剣客稼業~隙あらば他人語り~①

 薄暗い室内。

 窓から差し込む月明かりだけが、その板の間を照らしている。

 百畳近くはあろうかという一間。

 そこは剣術道場だった。


 そんな張り詰めた空間に、男が二人。


「な、なんなんだよここ……!」


 片方は長い茶髪を揺らしながら恐怖した面持ちで道場内を走り回る、いかにも「不良」という言葉が似あう若者。


「…………」


 そしてもう片方は、黒を基調とした私服を着た壮年の男だった。

 その凛とした佇まいはまさに「達人」と呼べるものであり、服装をそのまま道着に変えても様になってしまいそうなほど、構えが堂に入っている。


 男は走り回る若者を追う。

 しかし走って追いかけるのではなく、相手を袋小路に追い詰めるように、じわりじわりと間合いを詰めていった。


「くそっ、くそっ!

 なんで……!」


 若者はこの空間から逃げ出すために、必死となって出口を探す。

 しかし窓や戸など、出口となりそうな所にいくら力を入れてもピクリとも動かない。

 普通なら鍵が掛かっていたとしても少しは揺れたり、ガタガタいったりするはずなのに。

 まるでこの道場という空間全体の時間が止まったかのように固まってしまっている――そんな「異常性」が、若者の中の恐怖心をより一層強くした。


「諦めろ。この空間からは出ることは決して出来ない。

 どちらかが死ぬまでは、な」


 若者の後ろから男が語り掛ける。

 振り返ると、男はより殺気を込めた目で見返してきた。


「ひっ……!」


 若者の体は思うように動かない。まるで蛇に睨まれたカエルだ。


 まだ双方の距離はそれなりに離れてはいる。

 だが男の歩き方、と言うより歩法は確実に若者の逃げ道を潰してきていた。


「さぁ立て。そして向かってこい。

 その刀は飾りではないぞ!」


 男の一喝。

 そしてある程度距離を縮めたところで立ち止まった。

 どうやら若者が立ち上がるまで待つ気のようだ。


 若者の手には刀が握られている。

 これは目の前の男が突然渡してきた、というより押し付けてきたものだ。

 若者は今、望まぬ殺し合いをこの男とさせられていた。


(なんだよコイツ……狂ってやがる……! ヤクでもやってんのか!?)


 そう思いつつも、若者は刀を手離さない。今の彼にとって刀という「武器」は、この異常な状況おける唯一の拠り所だからだ。

 これまでの人生で人を殴ったことは、何回もある。しかし人を斬ったことなんて一度もない。


 怖い。心が圧し潰されてしまいそうだ

 でも生きるためには、やるしかない。


 若者は立ち上がり、刀を両手で握る。

 初めて握る刀は想像以上に重い。

 この重さは自分の命か、相手の命か、はたまたその両方か。

「生きること」と「殺すこと」、その二つの恐怖が刃となって若者の心に突き刺さった。


 汗と呼吸が止まらない。

 寒くもないのに体はガタガタ震えている。

 月夜に妖しく光る白刃は、まるでその無様な様子を嘲笑っているかのようだった。


「……よし」


 若者が立ち上がったのを見て、男はニヤリと笑い再び間合いを詰めた。


「フゥ―ッ! フウウウゥーッ!」


 対する若者は恐怖心で乱れた呼吸を無理やり整えようとするが、中々上手くいかない。


(相手も同じ人間、相手も同じ人間……!)


