なんで私が早応大に!?⑧
「ん……んぅ」
「おっ、起きたか」
『異能者』の中年男性を絞め落としてからおよそ10分、英人は美智子を抱えて近くの公園へとたどり着いていた。
本体が気絶したことで彼女に掛かっていた『異能』も既に解除されているが、『異能』による精神的負担のため少しの間眠ってしまっていたようだ。
「……うーん……」
寝ぼけ眼をこすり、美智子はキョロキョロと周囲の状況を確認する。
数秒後、自身がどのような体勢になっているのかを理解したのだろう、普段はクールな表情がみるみるうちに赤く染まっていった。
「な、なんでお姫様だっこされてるのーッ!?」
「いや、気を失っている人間運ぶにはおんぶよりこっちの方が安全だし」
「そういうことじゃなくて!
恥ずかしいから降ろして!」
英人の腕の中でじたばたする美智子。
事実、既に何人かの通行人に見られている。お姫様抱っこされている姿など思春期の少女でなくても恥ずかしいだろう。
だからといって騒ぐとさらに注目が集まってしまうのでは……と英人は心の中でツッコミを入れるが、これ以上状況をややこしくするのも嫌なので口には出さなかった。
「分かった分かった降ろすから暴れんな、暴れんなよって…………よいしょ。ほら」
英人はお姫様抱っこの状態からゆっくりと美智子を地面に降ろした。
意識が覚醒したばかりということもあって足元が少しふらついていたが、立つこと自体は出来ているため後遺症がある可能性は低い。
英人はその様子を見て安堵する。
しかし美智子はバツの悪そうな表情をしてそっぽを向いた。
「……私、重くなかった?」
その一言は英人にとって予想外であったが、むしろ安心させてくれるものでもあった。
こんなモデルみたいな体型の少女でも、体重は気になるようだ。そう思うと少し可愛らしい。
「女とはいえ人ひとり、軽いはずないだろう」
こういう時少し茶化して見たくなるのは英人の悪い癖。
まぁ嘘は言っていない。
「……その答え方は、ずるいと思うな」
その言葉に、美智子は少し顔を赤くして向き直った。
夜風に揺れる髪。
街灯と月明かりで妖しく照らされる表情。
改めて真正面から見るその姿は、いつも以上に大人びて見えた。
(……こうして見ると、普通に綺麗だな)
英人はつい口から出そうになった言葉を飲み込む。
年甲斐もなく気恥ずかしくなって英人は黙り込むが、すぐに美智子が口を開いた。
「よく分かんないけど……先生が、助けてくれたの?」
それは美智子からすれば当然の疑問だ。
正直、そのまま警察に保護してもらおうかとも英人は考えた。そうすれば「世界の黙認」の影響で、「八坂 英人が助けた」という真実は消える。
しかし未遂といえども「性犯罪の被害者」というレッテルを貼られてしまうのは、女性にとってはかなりまずいだろう。
英人はそう考えて、騒ぎにならぬ内に美智子を現場から連れだしたのだ。
「うーん、どうだろ。なんとも言えん」
「助けた」という事実を真正面から受け止めるのに少し抵抗を感じ、英人は目をそらして頭を掻く。
その様子を見て、美智子は表情をムッとさせた。
「誤魔化す気なら言葉を変えるね……ねぇ、どうして私を助けてくれたの? 昨日のこともあったし、それに先生はただの家庭教師じゃん」
美智子は英人に詰め寄る。
有無を言わさぬ視線。
英人はそれを優しく見つめ返した。
「……なんだ、知らなかったのか?
最近の家庭教師ってのは、ここまでやるんだよ」
言葉が終わった後も英人は視線を逸らさない。逸らせないのではなく、逸らしてはいけないと思ったからだ。
「……バカ。
……でも、ありがとうね。私を助けてくれて」
しばらく見つめあった後、最初に音を上げたのは美智子だった。
そして赤くなった顔を隠すようにプイっと後ろを向き、背中越しに話し始める。
「……『どうして家出なんかしたんだー!』って聞かないの?」
「気にはなるが、それを聞くべきなのは俺じゃない」
「じゃあ誰なのさ」
美智子は下を向き、地面の石ころを軽く蹴飛ばす。
「決まってるだろ、お前のご両親だよ。お前に聞くのも、お前が話すのも」
「……その『ご両親』が、私にはいないの」
美智子の声のトーンが下がる。
「勝手に死なせるな。まだご存命だろう」
「じゃあ先生、お父さんとお母さんの姿を一度でも見たことある!? ないでしょ!
