偽らざる本心。

 確かに異世界での生活と戦いは色んなものを自分に与えてくれたし、特に『英雄』としての使命を全うしたことは人生における一つの区切りだ。


 しかし英人は考える。


 じゃあ俺の人生は異世界で完成してしまったのか?  

 これより先は何もない、平坦な道をただ進んでいくのか?


 いや、そんなことはない。

 現実世界に戻ってからでも、新たに学んだことや感じたことは沢山ある。

 『元』英雄と言っても俺は所詮まだ二十代の若造。学ぶことは多いし、人生を締めくくるにはまだまだ早い。


「そうか……まあそう簡単に見つかっては誰も苦労はしない、か」


 そう言ってビールを飲み干す義堂。

 28歳という年齢は、社会人になってから一区切りついたとも言える年齢だ。

 「自分」というものについて見つめ直したくなる気持ちは、英人にも十分理解できた。

 社会人経験こそないものの、責任を持って仕事、もとい戦いに臨んだ経験があったからこそである。


 少しの間、二人の間に沈黙が流れる。


 すこし経って義堂が注文をしようと店員に向かって手を挙げた時、突然着信音が鳴った。

 どうやら義堂の携帯電話からのようだ。


「すまない、少し電話してくる」


「はいよ」


 そうして店の外に出てしばらくした後、また席に戻ってきた。その様子は先程までとは打って変わって真剣そのもの。


「八坂、すまない。仕事で急用が入った」


 荷物を急いでまとめつつ義堂が言う。どうやら事件が発生したようだ。


「仕方ないって。横浜の治安よろしくな」


 英人はジョッキ片手に手をひらひらと振った。


「この埋め合わせはまたいつかする……とりあえずこれだけ置いておく。足りなかったら連絡してくれ。それじゃ!」


 義堂はスーツの上着を小脇に抱え、そのまま小走りで店を出ていく。

 英人はその後ろ姿を見送った後、テーブルの上をちらりと見た。


(……足りないどころか次は俺が奢らなきゃだな、これは)


 無造作に置かれた一万円札を眺めながら、英人は残ったビールを飲み干した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る