 若者は心の中でそう言い聞かせる。

 そう、ここは間違いなく人生の分水嶺。

 殺らなければ、殺られる。


 若者は、とうとう腹を括った。


「……う、うおおおおおぉぉぉぉっ!」


 若者は刀を上段に構え、突進する。

 そして、一合。


 ――道場に響いたのは、未熟者の断末魔だった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 季節は五月の下旬。

 気温も上がり、六月の梅雨を抜けたらいよいよ夏が迫る時期。


 早応大学経済学部二年、八坂英人は今日もいつも通りのキャンパスライフを送っている。

 とはいえ今日は家庭教師のバイトもなく、授業も三限で終わる予定。

 そのまま帰ってもいいが、かといって家でやることも特にない。となるとサークルの出番だろう。


 というわけで今、英人はサークルの部室に向かっていた。

 目的地は学生会館の一室だ。


 早速エントランスに入ってみると、午後一番の授業が終わったタイミングということもあって既にサークル活動を行う学生で混み始めていた。

 英人はその様子を横目に見ながら階段を上り、二階の廊下を奥へ奥へと真っすぐ歩く。

 その部屋があるのは、廊下の突き当り。そして古ぼけた鉄製の扉にはサークル名だけが殺風景に書いてある。

「ファンタジー研究会」――通称ファン研が英人の所属するサークルだ


 英人は特にノックをすることもなく、ドアを開けて中に入った。

 

 瞬間、本の香りが鼻を通る。

 その証拠に部屋の中に目を向けると、天井まである本棚にはびっしりと本が詰め込まれており、中央の机にも何冊か本が積み上がっているのが見える。


 本の内容はファンタジーに関連するものが中心であり、各国の神話、歴史、ファンタジー小説、漫画等より取り見取りだ。ファンタジーの他にもオカルト関連の書籍も散見される。


 このサークルはその名の通り元々ファンタジー好きが集まってできたものであり、その歴史は意外と長い。

 しかしアニメ・マンガ・ゲームと今ではサブカル系のサークルは充実している関係で年々部員の数は減少の一途を辿り、今では部員はこの部屋にいる三人のみだ。


「おや、来たね」


 ドアが開いた音で英人が来たのを察知したのか、部屋の奥から声が聞こえた。


 しかし声の主は椅子ごと後ろを向いているため、英人からは顔は見えない。

 まあ、背もたれが無駄に大きいせいでそもそも後頭部すら拝めないわけだが。


 ――この部室のもう一つの特徴として、「代表席」というものがある。

 言うなれば歴代のサークル代表だけが座れる特等席のようなもので、一般部員がパイプ椅子なのに対し、それはまるで大企業の重役が座るような革製の作りのしっかりした椅子だ。

 むしろ椅子というよりチェアーと呼んだ方がしっくりくる。


「いやぁ。待ちわびたよ」


 声の主はゆっくりと椅子を回転させ、英人の方を向いた。ただ振り向いただけなのに、それだけでやや陰気な部室の空気が浄化されたように感じる。


 その髪型は銀髪のショート。さらには「王子様」、という表現がピッタリな中性的で整った顔と新雪のような白い肌。

 この女性こそがファン研の代表、いずみかおるだ。


 ロシア人のクォーターであるそのルックスは男性はもちろん女性も引き付けてしまうような魅力があり、学内でもかなりの有名人。そんな人が何故こんな弱小文化系サークルの代表をやっているのかは、英人にもよく分からない。

 ちなみに彼女は現在四年生で本来なら就職活動に専念していなければならないはずなのだが、大学院への進学が希望のため就活せずこうして今もサークルに顔を出している。


「……どうも」


 英人は軽く会釈をし、パイプ椅子に座った。


「八坂さん、こんにちは」


 椅子に座ると、机を挟んだ向こう側の人物も英人に挨拶をする。


 肩にかかる程度のしっとりした黒髪、前髪で隠れ気味な丸い瞳。

「文学少女」のイメージそのものであるこの女性は、サークルメンバー最後の一人、秦野はだの美鈴みすずである。


 その体型は着やせするのか一見華奢ではあるものの出るとこは出ているため、薫曰く男子学生の隠れファンは結構いるらしい。というかヘアバンド着けたらモロ某アイドルゲームのキャラクターだ。