私だってここ数年、直接会ったことなんて数えるほどしかない! こんなの両親って言える!? こんなのを『家族』だって言えるの!?」
美智子は再び英人に向き直り、声を荒げる。
彼女の怒る表情を見るのは昨夜に続き、これで二度目。しかしその剣幕は比べ物にならない。
「…………」
「なんとか言ってみてよ! 言えるものなら!」
怒りに震える美智子の目には、徐々に涙が滲み始める。
「なんとか言ってよ……お願いだから……」
遂には涙が瞼からあふれ、頬を伝っていた。
それを見た英人はポケットからキーホルダーを取り出し、美智子に差し出す。
「……こ、これって……!」
「落とし物だ。大事なものなんだろ?」
それはいつもバッグにつけていた、白猫の人形。
英人はゆっくりと彼女の手の中に包み込ませるように、キーホルダーを渡す。
「うん、お父さんから貰った……そっか、拾ってくれたんだ……良かった……!」
涙の滲む表情で、キーホルダーを見つめる美智子。
本当に大切な物だったんだな、とその様子をみて英人は思う。
「なあ知ってたか? その人形の中にGPSの端末が入っているってこと」
「え、じ、GPS? …………あっ」
英人の言葉を受けて人形をまさぐり始める美智子。そしてすぐに何か固いものが入っていることに気付く。
「そう。お前のご両親はたとえ遠い海外にいても、そのキーホルダーでお前の安否を確認していたんだ。それも多分毎日な。
だから昨夜も今日もこうして家出したお前を見つけることができた。実際にここまで来たのは俺だが、本当の意味でお前を守ったのは、お父さんとお母さんだ」
なぜ瀬谷は昨夜美智子の前に現れ、そして今日も落としたキーホルダーを拾えたのか。
最初英人はそれを疑問に思っていたが、キーホルダーを『鑑定』の魔法で調べたことで合点がいった。
英人の『鑑定』魔法は、その物体の構成要素の解析だけでなく、込められた思いや歴史までをも読み解くことができる。
英人が白い猫に見たのは、深い親心と愛情であった。
つまり都築夫妻はGPSを通して、いつも美智子を見守っていたのだ。たとえ何千キロ離れた彼方であろうとも。
おそらく青葉や瀬谷の反応を見るに、直前までGPSのことは知らされていなかったのだろう。でも夫妻GPSを逐一チェックしていたからこそ、美智子の家出にいち早く気付けた。そしてそのことを瀬谷に連絡し、迎えに行かせたのだ。
「う、嘘……」
口を押さえる美智子。その瞳は驚愕に染まっている。
「まあこの話は俺の推測も入ってはいる……でも直接確かめてみる価値はあるんじゃないか? 『家族』を語るのはその後でも、遅くはないはずだ」
英人はそう言って優しく肩を叩くと、美智子はせきを切ったように泣きじゃくる。
その様子はまるで今まで積み上がってきた寂しさや、行き場のなかった愛情が、出口を見つけて溢れ出しているようだった。
倒れそうになる美智子の体を、英人は抱きしめるようにして支える。
夜の公園、周りには二人以外誰もいない。
ただ美智子の泣き声だけが、響いていた。
………………
…………
……
「……うぅ、恥ずかしいところを見られた」
しばらくして美智子が泣き止んだ後、二人は公園のベンチに並んで座っていた。青葉には既に英人から連絡を入れてあるので、後もう少ししたら瀬谷が車で迎えに来てくれる予定だ。
「まあ別にいいじゃん。俺しか見てないし」
「それが問題なんだけどね!」
英人がいたずらっぽい表情で冗談を言うと、すぐさま美智子が反論してくる。
もうその表情に暗いものはない。
とりあえず元気が戻ったようで良かった、と英人は安心した。
「……これからどうなるんだろ」
長い脚を前に伸ばしてパタパタさせつつ、美智子が呟く。
「まあ叱られるだろうな。それもこっぴどく」
「やっぱりそう思う?
