なんで私が早応大に!?⑦
そこは横浜駅の中心街から少し離れた位置にあるファミリーレストラン。
今は夕食時のピークタイムを迎えており、席は満席。順番待ちの列も少しずつ出来始めている。
店内ではコールボタンの音がひっきりなしに響いており、それに対応するために店員がテーブルからテーブルへと忙しなく動いている。
客層は学生、家族連れ、おひとり様のサラリーマン等様々であるが、その中で一組だけ女子高生と中年男性が二人きりで占拠している異質なテーブル席があった。
「……寝たかな?」
中年男は静かに口を開く。
女子高生こと美智子は糸が切れたかのようにテーブルに突っ伏している。
男は美智子の肩をゆすり完全に眠っていることを確認すると、下卑た笑みを浮かべた。
「うんうん、よく眠っているね――それじゃあ行こうか。
『僕の後に付いてきて』」
「……うん」
男がそう話しかけると、深く眠っていたはずの美智子はむくりと起き上がる。
しかし目は虚ろで、どこか焦点はあっていない。
その姿はただ男の指示にのみ忠実に従う、操り人形のようだった。
これがこの男が持つ『異能』、『100分ノ恋モ冷メル』である。
その能力は100分間二人きりで時間を共にした状態で、相手に「眠れ」と言う。その条件を満たすことで100分間だけ対象を自分の言いなりにできるというものだ。
男は手際よくレジで会計を済ませから店を出て、美智子も頼りない足取りでそれに続く。
店を出ると辺りはすっかり夜であり、街灯やビルの明かりが夜道を過剰なほどに照らしている。
男は長時間座っていたことで腰を痛めたのか、少し伸びをしつつ歩き始めた。
「じゃあ今から僕の家に行くけど、『ちゃんと付いてきてね』」
「……はい」
二人がこれから向かう先は、ファミレスから歩いて10分ほどの所にあるマンションの一室。男が普段生活している住居である。
また同時に美智子のように『異能』によって操った女性を連れ込むためにわざわざ引っ越した物件でもあり、マンションとファミレスを含んだ横浜駅の郊外一帯はこの男のテリトリーだ。
繁華街で暇そうにしている女性(その多くが女子高生や女子大生)にご飯をおごると声を掛けて、馴染みのファミレスやカフェに誘い込む。さらにそこで100分間上手く時間を稼いで相手を操り、最後に自宅に連れ込むというのがこの男のいつもの手口。
いま後ろについてきている生意気な女子高生も、いつも通りこちらの手に落ちた。
後はいつも通り家に連れ込み、100分経つ前にいつも通り楽しみ、いつも通りバレないように帰すだけ――
最早ここまでくれば、男にとってはただの流れ作業に近い。
後ろからゆっくりついてくる美智子がはぐれてしまわないように、はやる気持ちを抑えて一定のペースで歩く。
表情こそゆったりで落ち着いた様に見せかけているが、一歩ずつ自宅へと近づく度にその顔の下では、薄汚い感情が肥大していく。
しかしその表情も、マンションが目前に迫るころには湧き上がる興奮を抑えきれず、歪んだ欲望が滲み出たものとなっていた。
普通なら周囲の目を考えて表情を隠すべきなのだが、今ならその周囲の目はない。男はまるで勝利宣言とばかりにその下卑た表情を見せびらかしながら歩いた。
(あともう少し、あともう少し……)
そう、次の角を曲がればあと数十メートルでマンションに着く。時間にすれば1分も掛からないだろう。
いよいよ目前に迫ったことで、男の興奮も最高潮を迎える。
(この角を曲がれば……!)
抑えきれないような興奮を何とか抑えつつ、ゆったりとした足取りで角を曲がろうとすると――
「待てよ」
後ろから、声を掛けられた。
もしや、今の言葉は自分に掛けられたものなのだろうか? と一瞬男は立ち止まる。だがそんな暇はないとばかりにあえて無視をし、再び歩みを進めようとする。
「いやそこの女子高生を拉致しようとしているおっさん、お前のことだよ」
しかし後ろからの言葉と同時に、何か強い力で強制的に後ろを振り向かされた。
それはおそらく年齢で言えば30手前の、私服を着た青年だった。
身長は180cm弱だろうか。体格はややしっかりしている程度で、その他に目立った特徴のない、ごく普通の青年だった。
「い、いきなり何をするのだね。失礼じゃないか」
男は青年に掴まれた背中を手で払いながら言う。
その全く悪びれない態度に対し、青年の表情は夜闇のせいでよく見えない。
「何をするはこっちのセリフだろ。女子高生を無理やり連れまわすのは犯罪だぞ?」
「ち、違う! 私はただ迷子だったこの子を案内してあげているだけだ! なぁ『そうだろ』!?」
美智子に向かって、返答を強いるように男は話しかけた。
男としてもこのような事態はすでに想定済みであるし、打開策も講じてある。
「……はい、そうです」
美智子は虚ろな表情で答えた。それを聞いた男は勝ち誇った表情で青年に向き直る。
「ほら、この子もこう言っているんだ、あらぬ疑いをかけるのはやめたまえ。それでは私たちは失礼するよ」
これで凌いだ――男はそう思い、この場を後にしようとする。しかし目の前の青年は暗闇の中で不敵に笑い、呆れたように頭を掻いている。
「……何がおかしい」
「いや、悪いけどタネはもう分かってんだ。これ以上誤魔化すのは見苦しいだけだぞジジイ。
それともアンタの『異能』、俺の口から説明した方がいいか? その100分間のやつ」
「な……!」
青年からの予想外の言葉に男は驚愕する。
そのうろたえる姿を見て、これ幸いとばかりに青年が距離を詰めてくる。
(この男、なんで『100分ノ恋モ冷メル』のことを……!? いや、それよりもこのままだと捕まってしまう。かくなる上は……!)
「うおおおぉぉおぉ!!」
心の中で何かを決心した男は、突然青年に飛び掛かる。そしてスムーズな動きで右手で青年の襟を、左手で青年の右袖を掴んだ。
ほんの一瞬の隙に、男は柔道で言う「背負い投げ」の体勢に入った。
「どうだ! ただの中年男と思って舐めたか! これでも高校大学と柔道を七年間やってたんだ! お前みたいな若造なぞ――」
勝ちを確信して声を荒らげる男。そして地面は競技用のマットではなく、固いアスファルト。
普通に考えればアスファルトへの背負い投げは死ぬ可能性のある危険な行為であるが、相手の無事など男にとっては思慮の外。男は青年を投げるため、全身に力をこめる――
が、びくとも動かない。
「……え、な、なんで。
く、くそっ」
勢いをつけ直して何度も投げようとしても、青年の体は持ち上がるどころか動かすことすらできない。
背負い投げに苦戦していると、後ろから青年の左腕がゆっくりと伸びてきた。そしてその腕は男の首の前を通過し、これまたゆっくりゆっくりと――――男の首を絞め始めた。
「な、やめっ!?」
自らの危機を悟った男は急いでその腕を剥がそうとするが、まるで万力で挟み込んでいるかのように離れない。チョークスリーパーの要領で首を絞めるその腕は、直実に男の肉に沈み込んでいく。
「七年か。そりゃ良かったな」
「んーッ!? んんーッ!」
いよいよ息もできなくなり、男は腕と足をじたばたさせて脱出を試みる。
バタつかせた男の腕や足が青年に当たるが、そんなものは全く意に介さずに腕は首を絞め続ける。
そして――
「――俺は『異世界』で、『英雄』を八年だ」
男の意識は、そこで途切れた。
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