 彼女も他に文学系のサークルがある中で、何故かファン研に入っている物好きである。


 以上、代表の泉薫、そして部員の秦野美鈴と八坂英人の三人がこのファンタジー研究会の全メンバーだ。

 肝心なサークル活動についてだが、特に決まったものない。

 基本的には本を読んだり、映画やアニメを見たり、である。これでも昔はファンタジー小説の同人誌を作ったりしていたらしいが、メンバーが少なくなった今では中々そういうことも出来なくなった。


 ちなみに英人が入ったきっかけであるが、今現在もニヤニヤした顔で英人を見ている薫に無理やり連れてこられたのが原因だ。

 連れてきたのは薫曰く「何かファンタジーぽかったから」というのが理由らしい。

 その際英人は自身の素性がバレたのかと本気で焦ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。つまり彼女は直感だけで英人のことを嗅ぎつけたということなのだ。

 とにかくフィーリングで動くタイプの人物だが、この人の直感はバカにできん、と英人は畏敬の念を抱いている。


「さあ今日もメンバー全員揃ったところで……各自読書!」


 まあそんな昔のことを気にしてもしょうがないので、薫の指示に従って英人も本を読んで時間を潰すことにした。

 部室で男女三人揃って読書、これがこのサークルの日常風景だった。



 ………………

 …………

 ……



「……そういえば、聞いたかい? 

『かまいたち事件』の噂」


 本を読み始めてからしばらく経った頃、薫がおもむろに口を開いた。


「『かまいたち事件』……ですか?」


 美鈴は疑問の声を上げる。

 英人も「なんだその現代社会とあまりにもミスマッチな事件名は」と心の中でツッコんだ。


「おや、知らないのかい? 