まー普通そうだよねー。二日連続で家出したわけだし……はぁ」
美智子は軽くため息をつくが、それは呆れや落胆とは違った、どこか前向きな感情を感じさせるものだった。
「そうだ、『普通』ならお父さんとお母さんに怒られる。
そして今回は絶対そうなるはずだ」
「私、今まで直接親に怒られたことないや……どうすればいいと思う?」
美智子は脚を動かすのを止める。顔は依然として前を向いたまま。
「なーに、だったらこっちは17年分の駄々をこねてやれ。『もっと私に構ってよ!』ってな」
そう言うと美智子は英人の方に向き直り、
「いいね、それ」
「だろ?」
どちらからともなく、二人は声を上げて笑い始めた。
ひとしきり笑い終えた後、美智子は憑き物が取れたかのように手足を伸ばして仰向けに伸びをする。
「そういえば今日、満月だったんだね」
美智子は伸びの姿勢で顔を上げたまま話す。英人もつられて顔を上げる。
都市の明かりのせいで星はよく見えないが、丸い月だけは眩いばかりにそこにあった。
「おっ本当だ。何だか得した気分」
「だね……あっそうだ。ねぇねぇ知ってる!? 『月が綺麗ですね』の意味」
どうやら月を見ているうちに思いついたのか、伸びを止めて英人に詰め寄ってくる。
「もちろん知ってるよ。『I love you』、つまりあなたが好きですってことだろ」
そして英人が答えると、あてが外れた美智子はやや不機嫌な表情英人に向ける。
「ちぇー知らないと思ったのに」
昔は文学を多少齧った人が知っている、程度の知識であったが今やネットやSNSで散々広まったお決まりのフレーズ。
美智子はともかく、英人らの世代にとっても使い古されて陳腐になった表現だ。
でも、なんとなく使ってみたくなる言葉でもある。
「先生はさ、好きな人に告白する時はやっぱりこういうかっこいい表現とか使ったりするの?」
再び月を見上げる美智子。月明かりに青白く照らされる横顔は、儚げに映る。
その姿は制服さえ着ていなければ一端の大人の女性だ。
しかし「告白」という話題を振ってくるあたり、なんだかんだ美智子もそういう恋バナが好きな年頃の少女ということなのだろう。
「まあ俺は現代っ子だからな。明治時代の表現は使わんさ」
「現代っ子(笑)」
「なんだその反応は。
ま、俺はちゃんと『好き』って言うよ。
まあなんというか……『好き』という感情には素直でありたいと、思うんだ」
「……そっか」
英人が話している間も、美智子はずっと月を見ていた。
まあ今日の月は綺麗だしな、もう少し見るか……と英人が思った矢先、見覚えのある車が公園の入口に停まった。
「美智子様!」
「あっ
車の方に駆けていく美智子。英人も後ろから付いていく。
「すみません、八坂様。お嬢様を見つけていただいて……本当にありがとうございます」
瀬谷は深く頭を下げる。
謝られている英人の方が逆に申し訳なく感じるくらい、腰が直角に曲がった綺麗なフォームだ。
「いえいえ、大丈夫です。とにかく無事でよかった」
「そう言っていただけると助かります……それでは美智子様、こちらに」
瀬谷が後部座席のドアを開け、美智子を待つ。
しかしそこへ向かう美智子の足取りは緊張からか、少しだけ重い。
その様子を見た英人は美智子にゆっくりと近づき、背中をポンと叩いた。
「ほらご両親も待ってる。
今度は大丈夫だ」
その言葉に美智子は一瞬戸惑うが、すぐに笑顔で向き直る。
「……うん!」
もう恐れはない。
今度は軽やかながらも確かな足取りで美智子は歩き、乗り込む直前、満面の笑顔で振り返って、
「先生っ! またラーメンおごってよねっ!」
程なくして車は発進した。
その場に取り残されたのは、英人ただ一人。
彼は視界から遠ざかっていく車の姿を静かに眺める。
昨夜と同じ光景、でも違うものが一つある。
それは、彼女の表情。
別れ際の満面の笑顔が、心を満たす。
……今日は気分よく寝れそうだ。
英人は少しだけ口角を上げ、その場を去ったのだった。
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