 うーむ、じゃあまずは順を追って説明しよう。

 二人共、最近ニュースでやっている連続殺人事件について知っているかい?」


「ええ。

 確か都内で連続して三件、それも10~20代の男性が殺害されているという事件ですよね」


 英人がそう答えると、薫は机から身を乗り上げ、まるで内緒話でもするかのように話し始めた。


「そう。タイミングが近いことから連続殺人の疑いもあるこの事件だが……警察も公表してない、ある『怪奇現象』が関係しているという噂があるんだ」


「怪奇現象……!」


 美鈴はいつの間にか読んでいた本を閉じ、薫の話を興味深そうに聞いている。

 ザ・文学少女、という雰囲気につい忘れてしまいそうになるが実は彼女、オカルト関係の話には意外と目がない。


「殺害された状況について警察は未だ詳細を公表していない。

 しかしその殺害現場の特殊な状況から、どうやら『かまいたち』の犯行なんじゃないかと専らの噂なんだ」


「その特殊な状況っていうのは?」


 英人は薫に聞く。


「被害者は全員、突然消えたと思ったら数分後にいきなり斬殺された死体として現れた、というものさ」


 そう言い終えると、薫は再び椅子に座り、足を組んだ。

 部室と椅子は不釣り合いだが、彼女と椅子は妙に似合う。


「それで『かまいたち』……!」


 美鈴は手に汗握る、といった表情をする。本当にオカルト関係は食いつきが良い。

 そんな美鈴の様子を横目に見ながら、英人は薫の話を反芻した。


 英人の頭に真っ先に思い浮かぶのは『異能』という言葉だ。

 しかしニュースを見る限りでは今回は既に警察が捜査しているようなので、すぐに首を突っ込む必要もないだろうとも判断する。


 ……まあ、明日ヒムニスに一応聞くだけ聞いてみるか。


「それで、代表はどこでそんな情報を仕入れてきたんですか?」


 英人が聞くと、薫は不敵に笑う。


「フッ、一応これでもこのファン研の代表だからね。こういった超常現象関係の情報網を持っているのだよ。

 ま、物好きはどこにでもいるということさ」


 薫は座りながら椅子を無駄に一回転させ、また向き直る。そして椅子から再び立ち上がり、中央の机の前で立ち止まった。

 まるで芝居でも見させられているようが、演者が美人なだけに妙な説得力がある。


「さて、もういい時間だし、これからこの話を肴に久しぶりにメンバー全員で飲もうじゃないか! もちろん、代金は代表である私が出そう!」


 薫は胸を張りつつ高らかに宣言する。人を飲みに誘うだけでやたらオーバーな物言いではあるが、やはり妙にしっくりきてしまう。


「すみません、私今日はアルバイトがあって……」


「あらら、そうか。秦野君は今日もアルバイトの日だったか。

 じゃあ八坂君、一緒に行こう。二人でしっぽりと夜を明かそうじゃないか」


 美鈴が行けないと知るや、すぐさま英人の腕を掴んで確保に掛かる。

 しれっと言っていたが、朝まで飲む気らしい。

 それなりに強く腕を掴んでくるのが少し怖いが、英人にも今日は行けない理由がある。


「すみません。俺も今日は予定あるので……」


 腕を掴む手をゆっくり剥がしつつ、英人は答える。


「予定? どんな?」


 薫がポカンとした顔で聞いてくる。美鈴も物珍しそうに英人を見ている。


 そ、そんなに俺に予定があることが珍しいのか……。

 英人は二人のリアクションを見て何だか泣きたくなってきたが、ぐっと堪えて返答する。


「いや、友達と飲むんですよ」


「「えっ」」


「えっ」


 薫と美鈴が同時に驚きの声を上げ、二人の反応に対してさらに英人が驚いた。

 え? マジでどういうこと?


「そ、そんな嘘をついてまで私と飲みたくないのかい……?」


 よほどショックだったのか、薫は目を涙で滲ませながらうろたえていた。


「八坂さん……いくらなんでもそれは……」


 美鈴も美鈴でドン引きしている。

 どうやら英人は二人に「友達のいないおっさん」と思われていたようだ。

 英人自身、そう思われてしまっても仕方ないような材料があったと自覚はしているが、やっぱり辛いものである。

 自分、涙いいすか?


「まあ相手は小学校時代からの友達で今は社会人だから、二人が存在を知らなくても無理ないですよ」


「……何人で飲むんだい?」


 薫はジト目で聞いてくる。


「二人です」


「まさか女性とかい!?」


「いや男ですけど」


 別にもし女と飲みに行くからといって、なんだという話ではあるが。

 しかし薫は英人の言葉を受け、腕を組んで考え込んでしまった。


 待ち合わせの時間も迫っているので、英人はそれを「もう行ってよし」のサインと勝手に解釈する。


「……それじゃ俺そろそろ時間なんでもう出ますわ」


 読んでいた本を鞄に詰め込みつつ、ここはスピード勝負とばかりにさらっと別れの言葉を言う。

 しかし鞄を持って部室から出ようとした瞬間、後ろから衝撃を受けた。


「わー待って待って! ちょっと考え直してくれ! 

 もしかして私の誘い方が悪かったのかい!? だったら謝るからさ!」


 英人は何事かと後ろを振り向いたら、薫がタックルの要領で腰に抱き着いていた。さらには半泣きになりながら訴えてきている。

 普段は何でもそつなくこなし、男女ともに人気の高い彼女だが、このモードに入ってしまうとなんというか、すごいめんどくさい。


「いや、誘い方ではなくて、単純にあっちが先約というだけです」


 英人は倒れないように、バランスを取りながら答える。


「それじゃあ……えーと、ほ、ほら! やっぱり男よりも女と飲んだ方がいいだろう!? 今ならワンチャン、いやツーチャンぐらいあるかもしれないよ!?」


 薫も引っ込みがつかないのかワケの分からんことを喋り始める。

 ツーチャンとはなんだろう。


 結局、「次回絶対サシ飲みに行く」という約束をして英人はなんとか薫を宥めることに成功した。


 ……おかげで待ち合わせ時間ギリギリになってしまったが。  


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